本文へ移動

お念仏を申す生活法話

RSS(別ウィンドウで開きます) 

米朝首脳会談

2018-06-13
 昨日はシンガポールで米朝首脳会談がありました。世界中が注目するなか一日中その話題でいっぱいでした。
米朝首脳です。トランプ大統領と金委員長、アメリカ北朝鮮を代表するトップが直接会って話をされました。
 
 国のトップ同士の会談ですからそれぞれの国益をはかるものですが
今回はそれ以上に世界の安全保障に重大な影響を及ぼすということで大きな関心をよびました。
 
 互いに相手を褒め合い会談の成功が大きく強調されていますが、どうでしょう。
トランプ大統領、金委員長ともに人物像が分からないところも多く、具体的な成果はこれからのことということです。
 
 トランプ大統領はビジネスマンらしく損得勘定をもって内政外交に取り組んでいます。
大変分かりやすい政治手法ですが、自国アメリカの損得を中心にすることで、外国との摩擦が生じています。
 一方金委員長は謎に包まれた北朝鮮の最高権力者でこれまで反体制者を次々に粛清していくなど独裁者と見られています。
核実験とミサイル発射を繰り返し今や世界の脅威とまでいわれています。
 
 その二人が初めて会っての今回の会談ですが
両者の思惑はそれぞれで、トランプ大統領は世界の平和に貢献することで存在感を強固なものにし
一方金委員長は北朝鮮の現体制の保証を求めています。
 体制保証といって、我が身の保障です。
国の内外でこれまでにしてきたことで身の危険を感じるような思い当たることがあるのでしょう。
 
 国の政治はその国に暮らす人々のためにあるものです。
国のトップは国民の幸せを思い平和な国づくりに尽くします。
 誰もが本当に仲良く暮らせる社会に生きたいのですが、自分だけのこと自国だけのことを考えると中々うまくいきません。
そこで政治です。経済、安全保障など多角的見地から他国と交渉して自国の利益をはかるのです。
 
 私たちの社会のあり様はさまざまな人によって構成されています。
自分一人で生きているわけではなく、互いに支え合って生きているのです。
 ただどこまでも私たちは自分を中心に物事を考え、自分の思い通りになることを願います。
善いとか悪いという問題ではなく、みんな自分を中心に生きています。
 
 この自分中心の思いが強くなればなるほど、自分の思い通りにならないことに腹を立て怒り
思い通りにならない他者を排除しようとする行動にまでなります。
 国と国との関係でいえば、その行く先が戦争です。
 
 トランプ流の損得勘定でいうと戦争ほど馬鹿らしいものはありません。
戦争は損ばかりで得はありません。破壊と建設の連鎖です。莫大なお金がかかります。本当にもったいないことです。 
 金委員長も戦争は望まないはずです。戦争は我が身を破滅させることだと知っているからです。
 
 一番大事に考えなければならないことはこの世界にそれぞれの国々に生きている人たちのことです。
 
 私たちの仏法です。阿弥陀さまのみ教えはあなた一人を救うというみ教えです。
あなた一人に向き合い、あなたのことをいつでもどこでも大事に思うているよ、必ず救うと南無阿弥陀仏とおはたらきです。
 
 あなたが救われなかったら私は仏にならないと誓われ、救いの法を成就されたお心を聞かせていただくなかに
私たちが共に生きるこの社会のなかで私にできる精いっぱいのことをさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.13)

お念仏の見守り隊

2018-06-12
 昨日は新院が留守で代わって月参りをさせていただきました。
月参りに行きますとお家の方とお話になります。何とも有難いご縁だなと思います。
 玄関で「ごめんください」と言ってそのままフリーパスでお仏間に向います。
そしてお仏壇の前に座りお灯明をあげお線香をたいてお勤めを始めます。後ろでお家の方もご一緒です。
お勤めの後お茶をいただきながらお話になります。
 
 一人暮らしの高齢者の見守りがいわれています。これから増々独居世帯が増えてまいります。
地域でいろんな見守り活動がされているようです。
 企業の協力もあって定期的に飲料物を届ける際に声かけをして安否を確認するといったことも報じられています。
 
 それ以上にこの月参りのご縁は直接安否が確認できお話ができるということです。
世間話ですが、仏さまのご縁ということです。
 僧衣をつけさせていただいているということです。お家の方もお念珠をもち式章をつけられていることもあります。
そしてその中心にお仏壇をいただいているということなのです。
 
 阿弥陀さまのお念仏のご法義に私もあなたもご一緒に遇わせていただいているということに安心できます。
安心していろんなお話になります。それこそ他の場所で他の人にはお話できないことも
仏さまの前だからこそ僧衣をつけている者にそうしたお話もできるのではないでしょうか。
 
 苦しみ悩みといって、中々親しい人にも言い出せないものです。一人で悩みを抱え込むということにもなります。
苦しみ悩みをふっと漏らす、愚痴をこぼせる場所が実はこの仏さまの御前なのです。
「いいよいいよ、あなたの思いのたけをどうぞ私に聞かせておくれ」と阿弥陀さまは胸を開いて促してくださいます。
その阿弥陀さまの大きなお心おはたらきに包まれて、私たちはお念仏を申して生きていけるのです。
 
 あらためてお念仏のご法義のすばらしさ、先人がつくってくださった月参りのご縁の有難さを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.12)

お念仏申して一つになれる

2018-06-11
 昨日は朝から仏教壮年会の例会、午前中は玖珠の光林寺さんの仏教婦人会の皆さんがお寺にお参りになりました。
お昼からは円光寺の長期振興計画の説明会を二区と四区でもちました。
 
 昨日は述べ約90人の方とお会いしたということです。
それぞれの皆さんです。
 玖珠の方は初めてお会いした人が殆どです。ご門徒の方でも久しぶりにお会いした人もいらっしゃいました。
いつものお同行という皆さんもいらっしゃいました。
 
 そういうなかであらためて思うのは、初めてお会いをするという方もつながってあるということです。
もっというと、皆さんお念仏のお仲間、お友だちという言い方ができるのです。
 
 遠見公民館での四区の説明会ではご本尊の阿弥陀さまをお供しました。
会の初めに合掌礼拝お念仏申し、閉会にもまた合掌礼拝お念仏申して終わりました。
 南無阿弥陀仏でつながっているのです。
ここは大事なことで、それこそ90人いますとみんなそれぞれ顔が違います。生活ぶりが違います。
昨日の説明会でいったらいろんな意見がでます。皆さんそれぞれものの見方考え方が違うんです。
 でもそういう違いをこえて一つになれるという世界をいただくのが私たちのご法義なのです。
本当にすごいこと、有難いことだと思います。
 
 逆に私が私がといってどこまでも自分を中心に生きていたらそれこそ最後は独りぼっちです。
ただ私たちは経験値といって、これまで積み重ねてきたいろんな経験をもとに
周りの人に付いたり離れたりしながらああやこうやとやってきているわけですが
一つまかせる依りどころをいただくことの大事さがここにあると思います。
 
 ナンマンダブツ、お念仏を申すというなかに私たちは一つになれるのです。
初めて会った人も一つになれる。いやもう既に一つにつながっていたということなのです。
 
 このお朝事のご縁です。お念仏申して一つになってそれぞれの生活を始めさせていただきます。
お念仏申す生活です。今日は月曜日、新たな一週間を始めさせていただましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.11)

阿弥陀さまに安心します

2018-06-10
 今日は仏教壮年会の皆さんには朝早くから境内の掃除とこの後庭木の剪定をしていただきます。
よろしくお願いいたします。
 
 今日は日曜日ということもあっていろんな行事があります。
一つは玖珠のお寺の仏教婦人会の皆さんが20人ほど研修旅行でお参りされます。
 
 境内の清掃をしてくださってよかったです。
皆さんのお家でもお客さんがみえる時はきれいにお掃除しますよね。
きれいにしていないと、この家はこのお寺は何だと思われたら嫌ですね。
 円光寺さんに行ったらいつもきれいにしていると言ってもらえる思ってもらえるといいですね。
 
 そして午後からは先週も行いましたが、このたびの長期振興計画の説明会を二区と四区でさせていただきます。
 
 本当にこのお寺はご門徒皆さんのお寺であるということを思います。
一人の住職一人の坊守でできることは本当に限られています。
そのお役目お役目は色々皆さんそれぞれありますが
皆さんのお寺への思いを一つ処に寄せていただくことができるのがお寺ということです。
 お寺の中心ご本尊の阿弥陀さまのご縁につながった私たちなのです。
 
 今日玖珠から初めてお参りされる方は、円光寺ってどんなお寺かなと楽しみにして来られるのではないでしょうか。
どんなお寺の建物かなどんな雰囲気のお寺かなということです。
 
 私たちも他のお寺に初めてお参りするときはそんなことを思います。
どんなご院家さんかなどんな坊守さんかなということもあります。少し不安なこともあります。
 お参りしてみて思うことです。それぞれお寺の営みお寺の姿かたちは違いますが
本堂に入ってみたらほっと安心します。
 どのお寺の本堂にもまん真中に阿弥陀さまがいらっしゃるということです。
何か当たり前のようですけれども、阿弥陀さまがいらっしゃるというなかに安心できるのです。
 
 先ほど拝読の御文章さまのなかに「安心とは安き心とよめるなり」とありました。
阿弥陀さまのまことの心、信心をいただいて心やすらぐ、安心できるのです。
 
 それは皆さんのお家ではお仏壇というところです。
お仏壇の前に身をおく、座らさせていただけるのです。
 日々の生活のなかで色んなことがあるけれども
安心してナンマンダブツ、お念仏を申して生きて往ける今日の一日をまたそれぞれ送らせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.10)

仏さまのご縁に身をおきお聴聞させていただく

2018-06-09
 浄土真宗の仏道はこれこれ修行をしなさいとはいいません。
阿弥陀さまのお救いには条件がないといいます。
ただそのお救いを知ることがなければ救われているという気づきもありません。
 お聴聞が大事だよといわれます。阿弥陀さまのお救いを聞かせていただくのです。
南無阿弥陀仏のお心です。何で阿弥陀さまはご本願を建てられたのか、そのいわれをたずねていくといいます。
 
 お寺でご法話を何度も聞かせていただきます。
そのまま聞きなさいといわれますが、私たちは素直に聞くということが難しいです。
 
 今日の御和讃に「善知識にあうことも 教うることもまた難し
よく聞くことも難ければ 信ずることもなお難し」とありました。
 
 お聴聞というけれども聞くことは難しいといいます。
素直に聞くことを邪魔するものがあるといわれます。
何が邪魔をしているのか、他の人が邪魔をしているのではなくて、私がという我執が邪魔をするというのです。
私がととらわれはからう心が邪魔をしてそのまま素直に聞けない
私の都合に合わせて聞くというのが、どうも私が聞くということの正体のようです。
 
 世間の話を聞くこともそうです。
自分を中心に自分に関心があること、例えば健康のこととか料理や旅行、趣味のこととか金儲けのこととか
そういう話はすーっと聞こうとします。
 ただ仏法を聞く、仏さまの教えを聞かせていただくことは難しい、難中の難です。
仏さまの教えって私には関係ないことなのでしょうか。歳をとってからの話、死んでからの話でしょうか。
 
 今ここ仏さまの御前にお座りの皆さんはもう既に仏法聴聞のご縁に遇われています。
身をおくということです。御仏前に身をおきそのまま聞かせていただくのが、信心です。
 信心をいただくといいます。
阿弥陀さまのまことの心をそのままいただいて私たちの往生が決まる、いや決めてくださってあるのです。
 
 聞くということは難しいことですが、仏さまのご縁に身を寄せ身をおくなかに
どうぞお念仏を申して今日も阿弥陀さまのおよび声を聞かせていただく一日でありたいと思います
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.9)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
0
4
6
7
0
2
TOPへ戻る