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お念仏を申す生活法話

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念仏者の生き方

2018-05-04
 最近「念仏者の生き方」というテーマでの研修会が多くなりました。
ご門主さまが伝灯奉告法要にあたって「念仏者の生き方」というお手紙をだされたことによります。
 
 先日届いた『仏教こども新聞』に三人のレンガ職人のお話がありました。
同じようにレンガを積む仕事をする三人ですが、仕事ぶりがそれぞれ違います。
一人は、レンガを積むことは誰にでもできるくだらない仕事だと仕方なく嫌そうに仕事をします。
一人は、言われたように自分なりに一生懸命仕事をします。
もう一人は、楽しそうに仕事をします。
 
 皆さんだったらどの職人でしょうか。
嫌そうにしますか?一生懸命しますか?楽しんでしますか?
 どの職人が念仏者かといっているわけではありません。
私のことでいえば、嫌そうにすることもあるし、一生懸命することもあるし、楽しんですることもあります。
 
 できたら楽しんでしたいと思います。
同じ仕事をするについても、その仕事に意味をもたせることで仕事ぶりが違ってくるということです。
 
 ただ言われた仕事を言われたままに淡々とする、頑張ってするということですが、
その仕事に誇りをもち夢をもって、周りの人から認められ喜んでもらえたらいいなと思います。 
 
 同じ仕事をするについても三者三様です。私たちの生き方にもつながります。
それぞれ生き方は違いますが、お念仏のなかに生きる人を念仏者といただきます。
 
 お念仏申して生きるということは、阿弥陀さまの大きな大きな南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただき
「まかせよ救う」のおはたらきにまかせて生きるということです。
 
 浄土真宗の教章に「自他ともに心豊かに生きる」という文言があります。
念仏者の生き方のヒントがあるように思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.4)

憲法と仏法

2018-05-03
 今日は憲法記念日です。昭和22年に今の日本国憲法が施行されて71年になります。
国民の関心はもう一つですが、この十数年ずっと憲法の改憲論議が聞かれます。
 
 憲法は日本の国だけでなく、その国のかたち、根幹を定める主軸の法律で、
法治国家の屋台骨として様々な法律が施行されこの国を円滑に運営していくということです。
 
 私たちの仏教は元々は仏法といっていました。
仏の教えというと何か教科書みたいなもののように感じですが、仏法とは仏さまのおはたらきそのものをいいます。
 仏教を学ぼうが学ばまいが、どんな人も仏法という仏さまのおはたらきのなかにあるという教えなのです。
 
 親鸞聖人は88歳の頃「自然法爾(じねんほうに)章」というお手紙を書かれました。
私たちの世界の人間だけでなく自然という全てのものがら、いのちあるものすべては
自然法爾という「おのずからしからしむというおはたらきのなかに生かされてある」と示されています。
 
 私たちがどのように抗うが頑張ろうが、このいのちを私たちの思うようにする、変えることはできないのです。
自然の法である仏法はそのまま変わることのない変えることのできない真実ありのままの法といただくのです。
 
 憲法と仏法の大きな違いは、憲法はじめいろんな法律はすべて人間がつくったものです。
その人間も国々によって違います。習俗習慣から歴史まで、人間がつくったものですから色んな意味で違うのです。
 これは不完全極まりないもので、完全なものはありません。真実なものってないのです。
大方の国民がこれでいいと決めたものか、権力者が一方的に決めたものかです。
だから憲法が180度変わってそれこそ私たちの生活ぶりが一変するような事態にもなりうるのです。
変わるということは不安です。安心して生きたいですね。
 
 本当の安心は真実の法である仏法に依るといただきます。
南無阿弥陀仏のお念仏の仏法を依りどころに生きてくれよと教えてくださったのが親鸞聖人です。
 
 ナンマンダブツとお念仏を申して、病気が治るとか金回りがよくなるとか、
自分の思い通りになるということではありません。
 ナンマンダブツとお念仏申しても、老いていきます、病んでいきます、命終えていきます。
ただお念仏申すなかに私たちの真実の依りどころ、いのち帰るところを聞かせていただけます。
 
 仏法という真実自然の法、仏さまの大きな大きなお心おはたらきをいっぱいいっぱいいただいて
今日一日もいのち輝かせて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.3)

天気予報もいろいろです

2018-05-02
 今日は朝から雨になりました。
この連休中テレビの情報番組では天気予報のコーナーがいつもより大きく取り上げられています。
 
 東京から発信される予報では、3日まで雨が残るという予報でしたが、
九州では2日いっぱいは雨で3日は朝から晴れるという予報です。
 日本列島も広くて、それぞれ予報が違います。
このゴールデンウィークの天気はどうしても雨は嫌われます。良い悪いでいえば、雨は悪い天気です。
 
 20年ほど前、鹿児島の指宿で仏教壮年会の全国大会がありました
ちょうど九州に台風が接近していて、前日から風雨が強くなり大会が中止になるのではと思っていたら、
大会当日の次の日に何と晴れたのです。台風は四国の方に行ったということでした。
 
 その時のご講師、ノーベル賞作家の大江健三郎さんが講演の冒頭で
「皆さんは台風が来なくてよかったと思っているかもしれませんが、
今台風が来ている四国の方々にとっては大変迷惑なことで、困っている方がいるということを思ってください」
とお話されました。
 何か仏さまのものの見方を教えられたような気がしました。
 
 私たちはどこまでも自分を中心にものごとを見て、自分の都合で良いとか悪いとかいっています。
台風が発生すると自分のところでなくてもどこかで被害がおこります。
自分のことで精いっぱいの私ですが、被害に遭われた方々に思いを寄せることを忘れないでいたいですね。
 
 この連休中、仕事がお休みで日頃できないことを計画されている方もいらっしゃるでしょう。
休みではなくてかえって忙しい方、日頃とあまり変わらない生活ぶりの方もいると思います。
 それぞれの生活ぶりですが、お念仏を申すなかに過ごさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.2)

日々いのちを大切に生きてまいりましょう

2018-05-01
 5月になりました。さわやかな朝です。
5月の挨拶には、新緑の候、若葉の頃となりました、風薫る候などがあります。
一年のうちで一番と言っていいほどいい季節です。
 
 今は連休中ということで観光地に行かれる方も多いと思います。
風光明媚は観光地の代名詞ですが、風光とは景色のことで、景色が清らかで明るく美しいということです。
 
 今月の掲示伝道のことばは「念仏の 風光り 命いよよ 輝けり」です。
南無阿弥陀仏のお念仏は阿弥陀さまが私たちのためにつくってくださった功徳の宝です。
 どんな人も条件なしに念仏一つで必ず救うまかせよとの南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 
 お念仏の風光るです。風も光も私たちのこの目で見ることはできませんが、この身に感じます。
風のはたらき、光のはたらきです。
 お念仏の風は光は阿弥陀さまのお浄土からはたらきかけてあると聞かせていただきます。
 
 ここちよい風です。あたたかい光です。
南無阿弥陀仏「我にまかせよ必ず救う」という阿弥陀さまのお心おはたらきそのものです。
 お念仏の風となり光となってこの身にいっぱい満ち満ちて命いよいよ輝かせて生きることができるといただきます。
 
 本当にあっという間に5月になりました。すぐ一年が過ぎていきます。
いのちを大切に生きましょう。今日の一日です。
今日一日を本当に大切に生きてよかったと、お念仏のおはたらきのなかに生かされてあることを有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.1)

病院で同級生に会いました

2018-04-30
 昨日一昨日と野坂神社の春の大祭で、お天気にも恵まれ三佐中が山車曳きで大いに賑わいました。
一昨日は夕方円光寺前で夕食ということで、境内に大勢の若い衆がビニールシートに車座をつくっていました。
 
 今朝梵鐘をついて山門前の車道を見ると、山車の車輪の跡が幾重にも残っていました。
一際山門前には大きな輪の線がいくつも出来ており、山車を回して何度も「やっさ」「もっせ」を繰り返したのでしょう。
 
 お祭りの山車曳きは20代から40代の若衆が中心です。
私たちの年代になりますとお祭りにでても知っている人は殆どいません。
 
 この前病院に行きました。受付をしていたら後ろから肩をたたかれました。振り返ったら同級生でした。
お互いに体に悪いところ気になるところがあっての病院通いです。
「こんなところで会うようになったんやなあ」とどちらからともなく口に出ます。
 この歳になると同年輩のご縁の人に会うところが病院であったり、お葬式であったりします。
 
 お釈迦さまが生老病死の四苦を説かれる逸話に四門出遊のお話があります。
お釈迦さまが若い頃王宮の東南西の門から外に出られ老人病人そして葬列にあって
老いること病むことそして命終えることを自分自身の問題といただかれ、
北の門から出たときに気高い修行者に会い、老病死の解決のために修行者になろうと出家されたというお話です。
 
 私たちはこれから老病死の問題をわが身のこととして向き合っていかねばなりません。
この歳になっていよいよ福祉施設で病院で葬祭場で縁ある人に会うことが多くなります。
その時「お久しぶり、じゃあまたね」と若い頃当たり前のように言って別れたことですが、
今度いつどこで再会できるかどうかわかりません。
 
 こうしてお寺で皆さんとお朝事のご縁でお会いします。
阿弥陀さまの御仏前です。阿弥陀さまにご一緒に手を合わせナンマンダブツとお念仏申してお礼をします。
共々にお礼ができるところがあるという有難さです。
 
 阿弥陀さまのお浄土を想います。
お朝事にご一緒されていたお同行も歳を重ねお参りできなくなった方もいます。
先にお浄土に往かれたお同行もたくさんいます。
 そのお姿に会うことはできませんが、いつも阿弥陀さまの御仏前にご一緒です。
ナンマンダブツが聞こえてきます。懐かしい先人の声が聞こえてきます。
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおよび声です。
人と人との別れはきますが、仏さまとなってこれからもいつでもどこでも私たちとご一緒です。
 
 帰るところがある安心です。帰るところをいただく有難さ尊さです。
仏さまが私たちに用意をしてくださってあるお浄土です。
 南無阿弥陀仏とお念仏を申してそのまんま「必ず救うまかせよ」の阿弥陀さまのおよび声を聞かせていただき
まかせて帰るところがあるといただきます。
 南無阿弥陀仏の大きなおはたらきのなかに今日一日がまた始まります。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.30)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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