病院で同級生に会いました
2018-04-30
昨日一昨日と野坂神社の春の大祭で、お天気にも恵まれ三佐中が山車曳きで大いに賑わいました。
一昨日は夕方円光寺前で夕食ということで、境内に大勢の若い衆がビニールシートに車座をつくっていました。
今朝梵鐘をついて山門前の車道を見ると、山車の車輪の跡が幾重にも残っていました。
一際山門前には大きな輪の線がいくつも出来ており、山車を回して何度も「やっさ」「もっせ」を繰り返したのでしょう。
お祭りの山車曳きは20代から40代の若衆が中心です。
私たちの年代になりますとお祭りにでても知っている人は殆どいません。
この前病院に行きました。受付をしていたら後ろから肩をたたかれました。振り返ったら同級生でした。
お互いに体に悪いところ気になるところがあっての病院通いです。
「こんなところで会うようになったんやなあ」とどちらからともなく口に出ます。
この歳になると同年輩のご縁の人に会うところが病院であったり、お葬式であったりします。
お釈迦さまが生老病死の四苦を説かれる逸話に四門出遊のお話があります。
お釈迦さまが若い頃王宮の東南西の門から外に出られ老人病人そして葬列にあって
老いること病むことそして命終えることを自分自身の問題といただかれ、
北の門から出たときに気高い修行者に会い、老病死の解決のために修行者になろうと出家されたというお話です。
私たちはこれから老病死の問題をわが身のこととして向き合っていかねばなりません。
この歳になっていよいよ福祉施設で病院で葬祭場で縁ある人に会うことが多くなります。
その時「お久しぶり、じゃあまたね」と若い頃当たり前のように言って別れたことですが、
今度いつどこで再会できるかどうかわかりません。
こうしてお寺で皆さんとお朝事のご縁でお会いします。
阿弥陀さまの御仏前です。阿弥陀さまにご一緒に手を合わせナンマンダブツとお念仏申してお礼をします。
共々にお礼ができるところがあるという有難さです。
阿弥陀さまのお浄土を想います。
お朝事にご一緒されていたお同行も歳を重ねお参りできなくなった方もいます。
先にお浄土に往かれたお同行もたくさんいます。
そのお姿に会うことはできませんが、いつも阿弥陀さまの御仏前にご一緒です。
ナンマンダブツが聞こえてきます。懐かしい先人の声が聞こえてきます。
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおよび声です。
人と人との別れはきますが、仏さまとなってこれからもいつでもどこでも私たちとご一緒です。
帰るところがある安心です。帰るところをいただく有難さ尊さです。
仏さまが私たちに用意をしてくださってあるお浄土です。
南無阿弥陀仏とお念仏を申してそのまんま「必ず救うまかせよ」の阿弥陀さまのおよび声を聞かせていただき
まかせて帰るところがあるといただきます。
南無阿弥陀仏の大きなおはたらきのなかに今日一日がまた始まります。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.30)
祥月のお命日のご縁で「家族が増えました」
2018-04-29
昨日祥月命日のお参りに行きましたら、お家の前に車が4、5台止まっていました。
時間をお約束していたかな、ご法事だったかなと不安に思って、玄関を入りお家の方に早速聞きました。
時間を言われていたわけではなく安心して仏間に入りますと、座布団がたくさん敷いてあり、
聖典もちゃんと用意されていました。
皆さん私を待っていた様子でご一緒にお正信偈のお勤めをして少しお話をさせていただきました。
お茶をいただきながら、お家の奥さんが「家族が増えました」とお話してくれました。
子どもさんが二人いて、結婚され連休で連れ合いの方と一緒に帰ってみえられたということです。
見ると赤ちゃんが一人抱っこされていました。全部で8人の方がお参りでした。
家族が増えて仏さまのご縁にご一緒です。いいなと思いました。
祥月命日のご縁です。祥月命日は誕生日です。人と生まれた誕生日ではありません。
人の命は終えますが、阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまと誕生すると聞かせていただきます。
仏さまとなって、私たちのこの目には見えないけれども私たちをいつも見守ってくださってあります
昨日のご縁でいったら、お母さんです。おばあちゃんです。
そして生まれたばかりの赤ん坊からいったらひいばあちゃんです。見たことのない会ったことのないひいばあちゃんです。
でもすでにお念仏のなかに遇っているんですね。そういうご縁つながりということを改めていいご縁だなと思いました。
阿弥陀さまそしてお母さんおばあちゃんひいばあちゃんの仏さまを中心にご一緒にご縁をいただけるということです。
本当に有難い祥月命日のご縁に遇わせていただきました。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.29)
あなたに会えてよかった
2018-04-28
昨日は北朝鮮と韓国の南北首脳会談が行われ世界中が注目しました。
生中継の映像を観て肉声を聞いて、皆さんはどう思われましたか。
近くて遠い国といいますが、朝鮮戦争の終結をみず今も休戦状態にある両国の最高指導者が、
昨日38度線という朝鮮半島の南北を分断する境界線を越えて手をつないだということです。
すぐにでもできそうでできない状態が60年以上も続く異常事態です。
特に今回周知の注目を一身に集めたのが北朝鮮の金委員長の動向です。
3月の中国訪問まで外交舞台に登場することもなく、自国の報道で何度も強面ぶりを観ていましたが、
一体どういう人なのかどういう声をしているのかなど、今まで想像することばかりでわからなかったことが、
生中継で私たちの目や耳に入ってきました。
笑顔がありました。肉声が聞こえました。私たちと同じ人間なんだと思いました。
今回の首脳会談は、他の国の首脳会談と違い、両国の首脳にしか分からない言葉で行われ通訳がいませんでした。
同じ言語をもつ同じ民族同士だということです。
遠い昔からずっと一つだった家族が、別れ離れになったという悲しい歴史を背負います。
中々自分たちだけの思い通りにはいかない難しい問題が大きな壁になっています。
今回特に象徴的だったのが、ベンチでの30分の二人っきりの会談です。
何を話したのでしょうか。
同じ家族という視点で世界情勢や周辺諸国との関係について率直な思いを語り合ったことでしょう。
今回の首脳会談を観て私たちの日常生活を思います。
皆さんの周囲にあの人は何を考えているのかさっぱり分からないと心配になり不安になるような人っていませんか。
この私のことかもしれません。
そういうなかにお互いに顔を顔を合わせて声を交わします。すると何だか少し安心します。
言葉を通わせお互いの心が通じ合うということです。
ただすぐ問題解決とはならない過去の歴史があります。
双方ともに言い分があります。双方だけで解決できることではありません。
未来志向といいますが、自分の立場だけを強調すればすぐ行き詰まってしまいます。
ここは双方が交流を重ね人と人とが出会うなかでお互いに理解を深め
一緒にできるところから一つ一つ始めることが大切だと思います。
時間はかかってもこれからの一歩一歩が本当に重要です。
私たちの仏法でいいますと、仏さまのみ教えはすべての人に平等に開かれてあります。
阿弥陀さまのご本願のお救いは敵味方の区別なく怨憎を超えてすべてのものを等しく救うとおはたらきです。
南無阿弥陀仏の大きな大きなお心を聞かせていただくなかに私たちは生活をさせていただきます。
すぐ隣の人です。すぐ隣の人とお互いに「あなたに会えてよかった」と言える日々の生活でありたいな、
お念仏を申して共々に生きる今日一日でありたいなと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.28)
仏さまのご縁に遇ういい歳になりました。
2018-04-27
あるご法事で、お参りの方に「何でこんなに法事や葬式は続くのですか」と聞かれました。
今日は父の法事で、2日後には主人と義理の父のま法事が続くといわれます。
3回忌と17回忌で、今日は父の17回忌と、16年前にお葬式が続いたということです。
また何か続くのかと思うと不安になるといいます。
親族や友人関係で葬儀が続くことがありす。
何でと聞かれて、私たちの生死はたまたまで、いつどこでどのように命終わるのかわかりません。
ただ私の親族にしても友人にしても大体同じ世代で、その親世代も同じような世代です。
お互いいい歳になったということではありませんか。
いつまでも若くて健康ということではありません。
歳を重ねて、老いを実感することが多くなり、病院通いも増えてきました。
縁ある方の葬儀が続き、死を考えることもでてきます。
不安です。心配です。迷いが生じます。
仏さまのご縁に遇う、いい歳になったといただけたらどうでしょうか。
足腰が悪くなってよう歩けんようになった、目がよく見えんようになった、耳が聞こえんようになったと、よく聞きます。
私自身がそうです。それは長生きをしたという証なのです。
では何でこんなに長生きしたのでしょうか。
仏さまはこういいます。「それはね、仏法を聞くために長生きしたんだよ」って。
いよいよ仏法を聞かせていただくご縁ができたということです。
若いうちはお寺参りどころじゃなかったですね。一生懸命働いて働いて、家族と一緒に頑張って生きてきましたね。
歳をとって生活に少し余裕がでてきました。
自分の時間ができ趣味に興じたり、今までできなかったいろんなことができるようになりました。
どうかそのなかに仏さまのご縁をいただいてください。
仏法を聞いてくれよ、お念仏を申す身になってくれよと
ご法事を迎えられたご先祖の仏さまが願ってらっしゃいます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.27)
七回忌のご法事のご縁で
2018-04-26
昨日七回忌のご法事にお参りしました。
七回忌というと往生されて六年というご縁です。
こういう譬えでお話をします。
六年経つということは小学校に入学した子どもが卒業するということです。
子どもは見るからに成長します。背は高くなり体重も増えて高学年にもなるとちょっと大人びてもきます。
身体も成長しますが、学校でいろんなことを学び友だち関係も広がり社会的なことも学んで心も成長していきます。
昨日の法事はお母さんのご縁で70歳前後の子どもさんたちがお参りでした。
私たちとほぼ同世代で、六年経ったということは六つ歳をとったということです。
老いていきます、病気になることも多く、今までできていたことができなくなります。
六年経って子どもの頃のように見るからに成長するということではありません。
では心はどうかといいますと、成熟といわれるように
歳を重ね人生経験を積むなかで心豊かに日暮しできればいいのでしょうが、
歳を重ねるほどに思い通りにならない現実に、心を固く閉ざすようなこともでてきます。
それでは何とももったいない。歳をとっても楽しく朗らかに生きたいものです。
そういうなかでご法事という仏さまのご縁をいただきます。仏さまの教えに遇わせていただきます。
仏さまはの教えをいただけば柔軟心といって、頑なな心が柔らかくなるといいます。
仏さまは私たちの心を耕してくださり、私たちは心豊かに生きることができるというのです。
「渋柿の渋がそのまま甘さかな」といううたがあります。
秋の頃渋柿を縁側につるしておくと、陽や風の具合で、渋がそのまま甘くなるというのです。
甘くしてくださるおはたらきです。
頑なな心をそのまま柔らかしくしてくださる仏さまのおはたらきといただきます。
仏法に遇ってくれよ、お念仏申す身になってくれよと願い、
先に往かれた仏さまが私たちにご法事をいう仏さまのご縁をつくってくださいました。
人の命を終えて6年ですが、この間もずっと仏さまと成って私と共に生きてくださったのです。
お仏壇にお参りして仏さまにこれまでの奉告と御礼のお念仏を申しましょう。
次のご法事のご縁は十三回忌です。6年後になります。
また6つ歳を重ねてお母さんの仏さまから「いい歳をとったね」と言われるように
日々お念仏申して生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.26)