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お念仏を申す生活法話

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私のお寺のご院家さん

2018-02-09
 昨日電話で「そちらのお寺は四十九日満中陰のお勤めは、門徒でないとしていただけないのですか」
という問い合わせがありました。
 
 今はお坊さんの派遣業というものがあって、お葬式の仲介をしてくれる業者があるということです。
例えば大分県内の各宗派のお坊さんを登録していて、
お葬式ができてその仲介業者に頼むと、葬儀社とお坊さんを紹介してくれるという仕組みです。
 
 ただお葬式初七日までの契約ということです。
頼む方もお葬式だけでいいお寺とのお付き合いは遠慮したいということで、ニーズにピタリ合うといいます。
 
 ところが親族関係者からお葬式の後のお勤め、四十九日や初盆、年忌の法事をどうするのかという声があがります。
といってもお葬式で頼んだお坊さんは業者が手配したお坊さんで、そのお葬式だけのご縁のお坊さんなのです。
 
 お坊さんはお坊さんでお葬式のお勤めだけで充分なのです。
お葬式のお布施とそれからの仏事のお布施では大分金額が違います。
なるべく多くのお葬式にお参りできた方がいいわけで、いろんなお勤めが入ってくるとお葬式の依頼に応えられずに、
業者から見放されることにもなります。契約解除です。
 
 そういうなかで満中陰のお勤めをどうするか。お坊さん探しが始まるのです。
 
 お坊さんは、ただお経を読む人なんでしょうかね。
お経は、亡き人を供養するための道具手段なんでしょうかね。
 皆さんはよくお聴聞されていますから、そこのところはちゃんと受けとめられていると思いますが、
一般的にはお経とはそういうものだと思っている人が殆どらしいです。
 
 お葬式はお坊さんだったら誰でもいいのではありません。お寺のご院家さん(住職)の大きなお役目なのです。
 
 ご門徒さんとお寺のつながりは、共に仏さまのご縁をいただくお寺のご院家(いんげ)さんとのつながりなのです。
「ご院家さんあなたに、私のお葬式を執り行ってください。お願いします」と、日頃から思っていただけるご院家さんです。
 お寺にお葬式をお願いすることが、そのまま七日七日満中陰、初盆、一周忌のご縁とつながっていくのです。
 
 ご縁がつながるとは、私たちのお念仏のご法義は死んだらお終いということではないというご法義なのです。
いや死を縁にしていよいよこのご法義が生きてくるんです。
 
 先に往かれたお念仏の先人は、仏さまです。
阿弥陀さまのお浄土に往き生まれて、今は仏さまになってくださっています。
 仏さまになったらゆっくりゆったりあの世とかで眠っておられないで、
私のところに南無阿弥陀仏と還って来て、いよいよ「まかせよ救う」のおはたらきをはじめられるのです。
 
 今日お葬式があります。
小さい頃から私のことをよく知ってる、よく見てくれていたご門徒さんです。
 そのご門徒さんとのつながりはお葬式のご縁だけのつながりではありません。
生きている時からのつながりです。そして命を終えてからのつながりでもあります。
 
 そのご縁はその人だけではなくそのご家族、周囲の方にもつながっていきます。
南無阿弥陀仏のおはたらきです。大いなる仏さまのご縁といただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.9)

お寺の見えない過疎

2018-02-08
 昨日は京都のご本山で会議があって行ってきました。
寺院振興といって、これからのお寺のあり方について、お寺を元気に盛り立てていきましょうという会議です。
 
 そのなかでも過疎対策についてということです。
大分県も過疎の県といわれ、お寺が在る農山漁村部の人口が減少しています。
 高度経済成長期以来続く若い世代の都市への人口移動があり、今は少子高齢社会ということです。
これは日本社会が抱える現実問題で、私たちがどうしようもできないことです。
 市町村の合併が進み、学校や病院など公共施設の統廃合が加速しています。
 
 お寺についていえば、門徒が減るということで、お寺の護持が大変難しくなりました。
 
 私たちの円光寺は過疎の地にあるお寺とはいえません。
周辺には工場や会社がいくつもあり、商業施設もあって、幹線道路に接して車の往来は結構多いです。
 
 見えない過疎という言い方をします。
小学校の児童数はこの十数年殆ど変わりませんが、アパート所帯が多くなりました。
一世代以上前からの住民は極端に少なくなりました。
 夜、大きな屋敷にぽつんと一室だけ灯りがともるお家を見かけます。
都会に出ていった子どもが古里に帰ってこない現状がすぐ近くにもあります。
 
 お寺の見えない過疎はより深刻です。
名簿の上では門徒の数はありますが、顔の見えるご門徒さんが少なくなったということです。
 
 お寺とご門徒さんとのつながりが薄くなって寺離れということが言われていますが、
見えないところでこの寺離れが一気に進んでいるようにも感じます。
 
 お寺を護持していくことが町のお寺でも本当に難しくなりました。
 
 これはお寺をあずかる住職だけの問題ではありません。
ご門徒皆さんも一緒に考えお寺を護持していただきたいと思います。
 
 昨日の会議で20人ほどの僧侶のなかでただ一人出席されたご門徒さんの発言に力をいただきました。
「過疎の問題というが、人口減少、門徒減少はどうしようもない。
 門徒が何軒あるから寺が護持できる、できないということではなく、
 門徒の私たちがお念仏のご法義をどういただき、伝えていくのかということが大事なのではないか」と。
 
 浄土真宗門徒の心意気を思います。
確かに現代社会にあってお寺も従来通りのことをやっていくばかりではお寺の存続そのものが危ういものがあります。
 だからこそお念仏に生きる心意気をもったご門徒衆と共に、私たちのお寺になっていこうと強く思いました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.8)

お葬式のご縁

2018-02-06
 今日はお葬式があります。家族葬専門の葬儀社さんで、初めてのご縁です。
 
 一昨日臨終勤行にお参りしましたら、コンテナハウスといいますか、
倉庫を改造したような斎場で、ご遺体をご安置したお棺の上方にご本尊の南無阿弥陀仏のお名号が奉懸されていました。
 
 三人の方がお参りでした。ご妹弟とご縁の方です。
 
 色んなことがあったと聞いてはいましたが、家族も友人もいない昨日のお通夜、そして今日のお葬式です。
人それぞれの人生いろいろといいますか。この人生、色んなことがあります、あったでしょうね。
 
 振り返ってあの時こうしておけばと思うこともありますが、やり直しできない一度っきりの人生です。
傍から見れば善い悪いなどといわれることもありますが、
その人ひとがかけがえのない命を一生懸命生きてきたということです。
 
 そしてこの命は死んだらお終いではなくて、阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただいて、
南無阿弥陀仏の仏さまのいのちに成らせていただくんですよと、聞かせていただきます。
 
 そのこと一つ聞いてくれよというのが仏さまの思し召しですが、
中々仏さまのご縁に遇うことは難しい。
 
 難中の難ともいわれる仏さまのご縁を命がけでつくってくださったのが、このたび先に往かれた大切なお方、
今はお浄土の仏さまとなって私たちのことをこれからずっといつも見守り続けてくださいます。
 
 このたびのご縁でいうと、三人のお方です。
 愛する者と別離する悲しみのご縁ですが、そのまま仏さまのご縁といただいて、
阿弥陀さまのお慈悲をいっぱいいっぱいいただきましょう、
とお通夜のご縁でお話お取り次ぎさせていただきました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.6)

お念仏の60周年大会

2018-02-05
 昨日は大海組仏教婦人会の結成60周年の大会が大分グランシアタ音の泉ホールで約600人が参加してありました。
 
 第1回の大会が昭和31年8月9日に大在の長光寺さんであったといいます。
遠く思いをはせます。
 
 今から62年前のことです。日本社会は戦後復興半ばで、人々の生活は貧しく厳しいものだったと思います。
昭和30年代に入り39年の東京オリンピックに向けて、経済が次第に活気を帯びてまいります。
 私たちの本願寺も36年に親鸞聖人700回大遠忌の大法要を迎えるにあたり、
いよいよお念仏のみ教えに立ち返ろうという機運がみなぎっていたのではないでしょうか。
 
 その頃です。大海組のお寺の仏教婦人会の皆さんが心を一つにして一堂に集まろうと思い立ったのです。
 
 貧しい生活にあって、通信交通も不便な時代です。
大在までどんな交通手段で行ったのでしょうか。大変だったと思います。
大会を開催するまでの準備は、連絡はどのようにしたのでしょうか。
 
 今だったら連絡しようと思えばすぐ連絡できます。集まろうと思えばすぐ集まれます。
 
 最初の会議が昭和29年と聞いて、あらためて凄いなと思います。
何が凄いか。お念仏の先人の心意気です。
 あれから60年です。そしてこれから60年です。
 
 昨日の挨拶にもありましたが、お寺にとって今は大変厳しい時代になりました。
通信も交通も本当に便利になりました。生活も豊かになりました。
 でもお念仏の心はというと、どうかなということです。
 
 ただ悲観的なことばかり言っていてもどうしようもありません。
どうぞ皆さん、まずあなたの隣の人にお念仏のみ教えを伝えてまいりましょう。
伝えるといって、そんなに力を入れなくてもいいです。
「いっしょにいこうえ~」と声かけをしましょう。
 この私がお念仏を申す身にさせていただくことが肝心要です。
 
 昨日集まった600人の方々、どういう思いでお家に帰られたでしょうか。
お家にはそれぞれ阿弥陀さまをご安置するお仏壇があります。
 お仏壇に手を合わせて、これから60年、お念仏申す日々を一日一日送らせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.5)

「福は内、鬼も内」

2018-02-03
 今日は節分です。節分には豆まきをします。鬼に豆をまいて邪悪なものを追い払うという風習です。
鬼は悪役、嫌われ者です。桃太郎の鬼退治しかり、鬼は地獄の番人ともいわれ怖いです。
 
 悪の代表のような鬼ですが、実はこの鬼、鬼神といって仏法を護る神さまだというんです。
 
 仏の里といわれる国東(大分県北部)の六郷満山は、今年で開山1300年ということですが、
毎年1月に修正鬼会が勤まります。松明をもった鬼が山中を駆け巡り邪気を払って一年の五穀豊穣を祈る行事です。
 
 この六郷満山は宇佐神宮と縁が深く日本古来の修験道と外来の仏教がいっしょになった宗教のかたちをとります。
神と仏がいっしょに信仰される、神仏習合のかたちです。
 
 仏教が今から2500年ほど前にインドで生まれ、中国を経由して日本に入ってきたのが1500年ほど前です。
実は仏教が生まれ伝来する以前から、インド、中国、日本には固有の神々がいて、人々が信仰していたといいます。
そこに外来の仏教が入りその地域の宗教や信仰を取り込み神仏習合を繰り返して、仏教が発展してきたといわれます。
 
 以上は、先日大分合同新聞に載った講演記事の受け売りです。
 その先生いわく「鬼はもともと、法を護るもの、我々を守るもので、邪を避けるものだった」と強調し
「鬼は本来いいものだから節分には『福は内、鬼は内』というのが本来の筋だった」とお話しされたということです。
 
 さて、私たちの阿弥陀さまが豆まきをしたら、どう言われるでしょうか。
 「福は内、鬼も内」と聞かせていただきます。
「福も鬼も、善人も悪人も、女も男も、子どももお年寄りも、どんな人も、みんなおいでお浄土に、
みんなの家だよ、ようこそようこそ」
 
 生きとし生けるすべてのものを分け隔てなく必ず救う南無阿弥陀仏のお心おはたらきを頼もしく思います。
 
 「福も内、鬼も内・・・福も内、鬼も内・・・福も内、鬼も内・・・・・・・・」
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.3)
円光寺
〒870-0108
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