これからという問題
家族の形態が核家族になってもう久しくなります。
今は当たり前のように親の家子の家孫の家とそれぞれ住む家が違ってきました。
別々の生活をしているということで、食べるものから何から何まで生活ぶりが違います。
もう一つ増えてきた家族の形態です。玄関の表札に姓が二つあるお家があります。
ご夫婦それぞれの親と同居している家族の形態です。
そのなかで先祖伝来のお仏壇が一つのお家に二つあるところが増えてきました。
ところがこのお仏壇もいつかは一つになります。
核家族のお家について親が亡くなるとお仏壇の行方が問題になってきます。
そのままお仏壇を子どもの家に移せたらいいのでしょうが
親の家にあった大きなお仏壇が子どもの家に入らないということで
お仏壇が小さくなったり無くなったりという問題が今から起こってきます。
お寺にとって大変な問題になってきます。
二つのお家が同じ家に同居するなかで宗教が違うという問題がでてきます。
これもこれからの大きな問題です。
お仏壇を誰が見るのか、お墓を誰が見るのか、私たちが元気なうちに考えておくことが大切になってきました。
60歳を過ぎていよいよそういう問題に直面することです。
その時に子どもが考えたらいい孫が考えたらいいということではなさそうです。
そういう意味でお寺に仏教に浄土真宗に日頃から親しんでいただく
仏さまのみ教えを聞かせていただくことがいよいよ大事になってきたと思います。
ただお寺に相談にみえるかというとお寺は皆さんから敬遠され
仏教書を読んだりインターネットで調べたりする人が多いということです。
それですっと解決できればいいんですが、全く違う事が書いてあったりして迷う人もあると聞きます。
やはりここは人と人です。お寺にお参りして何でも相談聞いていただきたいと思います。
お寺にあって信頼される住職僧侶のあり方が問われるところでもあります。
お家お家で事情が異なり相談の内容も個々で違ってまいります。
一つ一つ丁寧に相談させていただける安心できるお寺になっていきたい
なっていかなければこのお寺自体が極端に言えば無くなってしまう、本当に危ない状況にあると強く思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.12.20)

冬至です
今日は冬至です。一年で昼間が一番短く夜が長い日です。
暗いのは嫌ですが、これから段々と夜間が短く昼が長くなるということです。
日の出が早く日の入りが遅くなって明るくなっていきます。
ただ寒さはこれからが本番、一層厳しくなるということで
この冬を健康に留意し乗り越えて暖かい春を迎えましょうと
この冬至の日にはかぼちゃを食べましょう柚子湯に入りましょうと先人は教え伝えてくださっています。
暖房器具は充実し食べるものにも事欠かない時代です。
かぼちゃもゆず湯も単なる風習と片付けてしまいがちですが
私たちのご先祖が生きた何百年も前の時代の冬の営み
親鸞聖人の時代蓮如上人の時代の生活ぶりをちょっと思わせていただきます。
このお朝事です。ご本山でお寺で皆さんのお家でも時間を決めて毎日営まれる仏事ですが
蓮如さまが北陸の吉崎御坊にいたときのお話で
雪の降る中をお同行がお参りするようすが御文章さまのなかに書かれています。
寒い中暗い中をお参りされるのです。
浄土真宗門徒の心意気です。
仏さまを思うお寺を思う心もちを御仏前にはこぶということです。
これから益々寒くなりますが、体調に気をつけられてご縁ご縁にお寺にお参りしてください。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.12.22)

お通夜のご縁で仏さまのお話を聞かせていただきます
昨日お通夜のご縁がありました。三川のご門徒の方です。
お参りされている方は全くと言っていいほど知らない人ばかりです。
30人40人ほどのお参りでしたが、送迎バスが準備されてありました。
今は家族葬という葬儀が一般的になって隣近所の方のお参りも断るということですが
三川の地域はまだ昔からの隣保班の人と人とのつながりが残っているのかなと思ったりします。
平素から親交のあった方々が仏さまのご縁にお参りされるということです。
お通夜の席でご法話をさせていただきますが、いつも同じ仏さまのお話です。
このお通夜のご縁には面識のあるご門徒の方以上に初めてお会いする方が多くお参りされています。
宗教も違うでしょうし、初めて仏さまのお話を聞く人が殆どだと思います。
ただいつも思うことですがどの方も皆さんよく聞いてくださいます。
大切な人とお別れする悲しみのご縁です。
亡くなられた方を見送ることですが
死の縁は先に逝かれた方だけのことではなくて実は自分自身のことだと聞かせていただくのです。
自分自身のこととして仏さまの教えを聞くことが今できているのです。
どうか仏さまの教えに遇うてほしい聞いてほしいという仏さまのおはたらきのなかに今すでにあるのです。
仏さまの教えは学校では教えてくれません。
家ではといってお家のお仏壇に参ることさえ難しいんです。
仏さまのご縁にほど遠い生活をしている皆さんが仏さまにお参りされていること
そのことが待ったなしにできるのが大切な人とお別れする悲しみのご縁なのです。
悲しみのご縁をそのまま放っておかないで、そのまま仏さまのご縁にしてくださり
共々にお念仏を申すなかに送り送られ、これからも南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きることができると、また聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.12.13)

備えあっても憂いあり
南海トラフの記事が今朝の新聞の一面に大きく出ていました。大変気になります。心配です。
テレビでは南海トラフを想定した映像が流れていました。
瞬く間に押し寄せる津波が人を車をビルを飲み込み最大で32万人の死者が出るという予想です。
このなかに私もいるのかなと思うと不安を通り越して恐怖です。
「備えあれば憂いなし」といいますが、どれくらい備えをしたら大丈夫なのでしょうか。
私たち人間が生きるこの大自然界のなかではどんなに備えをしても大丈夫ということはなさそうです。
まさに「備えあっても憂いあり」です。
諸行無常の理(ことわり)です。
この世のことは一つとして常なるものはなくすべて生滅変化していくというのです。
この命がそうです。私たちは今生きていますが、いずれ必ずこの命終えていかねばなりません。
本当のこと私のことですが、そのことに向き合うことなく避けて生きているのではないでしょうか。
大きな不安を抱え苦悩する私たちにお念仏のご法義は「大丈夫だよ安心せよ」とおはたらきです。
誰しも人の命は終えますが、阿弥陀さまのお浄土に救いとられて仏さまと成らせていただく
そしてすぐさまこの迷いの世に還って来て人々を救うという仏さまのおはたらきをさせていただくと聞かせていただきます。
今日のいのちさえおぼつかない、それこそ右に行くか左に行くかわからない迷いの人生今日一日を生きる私ですが
ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏申すなかに確かに確かに
迷いの衆生をそのまま抱き取り往き生まれさせるお浄土をご用意くださった阿弥陀さまが
いつでもどこでも南無阿弥陀仏とご一緒してくださるのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.12.12)

延命治療を考える
テレビで家族が倒れたとき周囲の決断は何をどう選択するのかという番組がありました。
意識がないとき通常救急車を呼んで緊急治療をしてもらいます。
救急隊の方が心臓マッサージをしたりしてたすかるということもありますが
救急病院に連れていかれると次は延命治療になります。
人工呼吸器をつけたり胃ろうするといった選択もでてきます。
延命治療で命は助かっても3、4年も意識が回復しないままの状態が続くと
すぐ近くの親子夫婦の関係のなかで見るのがつらいと後悔することもあると聞きます。
ただこれは第三者が云々ということではありません。
番組では元気なうちに夫婦で家族で話しておきましょうということでした。
一つの例として脳梗塞で倒れまだ意思表示ができるご主人と奥さんとのやり取りがありましたが
お医者さんがこれから起こりうることを説明したうえで
奥さんがこれから延命治療を望むのかと尋ねます。ご主人は「百まで生きたい」とこたえました。
実は奥さんは意識がないままの姿を見るのはつらいという思いがあるのですが
そういう状況のなかでも生きたいということです。
生きたいという欲です。命終わるまで生きたいというのが私たちの本心です。
ただこれはお互いのことなのです。往く人見送る人が決まっているわけではなくどちらが先に往くかはわかりません。
人生の終い方です。死の縁無量で、私がどうこう決められることではありませんが
延命治療など死に方について元気なうちに考え話しておくことが大事です。
元気な時に出した答えも齢を重ねてまたころっと変わっていくと思います。
元気なうちにその都度話をしておくことです。
そうした話ができるのは御仏前仏さまの前だと思います。
「困ったときには仏さんに相談しなされや」と妙好人の言葉があります。
ナンマンダブツとお念仏申して相談しなさいということです。
阿弥陀さまのお救いは私たちの生死の迷いを超える救いですからお念仏のみ教えがただ一つの依りどころです。
生死に向き合うことは難しいことですが
ナンマンダブツとお念仏を申すなかにお互いが向き合って話すのも大事なことだなと思いました。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.12.11)
