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お念仏を申す生活法話

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病院に行こう!

2025-03-12
 歳を重ねるなかで
体調に異変を感じます。
 若い時分はそのうち忘れてしまうようなことも
何か気になります。

 ああやこうや色々思いを廻らしては
また心配の堂々巡りになりますが
何か気になるときは
病院に行きましょう。

 病院に行って
「これは歳のせいですよ」と言われることもありますが
「歳のせい」などと自己診断するのではなく
専門の医師から言われたら言われたで
何か安心できるものです。

 年中山登りをしている同級生の話です。
山に登っていつもと違う疲れを感じ
早速病院に行ったそうです。
 診察の結果、心臓に疾患が見つかり
このまま放置していたら大変なことになるということで
入院手術になったそうです。

 70歳を過ぎていつ何が起きてもおかしくない
生身を生きている私です。
 私の身体といって私のものではありません。
心臓はじめこの身体を
私が制御し動かしているのではなく
私の思い通りにならないことも含めて
この身体が私を生かし生きているということです。

 そこで私事ですが
気になることがあって病院に行きました。
 病院に行くのはどうしても億劫になりますが
思い切って病院に行きました。

 お医者さんに診てもらい処方箋をいただいて
安心しました。
 先ず病院に行って
お医者さんにまかせることの安心です。
 少しでも体調に気になるところがあったら
病院に行きましょう。

 お寺は元々病院でした。
聖徳太子が立てられた四天王寺には四箇院といって
寺院そのものの敬田院と
療病院・施薬院という病院・薬局があり
悲田院といって福祉施設の役割もありました。

 心と体の総合病院です。
自分の思い通りにならない
苦しみ悩みに向き合ってくださる仏さまのご縁です。

 仏さまから見ると
心と体を患う私たちですが
自覚症状のないままに
仏さまのご縁をいただくことなく
人生を終えるのは何とももったいないことです。

 お寺に参って仏法聴聞することで
お念仏申す身にお育ていただき
安心して苦悩の人生を生き抜かせていただくのです。

 体調が気になったら病院に行きましょう。
そしてお寺の病院にお参りしましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3。12)

14年目の3月11日

2025-03-11
 東日本大震災から14年です。
地震・津波そして原発による被災は
死者・行方不明者が2万2228人に上り
今も約2万8千人の避難者がいます。

 多くの人が大津波に呑み込まれ
今も2520人の方が行方不明です。

 先日テレビで『水平線のうた』という
津波で妻子が行方不明になったタクシー運転手が
偶々乗車した少女との出会いから
偶然見つけた妻が遺した楽譜をもとに
さまざまな人とのつながりのなかに
音楽会を開くというドラマを観ました。

 今朝の新聞には
津波で行方不明の妻を
潜水士の資格をとって海中を探し続けている方の
記事が掲載されていました。

 何度も何度も潜って捜しても見つからないなかで
震災の日から14年が過ぎて
最近ただ潜っているだけで
近くにいるのだろうと
不思議と気持ちが安らぐようになったといいます。
 
 大切な方は既に亡くなっているのでしょうが
懐かしいお姿に会うことができなくても
ずっと一緒につながっていると
日々の生活の中で感じるということです。

 いのちのつながりです。
先に往かれた大切な方と
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなか
阿弥陀さまのお慈悲の中に共々に生かされて
生きていると聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.11)

お念仏申す今日のおつとめ

2025-03-10
 朝起きて「今日は〇〇をしよう」と段取りをし
仕事の準備に取りかかります。

 時間が過ぎ行くなかに
準備が思ったようにいかないと
「今日はここまで。また明日にしよう」と
明日に持ち越し一日が過ぎます。

 何かそんなことの繰り返しで
一日、一週間、一か月そして一年が過ぎ
歳を重ねるなかで
「一体今まで何をしてきたのだろう」と
ふと立ち止まり
過去を振り返ってみても
現実は今こここの私を生きているということです。

 自分の思い通りに行く人生ではないことは
昨日の私の生活ぶりを振り返っただけでも
頷けることですが
この現実をわが身のことと
受け止められない私がいます。

 過ぎ去ったことに思い煩い
未だ来ないことに思い悩む私を見て取って
阿弥陀さまは「われにまかせよそのまま救う」と
今こここの私に南無阿弥陀仏とおはたらきです。

 お念仏申して
いつでもどこでも阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
生かされて生きていると聞かせていただき
今日一日も今こここの私にできる
精いっぱいのおつとめをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.10)

「十三回忌」※転載

2025-03-09
 十三回忌は、ちょうど干支が一巡した年に
勤められます。
 だから、前の巳年に亡くなった人は
今年が十三回忌になります。

 昨年の春に、お母さんの十三回忌法要を
お勤めされた娘さんがいらっしゃいます。

 実は、お母さんのご命日には
ご自宅に伺って月参りをしていたのですが
お仏壇はありませんでした。

 それではどんな形でのお参りだったのかと言うと
部屋の壁に一つ椅子が置いてあって
背もたれにお母さんの遺影
それに座る部分には小さな香炉があるだけです。

 それに毎月、「懐中名号」と呼ぶ
三つ折りの小さなご本尊を持参して
写真の前に安置してお勤めしていたのです。

 もちろん、何度も小さくてもいいから
お仏壇を用意されたらどうかと勧めたのですが
いつも首を横に振られました。

「きちんと形が出来てしまったら
母が本当に死んで、遠い所にいってしまう気がするんです」

 既に亡くなって何カ月も何年も経つのに
「本当に死んでしまう」というのも
変だと思われるかも知れませんが
それくらい、この娘さんにとっては
お母さんの死という事実が
受け入れ難いことだったのでしょう。

 それが、お寺で十三回忌を勤めた年の暮れ
娘さんはついに
「お母さん、椅子ではかわいそう。
お仏壇を求めたいです」と
そう申し出られたのです。

 この心境の変化は何でしょう。
私には、仏さまとなられたお母さんが
わが子の深い心の悲しみを
干支が一回りする間
少しずつ癒やされていったのだと思えてなりません。

  ※菅純和 著「仏事の小箱」
       ー『御堂さん』2025年3月号より ―

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.8)


男女の役割分担

2025-03-08
 今日3月8日は1975年に国連で制定された
「国際女性デー」です。

 女性の人権向上をめざして
世界的にジェンダー平等が広く浸透し
女性の社会進出を強く後押しするものですが
日本では1985年に
「男女雇用機会均等法」が制定されたものの
男尊女卑といわれる旧態依然としたものが
日本社会の中でまだまだ残っています。

 日々の生活の中で
男女の役割分担意識があります。

 会社に就職しても
女性は社内での事務職が一般的で
社外の営業職や技術職は男性の役割でした。
 事務所での掃除やお茶くみが女性職員の仕事と
当たり前のように思われてきました。

 男は外の仕事で女は家事ということで
結婚すれば女性は専業主婦として家事をつとめ
良妻賢母の女性像が作り上げられ
「女らしくあれ」そして「男らしくあれ」と
男女の役割分担が確立されていったのです。

 近年は働く女性が一般的になり
仕事内容も徐々に男女の区別が
なくなってきたように思いますが
男女の役割意識は年輩者を中心に
根深く残っているように思います。

 私たちのお寺の組織もまた
家父長制の家族のようにとらえられ
今も役割分担といった意識が
強くあるのではないでしょうか。

 お寺参りする方は女性が圧倒的です。
お寺の活動も仏教婦人会という女性の組織が
活躍してきました。
 まさにお寺は女性の力で
支えられてきたといっても過言ではありません。
 ただ男性の陰に隠れるよう女性はあって
表舞台に出るのは男性ばかりという有り様が
ずっと今も変わっていません。

 阿弥陀さまのお救いに男女の区別はありません。
というか善悪賢愚老少男女の違いを超えて
阿弥陀さまの本願念仏のお救いの目当ては
生きとし生けるものすべての衆生といい
この私なのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.8)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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