「いってきます!」行って帰ってきます
今日からまた毎朝6時半のお朝事ということです。
先ほど6時の鐘をつきに外に出ますと東の空に三日月と明けの明星金星が光り輝いて見えました。
いいもんですね。早起きすることの徳です。
今日お葬式があります。12月31日にお亡くなりになった方で1月1日は火葬場がお休みで今日ということです。
大分市では一年で1月1日だけがお休みということで、2日3日は火葬場が満杯状態なのです。
このたびご縁の葬儀社ではもう一件お葬儀があるということで、朝9時からのお葬式ということです。
火葬場が開く午前の時間に合わせてということで、その時間しか火葬場が開いていないということなのです。
昨日の朝早く亡くなったそうで、24時間経たないと火葬できない決まりでぎりぎりの時間だそうです。
何とも慌ただしいことですが、死の縁無量でいつ何時どんなかたちでこの命終えていくのか誰もわかりません。
まさに無常の世を生きていると我が身のことと思います。
どの方のお通夜でも同じご法話をさせていただきます。
葬送という送るということについて、どこにどう送るのかというお話です。
私たちは平生子どもたちを学校にお父さんお母さんを職場にまた旅行に送るということもあります。
「行ってきます」と見送られ「いってらっしゃい」と見送ります。
当たり前のようにでる言葉ですが、見送る方も見送られる方もどこに行くのかわかっているから安心してでる言葉なのです。
そして「いってきます」には行って帰ってきますという意味があるということです。
行って帰ってくるということで「いってらっしゃい」と安心して見送れるのです。
行くところがわかっているから帰ってくることがわかっているから安心して見送れるのです。
そうじゃなかったら「行くな」と止めます。
行くところが決まっている、行って帰ってくることが決まっているということです。
私たちのこの命です。いつか必ず終えていきますが「いってきます」と終えていける
「いってらっしゃい」と見送っていけるのです。
今日は箱根駅伝の復路です。東京から箱根に行く往路があって箱根から東京に帰る復路があっての箱根駅伝です。
阿弥陀さまの本願念仏南無阿弥陀仏のおはたらき一つで命終のとき阿弥陀さまのお浄土に往生させていただき
仏となってすぐさまこの世に還って来ることを決めてくださってあると聞かせていただくのです。
ナンマンダブツとお念仏申してくれよとおはたらきです。
お念仏申すなかに人の命は終えるけれども仏さまのいのちとなって還って来るのです。
後に残した有縁の者を必ず救うと阿弥陀さまのお手伝いをさせていただくのです。
その往来は自由自在といいます。
お浄土という私の目に見える世界に行くのではありません。
お浄土は阿弥陀さまのご本願の発信基地南無阿弥陀仏のおはたらきそのものなのです。
南無阿弥陀仏のおはたらきのなかに私たちの日々の生活があるのです。
阿弥陀さまの大きな大きな光り輝く光明に抱き取られ
南無阿弥陀仏のお名号のおはたらきに生かされてあるのです。
ナンマンダブツとお念仏を申すなかに今日一日も生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.3)

人生の節目節目にお念仏申させていただきましょう
新年が明けました。今年もよろしくお願いします。
平成31年です。平成最後の正月元旦です。
こうして新しい年を迎えるということですが
平生でいいますと昨日から今日、今日から明日になるという日々の生活の営みであります。
年が変わって生活ぶりが変わるわけではありませんが、気持ちも新たに今年こそはとちょっと力が入ります。
今除夜の鐘をついていますが、鐘の音を聞きながら日々の日暮しを振り返らせていただくことも大事なことだと思います。
人生の節目節目にお念仏申させていただきます。
浄土真宗のご法義阿弥陀さまの本願念仏のお救いは南無阿弥陀仏の声になった仏さまのお救いと聞かせていただきます。
今月の掲示伝道の言葉は「念仏の声となり いつもあなたが いてくれる」と書かせていただきました。
先月の言葉は「寒いねと あなたの声が あたたかい」でした。
寒いけれども「寒いね」と言ってくれるあなたが傍にいてくれるあたたかさです。
皆さんのすぐ傍の人です。皆さんの家族であり、お友だちです。
独りぼっちじゃないということです。いつも私のことを思ってくれる見守ってくれる人がいるということです。
ただその人もずっと傍にいてくれるということではありません。
いつか必ず別れていかなければなりません。
聞きたくないことかもしれませんが、本当のことです。
今月の言葉「念仏の声となり いつもあなたが いてくれる」です。
別れても南無阿弥陀仏お念仏の声となってこの目にはその人の姿は見えなくても
確かに確かに私のところに還ってみえていつでもどこでも私と共にいてくださると聞かせていただきます。
私たちのご先祖有縁の仏さまがいらっしゃるということです。
目に見えるあなたもいます。目に見えないあなたもいます。
決してあなたを見捨てることがないとおはたらきの阿弥陀さまの摂取不捨のお救いです。
一人もあなたを見捨てない、取り残さないという大きなお慈悲のなかに私たちの日々の生活があるということです。
この一年もいろんなことがあると思います。
年を重ねていくということは病気になったり大切な人と別れたりと
思い通りにならないことが一つ二つたくさん増えてまいります。
そのことだけを見ると何か悲しい寂しい空しいということですが
ナンマンダブツとお念仏を申して日々の日暮らしをさせていただきましょう。
ナンマンダブツとお念仏を申すところにあなたがいてくれます。
今日もご一緒にお正信偈さまのお勤めができました。
ご一緒にナンマンダブツとお念仏を申すことができました。
どうぞ皆さんの隣の人に声かけをしてご縁ご縁にお寺に参りしてください。
お念仏のお友だちご一緒にお浄土への人生を歩ませていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.1)

この一年ようこそお朝事にお参りでした
12月31日大晦日です。平成30年、平成最後の大晦日です。
明日は1月1日です。すぐ新しい年が明けようとしています。
「朝の来ない夜はない」スーパーボランティアと周囲から言われることを頑なに嫌われる尾畠さんのモットーです。
苦しい辛い大変な状況のなかにあっても必ず明るい朝が来るから希望をもっていきましょうと
「朝の来ない夜はない」という言葉を支えに尾畠さんの活動があり、周囲の方にその言葉を語り伝えているということです。
私たちの仏さまは南無阿弥陀仏の言葉になられた仏さま、声の仏さまといいます。
今日もご一緒に何度も何度もナンマンダブナンマンダブとこの口から声となって出てくださいました。
ナンマンダブナンマンダブ、朝も夜もいつでもどこでも阿弥陀如来の光明のおはたらきのなかに私たちはあることを
聞いてほしい知ってほしいというのが私たちのご法義阿弥陀さまの本願念仏の救いの法です。
難しい修行をしなさいこれこれこういう善行をしないと救われないよという仏道ではありません。
ただね、私の名前南無阿弥陀仏を称えてくれよといわれるのです。
ナンマンダブツと称えてくれよ、ナンマンダブツと称えるところに
私がいるよ大丈夫だよといつでもどこでも私に寄り添ってくださる南無阿弥陀仏の仏さまのおはたらきです。
毎朝6時半のお朝事のご縁です。今は寒くて暗いです。夏は明るく暑いです。
四季折々の佇まいのなかで一年365日、こうして円光寺の本堂阿弥陀さまの御仏前で皆さんとご一緒に
お正信偈さまのお朝事のお勤めをさせていただけることの有難さを思います。
「帰命無量寿如来」と発音させていただきます。皆さんご一緒に「南無不可思議光」と続いてくださいます。
ナンマンダブナンマンダブ、一人の声ではありません。皆さんの声です。皆さんの声、阿弥陀さまの声です。
その声に支えられて夜も昼もいつでもどこでも私たちのお念仏の日暮しがあるということをまた聞かせていただきます。
今年もあと一日です。やり残したことがたくさんあると思いますが
その中の一つでも何かさせていただいて明日新年の朝を迎えたいと思います。
お朝事は明日は元旦会ということで今晩除夜会に引き続きお勤めさせていただきます。
2日は10時からの初法座をお朝事のお勤めにさせていただき
毎朝6時半からのお勤めは1月3日からいつものようにさせていただきます。
この一年皆さんようこそお参りでした。ありがとうございました。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.12.31)

生身の私をそのまま引き受けてくださる
昨日はなべの会という年末恒例のご門徒男衆の懇親の会がありました。
お酒も入っていろんなお話を聞きます。
昨日は円光寺のホームページの話題になりました。
今年初めからこのお朝事の法話をつとめて毎日更新するようにしています。
「毎日みています」と聞いて本当に有難かったのですが、続いて「13日から止まっていますね」と言われました。
この一週間程所用で更新が疎かになってずっとそのまんまなのです。
それでも日々カウントは動いてますから開いてくれてる人がいるということで、改めて続けることの大切さを思います。
今はインターネットで調べものをしたり色んな検索ができて本当に便利です。言
積み重ねた知識がなくても知りたい情報を即座に得ることができます。
円光寺のホームページも不特定多数の人に発信開いていますが
その願いは一人でも多くの人にお念仏のご縁に遇うていただきたい、そのこと一つなのです。
ただ情報伝達の一つですからその願いがそこまで伝わらないということを痛感します。
受け取る側はただの文章なのです。
文章の内容がいいとか悪いとか、長いとか短いとか、最初から読まないとか言われて
それは受け手のものの見方ですからそれはそれでスーッと流したらいいわけですが何か残念な気持ちになりました。
今こうしてお話していることは皆さんを通して皆さんの後ろにいらっしゃる方にもお話しているのです。
御仏前で仏さまのお話をさせていただきます。
そのまま聞いてほしいと思います。
私もそうです皆さんもそうですが、この場に身を置いてほしいと思います。これが一番です。
一つの言葉でも話い方によって違います。その時どきの状況によって話しぶりも違います。
今日もお勤めをして日々声の感じも違います。
今朝の鐘つきが2分ほど遅れました。いつも聞いてらっしゃる方は
今日はちょっと遅いな思ってくれた人もいたのではないでしょうか。
6時の時報のように6時ピッタリつくんだったらそれこそ機械仕立てでいいんです。
生身の人間が生活しているなかで仏さまのご縁をいただくのです。
生活ぶりがそれぞれ違う皆さん私たちがこうして御仏前に身を置かせていただくことの有難さをあらためて思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.12.21)

ご法事を丁寧にお勤めさせていただきましょう
ご法事を丁寧にお勤めさせていただきましょうとお話しています。
丁寧にお勤めするとは仏さまのご縁をいただくということです。
仏さまのご縁は中々いただけそうでいただけません。
ご法事のご縁にご先祖有縁のまさに仏さまがこの私に
仏法を聞いてくれよお念仏を申す身になってくれよとおはたらきかけなのです。
今日のご和讃のなかで回向という言葉が何度も何度も出てまいりました。
最初は「南無阿弥陀仏の回向の」で始まりました。
回向とはおはたらきという意味です。
ただ私が仏に向ってはたらくのではなくて仏さまが私に向ってはたらいてくださるのです。
私たちは仏さまからいうと仏さまに背を向けっぱなしの日暮しをしています。
どこまでも自分中心の生活ぶりです。自分の思い通りに生きようと欲の心をふくらませます。
ちょっとでも思い通りにいけば有頂天になり、思い通りに行かなければ怒りの心をふくらませます。
真実本当のことが見えない愚かな私を見たときに仏さまは座っちゃおれんで立ち上がり
南無阿弥陀仏のおはたらきで「まかせよ救う」と私のところに来てくださってあるのです。
必ず救うまかせよと南無阿弥陀仏と回向おはたらきかけなのです。
そのこと一つ聞いてくれよという一番のご縁がご先祖有縁の方のご法事なのです。
私たちのご先祖有縁の仏さまです。
私のお父さんお母さん、親の仏さまです。
わが子を救おうとまさに命がけで、仏法を聞いてくれよお念仏申す身になってくれよと開いてくださったご縁です。
大きな願いがこもったご法事です。丁寧に丁寧にお勤めさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.12.23)
