微笑み返し
2018-07-12
タイで洞窟に閉じ込められていた13人の子どもたちが全員無事救出されたというニュースが世界中に発信されています。
本当によかったということですが、救出活動は大変困難を極めたといいます。
あまり想像したくないですけれども、洞窟のなかに閉じ込められるというのは真っ暗ななかです。
それも水が押し寄せてくるという恐怖が迫ります。
奥へ奥へと逃げ込んだということですが、洞窟の入り口から5Kmといいます。
世界中からプロのダイバーが大勢集まって救出活動を行ったということですが
子どもたちがいるところまで時間にして2時間かかるといいます。
2時間暗い狭い中をひたすら歩いて泳いで潜ってを繰り返す体力気力の要る業です。
救出活動にあたる方はヘルメットにライトをつけてということですが
濁った水の中を何か所も潜って行くということで酸素ボンベなどの機材も必要です。
それも一番狭いところで30㎝40㎝といいます。とてもとても想像できることではありません。
このニュースのなかで皆さんもアッと思った方がいると思いますが
最初に子どもたちを発見した時の映像で、子どもたちがカメラに向かって合掌していました。
タイは仏教国で、多くの方が出家してお坊さんになります。
微笑の国といいます。微笑とは仏さまのお慈悲のお心です。
合掌したあの姿に皆さん心打たれるところがあったのではないかと思います。
とはいえ閉じ込められた状況を自力で脱出することはできません。
今日の御和讃「如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情を捨てずして 回向を首としたまいて 大悲心をば成就せり」に重ねて
味わわせていただきます。
私の力では到底かなわない。そういう私を見たときに阿弥陀さまは大悲心を起こされご本願を作られたというのです。
大きな悲しみ慈しみのお心です。このお心おはたらきを南無阿弥陀仏と私のところに回向届けてくださってあるといいます。
まさにこの世は仏さまからいうと真っ暗な暗闇の世界、迷いの世界です。
その暗闇迷いの世界から私たちを一人残らず救わずにはおかないという如来の作願なのです。そのことを思います。
もう一つ、関係者の方がこうコメントをしています。
この13人の子どもたちは大変な経験をした、この経験をこれからの人生に生かしてほしいと。
世界中からダイバーの方がみんなを助けに来てくれた多くの支援をいただいたという思いをもって
これからの人生で今度は世界中の方に恩返しをしてほしいと。
仏さまの微笑の国です。微笑返しです。
大きな形での社会貢献でなくても、仏さまの大悲心をいただくなかに日々の生活のなかで微笑返しの営みができるのも
私たちのお念仏の生活だとまた味わわせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.12)
トイレを借りに来れるお寺
2018-07-10
地域の子どもたちが安心してトイレを借りることができる、それが地域の書店の役割である
という新聞のコラムを読みました。書店とは本屋さん、毎日同じ場所に同じ人がいることが大事だといいます。
ちょっと前ですが、玄関のチャイムが鳴って小学生の女の子が「トイレを貸してください」と来ました。
その前もその時は坊守さんが対応しましたが、トイレを貸してくださいと来ました。
書店とお寺です。お寺はいつもそこに誰が居るということではありません。
お寺にはお寺の人というより、阿弥陀さま仏さまがいらっしゃいます。
いつでもどこでも私のことを思うてくださる、護ってくださる、そして救うてくださる仏さま
その仏さまに会いに来れるところがお寺というところなのです。
先週オウム真理教の事件で死刑判決を受けた教祖の麻原彰晃はじめ7名の有力幹部の死刑が執行されました。
オウム真理教の事件は当時社会に大きな衝撃を与えました。
今でもまだその真相が解明されていないままですが
なぜあの若い人たちがそれも超エリートといわれる高学歴の人が入信し
マインドコントロールされ教祖の意のままに残忍な犯行を繰り返したのかということです。
公判のなかで信者の一人が
「なぜオウム真理教という宗教に入信したのか。あなたの近くにもお寺があり
家には仏壇もあって手を合わせることもあったのではないか」という裁判官の質問に対して
「お寺はあったが、お寺は単なる風景にすぎなかった」とこたえたといいます。
風景です。風景というのはすがたかたちのことで、そこには人が生きていないのです。
お寺は単なるすがたかたちに過ぎない、人もいない、教えもないということです。
今朝もこうして朝の6時半同じ時間にお寺の本堂同じ場所で皆さんとご一緒に朝のお勤めができました。
毎朝6時半に円光寺にお参りすると、阿弥陀さまが迎えてくれる、そしてお同行皆さん一緒に
お勤めができる、手が合わさるお念仏申せるお礼ができるということです。
阿弥陀さまがつくってくださった尊いご縁です。
どうぞ皆さんの隣の方にもお朝事にお参りしましょうお寺にお参りしましょうと声かけをして
お念仏のご縁を広げていただきたいと思います。
円光寺が単なる風景ではなくお念仏のお仲間が生き生きと行きかうお寺になっていきたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.10)
顔はその人の人生を物語る
2018-07-09
今日は本当にさわやかな朝になりました。
ここちよい風がスーッとわたり青空がさわやかです。
このたびの豪雨で被害に遭われた方も同じ青空の下で同じようにさわやかな風が吹いているところもあると思いますが
生活が一変し、大切な方を亡くされ家屋が土砂に埋まり水に浸かって途方に暮れている方々に心からお見舞い申し上げます。
昨日は大海組内のお寺の前住さまが往生されてお参りさせていただきました。
悲報を聞いてすぐさま駆けつけ「ご愁傷さまです」「残念です」とお悔やみ申し上げます。
悲しみに寄り添う、悲しみを同じくするということです。
「生前中は大変お世話になりました。ありがとうございました」とお礼を申し上げます。
お参りしてご尊顔を拝見させていただきます。
92歳の老院さんですが、色つやが良く肌の張りもあってそれこそ眠ってらっしゃるようなお顔でした。
顔はその人の人生を物語るといわれます。それぞれ顔は違います。人それぞれの人生です。
「いいお顔ですね」とつい声に出ました。お顔に善いとか悪いとかあるのではありません。
その人のお顔その人の人生その人の生活営みそのお人柄はそれぞれ違います。
先に往かれたお方はこの命終えてその姿お顔を見ることはできなくなりますが
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまに成らせていただき
この世に還って来て私たちを護り救うというおはたらきをしてくださるのだなと
また頼もしくそのご尊顔を拝することができるのも私たちのお念仏のご法義なのです。
私たちの生活日々の営みはこれからも変わっていきます。
災害に遇って、本当に驚きをもって変わることもありますが
真実変わらぬ南無阿弥陀仏のおはたらきをいただいてお念仏を申すなかに
今日一日も確かに確かにお浄土への道すがらを共々に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.9)
大自然に生きる
2018-07-08
大きな雨になって各地で大きな被害が出ています。
大雨特別警報という50年数十年に一度とか一生に一度あるかどうかの大雨という特別に緊急事態を知らせる警報です。
今回は大変な広範囲にわたりテレビの映像や新聞の写真を見ても本当に想像を絶するような大災害です。
今朝の新聞には住宅街の多くのお家が水にすっぽり沈んでいるという写真がありました。
大自然の脅威をあらためて思い知らされます。
私たち人間はこの地球に生きるなかで豊かで便利な生活を求めて幾多の文明をつくってきました。科学の力です。
科学技術の進歩は自然をも変えるような飛躍的な凄い力を発揮してきました。
科学の力のおかげで豊かで便利な生活をき享受している私たちですが
この大自然の前にはなす術がないというのが今の状況です。
自然に贖うといいます。科学は自然に抵抗し自然を克服していくところに発達してきました。
しかしこのたびの自然災害ということでも、どこまでいっても自然を克服することは難しいといういことですが
人間は決してあきらめません。どこまでも自然に挑み続けます。
親鸞聖人はこの自然という言葉を使って阿弥陀さまの他力本願のおはたらきを自然法爾と私たちにお示しです。
自はおのずから然はしからしむといいます。
おのずからしからしむというのは抵抗するのではなくそのまままかせるといいます。
今よく聞く言葉に共生という言葉があります。共に生きるといいます。
自然と喧嘩をするのではありません。喧嘩しても結局は負けてしまいます。
だったら共生していきましょうと、共に生きていきましょうというのです。
しかしここが中々難しい。というのが私がという私が邪魔するのです。
何がこれくらいこうしたらいいんだとどこまでも私がという力が次から次に湧いてきます。
私たちのお念仏のみ教えです。
自然法爾と阿弥陀さまの大きな大きなおはたらきにまかせていくんだよと教えてくださいます。
まかせるいって何もしないということではありません。
まかせていくなかに自然と共生していく、私にできる精いっぱいのことをさせていただくというのが
私たちお念仏の道を生きる者のあり方だといただきます。
どうぞこれからもどんな自然災害に遭うかもわかりませんが
お念仏を申すなかに私にできることを精いっぱいさせていただきたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.8)
大雨のなかの七夕です。
2018-07-07
大変な大雨になりました。各地で大きな被害が出ていないか心配です。
ここ大分も夜半凄い雨になって一体どうなることかと不安になりました。
気象レーダーを見ますと、赤色が一番危険なマークかなと思ったらその上に紫があるんですね。
その紫が帯状に九州北部から中国地方、兵庫京都までずっとかかっています。
大雨のなかで自然の脅威に不安におののく私たちです。
どんな人間の力をもってしてもどうしようもないなかに私たちの日暮しがあるんだなとまた思い知らされます。
今日7月7日は七夕です。織姫と彦星の伝説があります。
天の川を隔ててある二人が一年に一度7月7日に会うことができるといいます。
願いがかなうということで短冊に願いを込めて七夕飾りをするという習慣が伝えられます。
この願い、中々願い通りには思うようにはいきません。
この時期はまだ梅雨です。雨の時節です。
今は長浜さまの夏祭りがあっていますが、昔から雨の長浜さまと言われ雨にたたられることがしばしばです。
何でこの雨の時期に七夕かとも思います。
願いは中々かなわないもので、だからこそ願いをもって努力精進する
思いをもって生きていくことが大事だよと教えてくれているのでしょうか。
私たちの阿弥陀さまのご本願の願いは私たちの願いを超えた大きな大きな願いです。
私たちの願いはどこまでも自分を中心に自分さえよければというところがどこかにありますが
仏さまの願いはすべてのものの幸せを願って分け隔てなく等しく救うという大きな願いです。
南無阿弥陀仏の大きな願いのなかに生かされている私たちです。
「まかせよ救う」のおよび声を聞かせていただきお念仏申して
今日も一日雨のなかですが共々に過ごさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.7)