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お念仏を申す生活法話

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お念仏申して一つになれる

2018-06-11
 昨日は朝から仏教壮年会の例会、午前中は玖珠の光林寺さんの仏教婦人会の皆さんがお寺にお参りになりました。
お昼からは円光寺の長期振興計画の説明会を二区と四区でもちました。
 
 昨日は述べ約90人の方とお会いしたということです。
それぞれの皆さんです。
 玖珠の方は初めてお会いした人が殆どです。ご門徒の方でも久しぶりにお会いした人もいらっしゃいました。
いつものお同行という皆さんもいらっしゃいました。
 
 そういうなかであらためて思うのは、初めてお会いをするという方もつながってあるということです。
もっというと、皆さんお念仏のお仲間、お友だちという言い方ができるのです。
 
 遠見公民館での四区の説明会ではご本尊の阿弥陀さまをお供しました。
会の初めに合掌礼拝お念仏申し、閉会にもまた合掌礼拝お念仏申して終わりました。
 南無阿弥陀仏でつながっているのです。
ここは大事なことで、それこそ90人いますとみんなそれぞれ顔が違います。生活ぶりが違います。
昨日の説明会でいったらいろんな意見がでます。皆さんそれぞれものの見方考え方が違うんです。
 でもそういう違いをこえて一つになれるという世界をいただくのが私たちのご法義なのです。
本当にすごいこと、有難いことだと思います。
 
 逆に私が私がといってどこまでも自分を中心に生きていたらそれこそ最後は独りぼっちです。
ただ私たちは経験値といって、これまで積み重ねてきたいろんな経験をもとに
周りの人に付いたり離れたりしながらああやこうやとやってきているわけですが
一つまかせる依りどころをいただくことの大事さがここにあると思います。
 
 ナンマンダブツ、お念仏を申すというなかに私たちは一つになれるのです。
初めて会った人も一つになれる。いやもう既に一つにつながっていたということなのです。
 
 このお朝事のご縁です。お念仏申して一つになってそれぞれの生活を始めさせていただきます。
お念仏申す生活です。今日は月曜日、新たな一週間を始めさせていただましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.11)

阿弥陀さまに安心します

2018-06-10
 今日は仏教壮年会の皆さんには朝早くから境内の掃除とこの後庭木の剪定をしていただきます。
よろしくお願いいたします。
 
 今日は日曜日ということもあっていろんな行事があります。
一つは玖珠のお寺の仏教婦人会の皆さんが20人ほど研修旅行でお参りされます。
 
 境内の清掃をしてくださってよかったです。
皆さんのお家でもお客さんがみえる時はきれいにお掃除しますよね。
きれいにしていないと、この家はこのお寺は何だと思われたら嫌ですね。
 円光寺さんに行ったらいつもきれいにしていると言ってもらえる思ってもらえるといいですね。
 
 そして午後からは先週も行いましたが、このたびの長期振興計画の説明会を二区と四区でさせていただきます。
 
 本当にこのお寺はご門徒皆さんのお寺であるということを思います。
一人の住職一人の坊守でできることは本当に限られています。
そのお役目お役目は色々皆さんそれぞれありますが
皆さんのお寺への思いを一つ処に寄せていただくことができるのがお寺ということです。
 お寺の中心ご本尊の阿弥陀さまのご縁につながった私たちなのです。
 
 今日玖珠から初めてお参りされる方は、円光寺ってどんなお寺かなと楽しみにして来られるのではないでしょうか。
どんなお寺の建物かなどんな雰囲気のお寺かなということです。
 
 私たちも他のお寺に初めてお参りするときはそんなことを思います。
どんなご院家さんかなどんな坊守さんかなということもあります。少し不安なこともあります。
 お参りしてみて思うことです。それぞれお寺の営みお寺の姿かたちは違いますが
本堂に入ってみたらほっと安心します。
 どのお寺の本堂にもまん真中に阿弥陀さまがいらっしゃるということです。
何か当たり前のようですけれども、阿弥陀さまがいらっしゃるというなかに安心できるのです。
 
 先ほど拝読の御文章さまのなかに「安心とは安き心とよめるなり」とありました。
阿弥陀さまのまことの心、信心をいただいて心やすらぐ、安心できるのです。
 
 それは皆さんのお家ではお仏壇というところです。
お仏壇の前に身をおく、座らさせていただけるのです。
 日々の生活のなかで色んなことがあるけれども
安心してナンマンダブツ、お念仏を申して生きて往ける今日の一日をまたそれぞれ送らせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.10)

仏さまのご縁に身をおきお聴聞させていただく

2018-06-09
 浄土真宗の仏道はこれこれ修行をしなさいとはいいません。
阿弥陀さまのお救いには条件がないといいます。
ただそのお救いを知ることがなければ救われているという気づきもありません。
 お聴聞が大事だよといわれます。阿弥陀さまのお救いを聞かせていただくのです。
南無阿弥陀仏のお心です。何で阿弥陀さまはご本願を建てられたのか、そのいわれをたずねていくといいます。
 
 お寺でご法話を何度も聞かせていただきます。
そのまま聞きなさいといわれますが、私たちは素直に聞くということが難しいです。
 
 今日の御和讃に「善知識にあうことも 教うることもまた難し
よく聞くことも難ければ 信ずることもなお難し」とありました。
 
 お聴聞というけれども聞くことは難しいといいます。
素直に聞くことを邪魔するものがあるといわれます。
何が邪魔をしているのか、他の人が邪魔をしているのではなくて、私がという我執が邪魔をするというのです。
私がととらわれはからう心が邪魔をしてそのまま素直に聞けない
私の都合に合わせて聞くというのが、どうも私が聞くということの正体のようです。
 
 世間の話を聞くこともそうです。
自分を中心に自分に関心があること、例えば健康のこととか料理や旅行、趣味のこととか金儲けのこととか
そういう話はすーっと聞こうとします。
 ただ仏法を聞く、仏さまの教えを聞かせていただくことは難しい、難中の難です。
仏さまの教えって私には関係ないことなのでしょうか。歳をとってからの話、死んでからの話でしょうか。
 
 今ここ仏さまの御前にお座りの皆さんはもう既に仏法聴聞のご縁に遇われています。
身をおくということです。御仏前に身をおきそのまま聞かせていただくのが、信心です。
 信心をいただくといいます。
阿弥陀さまのまことの心をそのままいただいて私たちの往生が決まる、いや決めてくださってあるのです。
 
 聞くということは難しいことですが、仏さまのご縁に身を寄せ身をおくなかに
どうぞお念仏を申して今日も阿弥陀さまのおよび声を聞かせていただく一日でありたいと思います
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.9)

お寺の研修会~貧困の克服に向けて

2018-06-08
 昨日は別府の別院で大分教区のお寺の研修会がありました。
お寺といえば法話会ですが、このたびは研修会です。
 
 今私たちの宗門では御同朋の社会をめざす運動(実践運動)を推進しています。
阿弥陀さまの本願念仏のみ教えに共に生きる私たちが
現実社会の課題に向き合うなかでお念仏のみ教えを伝えていきましょうという取り組みです。
 
 7年目に入って、今年から重点プロジェクトの目標を「貧困の克服に向けて」とすることについて
宗門内の全教区のお寺、門信徒僧侶に周知するための研修会です。
 
 今は格差社会といい貧困問題は重大な社会問題の一つです。
特に子どもの貧困は深刻です。
 子ども7人のうち一人の割合で、家庭の事情で十分に毎日の食事ができていないとか
孤食といって子どもが一人で食事をするといった実態がたくさん報告されています。
 
 そうしたなかで今子ども食堂が全国的に展開され大分県内でもこの鶴崎でもしていると聞きますが
お寺という場所を開いて子ども食堂をしませんかという一つの提案がありました。
 
 参加者の殆どがお寺の住職さんでしたが、いろんな意見がでました。
象徴的な意見として、貧困といってお寺もまた貧困問題を抱えているということです。
 特に過疎地にあるお寺は門徒も減り住職は一般の仕事に就いて
法事などの法務を土曜日曜とか仕事が休みの日に合わせているということで
現状のお寺の護持で精いっぱいで余裕がないとの声です。
 お寺で子ども食堂などの取り組みができるのはよほど恵まれたお寺であり
お寺の格差があるなかでお寺の現実に向き合い寄り添ってほしいという意見です。
 
 みんなで一緒にということは中々難しいけれども、その思いを共有することは大事なことです。
一つの思いをもって私に何ができるのかということです。
 例えば円光寺でできることです。住職坊守というお寺のものだけでできることは一つもありません。
ご門徒皆さんのご加勢お手伝いがあって初めてできることです。
それも皆さんが一つ思いをもってということです。この一つ思いが大事なのです。
 
 南無阿弥陀仏のお救いの法、お念仏につながった私たちです。
一人でも多くの方にこのお念仏のご縁を届けていくということを心に入れて
そして思いのある方時間の許せる方が集まって何かをしましょうということでないと
ただ子ども食堂をしましょうしましたでは、私は善いことをしてます、あれもしてますこれもしてますと
私はということになると、これはちょっと違うなということです。
 
 みんなで一緒に取り組んでいきましょうということは今は本当に難しいです。
やはり思いのある方が一つ一つ実践していくなかに
それを見た方知った方が「ああいいことやなあ。私も一緒に参加しよう」と
みんなで一緒にやっていこうという取り組みができたらと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.8)

誰もいなくなったお家のお仏壇のお給仕

2018-06-07
 昨日電話で、ご門徒の一人暮らしのおばあちゃんが入院されたということで
これからのお寺との連絡をどのようにしたらいいですかという問い合わせがありました。
 今後はお電話された息子さんに直接ご連絡させていただきますとこたえました。
 
 昨年から3軒ほどお家のお仏壇を守ってきた一人暮らしのおばあちゃんが体調を悪くして
子どもさんのところにいったりとか病院や施設に入ったりとかいうことが増えてきました。
これからもこんなケースが増えてくると思います。
 
 お仏壇のお守りといいます。お家のお仏壇はそこに住まいするお家の方が日々のお給仕といって
お仏飯をあげたりお花をかえたりお灯明をあげたり線香をたいたりということをされていると思います。
 
 ではそのお家に住む人がいなくなったらお仏壇はどうなるのでしょうか。
そのまま放っておいたら埃をかぶってしまいます。もったいないことです。
 ご親族なりご縁の方が先に往かれた方の命日なり日を決めてお掃除をしてお給仕をしていただければと思います。
お電話で「お盆にお参りしてくれますか」と尋ねられ「申し込んでいただけれがいつでもお参りします」とこたえました。
お参りに来ていただくということは、お家もお仏壇もきれいになるということにつながります。
 
 段々とご門徒さんとのつながりが薄くなってまいります。
ご法事のご縁も何年に一度ということで、その間にも親族の方が亡くなられてお参りの方々も変わってきます。
お盆参りは一年一度のご縁です。
 月に一度の月参りのご縁の有難さを思います。
 
 人と人とのつながりといいますが
私たちはお仏壇、ご本尊の阿弥陀さまによってつながってあるということです。
 ただそのつながりもお仏壇のお給仕をする人守る人がいなくなったら薄くなります、なくなってしまうことにもなります。
 
 私たちはいつまでもずっと元気でいたいと思いますが、ままなりません。変わっていきます。
あまり考えたくないことですが、私が今できていることができなくなったときのことを考え
これからどうしていくのか家族や親族で相談しておくことが大事になってきます。
 
 お寺のこと仏さまのことは住職に相談してください。
私たちは変わっても阿弥陀さまのご法義は変わりません。
 お互いにご法義を聞かせていただくなかに、私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.7)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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