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お念仏を申す生活法話

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納骨する日って決まっていますか?

2018-05-14
 今朝は雨上がりということもあって、朝日がぱーっと光り輝いて気持ちいい朝を迎えました。
 
 昨日は四十九日満中陰のご縁がありました。いつもはお勤めの後に納骨をさせていただいています。
ちょうど雨が降っていました。お家の方から「雨が降っていますが、納骨しますか」と聞かれました。
何かその様子雰囲気がちょっと気になってお話を聞きましたら「今日納骨しないといけませんか」と言われました。
 
 いつ納骨するか、決まりはありません。
49日間の中陰の期間、お仏壇の横に法名(位牌)とご遺影そしてお遺骨をご安置して七日七日のお勤めをします。
そして49日を迎える満中陰のご縁に親戚有縁の皆さんも一緒にお勤めをして、その後納骨することが多くあります。
 
 ただこのたびのご縁は、急に大切な方がお亡くなりになったということです。
今まで当たり前のように一緒に暮らしていた家族が生活の場から急にいなくなったということです。
心の整理がつかないというか、大切な人の死を受け入れられないというか
人の命を終えてその懐かしいお姿に会うことはかないませんが、遺骨というかたちが残っているということで
もう少しお家にご安置して一緒に生活したいということなのでしょう。
 
 納骨すると仏間の様子が平生に戻ります。大きな節目のご縁として、平生の生活に戻るということですが
それがそのまま死を受け入れることになるかというと、難しい。
 ご遺族の方にとってはいろいろと思い返すこともあると思いますし、これでこうだと思いきることはできません。
 
 それではいつ納骨するかということで、私の方からお盆前にはしましょうと提案しました。
というのは、どこかで納骨しないとそれこそいつまでもということで
これまでにも10年ぐらいずっと床の間にお遺骨をご安置していたお家がありました。
 
 墓地や納骨堂といった納めるところに納めたらいいのです。
そしてお墓にお参りして先に往かれたお方に会いに行けばいいと思います。
 
 凡夫の情です。こうなんですよこうしなさいと言わてもそのまま受け入れるには、時間もかかります。
時間がかかってもどこかで決めなければなりません。
 
 南無阿弥陀仏のご法義は人と人との別れはあっても、仏さまとなってずっとこれからもつながっていくというご法義です。ナンマンダブツとお念仏を申すところに先に往かれた大切なお方が仏さまとなって
私といつも一緒に生きてくださってあると聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.14)

母の日参りいたしましょう

2018-05-13
 今日は5月の第2日曜日、母の日です。
1908年5月10日にアメリカのアンナ・ジャービスという女性が亡くなられたお母さんの追悼会をされた
ことから始まったと言われます。110年前のことです。
 
 いつの頃からか日本に入って来て母の日にはお母さんにカーネーションを贈るような習慣ができました。
赤いカーネーションですが、早くお母さんとお別れした子どもには白いカーネーションをとも言われました。
 
 この母の日に因んで、あるお寺さんと関係業者がコラボして「母の日参り」ということを提唱しています。
母の日にお墓にお参りしましょうというのです。
 
 皆さんのなかには元気なお母さんもいらっしゃいますが、
この年代になりますと、先に逝かれたお母さんが多いのではないでしょうか。
 母の日はどうしていますか。お仏壇に白いカーネーションをお供えしていますか。
 
 お母さんは今どこに行ってらっしゃるのでしょうか。先に逝かれたお母さんにどこに会いに行けばいいのでしょうか。
お墓参りが提唱されるということでは、一つはお墓ですね。お墓にはお母さんのお遺骨がご安置されています。
 
 そしてお寺です。浄土真宗のお寺のお内陣、お仏壇は阿弥陀さまのお浄土を表します。
かといって、お寺がお浄土ではありません。お寺はお浄土の入り口、お寺参りがお浄土参りといただきます。
 
 円光寺ではお葬式の後火葬されてお遺骨をお供してお寺にお参りしていただきます。長年の習わしです。
還骨のお勤めをします。お遺骨となってお寺に還ります。
 
 住職がお遺骨を抱きかかえてお浄土を表すお内陣の中心阿弥陀さまの真横にご安置します。
いつもお遺骨をお内陣にご安置しているわけではありません。
浄土真宗のお寺にお参りするとお遺骨やお位牌がいっぱいあるということではありません。
還骨の時だけの特別なことです。
 
 阿弥陀さまの横にご安置するというのは
先に往かれた方は阿弥陀さまのお浄土にお参りされてこれからはいつも阿弥陀さまのおそばにいらっしゃるということです。
 
 この目には見えませんが、阿弥陀さまのお浄土にお参りされているといただいて
お浄土のお母さんの仏さまに会いにお寺に参りさせていただくのです。
 
 お墓参りもいいです。お家のお仏壇にお参りをするのもいいです。
お参りするところがある、手を合わせお念仏申してお礼ができるところがあるという有難さです。
仏さまがそういう処をつくってくださったということです。
そしてお母さんのことをいっぱいいっぱい思うてください。
 
 母の日はお母さんに感謝をする日といいます。
感謝するんだったら母の日だけでなくて毎日感謝していいんですが
平生いつもは自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいの私ですから
この日は特別と日を決めて、お寺にお墓にお家のお仏壇にお参りしましょう。
 お仏壇に手を合わせてお花をお供えしてお母さんの仏さまを偲び感謝のお念仏を申しお礼をさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.13)

仏さまのご縁に遇わせていただく

2018-05-12
 昨日一昨日と平日ですが、ご法事がありました。
祥月命日のご縁で、お参りの方も極々身近な方でした。
 
 お勤めの後お茶をいただきます。お茶をいただきながらお話になります。
お坊さんが一方的に話すのではなくお互いに話し合うということです。
 
 お話を聞きながら二軒のお家ともいつもと様子が違うように感じました。
いつも元気におしゃべりされる方が少し落ち込んでいるというか、ちょっと自嘲気味にお話されるので
「どうかしましたか」とお聞きしましたら
一軒の方は最近お姉さんが短期間の療養で亡くなられたと言われ
もう一軒の方は昨日年下の元同僚のお葬式だったというお話です。
 
 それぞれ60代70代の方ですが、身近な親族や友だちが亡くなるということで、自分自身のことを重ねて思うんですね。
この命です。いつまでも若く健康でいられたらいいんですが、そうはいかない。
そのことは知っています。いずれはこの命を終えていかねばならないということです。
ただ有縁の人の死をどう受け止めていいのか、わからない、受け入れたくない私がいます。
 
 悲しみのご縁ですが仏法聴聞のご縁といただきましょうとお話しました。
私たちの仏さま、阿弥陀如来さまは「いつでもどこでも私が一緒ですよ。
必ずあなたを救いますから私の名を称えて聞いてください」とおはたらきの仏さまに成ってくださいました。
 
 平生いつでも称えられるお念仏のご縁ですが、
私たちは日々の生活にずっと追われるように人生を過ごしてまいりました。
 この人生、いつまであるのかわかりません。今日かも明日かもわかりません。
わからないからこそ今このご縁に聞かせていただくことが大事なのです。
 
 ご法事のご縁をいただきました。仏さまからいただく仏さまのご縁です。
阿弥陀さまのご縁ですが、私の身近な仏さま、ご先祖有縁の仏さまからいただけるということです。
この命の行く先、この命のあり様を聞かせていただく仏さまの尊いご縁に遇わせていただきます。
 
 もちろん今日のお朝事のご縁も仏さまのご縁であります。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.12)

いい歳になりました。シュウカツしましょう!

2018-05-11
 朝はちょっと冷えますね。
このところ夏日で暑くなったり、低温で寒くなったりと天候不順が続きます。
どうぞ体調に気をつけてください。
 
 今朝の新聞のチラシに盆提灯の広告がありました。
八月のことで、3カ月先ですが、どうも社会は先へ先へと急速に動いています。
こんな調子でこの一年もあっという間に過ぎ去っていくのでしょうか。
 
 昨日大海組の法中会があり、先般2月の音の泉ホールでの「大海組仏教婦人会60周年記念大会」
参加者アンケート結果を見せてもらいました。
 
 参加者の年代別人数がありました。
一番多かったのが70代、次いで60代と、この二世代で全体の7、8割の人数でした。
 60代70代というと、皆さん私たちの世代です。
仕事を終えて子育てを終えて少し自由な時間ができた世代です。
第2第3の人生を謳歌するように、趣味やスポーツ、旅行にと積極的に取り組まれる人たちが目立ちます。
 
 そのなかで終活ということがいわれます。
元々は就職活動の就活から派生した言葉ですが、宗教活動の宗活といただきます。
 いよいよいい歳になってこれからのこと、この命終えていきますけれども、
死んだらどうなるのかということを含め、この人生を振り返り生きることの意味を広く宗教に聞いていくということです。
 
 私たちの宗教は仏教、浄土真宗の仏教です。
仏法は聴聞にきわまるといいます。聞けよといいます。何を聞くのか。
阿弥陀さまのご本願のお救いの法、南無阿弥陀仏のお心を聞くといいます。
この私のあり様を聞くということでもあります。
 
 救われようのない凡夫の身を生きる私が救われていくという法です。
そのことを聞かず終いにこの人生を終わったら、これほど空しいことはない、もったいないことはないというお勧めです。
 
 そのことにご縁をいただけるいい年頃が60代70代ということなのでしょう。
ただ60代70代のみんながみんなそういう気持ちになるということではありません。
大方は他のことに気が向くということですが、
今までできなかったなかにお寺参りも入れていただきたいと思います。
 
 仏さまのご縁は私たちの日常生活のなかにもたくさんあります。
皆さんはこうしてお寺参りができていますが、どうぞ皆さんの隣の方、周りの方に声かけをして勧めてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.11)

ご縁つながりいただいてご一緒に

2018-05-10
 昨日子ども会の水曜学校がありました。新年度になり一年生が三人入校しました。
お勤めの様子を後ろから見ていましたが、
一年生が聖典のどこを開いていいか分からないことに気づいた上級生がすっと一年生の横に座って教えていました。
いいなと思いました。
 
 言われなくても子ども同士でできることがすばらしいと思います。上級生はお兄さんです。
ちょっと前までその上のお兄さんから教えてもらったことを今度は教える立場になったということです。
お役が回ってきたのです。
 
 こうした光景を見ながら、私たちのこのご縁はつながってあるんだなと改めて思います。
三人の一年生の一人はお兄ちゃんが一緒に水曜学校に来ているというつながりです。
あとの二人はお父さんが以前水曜学校に来ていたというご縁なのです。
 
 去年は一時水曜学校のお友だちが二人という時期があり、来年になったらどうなるのかと心配していましたが、
今は八人のお友だちが一緒で、ご縁というのは本当に生き生きとはたらいてつながってあるんだなと思います。
 
 ただ何もしなくて人が集まるということではありません。
そこはいつもの時間いつもの場所でということです。
 毎週水曜日の4時から5時まで、円光寺の本堂でと、時間と場所を設定して水曜学校ができるということです。
 
 このお朝事もそうです。毎朝6時半、阿弥陀さまの御尊前で皆さんとお会いして今日もご一緒にお勤めができました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.10)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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