お寺でお勤めさせていただくお葬式
昨日はお寺の坊守さんのお葬式にお参りしました。
お寺の本堂でのお勤めで本堂をお荘厳されますが、昨日のお葬式のお荘厳は極めてシンプルでした。
お寺のお葬式でも今はお内陣にお花をいっぱいお飾りします。別に決まりがあるわけではありません。
ところが昨日はお内陣に一切そうしたお花はありませんでした。
日頃のお内陣の様子とは違いますが、お内陣は阿弥陀さまのお浄土の世界を表します。
そしてご遺体やご遺影、法名が書かれたものはすべて外の外陣にお飾りされてありました。
きれいにお荘厳された葬場で
悲しみのなかにあるご遺族ご親族有縁の方が集まり、お坊さんが出仕してお勤めをさせていただきです。
今一般のお葬式は家族葬と言われるようなお葬式になってきました。
そのお家お家のご事情もあってどれが善い悪いということではありません。
大事なことは仏式のお葬儀ということです。
法名をいただいて仏教徒としてお葬式をさせていただくのです。
まん真ん中にお立ちのご本尊の仏さま阿弥陀ほとけさまを中心としたご縁に遇わせていただくということです。
ご遺族ご親族がいて日頃からご縁のあった皆さん、お寺でいったらご門徒さんがお参りして
ご一緒にお勤めさせていただきナンマンダブツとお念仏申してお浄土にお見送りさせていただきます。
これが浄土真宗のお葬儀の基本です。
ところがそこにいろんな人ひとの思いが入ってきます。はからいです。
そういうものもあってもいいと思いますが
大事なことは阿弥陀さまのご本願「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のご縁に遇わせていただくことです。
悲しいご縁ですがそのまま仏さまのご縁といただいて
ナンマンダブツと共々にお念仏を申させていただけるお葬儀のご縁です。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.25)

仏さまと菩薩さまのおすがたの違い?
浄土真宗の本堂のお内陣は阿弥陀さまのお浄土のすがたを表します。
お浄土には阿弥陀如来さまがましまして今現在お説法をされているとお経さま(仏説阿弥陀経)に説かれています。
阿弥陀さまのおさとりの世界です。
本堂お内陣のまん真ん中に阿弥陀如来さまをご安置させていただきます。
浄土真宗の御本尊の仏さまです。
皆さんのお家のお仏壇も同じです。
そのおすがたはお木像、ご絵像そして南無阿弥陀仏のお名号と違いますが、同じ御本尊の仏さまです。
そしてお寺のお内陣もお家のお仏壇も向かって右側に親鸞さま左側に蓮如さまの絵のおすがたをご安置しています。
本堂のお内陣には向かって右余間に聖徳太子さま、左余間に七高僧さまの絵のおすがたもご安置しています。
阿弥陀さまという仏さまとその他の聖人菩薩さまを一緒にご安置していますが
仏さまと菩薩さまとではお徳はたらきが違うのです。
仏さまはすでにおさとりを開かれたお方です。
一方菩薩さまは菩提心というおさとりを開こうとする心を起こしてまさに仏道修行されているお方なのです。
その違いがおすがたそのものに表れています。
阿弥陀さま以外のお方は皆さん僧衣をまとい念珠や払子といった法具をもっています。
一方阿弥陀さまは何ももっていません。僧衣もつけず裸同然のおすがたです。
ここに仏さまと菩薩さまの違いがあるのです。
つまりは菩薩さまはまだおさとりを開かれていない方ではからいがあるというのです。
そのはからいが一つ形となって身につけるものになっているといいます。
阿弥陀仏さまは光の仏さまです。
おすがたそのままが光輝く光の仏さまになってくださってあるのです。
そのまま救うそのまま来いよそのまま抱き取るからと南無阿弥陀仏のおよび声になった仏さまなのです。
今日も皆さんのところに至り届き皆さんの口からお念仏となって出てくださってあるのです。
そういうお心もちでお寺にお仏壇にお参りして阿弥陀仏さまにお礼をさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.13)

本堂のお写真のお念仏の先人たち
昨日お葬式がありまして、いつものように火葬場から直接お遺骨をもたれてお寺にお参りに来ていただきました。
20人ばかりの方がお参りでしたが、殆どの方が初めてお寺にお参りされるということで
本堂に入ってしばらく珍しそうに辺りを見回し平成元年即如ご門主(当時)御巡教のときの記念写真を見つけて
「○○じいがおる」と写真に知り合いを見つけて何人かの方が見入っていました。
お勤めの後で本堂にかけてある別の写真を紹介して亡くなったお母さんが写っていますよと言いました。
平成16年に念仏奉仕団でご本山に一緒にお参りされ帰敬式を受けられ法名をいただいたというお話をしました。
お葬式には白木の位牌に「法名釋○○」と書かしていただきますが
生前に法名をいただいていない方にはお名前の一字をいただく場合が多くあります。
ところがご本山でいただくとその通りにはいきません。
昨日のご遺族ご親族もちょっと不審に思われたのではないかな思って
これこれこういう尊いご縁があってご本山にお参りしご門主さまから法名をいただいたんですよとお話したことです。
さっそく皆さん写真を見られて「ああ母ちゃんや」と喪主の息子さんが声をあげられました。
こうしたお同行の写真も仏さまのご縁になっていいなと思います。
平成元年の写真の殆どの方はすでにご往生されています。
でもいつもこの本堂のご縁にあってお参りの私たちを見守って仏さまのおはたらきをしてくださってあるんだなと
昨日のご縁のなかでまた有難く思ったことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.16)

信心喜べない私をこそ必ず救うと阿弥陀ほとけはおはたらきです
今日の御文章さまのなかに「聞其名号信心歓喜」という御文をいただきました。
阿弥陀さまのご本願、第18願成就文のお言葉です。
其の名号を聞きて信心歓喜すといへり。
その名号とは南無阿弥陀仏のことです。
南無阿弥陀仏のいわれを聞いて信心歓喜です。
信心をいただくといいます。
そのいただく信心は私が起こす信心ではなく
南無阿弥陀仏の阿弥陀さまのご本願のお心そのままを聞かせていただくのです。
歓喜とは二つの文字ともよろこぶということで
親鸞聖人は歓とは身をよろこばす喜とは心をよろこばすといただかれ
信心をいただきお念仏よろこび申す生活をさせていただきましょとお勧めですが
信心歓喜と中々いただかれない私がいます。
歎異抄に「念仏していても身にも心にも喜びがわいてきません。急いで浄土に往きたいとも思いません」と
唯円房が親鸞聖人にたずねられたといいます。
阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただけると聞かせていただいても
この娑婆の世界を離れて早くお浄土に生まれたいとも思わないというのです。
そのとき親鸞聖人から「何を今まで聞いてきたのか。そんなことではお浄土に往生することもおぼつかない。
もっと聞きなさい、お念仏申しなさい」とお叱りを受けるかと思ったら
親鸞さまは「唯円坊もそうだったか、実は私もそうなんだ」と言われたといいます。
身にも心にも喜べないのは煩悩のせいだと言われ、煩悩の身をかかえ苦悩の日々をおくる私だからこその
阿弥陀さまのご本願「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のおはたらきだとお示しになられたのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.12)

感謝の気持ちは現在進行形です
昨日レスリングの吉田沙保里さんの引退会見がありました。
前々日にネットで17個のメダルの写真とともに引退表明をしていましたが
会見で17個のメダルのなかでどのメダルが一番印象に残っていますかと質問がありました。
しばらく考えてから「どのメダルにも思い出がありますが、リオ五輪のメダルです」とこたえられました。
オリンピックと世界選手権で獲得したメダル17個のうち唯一銀メダルに終わった試合です。
そして「あのリオ五輪が私を本当に成長させてくれました」と言われました。
いつも金メダルで表彰台の一番頂点に立つことばかりだったのが、リオ五輪では一段下の台に立ったのです。
「負ける者の気持ち悔しさ色んなことを思いました」と続け
「そういう一緒に戦う仲間がいたから頑張れてこれたし仲間がいたから成長することができた」と
感謝の気持ちを本当に素直に言葉にされていました。
恩師のパラハラ騒動がありました。この質問もあるなと覚悟の上だったと思いますが
そのまま受け止め恩師にもまた同僚の選手にも感謝の気持ちをずっと言葉にしていました。
すごいなと思います。頂点を極めた人の実に堂々とした清々しい会見でした。
感謝の言葉が本当に素直にそのまま出てくるということです。ありがとうという気持ちです。
そのありがとうは今までのことに対しての感謝だけではありません。
これからもずっと感謝、ありがとうの気持ちで今日も明日も明後日も周りの人と接していくことのすばらしさを
本当にさわやかに伝えてくださいました。
リオのオリンピックは本当に心から悔しく自分が情けなかったのでしょうね。
「皆さんに申し訳ない」と何度も言いお母さんの胸に顔をうずめて「お父さんに怒られる」と
泣きじゃくった姿が忘れられません。それも素直な気持ちだったと思います。
その悔し涙のなかに本当に人として成長していくことのすばらしさを昨日の笑顔の会見で思いました。
これは吉田さん一人のことではなく私たち一人一人のことについてもあてはまることではないかなと思います。
ナンマンダブツナンマンダブツと感謝のお念仏ですよとお聞きします。
ナンマンダブツとお念仏を申すなかに、仏さまの大きな大きな南無阿弥陀仏のお心おはたらきに抱かれ育まれて
感謝の気持ちいっぱいに今日の一日も皆さんと共に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.11)
