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お念仏を申す生活法話

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子どもっていいな!

2018-01-29
 昨日ご法事があって、お正信偈さまのお勤めをしていましたら、後ろから子どもさんの声が聞こえてきました。
ずっと一緒にお勤めをして、念仏和讃という節のついた難しいところに入っても子どもさんの声がついてきました。
 
 お勤めが終わってご法話をさせていただき、お茶をいただきながら「ぼくってすごいね」と声をかけました。
小学校低学年の男の子です。しっかりお経本を持って読んでいたんでしょうね。
 
 子どもっていいな、と思います。
そのまま声が出るんですね。声になって出るんですね。その声が耳に入って覚えるんですね。身につくといいます。
 逆に大人になると中々声が出ません。文字は読めますから、そのまま声を出せばいいんですが、
声を出していいものかなどと、考えます。素直じゃなくなるというか、私がという、はからいにとらわれます。
私が邪魔をします。
 
 私たちの阿弥陀さまのご本願のお救いの法は、「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきです。
南無阿弥陀仏は「まかせよ救う」のおよび声です。
 「まかせよ救う」というんだから、私のところでどうこうはからうのではなく、
そのまま「はい、おまかせします」でいいんです。「はい」の一声でいいんです。
 その「はい」が南無阿弥陀仏です。今日も皆さんの口から声となってお念仏が出てくださいました。
南無阿弥陀仏のお念仏です。
 
 私が出そう出そうと思って出るお念仏ではありません。
ただ最初のうちは声に出そう、出さないとお念仏の声になりません。
仏さまのご縁をいただいて、お念仏を申す身にさせていただくのです。
 
 させていただくとは、仏さまがお念仏を申す私にしてくださるということです。
子どもに理屈で話すことではなくて、子どもは周りの人の後ろ姿を見て育ちます。
素直にそのままいただきます。
 子どもっていいな、と思います。
 
 もう一ついいなと思うのは、ご法事のご縁に子どもさんがご一緒するということです。
今はご法事とか人が集まるときには、子どもはウロウロするから声を上げて騒ぐからと周りに配慮して、
子どもさんが一緒にお参りしないご法事が多くなりました。
 
 小さい頃からご縁をいただくことの大切さを思います。
仏さまは子どもがどんなに騒いでも決して叱りません。
「ようこそお参りなさい」と微笑み喜んでくださいます。
 
 ご縁をいただくかどうかは、そのお家の皆さんの裁量です。
あの時ああしておけばよかったというお話ではありません。
 これからです。これからできるご縁、させていただくご縁です。
 
 仏さまのご縁をいっぱいいっぱいいただいて、ご一緒にお念仏を申す身にさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.29)

栃ノ心関、おめでとう

2018-01-28
 何かと話題の多い大相撲の初場所で、平幕の栃ノ心関が14日目で初優勝を決めました。
いつもの顔ぶれではなくて新鮮でしたし、本当に強かったですね。
 
 ロシアに接するジョージア(グルジア)の出身で、順調に出世して関脇まで上がりますが、
右ひざに大けがをして、一時は幕下の下位まで落ち、相撲をやめて母国に帰ろうと思ったこともあったそうです。
しかし思い返し体を鍛錬しけいこに励んで苦労して再入幕したというお相撲取りさんです。
 そんな話を聞くとまた感動します。
 
 その栃ノ心関が所属する相撲部屋が今問題になっています。
親方は愛弟子の快挙に感激して「今までやってきたことがよかったのかなと思った」と言われたそうです。
部屋の弟子から優勝者を出せたということで、大変名誉なことです。
 ところが部屋にはたくさんのお弟子さんたちがいて、
今回公になった傷害事件では、加害者被害者の二人が、相撲をやめていったということです。
 
 親方と弟子です。師弟の関係です。また親子の関係でもあります。
親方は親御さんから大事な子どもさんをあずかります。
相撲部屋という一種独特な世界に年若い子が、また異国の地からも入門します。
 だからこそ親方と弟子の関係は親と子の関係以上のものだともいわれます。
親は子どもを護る、保護する責任があります。どんなに出来の悪い子どもでも最後の最後まで護るのが親です。
 
 何人もいるお弟子さんのなかで、十両以上の関取になるのは一部で、大方は志半ばでやめていきます。
そうした弟子の面倒を最後までみるのが親方ですが、今回の傷害事件は、子どもから親が訴えられるという事態です。
 
 私たちのお念仏の先人は、ご本尊の阿弥陀さまを親さまと仰いでお慕いしてきました。
親という以上は、私たちは仏の子どもです。
 
 今日の御文章さまに「十人は十人、百人は百人ながら」とありました。
阿弥陀さまのお救いのご法義はすべてのものを分け隔てなく必ず救うというおはたらきです。
 阿弥陀さまは、あなたは悪いことばかりするから駄目だと排除したり、
こういう善いことをしたら救ってあげるよと条件をつけたりする仏さまではありません。
 
 世間からあんな悪人はと見捨てられるような子どもほど阿弥陀さまは心配で心配でならないのです。
それが十人は十人ながら百人は百人ながら救うという、阿弥陀さまの大きな大きなお心おはたらきなのです。
 
 一人として漏らさず救うとのお心を、親鸞聖人は
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」(歎異抄)といただかれました。
 
 この私一人のために、スーッとお立ちの仏さまになってくださいました。
「いつでもどこでも私が一緒ですよ」と南無阿弥陀仏の声の仏さまとなって私のところに来てくださいます。
 
 そのこと一つ心に入れて、お念仏申すなかに今日の一日も生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.28)

念仏のせきが出るでる

2018-01-27
インフルエンザが大流行の兆しです。
 
 風邪です。風邪をひくと咳が出ます。咳が出たら注意信号とでもいいましょうか、風邪と咳の関係です。
 
 浅原才市同行が
「かぜをひけば せきがでる さいちが ごほうぎのかぜをひいた ねんぶつの せきがでるでる」と詩をよんでいます。
 風邪をひくと咳が出るように、南無阿弥陀仏のご法義に遇うとお念仏が出てくださるというのです。
 
 お念仏のかぜです。
インフルエンザはかからない方がいいです。うつしたりうつされたりしたら大変です。互いに用心しましょう。
 ところがお念仏のかぜは自然に周囲にうつっていきます。
ゴホンゴホンじゃないけれども、ナンマンダブナンマンダブと、お念仏のかぜです。
 
 お念仏のかぜは、阿弥陀さまのおはたらきそのものです。
南無阿弥陀仏「まかせよ救う」の阿弥陀さまのおはたらき一つに隣の人となりの人にそのまんまお念仏がうつっていきます。
 
 インフルエンザの風邪と念仏のかぜが違うのは、インフルエンザは治療しないといけません。
治すんです。また治る方が殆どです。
 ところが、お念仏のかぜは一度ひいたらそのまんま、治らないんです
そのまんまこの口を通して出てくださるのがお念仏です。
 
 どうぞお念仏のかぜをひきましょう。
というより、もう皆さんすっかりお念仏のかぜをひいていますね。
 お念仏のかぜはマスクをしなくても治療しなくても、用心しなくてもいいですよ。
そのまんまでいいですから、どうぞお念仏のかぜを隣の人となりの人にうつしていきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.27)

クローン猿の誕生

2018-01-26
中国でクローン猿が誕生したというニュースです。
 
 1997年にイギリスでドリーというクローン羊が誕生したということで、世界中の大きな話題になりました。
人間の生に科学のメスを入れるということで、遺伝子操作など生命科学の研究は飛躍的に進んでいます。
 
 羊から猿へといえば、人間と同じ霊長類ですから、クローン人間がいよいよ現実味をおびてきたということでしょうか。
 
 そのクローン羊を誕生させた科学者に、
当時子どもを亡くした親から「愛する人を再生することが可能でしょうか」と電話があったといいます。
 再生です。クローンというのは全く同じ生命体をつくるということです。
 
 私たちも日頃何気なく「子どもをつくる」ということを言っていませんか。
子どもは授かりもの、恵まれしものといいます。
 私たちのいのちはつくられたいのちではないのです。恵まれた、授かったいのちなのです。
だからこそ精いっぱいこのいのちを生きていこうと思います。
 
 そのことを教えてくださるのが、仏さまです。南無阿弥陀仏のみ教えです。
 
 私たちは大いなるいのちに生かされてこのいのちを生きています。
人間の思い、自分の思いだけで何でもできるものではありません。
 それこそ恵まれしいのちを人間の自分勝手な思いだけで操作するようなことになれば、
最後に残るのはどんな人間なのでしょうか。
 果たしてこれから先人間が本当に生きていくことができるのかなとさえ思います。
 
 南無阿弥陀仏のみ教えに聞かせていただきましょう。
            
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.26)

大自然に生きる

2018-01-25
今日は特別寒い朝になりました。
私たちは日々大自然の中に生きているのだなと思います。
 
 一昨日は群馬県草津の白根山が突然噴火して、亡くなった方もいらして、大変なことになっています。
草津には全国的に有名な草津温泉があります。まさに自然の恵みです。
 
 この近くでも別府の鶴見山は活火山で、同じようにいつ噴火するかわかりません。
まあ大丈夫ということで、今日も別府温泉は全国の観光客で賑わっていると思います。
 
 ただ自然の恵みと自然の脅威は背中合わせということ、
その大自然の営みの中に私たちの日々の生活があるということを改めて思い知らされます。
 
 親鸞聖人は阿弥陀さまのお救いの法を自然法爾(じねんほうに)ということで教えてくださっています。
自然法爾とは「おのずからしからしむ」という南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 
 南無阿弥陀仏は「まかせよ救う」の阿弥陀さまのお喚び声です。
喚ばれた私はただ「はい、おまかせします」南無阿弥陀仏の一声でいいのです。
 
 ところが高慢ちきなこの私は素直に「はい」と言えません。
「そんなはずはない」と疑い心さえ起るのがこの私の自性です。
阿弥陀さまと相撲を取るようなものです。どんなにこちらがいきがっても到底相撲になりません。
 
 大自然と相撲を取っても、結局勝ち負けでいったらやっぱり負けてしまいます。
だって私たちも同じ大自然の中のいのちを生きているのですから。
 
 大きな大きないのちのなかに生かされてあるいのちなんだと気づいてくれよといわれます。
ところが人間、私たちは偉いものだから、自然に立ち向かおう、自然を克服しようという心までも出てきます。
 
 自分がもっともっとよくなりたいという欲の心、それが適わないと怒りの心に変わります。
本当のことに目覚めていない愚かな凡夫の私がいます。
 阿弥陀さまは愚かな私と知らせてくれてそのまま救うというおはたらきの仏さまに成ってくださいました。
 
 愚かな私だから駄目だということではありません。
愚かな私と知らせてそのまま救う、南無阿弥陀仏の自然法爾のおはたらきです。
 ナモアミダブツ「まかせよ救う」のお喚び声に、ナモアミダブツ「はい」とおまかせすればいいんです。
 
 今日の一日も色んなことがあるでしょう。予期せぬことも起こるかわかりません。
ここは大きないのちの営みにまかせて安心して、お念仏申して今日の一日も生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.25)
円光寺
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大分県大分市三佐3丁目15番18号
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