昭和44年、49年前の私を思います
昨日は大海組内の親戚寺院のご法事にお参りしました。
お勤めの後のお斎の席で、昭和44年にそのお寺で勤まった法要の集合写真の話題になりました。
今から49年前のことです。大海組の法中方も七條袈裟をつけて写っていました。
父もいました。44歳の時です。
当時は政治の世界にあって県会議員の一期目で次の二期三期もと周囲の期待もあって
まさに飛ぶ鳥を落とすような絶頂期の頃です。
実のところ次の二期目の選挙で落選することになります。
それで父の政治に対するけじめがついたのではないかと思います。
お寺の事業に精を出します。庫裡そして本堂を当時は珍しい鉄筋コンクリート建てで新築しました。
そして新築なった本堂で昭和52年からずっと毎朝6時半のお朝事を勤めてきました。
これまでの人生を振り返り大きな転機になる時代でした。
昭和44年私は17歳の高校2年生でした。あの頃の生活を思い起こします。
その時父はどのように私を見ていたのかなとまた思います。
写真に写った顔の表情からその人人の生活ぶりをちょっと勝手に想像します。
幸せいっぱいの時だったかもしれません。大きな苦しみ悩みを抱えていたのかもしれません。
ただ皆さんお念仏のご縁つながりのなかに生かされて生きていたということです。
大方皆さんは同年輩の40代50代といった年齢ですが、写真では随分お年寄りのように見えました。
それは見る人の見方で、私たちも50年後には「えらい老けてるな」と見られるのでしょう。
昨日のご法事のご縁でも思うことですが
ご先祖からのいのちの歴史お家の営みのなかに今こうして私があることをあらためて思います。
そうしてこの私が円光寺の本堂の御仏前に座ってお勤めができるということを
有難いご縁だな思ってまた今日の一日を日暮しさせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.3)

お仏飯をお供えして仏さまとご一緒にお食事しましょう
2018-11-03
何か朝方一気に秋が来たようにちょっと身震いするような寒ささえ感じます。
こうして朝起きて皆さんもそれぞれ朝の日課があると思います。
このお朝事のお勤めは私たちの日課の最たるものだといただきます。
朝起きて6時の鐘をつく前にお仏飯を仏さまにお供えさせていただきます。
仏さまにご飯を差し上げるのです。仏さまとご一緒に食事をさせていただくのです。
食事をするということは仏法聴聞、仏さまのみ教えを聞かせていただくことだと教えていただいたことです。
ご飯を毎日食べないとこの身体はやせ細ってずっと食べないと死んでしまいます。
仏法も同じように日々聞かせていただくことが肝要だよというのです。
聞くことをやめたらそれこそ死にますよ、それぐらい仏法聴聞は大切なことなのですよと教えてくださっているのが
日々お仏飯を仏さまにお供えすることではないかなといただきます。
食べるということは一方では欲です。
次から次とこの身にあふれる欲の心は仏さまからいうと煩悩の最たるもので私たちの苦しみ悩みの原因です。
お経さまに少欲知足という言葉があります。欲は少なく足ることを知るということです。
欲をはるのではなくほどほどにということですが、中々そうはいきません。
好きなものはそれこそ貪欲に目いっぱい欲しがる、いただく食べるということですが
嫌いなものは食べ残しぷっと捨ててしまうのも私たちのあり様です。
そういう私たちにいただけよいただけよ信心いただけよと仏法聴聞を勧めてくださる仏さまです。
阿弥陀さまの必ず救うまかせよの南無阿弥陀仏のお心をいっぱいいただいて
ナンマンダブツとお念仏を申す今日の一日でありたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.3)

さんと呼びますか、君ですか、それとも……
2018-11-02
今国会が開催中で昨日は衆議院の予算委員会がテレビで中継されていました。
委員長の野田聖子さんが発言する委員や答弁する大臣を「○○さん」とさん付で呼んだことが
今朝の新聞各紙で取り上げられていました。
思い出すのは1993年といいますからもう25年前のことですが
当時女性初の衆議院議長になった土井たか子さんが国会議員をさん付で呼んだことが大きな話題になりました。
それまでは男性も女性も「○○君」でした。
何か新鮮な感じがして国会のあり方も新しく変わるのかなという期待もあったのですが
土井議長が替わるとまた元のようにずっと「○○君」のままでした。
これまでの慣例とはいえ男の人も女の人も君付けで呼ぶことに何か違和感をもつ人もあったと思いますが
それをみんな等しくさん付けで呼んだのです。
一般に男女の別なくさん付けで呼ぶのは自然な言い方ということで、さん付で呼びましたと野田さんは言っています。
あらためて皆さんだったら相手の方をどう呼びますか。
人人によってその呼び方は違うと思います。
昔からの旧知の人仲のよい気心が知れた人には「〇○ちゃん」と愛称で呼んだり呼び捨てにしたりということですが
公衆の面前でどう呼ぶかというと、ちょっと考えますよね。
通常○○君と呼ぶのは自分より年齢が若い人に対してのようです。先輩に君付で呼ぶことはとてもできません。
そこは○○さんであったり、ちょっと肩書きがつく人になると○○先生になったりします。
一般的には○○さんが自然で無難なような気がします。
浄土真宗のお寺の住職はご院家さんと呼ばれます。
坊守さん、新院さんと、さん付で呼ばれると何か親近感をおぼえます。
先生と呼ばれることもありますが、何か違う世界にいるように勘違いしたりするようなこともあるのではないでしょうか。
今回女性が女性の見方で国会議員の先生方を等しくさん付で呼ぶことの大きな意味を思います。
ただ25年経ってもこうした同じことが話題になるということ、25年経っても女性議員が少ない女性大臣が一人だけという
日本の政界の現実を見るにつけ、私たちのお寺の社会のなかにもまだまだ男女の格差があるように思います。
あらゆるいのちを分け隔てなく救う阿弥陀さまのご本願のお心にまた聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.2)

前住職祥月命日のご縁です
2018-11-01
今日11月1日は昭然前住職の祥月のお命日です。
いつもお話していることですが、19年前の今日ちょうどお朝事の喚鐘を打ち終わった頃に亡くなったとの連絡が入りました。
先ほど喚鐘を打ちながら19年前もこういう空だったかなこういう空気だったかな寒さだったかなと思いました。
何年経っても年に一度の祥月命日は特別な日としてこれからも当時のことをいろいろと思い起こすことだと思います。
こうしてお朝事のお勤めを皆さんと共々に毎日ずっとさせていただいております。
念仏相続、念仏を続けるということですが、これは私が続けようと続けようと思って続いているお念仏ではありません。
阿弥陀さまのおはたらき「念仏申せよ、念仏申してくれよ」の南無阿弥陀仏のおよび声につられて
私の口からお念仏が出てくださるということであります。
念仏相続させていただくなかにお念仏の先人がいたということです。
今日のご縁でいうと前住職ですが、前々住職も前々坊守もこのお寺を護ってくださったご門徒衆皆さんのおかげご縁で
今こうしてこの御仏前に座ることができてご一緒にお勤めができてご一緒に手が合わさって
ご一緒にお念仏申して阿弥陀さまに御礼ができたということであります。
今日は10時から祥月命日のご法座のお勤めをさせていただきます。
どうぞご縁の方お誘いあわせお参りください。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.1)

ハロウィーン
2018-10-31
今日はハロウィーンの日だそうです。
アメリカから入ってきた風習で近年はこの時期仮装したりして楽しむ人が日本でも急増しています。
昨日偶々聞いたおじさんたちの会話です。
何でもかんでもハロウィーンとかいって騒いでいるが、何のことかさっぱりわからん
かぼちゃのお化けとかいうが、冬至にかぼちゃを食べる習慣だったらわかるんだが・・・
本来は米英社会での悪霊を退治し秋の収穫を祝う宗教的な行事に起源があるとのことです。
子どもたちが仮装して各お家を回り「お菓子をくれないといたずらするぞ」と言ってお菓子をもらう習慣もあるそうです。
日本のおせったいを思い起こします。
日本各地に伝わる弘法大師信仰をもとに、弘法さんのお木像をご安置してその功徳にみんなで感謝する民間の宗教行事です。子どもたちに広く声かけをして弘法さんに手を合わせお礼をして
お供えしたお菓子のおさがりをいただくという風習です。
先週土曜日に東京の新宿で大勢の人が集まり大きなニュースになりました。
ハロウィーンということで若い人を中心に仮装した人もいましたが
大勢の方が集まりお酒を飲んで騒ぎ立て群集心理も手伝ってトラックを倒すなどしてまた大騒ぎをするといった具合です。
商店街の人は迷惑千万と憤慨しています。
人がたくさん集まることで商売にとっては書き入れ時ですが
31日はお店を早く締めシャッターを閉めて安全対策を講じますと言われます。
本来は皆が一緒に楽しむことが、被害を蒙る方がいるのです。被害を及ぼす習慣ってよくありません。
ハロウィーンの元々の意味を訪ねていくなかに日本的なハロウィーンが出来ればと思いますし
私たちの仏事、仏教に関するいろんな風習言い伝えにも大事な意味があることを訪ねていくなかに
先人の心もちを受け入れ聞いて次代の人に伝えていくという私たちの使命をまた思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.31)
