藤蔭高校おめでとう!
2018-07-26
昨日は夏の高校野球県大会の決勝があって日田の藤蔭高校が28年ぶり2回目の優勝を果たし甲子園出場を決めました。
夏の高校野球は今年百回目を迎えるということです。
百回目といって百年前に始まったのではありません。
途中戦争の時代があって中止せざるをえないという幾多の困難を乗り越えて百回ということで先人のご苦労を思います。
そのまま百年といいますと、百年前に人がいたということです。私たちの先人、私の先祖です。
高校野球でいいますと、白球を追って野球に打ち込む少年がいたということです。
その百年前の少年は今はこの世にはいませんが、その先人の夢は今ここにつながってあるということです。
私たちのお念仏のみ教えもそうです。
親鸞聖人からいいますともうすぐご誕生850年です。蓮如上人が誕生されて600年です。
そうした親鸞さま蓮如さまのお心が今ここにお正信偈さま御文章さまとして私のところに届けられているということです。
先人の夢はどんな夢だったのでしょうか。私たちにどんなことを伝えてくれているのでしょうか。
お念仏のみ教えに聞かせていただきます。
生まれ難い人間界に生まれてどうかお念仏のみ教えに出遇って
「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のおはたらきのなかにお念仏申していきいきと生きてお浄土に生まれて来いよと
お念仏の先人は願われ重ねてお念仏をすすめられているといただきます。
「先人の夢 今ここに つながり開く 百重の夏」と来月の言葉を書かせていただきました。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.26)
朝からお念仏の人が集うお寺です
2018-07-25
昨日の夜、円光寺の総代さん主なご門徒の方と会議をもちました。
2時間以上たって気が付いたらもう10時前でした。
お寺を思う心いっぱいにいろんな意見がでました。
お寺というのはどうかしますとお寺の者がやっているといった感じで見られているところがあるのではないでしょうか。
お寺がこんなことを言った、お寺がこんなことをしているといった見方です。
お寺はご門徒皆さんあってのお寺なのです。
ご門徒皆さんの声が反映され思いを寄せていただいてこのお寺が成り立っているのです。
それは建物だけの話ではありません。
今日もこうしてお朝事に皆さんお参りです。
この夏休みに入って毎朝6時の鐘をご門徒の方についていただきその後ご一緒にラジオ体操をしています。
円光寺は6時前から開けっ放しの本堂にご門徒衆が集まって大きな声でお勤めをします。
すごく有難いご縁です。
そういうなかにあって日々の生活が始まります。
皆さんこれからお家に帰られてそれぞれ生活ぶりは違いますが、ナンマンダブツとお念仏を申す心は一つです。
お念仏の心を皆さんこうしてお寺に寄せていただいて
いよいよ隣の人もご一緒に円光寺にお参りしましょうという雰囲気のお寺になっていけたらと
昨日の会議を通じてあらためて思ったことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.25)
うちわで扇いでいただいて
2018-07-24
2年後の今日が東京オリンピックの開会式だそうです。
昨日は暦の上では大暑ということで埼玉の熊谷で41.1度の日本の最高気温を更新したということです。
どのくらい暑いかといって最近は蚊も出てこないといいます。蚊もこの猛暑に閉口して動けないということでしょうか。
この前ご法事でお参りして本当に冷え切った仏間に通され思わず「極楽やな」と思いました。
今はクーラーのあるお家クーラーのある仏間が増えてまいりました。
とはいっても仏間という所は日頃使う部屋ではありません。
居間や台所寝室にはエアコンが完備されているお家は多いですが
仏間というのは最後の最後いよいよ皆さんが集まる時になって急いで仏間にクーラーを入れるようなことです。
大分前の話です。お盆参りにいきますと、扇風機のないお家がありました。
ところがお勤めをしていますと後ろから涼しい風が入ってくるんです。
お勤めの後振り返ってみるとおばあちゃんが汗だくになりながらうちわで扇いでくれているのです。
今の尋常でない暑さはとてもうちわ一つでは通用しません。
ただうちわで扇いでくれるお気持ちが本当に有難かったと今更ながら思います。
扇風機もないクーラーもない誰もいない仏間でお坊さんが一人汗びっしょりかいてお勤めをしている。
そうした光景も今あながちないことはありません。
暑いね寒いねとお互いに言える人と人とのつながりのなかに私たちのお念仏の日暮しがあるのではないでしょうか。
先人が私たちに伝えてくれたこの夏の過ごし方、その工夫のなかに私たちの今があることをまた思います。
どうぞお念仏を申すなかにこの夏を、お寺のことでいえばお盆参りを精いっぱいさせていただき
涼しい秋を待ちたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.24)
サマースクールというご縁
2018-07-23
夏休みに入って一昨日昨日と土曜日曜でした。
子ども会のサマースクールを今年も7月31日から8月1日にしますが
参加申込みにお母さんと子どもさんが一緒にたくさん来られて何度も玄関のチャイムが鳴りました。
「初めてですか」とお聞きします。半数ぐらい初めての方がいらっしゃいます。
兄弟で参加する子どもさんが結構多くて
お兄ちゃんお姉ちゃんが三年生になって次の子どもが一年生で初参加というようなことです。
もう一つ気づくことが、三佐小学校の生徒だけでなく他の小学校の子どもさんの参加が多いことです。
一つは親戚関係で、一つは習い事の関係で小学校を超えて友だち同士一緒に行こうということです。
子どもがいいなと思うのは、子ども同士で誘い合えるんですね。
私たち大人ですとそこに何か分別心がはたらいて円光寺の門徒でないとお参りできないという思いが先立ちます。
私たちの阿弥陀さまという仏さまはすべてのものを分け隔てなく救い取るというおはたらきの仏さまですから
どなたがお寺にお参りされてもいいのです。
大人になると難しい思いがはたらくということですが
子どもの頃にお寺のご縁をいただいて
夏休みにお寺でみんな一緒に泊まって遊んでおいしいものを食べてという楽しい思い出が
大人になっていよいよお寺のご縁をいただけることになれば思うことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.23)
カプセル人間
2018-07-22
酷暑です。本当にどこにいたらいいのか、家の中でクーラーの中で閉じこもる引きこもる生活になってしまいます。
カプセル人間といいます。家に閉じこもるということではありません。
私たちの有り様を仏さまから見るとカプセルの中に閉じこもっているようなものだというのです。
ちょうど自分の部屋にいるようにカプセルの中は自分中心の思いでいえば居心地のいいところです。
ただカプセルの中にいると外界から遮断され外から身を守れるということですが
外のことが見えなくなり、他の人との関係もなくなってしまいます。
この酷暑ということでいえば、私たちはどうしてもクーラーのあるところに引きこもってしまいます。
自然の力はたらきを避けるという対応、もっというと自然との対決で
自然との共生、共に生きるということではありません。
カプセルの中に入ってしまうと他のものが見えなくなる、それ以上に真実のあり様が見えなくなってしまうといいます。
これが迷いということで、私たちの迷いの元の煩悩の一つが愚痴です。真実を知らない愚かさというのです。
真実を知らずじまいに真実の教えに遇わずじまいに聞かずじまいに終える人生は
まさにカプセル人間の人生といえます。
こうして仏さまのみ教えに遇わせていただくことは、自分にとって居心地のいい生活ができるということではありません。
自分の思い通りに生きよう生きようとするなかにいよいよ迷い込むカプセルがあることを
この酷暑という大自然の営みの中に聞かせていただきます。
カプセルの中から大きな広い世界に出ておいで生まれて来いよとはたらきかけるのが南無阿弥陀仏のおよび声です。
ナンマンダブツナンマンダブツとよび通しによんでくださいます。
広大無辺の阿弥陀の世界、お浄土に生まれて来いよとよんでくださいます。
お浄土は俱会一処の世界、みんなが一緒になれるところです。
お念仏を申すなかにお浄土への人生を共々に歩ませていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.22)