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お念仏を申す生活法話

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「ともに」

2024-01-17
 今日1月17日は阪神淡路大震災の日です。
29年前の1995年におこりました。

 朝のテレビで地震発生時刻の5時46分に
追悼会場の公園に多くの人が集って
合掌し黙とうする姿を観ました。

 「ともに」と灯籠の文字が見えました。
阪神淡路大震災はボランティア元年と言われます。
 全国から老若男女を問わず
たくさんのボランティアが神戸に馳せ参じ
それぞれができる活動をお手伝いされました。
 被災された方々にどれだけ大きな元気と勇気を
与えたことでしょうか。
 その神戸から「ともに」と力強い発信です。

 地震列島といわれる日本に生きる私たちは
いつどんな震災に遭うかもしれません。
 阪神淡路大震災後も新潟中越地震などが続き
未曽有の津波被害に遭った東日本大震災
そして熊本地震があり、このたびの能登半島地震です。

 いつ私が被災者になるかもしれないなかで
私にできる精いっぱいの活動をさせていただく
「ともに」という思いです。
 助け合い支え合うことの有難さ尊さです。

 現地に行けなくても募金や物資を送るなど
さまざまな救援活動のあり方がありますが
「ともに」と心を寄せ合いできることを
させていただくことで
「ともに」支えてくださる人がいるという
心強さを伝えることです。

 阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
「どんなことがあってもいつもあなたと一緒だよ。
大丈夫安心して共に生きていこう」と
南無阿弥陀仏のお喚び声に支えられ励まされて
あなたと私共々に生かされて生きることができるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.17)

初七日のご縁です

2024-01-16
 往生された日を入れて七日目を
初七日といい御仏前でお勤めをします。

 満中陰までの49日間
七日七日のご縁をいただきます。

 以前はその日にお茶日をして
近所のお家にお茶とお寿司やぼた餅やせうまなど
ちょっとしたものを持って回ったものです。

 お家には親族縁者がお参りして
お寺さんにお勤めご法話をしていただきました。

 最近は家族だけのお勤めが多くなりました。
コロナ禍でお勤め自体しないお家も増えてきました。

 初七日から七日七日のご縁を5回いただいて満中陰
計7回の仏さまのご縁です。

 大切なお方とのお別れを一つ一つ受け入れていく
グリーフ(悲嘆)ケアの意味合いがあります。
 御仏前に親族縁者が集い故人を偲び
仏さまのご縁をいただきます。

 初めて御仏前に座り手を合わせお念仏申し
ご一緒にお勤めをして仏法聴聞させていただきます。

 大切なお方とお別れする悲しみのご縁ですが
先に往かれた仏さまがこの私につくってくださった
仏さまのご縁です。
 「ここに座れ」と御仏前に誘い
お念仏申す身にお育ていただくのです。

 お念仏申させていただく私もあなたも
仏さまのお慈悲の中にご一緒です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.16)

葬儀が済んで

2024-01-15
 葬儀が済んでしばらくして
お参りにみえる方がいらっしゃいます。

 「(亡くなったことを)知りませんでした」
ということです。

 新聞をみて後から知ったという方がいます。
地元紙に葬儀の案内を載せましたが
自分のお家で取っている新聞ではないといいます。
 今は新聞自体を取っているお家が
少ないということでもあります。

 こうしたことは口伝てに伝わるということがありますが
今は人間関係が希薄になったということでも
あるのでしょうか。
 誰かあの人が伝えるだろうと思って
自ら伝えないということもあるでしょう。

 遺族からいうと
皆さん個々人に伝えることは
時間的にも心情的にも憚られます。
 どうかその点はお察しください。

 葬儀が済んでも
仏さまのご縁はこれからも続きます。
 どうぞ思い立ったときにお参りください。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.15)

むなしくない「いのち」 ※転載

2024-01-14
 私たちはだれもが年を取り、病気にもなり
やがて死を迎えなければならないことを知っています。

 しかし、私たちはそのどれをも
自分には関係ない、まだまだ先のことだと考え
日々をおくりがちです。

 しかし、そのような思いは
いずれ打ち砕かれる日がやってきます。

 仏教はこのような私たちに
「この世も私自身も
いつも移り変わっていくものである」
と教えてくださいます。

 なかでも阿弥陀如来は、その移り変わっていくなかで
苦しみ悲しむ私たちを受けとめ
私たちの人生をむなしく終わらせてはならないと
「南無阿弥陀仏」のお念仏となって
いつでもどこでも私たちを救おうと
はたらき続けていらっしゃいます。

「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」(高僧和讃)

 阿弥陀如来の本願のはたらきに出あったならば
人生がむなしく過ぎるということはありません。
「南無阿弥陀仏」の海のようなはたらきに抱かれて
煩悩だらけの私たちも浄土に往生し
仏さまにならせていただくのです。

 「南無阿弥陀仏」のお念仏は
あらゆる功徳が欠けることなく満たされていることから
海にたとえられます。

 海は清らかでも濁っていても
すべての川の水を受け入れ
すべての水を同じ塩辛い一つの味にします。

 これと同じように阿弥陀如来は
すべてのものを分け隔てなく包み込んでくださいます。

 葬儀、法事やお墓参りを縁として
変わることなくはたらきつづけてくださっている
阿弥陀如来に出あわせていただき
むなしく過ぎることのない
お念仏の日々を送らせていただきましょう。

          ※前田壽雄 著『仏事Q&A』より 

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.14)

往って来ます

2024-01-13
 お寺の本堂阿弥陀さまの御尊前で
お葬儀のお勤めをさせていただき
火葬場に出棺します。

 本堂から山門に続く参道を
棺をお供して山門をくぐり霊柩車に乗せます。

 野辺の送りです。
昔は「南無阿弥陀仏」の御旗を先頭に
葬場から火葬場まで歩いて行ったそうです。

 葬送といい送るのです。
この目で見るのは火葬場ですが
阿弥陀さまのお浄土に送ります。

 お念仏申して「往ってらっしゃい」と送り
「往って来ます」と送られます。

 私たちの日々の生活の中でも
「いってらっしゃい」「いってきます」と
何度も声を交わして家人を見送り見送られます。

 行く所がお互いにわかっているから
安心して見送り見送られるのです。

 棺が行くのは火葬場ですが
お念仏のご法義をいただくと
私たちが命終わって往くところを
阿弥陀さまはお浄土と決めてくださっている
という教えなのです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
お浄土に往生し仏に成らせていただきます。

 「いってきます」は
行って帰って来るという意味で
行きっ放しではありません。
 再び家に帰って来ることで
安心して見送れるのです。

 「往って来ます」とは
お浄土に往って仏さまと成って
迷いの衆生を救うために
この世に還って来るのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきです。
「浄土にうまるる因も果も 往くも還るも他力ぞと
ただ信心をすすめけり」(しんじんのうた)

  悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただいて
仏法聴聞しお念仏申す身にお育ていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.13)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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