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お念仏を申す生活法話

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あなたに会えてよかった

2018-04-28
 昨日は北朝鮮と韓国の南北首脳会談が行われ世界中が注目しました。
生中継の映像を観て肉声を聞いて、皆さんはどう思われましたか。
 
 近くて遠い国といいますが、朝鮮戦争の終結をみず今も休戦状態にある両国の最高指導者が、
昨日38度線という朝鮮半島の南北を分断する境界線を越えて手をつないだということです。
 すぐにでもできそうでできない状態が60年以上も続く異常事態です。
 
 特に今回周知の注目を一身に集めたのが北朝鮮の金委員長の動向です。
3月の中国訪問まで外交舞台に登場することもなく、自国の報道で何度も強面ぶりを観ていましたが、
一体どういう人なのかどういう声をしているのかなど、今まで想像することばかりでわからなかったことが、
生中継で私たちの目や耳に入ってきました。
 笑顔がありました。肉声が聞こえました。私たちと同じ人間なんだと思いました。
 
 今回の首脳会談は、他の国の首脳会談と違い、両国の首脳にしか分からない言葉で行われ通訳がいませんでした。
同じ言語をもつ同じ民族同士だということです。
 遠い昔からずっと一つだった家族が、別れ離れになったという悲しい歴史を背負います。
中々自分たちだけの思い通りにはいかない難しい問題が大きな壁になっています。
 
 今回特に象徴的だったのが、ベンチでの30分の二人っきりの会談です。
何を話したのでしょうか。
 同じ家族という視点で世界情勢や周辺諸国との関係について率直な思いを語り合ったことでしょう。
 
 今回の首脳会談を観て私たちの日常生活を思います。
皆さんの周囲にあの人は何を考えているのかさっぱり分からないと心配になり不安になるような人っていませんか。
この私のことかもしれません。
 そういうなかにお互いに顔を顔を合わせて声を交わします。すると何だか少し安心します。
言葉を通わせお互いの心が通じ合うということです。
 
 ただすぐ問題解決とはならない過去の歴史があります。
双方ともに言い分があります。双方だけで解決できることではありません。
 未来志向といいますが、自分の立場だけを強調すればすぐ行き詰まってしまいます。
ここは双方が交流を重ね人と人とが出会うなかでお互いに理解を深め
一緒にできるところから一つ一つ始めることが大切だと思います。
 時間はかかってもこれからの一歩一歩が本当に重要です。
 
 私たちの仏法でいいますと、仏さまのみ教えはすべての人に平等に開かれてあります。
阿弥陀さまのご本願のお救いは敵味方の区別なく怨憎を超えてすべてのものを等しく救うとおはたらきです。
南無阿弥陀仏の大きな大きなお心を聞かせていただくなかに私たちは生活をさせていただきます。
 
 すぐ隣の人です。すぐ隣の人とお互いに「あなたに会えてよかった」と言える日々の生活でありたいな、
お念仏を申して共々に生きる今日一日でありたいなと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.28)

仏さまのご縁に遇ういい歳になりました。

2018-04-27
 あるご法事で、お参りの方に「何でこんなに法事や葬式は続くのですか」と聞かれました。
今日は父の法事で、2日後には主人と義理の父のま法事が続くといわれます。
3回忌と17回忌で、今日は父の17回忌と、16年前にお葬式が続いたということです。
 また何か続くのかと思うと不安になるといいます。
 
 親族や友人関係で葬儀が続くことがありす。
何でと聞かれて、私たちの生死はたまたまで、いつどこでどのように命終わるのかわかりません。
ただ私の親族にしても友人にしても大体同じ世代で、その親世代も同じような世代です。
 
 お互いいい歳になったということではありませんか。
いつまでも若くて健康ということではありません。
歳を重ねて、老いを実感することが多くなり、病院通いも増えてきました。
縁ある方の葬儀が続き、死を考えることもでてきます。
 不安です。心配です。迷いが生じます。
 
 仏さまのご縁に遇う、いい歳になったといただけたらどうでしょうか。
足腰が悪くなってよう歩けんようになった、目がよく見えんようになった、耳が聞こえんようになったと、よく聞きます。
私自身がそうです。それは長生きをしたという証なのです。
 
 では何でこんなに長生きしたのでしょうか。
仏さまはこういいます。「それはね、仏法を聞くために長生きしたんだよ」って。
 いよいよ仏法を聞かせていただくご縁ができたということです。
若いうちはお寺参りどころじゃなかったですね。一生懸命働いて働いて、家族と一緒に頑張って生きてきましたね。
 
 歳をとって生活に少し余裕がでてきました。
自分の時間ができ趣味に興じたり、今までできなかったいろんなことができるようになりました。
 
 どうかそのなかに仏さまのご縁をいただいてください。
仏法を聞いてくれよ、お念仏を申す身になってくれよと
ご法事を迎えられたご先祖の仏さまが願ってらっしゃいます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.27)

七回忌のご法事のご縁で

2018-04-26
 昨日七回忌のご法事にお参りしました。
七回忌というと往生されて六年というご縁です。
 こういう譬えでお話をします。
六年経つということは小学校に入学した子どもが卒業するということです。
子どもは見るからに成長します。背は高くなり体重も増えて高学年にもなるとちょっと大人びてもきます。
身体も成長しますが、学校でいろんなことを学び友だち関係も広がり社会的なことも学んで心も成長していきます。
 
 昨日の法事はお母さんのご縁で70歳前後の子どもさんたちがお参りでした。
私たちとほぼ同世代で、六年経ったということは六つ歳をとったということです。
老いていきます、病気になることも多く、今までできていたことができなくなります。
 六年経って子どもの頃のように見るからに成長するということではありません。
では心はどうかといいますと、成熟といわれるように
歳を重ね人生経験を積むなかで心豊かに日暮しできればいいのでしょうが、
歳を重ねるほどに思い通りにならない現実に、心を固く閉ざすようなこともでてきます。
 それでは何とももったいない。歳をとっても楽しく朗らかに生きたいものです。
 
 そういうなかでご法事という仏さまのご縁をいただきます。仏さまの教えに遇わせていただきます。
仏さまはの教えをいただけば柔軟心といって、頑なな心が柔らかくなるといいます。
仏さまは私たちの心を耕してくださり、私たちは心豊かに生きることができるというのです。
 
 「渋柿の渋がそのまま甘さかな」といううたがあります。
秋の頃渋柿を縁側につるしておくと、陽や風の具合で、渋がそのまま甘くなるというのです。
甘くしてくださるおはたらきです。
 
 頑なな心をそのまま柔らかしくしてくださる仏さまのおはたらきといただきます。
仏法に遇ってくれよ、お念仏申す身になってくれよと願い、
先に往かれた仏さまが私たちにご法事をいう仏さまのご縁をつくってくださいました。
 
 人の命を終えて6年ですが、この間もずっと仏さまと成って私と共に生きてくださったのです。
お仏壇にお参りして仏さまにこれまでの奉告と御礼のお念仏を申しましょう。
 
 次のご法事のご縁は十三回忌です。6年後になります。
また6つ歳を重ねてお母さんの仏さまから「いい歳をとったね」と言われるように
日々お念仏申して生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.26)

衣笠祥雄さん

2018-04-25
 朝が本当に明るくなりました。
昨日は久しぶりに大きな雨になり、雨を待っていた人にはいい雨になりました。
 気持ちのいい朝です。光あふれるなかに皆さんとお朝事のご縁をいただけることを本当に有難く思います。
 
 プロ野球元広島カープの衣笠祥雄選手が一昨日お亡くなりになりました。
昨日はテレビのトップニュースで往年の活躍ぶりや人となりが紹介されていました。
 
 衣笠さんの愛称は鉄人です。
広島に捕手で入団した時の背番号が28番で、鉄人28号に重ねていわれますが、
その鉄人ぶりは2215試合連続出場の日本プロ野球記録が物語っています。
17年ほど毎試合出場することですが、強靭な身体と一流の技量をもった第一線の選手であり続けるということの証です。
 
 多くの逸話のなかで、連続試合出場の最大の危機が語られていました。
衣笠選手は常に投手に向っていく打法で死球が多かったのですが、
巨人戦でエースの一人西本投手から死球を受けて全治二週間の骨折をします。
連続試合出場が危ぶまれましたが、何と次の日の試合にピンチヒッターで出場したのです。
 
 骨折してバットを振ることさえできないのではと「記録のためだけに試合に出るのか」という心ないヤジがとぶなかで
巨人のもう一人のエース江川投手に真正面から立ち向い、三球ともフルスイングの空振りで三振にたおれます。
 試合後のコメントです。「一球目はフアンのため、二球目は自分のため、最後の一球は西本君のため」と。いいですね。
西本投手は死球をぶつけられ骨折を負わせられた張本人、それこそ憎き敵ですよ。
死球ギリギリの内角攻めの投法で活躍する西本投手の今後を思い量っての衣笠さん一流のコメントです。
 
 この衣笠さん、何度も何度も死球を受けても、相手の投手をにらみ返すこともなく何事もなかったかのように、
ある時は殺気立つ味方ベンチをなだめるように一塁ベースに向ったといいます。
 あの世界の王さんが「野球は敵味方の闘いだが、衣笠さんには敵味方を超えた不思議なものを感じた」と述懐しています。
 
 衣笠さんは野球の名門京都の平安高校の出身です。今は龍谷大平安といいます。
私たちのご本山西本願寺の宗門校で、西本願寺のすぐ近くにあります。
 この平安高校野球部は試合前ベンチ前に監督はじめベンチの全員が整列してグランドに向って合掌します。
試合が終わってまた同じように合掌します。
 衣笠さんは学校で仏教を学ぶことがあったと思います。仏さまのお心、合掌の心です。
すべてのいのちを尊ぶ心、相手を思いやる心です。
 
 野球は一人ではできません。チームワークが大切です。相手チームがいないと試合になりません。
私は一人では生きてはいけません。私たちがつくる社会のなかで、互いに支え合い助け合って生かされて生きています。
自分さえよかったらいいではありません。周囲の人を思いやって生きていくことが大切なのです。
 
 ただどこまでも私が私がと自分を中心に生きる私ですから、周囲の人とぶつかることもでてきます。
そして迷うことにもなります。周囲のことを思い量って自分の思いを仕舞い込むこともあります。
 衣笠さんは「迷ったら帰るところがあるから個性を輝かせて生きることができた」と言われます。
個性を生かすとは、私たち一人一人が自分らしく生きるということです。
 衣笠さんは野球選手として基本に帰ることが大事だといいます。
キャッチボールであったり素振りであったりということです。
 
 私たちが帰るところです。私たちの中心です。ご本尊の阿弥陀如来さま、南無阿弥陀仏の仏さまです。
阿弥陀さまのお浄土に帰らせていただきます。
 南無阿弥陀仏とお念仏申すということです。
「私がいるよ大丈夫だよ、我にまかせよ必ず救う」の南無阿弥陀仏のおよび声に、
「はい。おまかせします阿弥陀さま」と帰らせていただくなかに
私は私でよかったと、自分らしくいのち輝かせて生きることができるとまたあらためて思わせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.25)

ものの見方いろいろ

2018-04-24
 昨日NHKの「クローズアップ現代+」で小学校での道徳の教科化が取り上げられていました。
 
 道徳の時間は今までもありましたが、今年から道徳が正式な教科になって
国語算数理科社会と同じように子どもたちが評価されることになったといいます。
 私たちの頃は通知表で5段階の評価でしたが、今の教科の評価は大分違っています。
ただこの道徳の評価はその人の価値観ものの見方考え方を評価するということで、
ちょっと間違うと一つのものの見方考え方に落とし込む危険性がずっと指摘されてきました。
 
 今は価値観が多様化する社会で、一つのものごとを見るにもいろんな見方があるということです。
ただ自分中心のそれぞれバラバラのものの見方では社会全体がぎくしゃくしたものになってしまうこともあり、
社会全体で共有できるものの見方価値観をお互いに確認していくということで、
昨日の番組では学校現場での二つのテーマについての授業が公開されました。
 
 テーマにはそれぞれねらいがあって、先生もこういう方向で授業を進めたいと思い、
大方の生徒が先生の意図する意見を発表するなかで、一人の生徒が異なる意見を発表したのです。
 その時の他の子どもたちの「えっそんなこと考えてるの」「それは違うんじゃないの」というような反応に
その子が涙を流すんです。
 そこは先生がその子に寄り添ってフォローしましたが、その子の意見も聞けばなるほどと分かるんですね。
 
 いろんな見方があるということです。
そのテーマの意図するところを皆で確認することも大事ですが、
もう一つ大事なことは少数意見を大切にしていくということです。
 自分の意見とは違う、こんな意見もある、ものの見方もあるということを知ること、学ぶことです。
そうした意見に耳を傾け尊重していく姿勢が本当に大事になってきます。
 多数意見に飲み込まれて、自分の意見が言えないようになると、異論を拝する空気にもなってしまいます。
 
 そういう観点からも仏法という仏さまのものの見方考え方を子どもたちにぜひ聞いてほしいと思います。
学校では教えてくれないのでしょうか。
 お寺で皆さんのお家のお仏壇の前で仏さまのお話をさせていただきたいものです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.24)
円光寺
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