親子のご法事のご縁に遇いました
2018-10-30
昨日50回忌と17回忌のご法事をお勤めさせていただきました。
親と子のご縁です。33年の時間が経っています。過去帳を見せていただいたら同じ70歳前のご往生でした。
およそ30年が一世代ということです。
子どもが親になる。親になって子どもを見ると、子どもの時に見ていた親の苦労が分かるということです。
親というのはどこまでも子どものことを思うて行くものですが
じゃあ私が子どもだった頃親の心が少しでも分かっていたかというと
全くと言っていいほど分かっていなかった、分かろうともせず親に甘えて日暮しをしていた私ではなかったかなと思います。
「親孝行したいときには親はなし」といいます。
恩返しです。恩返ししようにも恩をいただいたその人が亡くなっていたらできないのではありません。
恩送りといいます。その人には直接できなくても周りの有縁の方々に恩返しする恩送りをさせていただくというのです。
私にできる精いっぱいのことをさせていただくことです。
私たちの仏さまのご縁でいうならば、一人でも多くの方にこのお念仏のみ教えを伝えていくということです。
伝えていくというと何か私に力が入りますが
ナンマンダブナンマンダブとお念仏を申す身にこの私がさせていただくことが
そのまんま隣の人有縁の方にその姿が声と共に伝わっていくということで
そのことが先に往かれた仏さまが一番喜ばれることであります。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.30)

仏壇に位牌を並べて置かなくてもいいんですか?
2018-10-29
同じ仏教でも宗派宗派でお仏壇のお飾り(お荘厳)が違います。
「仏壇に位牌を並べて置かなくてもいいんですか?」という質問がありました
浄土真宗のお仏壇には繰り位牌といって何枚か法名を書いた板をまとめたものか過去帳を置いています。
以前は繰り位牌が殆どでしたが、今は何かのご縁に過去帳にしましょうとお勧めしています。
今は余裕があっても何十年か経つと繰り位牌がいっぱいになります。
50回忌が終わったら供養が済んだということで位牌を処分しているお家もあるという話を以前聞いたことがあります。
もったいないというかその位牌一つが一人のご先祖の記録なのです。
ご先祖がいて私のこの命があるということですから
過去帳に順々に書き留めていけばその過去帳は私のいのちの歴史ということにもなるわけです。
あるお家で仏壇に繰り位牌が二つあって見せていただくと、何と江戸時代末期の文久年間のものがありました。
その人に会ったわけでも知ってるわけでも顔も知らない名前も分からない人ですが、私のいのちの大恩人なのです。
それでこのご縁に過去帳にまとめたらどうですかとお話させていただきました。
これって中々思い立つことではありません。
仏事のことは学校では教えてくれないし書店の本には全く正反対のことが書かれていることがあって迷うことにもなります。
えっと疑問に思うことは思ったときにどうぞお寺に私にたずねてください。
それから一つ一つできることをさせていただきましょうとお話させていただいたことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.29)

中陰の間ろうそくやお線香を絶やしたらいけないのですか?
2018-10-28
49日間の中陰の期間お仏壇の横に中陰壇を設けてお遺骨ご遺影そして法名を記した位牌をご安置します。
その中陰壇にはお供えものがいっぱいですが、ろうそくや線香をお供えしているところが多くあります。
昔から言い伝えられていることで、亡くなった方は中陰の間死出の旅をされているというのです。
旅装束をして途中に三途の川があったり渡り銭が六文銭だというお話です。
冥土の旅といいます。冥土とは暗い世界のことです。
暗い中を旅するのに行く先を照らすのがろうそくのお灯りであったり線香が食べ物になったりということで
ろうそくと線香は絶やしてはいけないと言い伝えられてきたのです。
ところが今は核家族でおじいちゃんおばあちゃんの二人住まいが多くなり、一方が亡くなると一人になるのです。
そのお一人も高齢で一人で住むこと生活が中々難しいということで、お家を留守にすることが多くなります。
そこで「家を留守にするときもろうそくや線香を絶やしてはいけないのですか」という質問です。
火の元ですから火事にでもなったら大変です。
家を留守にするときはろうそくのお灯りや線香の火種は必ず消して外出してくださいとお答えしました。
さて浄土真宗のご法義を聞かせていただきますと
お念仏の人は命終の時南無阿弥陀仏のおはたらき一つで阿弥陀さまのお浄土に生まれ仏さまに成らせていただくのです。
お浄土への旅は終わるのです。だから旅装束も六文銭も要らないのです。
お灯りもお線香もお仏壇のなかにお供えすればいいのです。
お仏壇にお参りしお勤めをするときにお供えします。お勤めが済めば消していいのです。
お通夜や中陰の間に仏壇の火の不始末で火災に遭うことが結構あります。
いくら渦巻き状の線香であっても大きな容器に入ったろうそくでも火種がある以上安全安心ではありません。
仏さまのみ教えの骨幹は安心です。不安を取り除いてくださるみ教えおはたらきです。
お家を留守にするときはお仏壇の火の用心もお忘れなくしてください。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.28)

死んだら仏に成るんですか?
2018-10-27
今日お葬式の喪主の息子さんが昨日お寺に来られてお話をするなかで
「父はもう仏さんに成っているんですか?」と言われました。
亡くなった方が仏さまになっているかどうかということです。
死んだら仏という言い方をよく聞きます。
私たちの浄土真宗のご法義でいいますと
親鸞聖人は「念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに臨終の一念の夕べ大般涅槃を超証す」と述べられています。
この命終わる時すぐさま大般涅槃のおさとりを開き仏に成るとのことです。
このことをそのままいえば命終のとき死んだら仏ということです。
ただここに念仏の衆生はとあり、南無阿弥陀仏のおはたらきで命終わるそのまま
阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただき仏に成らせていただくとのことです。
阿弥陀さまは念仏の衆生を摂取して捨てない仏さまになってくださったのです。
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらき一つで念仏の人を救うというのです。
ではお父さんはというと、今までお寺にご縁がなかった、お念仏を申すこともなかっただろうから
命終わってもお浄土に生まれることもないし仏に成っていないのでないかという疑問です。
そこは私たちの人知でもっていろいろ思う詮索することではありません。
私の往生成仏はすべて南無阿弥陀仏のお救いおはたらきを信じまかせるしかないのです。
このたび亡くなられた方もこれまで親戚や友人有縁の方のお葬儀にお参りされることが度々あったと思います。
そういうご縁で仏さまのみ教えをどこかで聞かれていると思います。
そして隣の人周りの方につられてお念仏申すこともあったと思います。
たとえお念仏がこの口から出なくても隣の人周りの方のお念仏の声を聞いていたと思います。
お念仏を聞かせていただくそのまんまのお救いです。
そこまで阿弥陀さまの方で私たちを救う全ての手立てを南無阿弥陀仏に仕上げて私たちにくださってあるのです。
いいところに生まれてほしい仏さまに成ってほしいと思うのは私たち凡夫の情です。
ただここは仏さまのおはたらきにおまかせするということですし
どうぞこれからの仏さまのご縁を大事に仏さまのみ教えをお聴聞してくださいとお話したことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.27)

門徒になること門徒であることの安心
2018-10-26
昨日お葬式のお願いの連絡がありました。
ご門徒さんではありませんが、ご門徒さんの親族のお家の方からです。
ご門徒になっていただいてお葬式をさせていただきますということで
喪主の方にお寺に来ていただいてお話をさせていただきました。
門徒ということの意味です。
門徒とは浄土真宗の門徒ということで「私は浄土真宗の門徒です」と個人のことをいいます。
ところが一般的には「私の家は浄土真宗です」と門徒の家ということでお寺との関係を思ってらっしゃる方が殆どです。
門徒になるということはどういうことなのでしょうか。
浄土真宗のみ教えお念仏のご法義でお寺とお家がつながるということです。
人と人とでいいますとお寺の住職とご門徒個々とのつながり関係であります。
ただ門徒といって日常生活のなかでお寺のことを思うことは中々難しいですね。
自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいの私たちお互いです。
そうしたなかで家族の方がお亡くなりになります。
そのときお葬儀ということでお寺とのつながりができるというのがお寺との関係ということでありましょう。
門徒であることの安心ということを思います。
いつ何時どういうかたちで家族がこの私が命を終わろうとも頼み寺があるということの安心です。
日頃はそんなことをあまり考えていないと思います。
考えなくてもいいぐらいに安心しているといった方がいいと思います。
逆に頼み寺がないと、その時になってどうしようかと迷うことになります。
大きな悲しみのなかに一大事です。
葬儀社に頼んでどこのお寺でもいいお坊さんだったら誰でもいいというわけにはいきません。
その場は何とかできても後々後悔することもあったり不安は残ります。
日頃からお寺と門徒とのつながり関係を皆さんも思うていただきたいのです。
日頃から仏さまのご縁をいただいてほしい、仏さまの教えを聞いていただきたいと思います。
今日お通夜明日お葬式をさせていただくお家のお方も全くご縁がないということではありません。
近いご親族のお葬儀のご縁に遇っていると思います。
どこかで仏さまのみ教えを聞いているのです。聞いているということが凄いことなのです。
どうぞ皆さんのご縁の方隣の方にお勧めしてください。
門徒にならないといけないということではありません。
仏さまのご縁にお参りされて仏さまのお話を聞いておきましょう。ご縁ご縁にお念仏を申しましょう。
そのこと一つが一大事の解決、大安心になるといただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.26)
