地球家族になろう
2018-07-17
サッカーのワールドカップが終わりました。
日本の活躍もあって注目して観ていました。フランスが2度目の優勝を果たしました。
フランスの優勝シーンを見たときに肌の色が違う選手がたくさんいらっしゃることに改めて気づきました。
フランスだけではなくてヨーロッパの国々は今は多民族国家と言われます。
近年アフリカやアジアから多くの人が移住移民してきたという歴史です。
民族が違う宗教が違う言語が違うというなかでの生活でいろんな問題も起こっているようです。
民族差別といって、小さい頃からいじめにあっていたという選手の紹介もありました。
私たちの日本の国も来年はラグビーのワールドカップがありますが
日本チームのメンバーを見ますとニュージーランドやオーストラリアから帰化した方が多くいます。
陸上にしてもバスケットにしても野球にしても今活躍している日本選手のなかで
日本人のお父さんお母さんと外国の方との間に生まれた日系の方も多くいます。
今からもますます多くなってくると思います。
今は国家という単位でものごとを見るというより一つの地球というものの見方です。
地球家族と聞いてはっと思いますが、地球全体が家族という見方です。
ところが現実はわが国家の利益至上主義に立って政治経済諸分野でいろんな駆け引きをしています。
昨日はこの地球上の超大国のアメリカとロシアの大統領が会談しました。
その中身はどうなのかとヨーロッパの国々が戦々恐々としているという報道です。日本もそうです。
この地球に生きる私たちみんなが同じ時間同じ時代を共に生きているということだけで一緒になれないのです。
本当に難しいことです。
私たちの宗教です。浄土真宗の仏教です。
どんな人も同じお浄土に生まれさせていただけるという教えです。
この現世でそれこそ背中あわせに敵対し憎しみ合うお互いがお浄土でご一緒できるという教えです。
私がではなく仏さまがそういう私たちにしてくださるというんです。
お念仏を申す日々の生活です。
面と向かうといろんな問題がありますが、共にお念仏のみ教えに遇わせていただきましょう。
まずこの私です。そして私のすぐそばの人隣の人とお念仏申して共に生きていくということです。
この後「浄土真宗の教章」を拝読します。
「自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現をめざして」という文言で結ばれます。
言うのは易く難しい問題です。
私たちは自他共にではなくどこまでも自分を中心に生きるお互いです。
どうぞお念仏のみ教えに聞かせていただくなかに大きな願いをもって今日の一日も過ごさせていただきたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.17)
海の日に親鸞さまを思う
2018-07-16
今日は海の日で祝日です。
今は7月の第3月曜日になっていますが、元々は7月20日でした。
何でその日になったのかわかりませんが、多分夏休みが始まる21日の前ということでくっつけたのではないでしょうか。
海というと、親鸞聖人がよく海という譬えで阿弥陀さまのお救いの法を味わわれています。
親鸞聖人にとって海は三つあると思います。
一つは琵琶湖です。9歳から29歳まで20年間仏道修行に明け暮れた比叡山から見る大きな海、琵琶湖です。
そして35歳の時に念仏停止の令で遠流、遠く越後新潟の地に流されます。
そこで見た越後の海日本海の海です。日本海の海は特に冬の海は波しぶきをあげて荒れ狂う海です。
そして刑を許されて関東に行かれます。日立の国今の茨城県です。
海に面したところで広くて大きな大海原の太平洋の海です。
この海の譬えに二つあります。本願海と群生海です。
本願海は阿弥陀さまのご本願のお救いのお心おはたらきを表します。
海はすべての川の水が注ぎ込むところです。
川は私たちのことです。きれいな川大きな川濁った川と色んな川があります。ゴミや屍骸も川に流されて海に入ります。
どの川も等しくそのまま海に入ります。そして海に入ると一味になります。一つの味です。
ここ三佐の沖の海の味もアメリカアフリカヨーロッパの海の味もみんないっしょの塩味です。
一味、一つの味にしてくれるはたらきが海にあります。
どんな人も一つの処お浄土に生まれさせてくださるご本願のおはたらきです。
そしてこの海は五濁悪時群生海といって、五濁悪時の凡夫が沈み込んでいる海です。
私たちは深くて重い煩悩を抱え広く果てしない苦悩の海に迷うている、沈み溺れているというのです。
その溺れる私を阿弥陀さまは見て取ってご本願の船を浮かべ南無阿弥陀仏「まかせよ救う」とよんでくださり
本願の船に私をそのまま乗せて彼の岸である浄土に救うてくださるといいます。
溺れることは体験したことがありませんが、溺れる時は助かろうと必死ですね。
でも必死にバタバタすればするほど救いようがないといいます。
救う人も一緒に沈んでしまうというのです。
力を抜いてまかせればいいんですね。そのまままかせて船に乗せていただければいいのです。
このように親鸞さまがご本願のお救いを海を譬えにお正信偈さまのなかにお示しくださってあります。
毎朝お正信偈さまを拝読するなかにまたお味わいしていただきたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.16)
お念仏の心意気
2018-07-15
今朝テレビをつけたら博多山笠の追い山のようすが実況中継されていました。
もう7月15日かと思いました。
山笠の模様は何度もテレビでそして生でも見たことがありますが、多くの人のあつい思いが伝わってすごいなと思います。
西日本豪雨災害で昨日からボランテイアの方がたくさん被災地に入って活動しているということですが
東日本大震災の時に全国的に色んな行事を自粛しようという動きがあったことを思い出します。
去年は北部九州豪雨で大分県では日田耶馬渓が大変な被害に遭い、日田の祇園を行うかどうかという話になったそうです。規模を縮小して行われたと聞いていますが、皆さんはどのように考えられますか。
被災地での行事はお祭りをしようと思ってもできないという状況があります。
東日本大震災の被災地では何年もかけてお祭りが復活したことが一つの大きな復興の証と受け止められていると聞きます。
行事といってただ単なる行事ではないんですね。
そこには人々の思いが入っているのです。
それも綿々と続く歴史、先人の思いがそこに伝えられているということなのです。
今日は京都では祇園の宵々山、明日は宵山、明後日は山鉾巡行という日本を代表する伝統的な大きなお祭りです。
平安時代に始まったといいます。当時流行した恐ろしい伝染病、疫病を退治しようと願ったお祭りです。
当時は今のような医学はありません。神仏の大きな力を借りるより他人々にはその脅威に対処する術がなかったのです、
神仏に願いをかけて盛大にお祭りを挙行することが当時の人々が精いっぱいできることだったのでしょう。
毎年のように震災、豪雨と大きな自然災害が続きます。
人間はこの大自然の脅威の前に何もなす術をもちあわせていません。
しかしそこに復興していこう、被災地の方々と心を共にしていこうという心意気が
一つの行事となって伝えられてきてあるということを思います。
ボランテイアも心意気です。でも昨日もお話しましたが、心意気があってもできないこともたくさんあります。
できることもあります。私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
このお寺を護るというのも心意気です。円光寺のご縁のあるご門徒衆の心意気です。
どうぞこの心意気を集めて形にしていただきたいとまた住職として思うことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.15)
布施の心で させていただく ありがとう
2018-07-14
この暑さをどう表現するのか。尋常でない暑さ、これまで経験したことのないような暑さとでもいうのでしょうか。
暑い暑いといって夏は暑いのは当たり前ですが、私たちの平熱体温を超えるような尋常でない暑さです。
外でお仕事をする人は本当に大変だなと思います。家の中の人も大変です。
クーラーの中にいてもちょっと外に出ると体が浮いてめまいがするようなことで健康を害することにもなりかねません。
こういう猛暑のなかでも私たちは生きていかなければなりません。
このたびの西日本大豪雨災害で被災された方々はこの猛暑炎天下の中を後片付けなどで本当に大変だと思います。
じっとしているわけにもいきません。
今日明日明後日と三連休ということで全国各地からボランテイアの方が被災地に大勢いらっしゃるといわれています。
ただこのボランテイアの皆さんもこの炎天下のなかでの作業で大変です。
被災地に行って何かできることを手伝おうという思いは尊いものでありますが
思いだけでは体が動きません。体が動かないばかりかかえって迷惑をかけることにもなりかねません。
こうしなければならない、こうすべきだということでもありません。
私にできる精いっぱいのことをさせていただくということです。
それがボランテイア活動であっても物資や義援金を送るということでもそうです。
被災された方を思うこと被災地に思いを寄せる忘れないということです。
そうした思いのなかに何か一つでも私にできることをさせていただくことが大事だと思います。
仏教では布施の精神といただきます。布施ということにこれこれ決まりはありません。
ただ私にできる精いっぱいのことをさせていただくことです。
それが周りの方に喜んでいただければそれはそれでいいし
布施をさせていただくことによってありがとうとお礼ができるのも布施の精神なのです。
「布施の心で させていただく ありがとう」と聞かせていただきます。
仏さまの大きな大きなお慈悲のお心を聞かせていただくなかに
お念仏申してこの猛暑のなかを日々の生活をさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.14)
連続研修会のお話
2018-07-13
昨日は月に一度の大海組の法中会といってお寺の住職新院の会合がありました。
ご本山教区組の連絡事項が主なことですが、昨日は連研という連続研修会のことで話になりました。
連研は組内のお寺のご門徒さんが一年ちょっとかけてほぼ毎月一回お寺を順番に会場にご縁をいただくご法座の会です。
連続というのは一人の人が連続して13回のご縁をいただくということで
お勤めをされてる方には時間的に難しいところですが、この連研が始まってかれこれ50年になります。
それもこの大分の地から始まったと言われます。
最初から連続研修会をしましょうと皆さんに呼びかけたものではありません。
日々の生活のなかで住職さんとご門徒さんのいつもの話のなかで
ふっとご門徒の方から仏事について質問が出たということです。想像します。
「お念仏は有難いお念仏は有難いというが、何がそんなに有難いのか。一体お念仏とは何なのか」と聞かれます。
「それはお念仏のお救いに遇うた有難さ喜びなんだよ」と答えます。
すると「お念仏のお救いってどういうことかえ。救われるってどうなることかえ」と重ねて聞きます。
問いがあって答えていくというか、僧侶門徒が共々にお念仏のみ教えに遇うていくご縁が
連研の始まりだったと伺っています。
今もそうですが、お寺のご法座は仏法お聴聞のご縁です。
何かあなた聞く人私話す人と、僧侶がお念仏のご法義をお話お取次ぎし門徒は聞くというすみ分けがあるようですが
その役割はそれぞれ違っても僧侶も門徒も同じお念仏お聴聞の人なのです。
私たちのご法義の中心は阿弥陀さまのご本願南無阿弥陀仏のお救いの法です。
南無阿弥陀仏のお心を聞くのはご門徒さんだけではなくてお坊さんもまた聞く人なのです。
皆さんもそうだし私もまたそうなのです。
私たちは日々の生活のなかでのいろんな苦悩を抱えて生きています。お互い生身を生きているのです。
その生身の人間同士が仏さまのご縁に連なって南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」のご法義に遇うていくというのが
私たちのご法座なのです。
この連研は話し合い法座といって私たち僧侶もご門徒皆さんと一緒に話し合いの場に座ります。
いろんな質問がでます。皆さんが一番知りたいこと日頃思っていることです。本当に有難いご縁です。
その問いを皆さん一緒に受けとめて南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただきましょうということです。
50年前に始まった連研で僧侶も門徒も人が変わっていきます。
50年経って周囲の状況や若いお坊さんたちの感覚も違ってきます。ご門徒さんもまたそうです。
そういうなかにあって連続研修会のあり方もその都度見直し修正しながら
僧侶門徒共々に阿弥陀さまのご法義に遇っていきましょう、お浄土への道をご一緒させていただきましょうと
あらためて思ったことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.13)