本文へ移動

お念仏を申す生活法話

RSS(別ウィンドウで開きます) 

顔はその人の人生を物語る

2018-07-09
 今日は本当にさわやかな朝になりました。
ここちよい風がスーッとわたり青空がさわやかです。
 このたびの豪雨で被害に遭われた方も同じ青空の下で同じようにさわやかな風が吹いているところもあると思いますが
生活が一変し、大切な方を亡くされ家屋が土砂に埋まり水に浸かって途方に暮れている方々に心からお見舞い申し上げます。
 
 昨日は大海組内のお寺の前住さまが往生されてお参りさせていただきました。
悲報を聞いてすぐさま駆けつけ「ご愁傷さまです」「残念です」とお悔やみ申し上げます。
 悲しみに寄り添う、悲しみを同じくするということです。
「生前中は大変お世話になりました。ありがとうございました」とお礼を申し上げます。
 
 お参りしてご尊顔を拝見させていただきます。
92歳の老院さんですが、色つやが良く肌の張りもあってそれこそ眠ってらっしゃるようなお顔でした。
 
 顔はその人の人生を物語るといわれます。それぞれ顔は違います。人それぞれの人生です。
「いいお顔ですね」とつい声に出ました。お顔に善いとか悪いとかあるのではありません。
 その人のお顔その人の人生その人の生活営みそのお人柄はそれぞれ違います。
先に往かれたお方はこの命終えてその姿お顔を見ることはできなくなりますが
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまに成らせていただき
この世に還って来て私たちを護り救うというおはたらきをしてくださるのだなと
また頼もしくそのご尊顔を拝することができるのも私たちのお念仏のご法義なのです。
 
 私たちの生活日々の営みはこれからも変わっていきます。
災害に遇って、本当に驚きをもって変わることもありますが
真実変わらぬ南無阿弥陀仏のおはたらきをいただいてお念仏を申すなかに
今日一日も確かに確かにお浄土への道すがらを共々に生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.9)

大自然に生きる

2018-07-08
 大きな雨になって各地で大きな被害が出ています。
大雨特別警報という50年数十年に一度とか一生に一度あるかどうかの大雨という特別に緊急事態を知らせる警報です。 
 今回は大変な広範囲にわたりテレビの映像や新聞の写真を見ても本当に想像を絶するような大災害です。
 
 今朝の新聞には住宅街の多くのお家が水にすっぽり沈んでいるという写真がありました。
大自然の脅威をあらためて思い知らされます。
 
 私たち人間はこの地球に生きるなかで豊かで便利な生活を求めて幾多の文明をつくってきました。科学の力です。
科学技術の進歩は自然をも変えるような飛躍的な凄い力を発揮してきました。
 科学の力のおかげで豊かで便利な生活をき享受している私たちですが
この大自然の前にはなす術がないというのが今の状況です。
 
 自然に贖うといいます。科学は自然に抵抗し自然を克服していくところに発達してきました。
しかしこのたびの自然災害ということでも、どこまでいっても自然を克服することは難しいといういことですが
人間は決してあきらめません。どこまでも自然に挑み続けます。
 
 親鸞聖人はこの自然という言葉を使って阿弥陀さまの他力本願のおはたらきを自然法爾と私たちにお示しです。
自はおのずから然はしからしむといいます。
おのずからしからしむというのは抵抗するのではなくそのまままかせるといいます。
 
 今よく聞く言葉に共生という言葉があります。共に生きるといいます。
自然と喧嘩をするのではありません。喧嘩しても結局は負けてしまいます。
 だったら共生していきましょうと、共に生きていきましょうというのです。
 
 しかしここが中々難しい。というのが私がという私が邪魔するのです。
何がこれくらいこうしたらいいんだとどこまでも私がという力が次から次に湧いてきます。
 
 私たちのお念仏のみ教えです。
自然法爾と阿弥陀さまの大きな大きなおはたらきにまかせていくんだよと教えてくださいます。
 まかせるいって何もしないということではありません。
まかせていくなかに自然と共生していく、私にできる精いっぱいのことをさせていただくというのが
私たちお念仏の道を生きる者のあり方だといただきます。
 
 どうぞこれからもどんな自然災害に遭うかもわかりませんが
お念仏を申すなかに私にできることを精いっぱいさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.8)

大雨のなかの七夕です。

2018-07-07
 大変な大雨になりました。各地で大きな被害が出ていないか心配です。
ここ大分も夜半凄い雨になって一体どうなることかと不安になりました。
 気象レーダーを見ますと、赤色が一番危険なマークかなと思ったらその上に紫があるんですね。
その紫が帯状に九州北部から中国地方、兵庫京都までずっとかかっています。
 
 大雨のなかで自然の脅威に不安におののく私たちです。
どんな人間の力をもってしてもどうしようもないなかに私たちの日暮しがあるんだなとまた思い知らされます。
 
 今日7月7日は七夕です。織姫と彦星の伝説があります。
天の川を隔ててある二人が一年に一度7月7日に会うことができるといいます。
 願いがかなうということで短冊に願いを込めて七夕飾りをするという習慣が伝えられます。
 
 この願い、中々願い通りには思うようにはいきません。
この時期はまだ梅雨です。雨の時節です。
今は長浜さまの夏祭りがあっていますが、昔から雨の長浜さまと言われ雨にたたられることがしばしばです。
 
 何でこの雨の時期に七夕かとも思います。
願いは中々かなわないもので、だからこそ願いをもって努力精進する
思いをもって生きていくことが大事だよと教えてくれているのでしょうか。
 
 私たちの阿弥陀さまのご本願の願いは私たちの願いを超えた大きな大きな願いです。
私たちの願いはどこまでも自分を中心に自分さえよければというところがどこかにありますが
仏さまの願いはすべてのものの幸せを願って分け隔てなく等しく救うという大きな願いです。
 
 南無阿弥陀仏の大きな願いのなかに生かされている私たちです。
「まかせよ救う」のおよび声を聞かせていただきお念仏申して
今日も一日雨のなかですが共々に過ごさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.7)

この私一人がためのご縁といただきます。

2018-07-06
 昨日はあんのん法話会ということで、あんのん館で月に二回朝のご縁と夜のご縁を開いています。
夜のご縁は男性の方が中心で、朝のご縁は女性の方それも円成会という70歳以上のご門徒の会のメンバーが中心です。
ただ法話会を始めて10年になります。円成会でいいますと20年前からの会ですから
皆さんご高齢になって一人二人三人とお参りされる方が少なくなりました。
 
 昨日は雨ということもありましたから、一人のお方がお参りでした。
気の毒そうに「私だけ一人で悪いなあ」と言われます。一人だけご縁をいただいてということです。
 
 ただ仏法聴聞のご縁は大勢で皆さん一緒にお聴聞するご縁も確かに有難いんですが
結局のところは「信心は一人のしのぎ」と言われるように
この私一人を救うためにすっとお立ちの阿弥陀さま
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまに成ってくださったというご法義なのです。
 
 私一人のためにと聞かせていただきます。
人人みんなすべてのものを必ず救うという阿弥陀さまのご本願のお救いですが
そのご本願のお心をたずねていけばこの私一人を救わんがためにといただかれたのが親鸞聖人なのです。
 
 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」と有名な歎異抄のお言葉があります。
親鸞一人がためという親鸞というその名を皆さんのお名前に受けとめて
どうぞこれからもご縁ご縁に円光寺に足を運んでいただきたいと、昨日そして今日のご縁に思うことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.6)

あれから一年経ちました。

2018-07-05
 今日は朝から雨になりました。
去年の九州北部豪雨から今日で一年が経ちます。大分県は日田市、福岡県は朝倉市を中心に大きな被害がでました。
 
 今朝の新聞に息子さんとお母さんを亡くされた方の記事が載っていました。
お二人のお遺骨をまだ納骨できないままであるということです。
お遺骨に好物のものをお供えしていますとありました。
時間は経過しても、一緒に暮らした日常はその時のまま、決して忘れることができないという篤い思いです。
 
 この一年、大切な方を亡くされたご遺族、被害に遭われたご家族ご縁の方々、色んなことがあったと思います。
まだまだ家に帰れない、帰る家が無くなった方もいらっしゃるでしょう。
 
 これから皆さんご自分の家にお帰りになって今日の一日が始まるということですが
このことについても明日はどうなるのかわかりません。この身自体がどうなるのかわからないのです。
 
 諸行無常のただなかに私たちはこの身を生き日暮ししているということです。
決して脅かしているわけではありません。本当のことです。
 本当のことだと知っていてもなかなか自分のこととして受け止めることは難しい。
聞き方によっては大きな不安になり迷いにもなります。
 
 不安ななかに日暮しし苦しみ悩み迷う私を救おうと私たちの阿弥陀さまはすっとお立ちになってくださいました。
南無阿弥陀仏となっていつでもどこでもこの私のところに来てくださり「まかせよ救う」とおはたらきです。
 真実の依りどころを私たちは南無阿弥陀仏と聞かせていただいて生きて往けるというお念仏のお救いのみ教えです。
 
 あの日から時間が止まって、納骨が中々できないというのも本当の気持ちだと思います。
お手次ぎのお寺さんがあればお寺さんともご縁の方とも相談して、納骨しようと思ったときに納骨されたらいいと思います。
 納骨とはお遺骨を納めるということ、お遺骨の行き先を用意してくださってある有難さを思います。
 
 どんな人も必ず命終えていかねばなりません。
死の縁無量で、いつどこでどんなかたちで命終えるのか、わかりません。
 まさにはかないいのちですが、どんないのちであっても等しく必ず救いとると
阿弥陀さまはお浄土を用意してくださってあると聞かせていただきます。
 
 阿弥陀さまのお浄土に私は往ったことがありません。見たこともありません。
「そんなところあるものか」と言われる方が多いでしょう。
 ただ私は南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞かせていただくばかりです。
 
 先に往かれた方は阿弥陀さまのお浄土に生まれてもうすでに仏さまと成って
この私を護り救うというおはたらきをしてくださってあると
南無阿弥陀仏の大きなお慈悲のなかにナンマンダブツとお念仏を申して
今日も一日確かに確かにお浄土への日暮しをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.5)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
0
5
9
7
6
3
TOPへ戻る