「私は決して完璧な人間ではないので……」
2024-09-13
パワハラ疑惑等々で百条委員会の追及にあい
県議会議員全員から辞職要求が出される事態になった
兵庫県の斎藤知事が記者会見で涙を浮かべて
「私は決して完璧な人間ではないので……」と
言われました。
涙の真相はわかりませんが
県知事選挙で応援してくれた仲間からも見放された
悔しい胸のうちが表れたのでしょうか。
選挙で県民から4年間の負託をいただいて
自分なりに知事の務めを果たしているのに
ということでしょう。
自らの辞職には応じず
不信任決議案が可決されれば
法規に則って次の選択肢を講じると
頑なに信念を押し通す覚悟のようにも見えます。
先の「完璧な人間ではないので」の発言について
今周囲の批判の的になっているこれまでの言動に
一定の理解を求めるようにも聞こえますが
誰も知事に完璧な人間を求めているのではありません。
人間誰しも間違ったことをして
周囲の人に嫌な思いをさせたり
迷惑をかけることがあります。
自分が気づこうか気づくまいか
これまで何も迷惑をかけないで生きてきた人は
一人もいないのではないでしょうか。
ただ知事のような公的な立場に立つ人には
世間の目は大変厳しいものがありますが
大切なのは間違ったときは
周囲の意見に素直に耳を傾け反省して
謝るべきは謝り
それを次の生きる糧にするぐらいの覚悟と
柔軟な対応が必要だと思います。
中々「はいそうです」と言えず
自らの保身をはかろうとするのが人間の業ですが
嫌な事でも言ってくれるのが真の友人です。
知事はじめ政治家だけではありません。
社会的立場にある「先生」と呼ばれる人たちです。
僧侶お坊さんもその一人です。
完璧な人間ではないと言い訳するのではなく
社会生活を共に営む一員として
真摯に人ひとに向き合っていくことです。
親鸞さまの「よき師」法然さまは
日々の生活に明け暮れ苦悩し迷う人びとに
「この世はお念仏申されるように生きなさい」と
いつも仰せだったと言われます。
歳を重ねて様々なことに出あうなかで
お念仏申して一日一日を大切に
何事も阿弥陀さまにご相談しながら
心豊かに今私にできることをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.13)

お浄土からのお届けもの
2024-09-12
この時期、いつものご門徒さんから
いつもの葡萄が届きました。
県内の葡萄の名産地にブドウ狩りに行かれて
おすそ分けを持ってきてくださるのです。
今年はいつものご門徒さんではなく
長男のお嫁さんが持って来られました。
いつものご門徒さんは
一か月前にご往生されたのです。
急な悲しいお知らせでしたが
最期は自宅でご家族お友だちとも
最後のお別れができたと聞いていました。
先年病気になって入退院を繰り返し
お寺のご縁はご遠慮されていたようですが
お家にお参りに行くと
コーヒーを煎れて
手作りのケーキや果物など盛りだくさんに
お接待してくださいました。
「一年一度のお寺参りのご縁です」と
決まってシャインマスカットと巨峰のお供えです。
ご家族の方も知っていたと思いますし
申し送られたことかもしれませんが
いつもの葡萄が届きました。
お浄土からいつものお届けものです。
お念仏申して有難くいただきました。
これからはいつもお浄土から
南無阿弥陀仏のお喚び声を届けてくださるのですね。
お念仏申して有難くいただき
往生浄土の道をご一緒させていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.12)

被爆体験者
2024-09-11
被爆体験者44人が
被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟で
長崎地裁は一部15人を被爆者と認め
手帳の交付を認めました。
被爆体験者とは
国が引いた被爆地域から漏れた
被爆者と認められずにいる人です。
同じような訴訟が広島でもあり
2021年の広島高裁判決では
全員が被爆者と認定され
国は控訴せず判決が確定した先例があり
今回も同じ期待があったのですが
判決は従来通り被爆者と被爆体験者を
線引きするものでした。
被爆者も被爆体験者も
平均85歳前後の超高齢者になっています。
今回被爆者と認定されなかった88歳の原告団長は
「最後までたたかう」とコメントしています。
被爆から79年です。
日本が戦後復興していくなかで
私たちは豊かで便利な生活を享受してきましたが
被爆され多くの病気に苦しみ
被爆体験者と名づけられて
「人間の尊厳」を取り戻すために
救済を求めてきた人たちがいるのです。
朝ドラ『虎に翼』で
原爆裁判のことが取り上げられていました。
大きな力に翻弄されて
今なお分断され差別される人たちに
憲法14条「法の下の平等」は
本当に生きているのでしょうか。
その時代人間社会の仕組みの中で
それぞれの人の立場や思いはからいで
動いているようなところがあって
それぞれの人が生きる現実に
本当に向き合っているのでしょうか。
仏法のなかの平等です。
どんな人も分け隔てなく必ず救うとおはたらきの
阿弥陀仏のご本願のお心です。
阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに
分断も差別もない
生きとし生けるものすべてが
共々に寄り添い支え合って
自他共に心豊かに生きて往ける世界が
広がっているのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.11)

1631回連続出場
2024-09-10
大相撲の玉鷲関が
2004年初場所の初土俵以来
1631回連続出場の新記録を達成しました。
大相撲の醍醐味は
巨漢力士が真っ向からぶつかる
ガチンコ勝負です。
年6場所90日間の壮絶な肉弾戦は
ケガがつきもので
休場力士がいない場所はないし
大けがで番付がずっと下がることもあります。
そんななかで20年間休まず出場し続けるだけでなく
勝ち星を上げなければ番付が下がり
引退していくしかありません。
「自分一人だったら、ここまで来ていない」
玉鷲関のコメントです。
モンゴルから異国の地日本に来て
未知の相撲界に入ってと
大変苦労も多かったと思いますが
周りの人たちに支えられ頑張ってこれたのでしょうね。
「継続は力なり」と言葉があります。
物事に向き合い一つ一つ続けることで
それが身につき生きる力になるといいます。
南無阿弥陀仏のおはたらきは
「まかせよ救う」の阿弥陀仏のお喚び声の継続です。
お念仏の声に励まされて
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながり
お慈悲のなかに生かされて生きて往ける
お念仏の道がどんな人にも開かれているのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.10)

「何かあった時は……」
2024-09-09
「何かあった時は私に連絡してください」
同窓会を開くことで
体調不良の夫のことを心配して
電話でお願いがありました。
「何かあった時」とは
緊急を要する時のことで
今までどのようなことがあったかわかりませんが
「わかりました」とこたえました。
「何かあった時」などと
不吉なことを想いますが
この歳になって病気持ちの人もそうですが
若くて健康などんな人にも当てはまることです。
この身の上にいつ何が起こってもおかしくない
無常の世に生きている私たちです。
「仏法には明日はない」と言われますが
私たちは何か自分に不都合な嫌なことがあると
「明日がある」といっては
そのことに向き合おうとせず
結局は先送りしてしまいます。
後生の一大事といいます。
この人間界に生まれたことの一大事です。
「何のために生まれて来たのか?」
「生きることの意味は?」
「どこに向かって生きていくのか?」と
仏法に聞かせていただきましょう。
「何があっても大丈夫!」
いつでもどこでもどんな時でも
お念仏申して
南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせて
阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに
共々に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.9)
