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お念仏を申す生活法話

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大坂なおみさん

2018-03-23
 テニスの話です。
大坂なおみさんという女子選手がアメリカの大会でセリーナ・ウィルアムズという
元世界ランキング一位の選手にストレートで勝利したというニュースです。
 
 大坂選手は前の週の大会でツアー初優勝をしています。
あの有名なシャラポワや強豪選手を次々と破ってということで
まだ20歳で日本国籍ですが、日本人のお母さんとハイチ系アメリカ人のお父さんのハーフの方で、
3歳でアメリカのニューヨークに移住しテニスを始めたといいます。
 
 インタビューでセリーナ選手は大阪選手の小さい頃からのあこがれの選手で
始めて対戦できたこと、そして勝つことができたことが大変うれしいと無邪気に語っていました。
 
 今年は冬のオリンピックもあってスポーツの話題が多いですが、
選手のコメントのなかにリスペクトという言葉をよく聞きます。
 尊敬するという意味です。競技をするうえで相手を敬うことが大事だといいます。
 
 勝負の世界ですから皆が勝者にはなれません。勝つ選手もいれば負ける選手もいます。
勝ち負けをこえて互いに敬い合うということです。
 
 そうですよね。一人では勝負になりません。そこに相手がいます。相手がいての勝負です。
相手をまず尊敬する。憧れることも尊敬ですね、この選手を目標に切磋琢磨して成長していくのです。
 
 これはスポーツの世界に限ったことではありません。
私たちの日々の生活のなかにもそれは言えることです。
 人と人との関係、つながりのなかで私たちは生きています。
お互いにリスペクト、敬い合うなかに私たちの社会が成り立っているということです・
 
 身近な親子であっても夫婦であっても兄弟であっても友だちであっても、リスペクト、
お互いを認め合い敬うということがなかったら、
それこそ頭ごなしに親だから、何だからというかたちで一方的にやられたらたまりません。
 
 大坂選手はアメリカに育てられたと思います。
アメリカという国は色んな言い方をされますが、多民族国家で
一つの価値観に固執しない自由な雰囲気があります。
 その点日本という社会は生きにくい世界かなと思ったりもします。
 
 阿弥陀さまのお念仏の世界は様々な違いを超えて全てのいのちが光輝き合う世界です。
阿弥陀さまはどんな人も条件なしにリスペクト、必ず救うぞ寄り添っていくぞとおはたらきです。
 南無阿弥陀仏の力強いおはたらきは、どうしていいか途方に暮れ迷い、その場に立ちすくみ、
生きることから逃げ出してしまいそうな人に生きる力を与えてくれます。
 
 仏さまのみ教えに出遇ってほしいと思います。
お念仏のみ教えを聞かせていただき、ナンマンダブツとお念仏を申すなかに
みんな生活ぶりは違うけれどもこの人生を生き抜かせていただけます。
 そして阿弥陀さまのお浄土に共々に生まれて仏さまとならせていただく、
大きな大きないのちのつながりのなかにリスペクト、お互い敬い合って生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.23)

「じいちゃん、またねー」

2018-03-22
 夜中の雨はやみましたが、今は風が吹いています。
境内の桜が今満開ですけれども、雨が降って風が吹くと心配です。
 ゆっくり花見もしないうちに散ってしまうのではないかと思って見ましたが、まだ散ってはいません。
 
 案外というか、桜の花は結構しぶといですね。
でも一週間、10日の命といいますか、ひらひらとまたぽつんとまた舞い上がって散っていきます。
 
 一昨日の彼岸会のご縁にご法話お聴聞させていただき南無阿弥陀仏のお心おはたらきを味わわせていただきました。
 お父さんにお別れしていよいよ火葬するとき、小さな子どもに「最後にじいちゃんに声をかけよ」といったら
その子が「じいちゃん、またねー」と結構明るい声で言ったというお話です。
 
 「またねー」また会いましょうということです。
お寺の子どもさんですから、日頃から仏さまのお話を聞いているのではないかと思いますが、
私たちの仏法には「さよなら」はないといいます。お念仏にさよならはないと。
 さよならというと何か永遠の別れというようなことですが、
確かに人と人との別れですけれども、お浄土に生まれて仏さまとなってこの世に還ってみえると聞かせていただきます。
 私もこの命終えていきますが、同じお浄土に生まれて再会です。
なつかしい方々と再び会うことができるというお約束ですから、別れてもまた会いましょうと「またねー」です。
 
 案外明るい声でということです。
お釈迦さまが涅槃に入られた、そのご様子を描いた涅槃絵というものがあります。
 お釈迦さまのそばに有縁の方たち、お弟子さんたち、そして動物も皆な悲しみのなかにあったといいます。
その人たちを取り囲むようにたくさんの菩薩さま方が微笑んでおられたというんです。
 
 菩薩さまは仏さまの国から来られて私たちを導いてくださる方々です。
それらの菩薩さまがみんな微笑んでいたというのです。
 
 死んだらお終いではなくていよいよ涅槃に入って衆生済度のおはたらきが始まるということなのです。
そしてお釈迦さまの80年のご生涯、仏さまのみ教えに導いてくださってありがとうございましたという思いなのでしょう。
 
 「じいちゃん、またねー」と声をかける、声をかけられる。
その声こそが南無阿弥陀仏なのです。
 ナンマンダブツとお念仏を申すなかの今日の日々であり、また人生の節目に節目に別れもありますが、
ただ悲しみのなかに放っておかず春の陽ざしのように私たちを明るく照らしてくださる阿弥陀さまのおはたらきを思います。 
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.22)
 

そのまんま頭が下がるお礼ができる

2018-03-21
 お彼岸のお中日です。一年二回のお中日です。
暦でいいますと今日が春分の日、もう一つが9月の秋分の日です。
 
 この時期は年中で一番いい時期だといわれます。
私たち的にいいますと、仏法聴聞するのに一番いい時期だということです。
 
 今日は雨になりました。
今はちょっと雨があがっているようですので、この後円光寺墓地にお参りをさせていただきます。
 
 このお彼岸のご縁にお墓参りされるという習慣がまだまだ残っています。
どうぞお寺にもお参りして仏法聴聞していただきたいと思います。
 
 私から思いをもって聞かせていただくということですが、なかなかこの思い、思い立つのが難しい。
まさに私の思い次第で日々生きているのが、この私の生活ぶりです。
 
 ただ仏さまのみ教えに聞かせていただきますと、私の思い以上にずっとずっと以前から思われていたということなのです。仏さまから思われていたということです。
 それはこのまん真ん中にお立ちの阿弥陀さまという仏さまですが、私たちにとってはご先祖有縁の仏さまなのです。
仏さまから思われていたこの私なんだということです。
 
 何か私たちは自分一人で頑張って頑張って頑張って生きているようですが、
私たちのこの目には見えないところでいろんな人にいろんないのちに支えられ生かされて生きているのです。
 このことが聞こえてくるとき、この両手が合わさります。ナンマンダブツとお念仏を申せるのです。
そして理屈なしに条件なにしそのまんま頭が下がりお礼ができるのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.21)

お彼岸のご縁にお参りしましょう!

2018-03-20
 お彼岸に入っています。
今日と明日、彼岸のお勤めをさせていただきます。
 
 春彼岸です。いよいよ春になりました。
春はいのちの芽ばえる時節です。
 
 境内のしだれ桜もいよいよ花開いてちょうど見ごろとなります。
今日は雨になりました。雨も降ります。
雨あり風ありそして太陽の光ありと、大自然の営みのなかに私たちは生かされてあると時の節目節目に思います。
 
 私たちは人の命をいただいて生きていますが、ずっとこれからも長く生きられるということではありません。
ただ大丈夫だよと阿弥陀さまのお喚び声を聞かせていただきます。
あなたの命終わる時その身そのまんまを連れていくぞという南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 
 私たちの彼岸、彼の岸は阿弥陀さまのお浄土です。
ご一緒に南無阿弥陀仏の船に乗せていただき共々に往生させていただけるお浄土があるということを
このお彼岸のご縁にまた聞かせていただきましょう。
 
 どうぞ皆さんお誘いあわせお参りください。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.20)

月参りで見守り

2018-03-19
 ある一人暮らしのご門徒さんがいます。
そのお家に私もずっと月参りをしていましたが、いよいよご高齢になって先日新院がお参りしたときに、
「もう何もできんから月参りはお断りしたい」という連絡がありました。
 
 近くに弟さんがいて、昨日ほかの用事で弟さんに会うことがありお話をしました。
弟さんはこう言いました。
 お寺の務めごとは私の方でしますから月参りはできたらこれからもお願いしますということでした。
姉も足が悪くて立ったり座ったりもやっとでご迷惑をかけることもありますが、
月参りをしていただくと有難いんですと。
 
 月参りが見守りになっているとのことです。
今は地域ぐるみで子どもの見守り隊とか、高齢者一人暮らしの方の見守りをしていることを聞きます。
新聞受けに新聞がたまっていないかなどチェックし、旗を立てるとか、いろんな工夫をされています。
 
 その点、お寺の見守りはすごいですよ。家の中に入っていきますからね。
鍵が締まっていたらこれは変だということになりますし、
鍵が開いていたらそのまますーっと仏間に直行です。
いつもだったら声がするのに、いつもだったら後ろに座っているのに、
えっと思って声かけをして探します。
 
 特別に見守りるためにお参りしているのではありませんが、結果ものすごく直接的な見守り隊です。
核家族で一人暮らしの高齢者のお家が多くなった今の時代の私たちお寺のお役目かなとも思います。
 
 今の社会はお家に鍵をかけないと物騒です。
私の小さい頃はどの家も鍵がかかっていませんでした。どこも開いていましたが、誰もいませんでした。
 誰もいない仏間にお参りすると、お仏壇の前にお布施がおいてありました。
 
 みんな生業に忙しかった。日々生活することで精いっぱいでした。
そんななかでも仏さまのことは忘れない。大切な方のお命日にはお坊さんにお参りしていただきたいと。
 
 仏さまのご縁をいただいて人と人とのつながりがありました。
 
 皆さんと今日こうして顔を合わせて、お元気ですねということです。
皆さんの年齢からいったらそんなに心配することではないかもしれませんが、
今日はやえ子さんが見えてませんけれども、どうしたんかなと少し心配して思うのが、
お念仏のご縁をいただいた私たちお互いだと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.19)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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