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お念仏を申す生活法話

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お念仏のご縁つながり

2018-04-04
 昨日は竹田のお寺の坊守さんが2月にご往生されて、お参りさせていただきました。
 
 十年ほど前のこの時期に、坊守と一緒に花まつりの行事にお参りさせていただいたことがあります。
うちのお寺より一回り二回り小さな本堂が満堂になるほどいっぱいの皆さんがお参りでした。
 ご門徒の方ももちろん、近くの福祉施設の入所者の方がマイクロバスでたくさんお参りされていました。
毎年施設の方にご案内して一緒に花まつりの会をして、
灌仏といってお釈迦さまの誕生仏に甘茶をかけたり、梵鐘をついてもらったりしているそうです。
 
 昨日お参りした時、たまたまその福祉施設の方がお参りされてお話を聞かせていただいたことです。
何かのご縁を感じました。
 
 実はそのお寺から円光寺に第13代の住職が入寺されているのです。
160年ほど前に円光寺が大地震に遭って本堂庫裡鐘楼が転覆したという記録がありますが、その時の住職です。
 
 昨日お参りしてそのことについてもご院家さんにお話を聞きたいということもあったのですが、
そういう方がいたということは聞いていましたということです。
 その方についての資料がすぐあるということではありませんが、
こうしたご縁つながりということを本当に感じます。
 
 私たちの日々の生活のなかでこの目に見える直接的なつながりということもありますが、
目に見えないつながりが遠い過去からあって、そしてこれから未来へもつながっていくということです。
 
 未来へというと何か不確かな感じですが、
私たちは南無阿弥陀仏という中心をいただいているご縁つながりという確かさを思います。
 確かに確かにずっとつながってきたし、今もつながっているし、これからもつながっていくという、
大きな大きな安心のなかに今日の一日もあるんだなといただいた昨日のご縁でありました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.4)

二つの過去帳

2018-04-03
 昨日はあげ法事ということで、お寺の本堂でご法事のご縁をいただきました。
神奈川県からお参りされた方で、ご兄妹が大分にいらっしゃるということです。
 
 ご法事のお勤めの後「過去帳をもう一つつくってもらえませんか」というご相談がありました。
神奈川にお仏壇があるんですが、大分にも過去帳をということです。
 
 今は位牌を過去帳にしましょうとご門徒さんに勧めていますが、
位牌にご先祖の霊が宿っているといわれることを聞きます。
 
 私たちの浄土真宗のご本尊は阿弥陀如来さまで、お仏壇の中心にご安置しますが、
一般的にお仏壇はご先祖をおまつりするところで、位牌を安置してお経をあげてもらうことによって
ご先祖を供養するとか慰霊するとか言われているようです。
 
 浄土真宗だけではありません。仏教の各宗派にはご本尊の仏さまがあって
お寺の中心、お仏壇の中心にご安置してお参りさせていただくことが肝心なのです。
 
 お経をあげないとご先祖の霊が迷って出てきて禍をかすということではありません。
だからお命日より早くご法事のお勤めをしないといけない、遅れたら大変なことになるということではありません。
 
 過去帳を二つつくって、その人の代はいいんでしょうが、
その経緯がわからないまま子や孫の代に伝わると、
過去帳が二つあることが不安になり、粗末にできないと迷ってしまいます。
 
 ご先祖は子や孫を迷わせたり困らせたりしません。
今は仏さまとなって私たちを見まもってくださっていると聞かせていただきます。
 いつでもどこでものおはたらきですが、その大きなご縁がご法事のご縁なのです。
 
 過去帳はご先祖の方々のいのちの記録です。
過去帳が大事なのは、ご先祖のいのちがあって私のいのちがあることを思うことなのです。
 
 お家のお仏壇、ご本尊の阿弥陀さまにお礼をしましょう。
そのことがそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれて往かれたご先祖有縁の仏さまにお礼をさせていただくことなのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.3)

新生活が始まります

2018-04-02
 新年度4月に入って今日が月曜日ということで、今日から学校に行ったり会社に行ったりという新生活が始まります。
新しい一年が始まるということで、希望と不安が交錯する独特な感じの時期です。
 
 特に学校に進学したり就職したりとかで親元を離れて生活を始める人はまさに初めて経験することばかりです。
今までは当たり前のように親にしてもらっていたことが、自分一人で生活をしていかなければなりません。
不安はもちろん戸惑いもありますが、逆に今までできなかったことしたかったことが自分でできるという夢があります。
 
 ただこれも自分の思い通りになるということではありません。皆さんもこれまで経験したことでしょう。
思い通りにならないなかに一層不安にさいなまれ、こんなはずじゃなかったと苦しみ悩むことにもなります。
 あらためて親の有難さを思います。
 
 御和讃に「釈迦弥陀は慈悲の父母」とあります。
お釈迦さま阿弥陀さまはお慈悲のお父さんでありお母さんであると
親鸞聖人はお釈迦さま阿弥陀さまを慕っておられたということです。
 
 お父さんお母さんはいつでもどこでも「影のごとくに添いたもう」と、私のことを思い寄り添ってくださっています。
お父さんお母さんはお亡くなりになっても、どこまでもお父さんお母さんです。
 今は仏さまとなっていつでもどこでも私を見守ってくださり私と共に生きてくださっています。
「一人じゃないよ、わたしがいるよ、大丈夫だよ」南無阿弥陀仏とおはたらきくださる仏さまです。
 
 お念仏を申すなかに安心して新生活を始めましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.2)

桜の歌人、西行法師

2018-04-01
 4月1日です。新年度の始まりで新たな気持ちで今日の朝を迎えた方が多いと思います。
 
 昨日は満中陰のお勤めで墓地に納骨に参りました。
昔からの地域の墓地で桜の木がたくさんあり青空のもと満開の桜花でした。
 
 墓地に桜の木はつきもののようにあります。
私が若い頃、大分の花見といったら松栄山の護国神社か上野の墓地公園でした。
 
 墓地であったり神社仏閣に桜がよく似合います。
桜を詠んだ和歌も多くありますが、平安時代の末期にでられた西行法師は桜の歌人とよばれるほど有名です。
 平安末期は源氏平氏の武家勢力が台頭して貴族政治から武家政治へと転換する大きな歴史の過渡期で
親鸞聖人もこの平安末期に生まれ鎌倉時代を生きられました。
 
 西行は元々は武士で妻や子どももいましたが、ある日突然出家してお坊さんになります。
桜を詠んだ一首に「願わくは 花の下にて 春死なん あの如月の 望月の頃」とあります。
 願うならば桜の花の下で死にたいと。如月は旧暦の二月、望月の頃とは15日の頃をいうそうです。
2月15日はお釈迦さまが入滅された、お亡くなりになった日といわれています。
 そしてその願いがかなったのか、2月16日に亡くなられます。
1190年といいますから、親鸞聖人が17歳、ちょうど比叡山で学問修行に励まれていた頃です。
 
 桜の花のいのちに重ねてもののあわれ無常感ということを仏さまのみ教えに聞かせていただきます。
仏さまの国日本の人ひとが桜を愛でる大きな意味ではないかなと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.1)

「天国や地獄は本当にあるんですか?」

2018-03-31
 今は春休みで、先日七日日のお参りで子どもたちが後ろで一緒にお勤めをされました。
いつものようにお話をさせていただいた後、女の子に「天国や地獄は本当にあるんですか?」と質問されました。
えっと思いました。どうすぐ答えたらいいものか少し戸惑いました。
 
 逆にこう聞きました。「そういうことってお友だちの間でも話題になっているの?」と。
今はユーチューブなどネットですぐ検索ができるということです。
 そのなかで有るという回答もあれば無いということも、また有るとも無いとも答えない回答もあるのでしょう。
そこでお坊さんに聞いてみろうということになったのかもしれません。
 
 小学5年生の素直な質問です。ここはていねいに答えることが肝心と思いましたが
小学校5年生にわかるようにどう答えていいのか考えてしまいました。
 
 お経にはこう書いてあるよというのも一つの答え方ですが、
すぐ有るとか無いとか答えるのではなく、私自身の問いとして一緒に向き合うことが大事だなと思いました。
無理に答えを出そうとすると、聞く方は納得がいかない、ごまかされたような感じになるかもしれません。
 
 その子のおばあちゃんが最近亡くなって、七日七日のお参りが始まり先日このお家にお仏壇を申すことになりました。
そこでこんな話をしました。
 
 地獄には鬼がいるというね。鬼は悪いことをしたらその人を責めて懲らしめるというね。
だから昔の人は地獄が有るということを言って、私たちに悪いことをしちゃあいかんよ、
善いことをしなさいと教えてくれたんではないかな。
 
 ただおばあちゃんは今は阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまに成ってくださってあると聞かせていただくから
お浄土の仏さまに成ったら、悪いことをしている私を責めたり懲らしめたりはしないで
そんな私を見て悲しまれるんだって、悲しくて悲しくて涙を流して
居ても立ってもおられず、南無阿弥陀仏のおはたらきで私のところに来てくださり
「いつも私が一緒だから、大丈夫だよ」と私に寄り添い抱き取ってくださるんだよ。
 
 私たちのすべてをすでに見抜かれてそのまま救うとおはたらきの仏さまが阿弥陀さまなのです。
その南無阿弥陀仏の大きなお慈悲のお心おはたらきを聞かせていただくことが大事なんだよ、とお話しました。
 
 もう一つ「死んだら仏さまに成るんですか」と聞かれました。
 仏さまは今迷いの身を生きている私のことが心配なのです。
だから今仏さまのお心を聞いてくれよと願っておられるのです。
 死んでから後のことではなく今聞かせていただくことが大事なのです。
 
 ただ先に往かれたおばあちゃんのことは心配しなくて大丈夫だよ。
阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲のおはたらきで今はお浄土に生まれて仏さまに成ってくださっているからね。
 
 お浄土を表すこのお仏壇にお参りして仏さまにお礼をしようね。
お参りしてもしなくてもいつでもどこでもおばあちゃんの仏さまはあなたのことを見守っているからね。
だから大丈夫だから、これからも仏さまのお話を聞いてください、と言いました。
 
 最初は何とか質問に答えようと力が入りましたが
お話をしながら共々に聞かせていただき、仏さまのお心を味わわせていただきました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.31)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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