本文へ移動

お念仏を申す生活法話

RSS(別ウィンドウで開きます) 

雨の日には雨の日の生き方がある

2018-06-23
 昨日は県内でも真夏日の所があり暑い一日でしたが、今日は朝から雨になりました。
今は梅雨で、雨の日が多いですが、皆さんは雨の日はどう過ごされますか。
 決まったお仕事がない土曜日日曜日は、外に出かけることもなく家の中で過ごすことが多いのではないでしょうか。
子どもの頃、雨になれば外で友だちみんなと一緒に楽しく遊ぶことができず降る雨を見て恨めしく思ったものです。
 
 「雨の日には雨の日の生き方がある」という言葉があります。
 遠くお釈迦さまの時代です。お釈迦さまは35歳でお悟りを開かれ涅槃に入る80歳まで
遊行といってインド各地をたずね伝道の旅を続けられたと伝えられます。
 ただインドの国には雨季があって、その期間お坊さんたちは精舎というお寺に集まって勉学に励まれたといわれます。
雨が降るから外に出ないということですが、殺生をつつしむ仏道修行のためだというのです。
 
 雨季は命が芽生え活動する時節だといいます。
この梅雨の時期、農家の方は田植えでまた野菜を作っている方も雨を待っておられます。
雨が降ると作物がスーッと生き返るように育ちます。
 
 植物だけでなく動物も、この目には見えないけれども小さな虫たちが地中から出て地面を這っているといいます。
その命を足で踏んで殺さない、殺生しないということもあって室内に留まるというのです。
 
 雨の日には雨の日の生き方がある。
雨の日だからこそ日頃できないこと家でできることもあるのではないでしょうか。
 
 阿弥陀さまのお救いを思います。
この人生は自分の思い通りになるような晴れの日ばかりではありません。
曇りの日もあります。雨の日もあります。大風の日もあります。
 
 でもどんな日でも大丈夫、南無阿弥陀仏の大きな大きなお慈悲のなかに生かされてあると聞かせていただきます。
今日は一日中雨の予報ですが、お念仏申すなかにすてきな一日を過ごさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.23)

たまたまの仏さまのご縁です

2018-06-22
 ご本山の会議で京都に行ってきました。
私たちの日常はいつもの営みを中心にその日に予定された事柄を中心に日々の生活を営んでいます。
決められた時間決められた場所に行きいつものメンバーに会います。
 
 予定通りのことばかりではなくて予定にはなかったことに遇うこともあります。
今度京都に行ってたまたま知り合いの方に久しぶりに会いました。
予定にはなかったことで「これも何かのご縁ですね」と互いに声に出たことです。
 
 たまたまといいます。偶然という言い方をしますが、仏さまのご縁でいうと、これは必然
遇うべくして遇うことができたということです。
 たまたまの仏さまのご縁です。
会った二人が二人とも思ってもみなかった、予定していなかったことが実現するということです。
私たちの思いを超えたことが起こります。仏さまのご縁といただきます。
仏さまが用意をしてくださってあったと、たまたまといただきます。
 
 私たちは今御仏前に座っています。
座ることができたといただきます。たまたまの仏さまのご縁です。
 私の見方でいうと私がこの時間この場所に来たということですが
座ってみればたまたまだったと有難くいただけるのも仏さまのご縁だと思います。
 
 自分のところで私が私がと力が入ると
私が来たのに誰もいなかった、私が来たのに何かという思いもでてきて
私の思い通りにならないと腹が立つのが私たちです。
 
 座ってみればたまたまだった、仏さまのご縁をいただけたということです。
私たちの日々の生活もたまたま仏さまの大きな大きなおはたらきのなかにあるんだといただくと
何か肩肘張って私が私がと頑張って生きている私がちょっと少し楽になるのではないでしょうか。
 
 ナンマンダブツとお念仏を申してくれよ、そんなに頑張らなくてもちょっと肩の力を抜いて一緒にいこうねと
南無阿弥陀仏の大きなおはたらきのなかに生かされて生きていることを有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.22)

日々どういうお勤めをしていますか?

2018-06-18
 ある法話会で出席された方が「皆さんの家ではどういうお勤めをしていますか」と尋ねられました。
皆さんとはご門徒さんもいれば宗派の違う方も出席でしたが、お家で日々お勤めをする内容です。
 その方はお正信偈をお勤めし御文章をいただいて最後に蓮如上人がお示しになった領解文を拝読しますと言われました。
聞かれた皆さんはえっという思いだったと思います。一瞬黙り込んでしまってすぐ返事が返ってきませんでした。
 
 浄土真宗の門徒は日々お正信偈のお勤めをしましょうと勧められたのは蓮如上人です。
それから今に至るまで五百有余年が経ち、私たちの生活ぶりは当時と比べものにならないほど全く変わりました。
 家族そろって食卓を囲む生活が当たり前だった頃は朝夕の食事前に家族が御仏前に座りお勤めをしていたと聞きます。
 
 ところが今は同じ屋根の下で暮らす家族といっても、それぞれ生活ぶりは違います。
食事の時間もそれぞれかもしれません。
それぞれの思いで自分の部屋で用事をしたりして、同じ部屋に集まって家族団らんということが難しくなりました。
 
 そうした生活のなかでの日々のお勤めです。
時間を決めて家族そろってお勤めすることは殆どできていないのではないでしょうか。
それこそできても一人か夫婦二人でお勤めするようなことだと思います。
そして一人でお勤めするのも朝の時間は本当に貴重な時間です。
 このお朝事でいうと30分のお勤めですが、お寺への道中の時間など入れたら1時間以上のことになります。
まだゆっくり布団の中で休んでいたい方もいるでしょう。朝する用事もたくさんあります。
 
 そのなかを皆さんはこうして毎朝お寺にお参りされています。
傍から見ると時間がもったいないと思う人もいるでしょうが
皆さんにとってお朝事のお勤めはそうした思いを超えているのではないでしょうか。
 
 お家のお仏壇にお参りすることも難しくなりましたが、お勤めしないまでも仏さまのお給仕をさせていただきましょう。
ご飯を炊いてまず一番にお仏壇の阿弥陀さま、親鸞さま、蓮如さまにお供えしましょう。
せっかくのご縁です。お仏飯をお供えして御仏前に座りましょう。お灯明をあげてお線香をたきましょう。
手を合わせてナンマンダブツの一声でもお念仏申して仏さまにお礼をしましょう。
 
 そんなに時間はかかりません。皆さんの時間に合わせてさせていただいたらいいと思います。
時間があったらお勤めをしましょう。お正信偈が長かったら讃仏偈や重誓偈の偈文のお勤めをしましょう。
 
 毎日これをしないといけないと力が入ると長続きしません。
最初は思いを強くもたないとスタートできませんが、始めたらとにかく御仏前に身をおくことを心がけましょう。
 仏さまのご縁に遇わせていただき続けていくなかで仏さまのお育てをいただくのです。
仏さまのお育てをいただいてこのお朝事参りが続いているのではないでしょうか。
 
 私が頑張って続けていると私のところに力が入るとしんどくなって長続きしません。
そして毎日といっても用事があります。そういう時は用事を先にしてください。
用事を先に済ませてこのお朝事この時間に身をおいてください。
 毎朝身をおかせていただく私の居場所このご縁をいただいていることを有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.18)

お互いの違いを認め合って生きてまいりましょう

2018-06-17
 昨日自尊心のお話をしましたが、今朝の新聞の一面に自尊心と見出しにあってはっとしました。
玖珠町の久留島武彦童話記念館の館長さんについて書かれた記事です。
金成研さんという韓国の釜山出身の方で、日本の大学に留学し久留島武彦さんの研究をした縁で
去年オープンした記念館の初代館長に就任したということです。
 
 「町への誇りが自尊心に」とありました。
生まれ育った町への誇りが人生を歩む上でまた大人になって外に出たときのアイデンティティーになると書いていました。
 
 自尊心ということでお釈迦さまのお誕生のお話を思います。
お釈迦さまは生まれてすぐすっと立ち上がり七歩歩まれ右手を天に左手は地を指して
「天上天下唯我独尊」と言葉を発せられたといわれます。
 天の上にも下にもとはあらゆる世界のなかでということで、我独り尊しというのは、この私のいのちの尊さです。
人の世に<天下一品のいのち>を恵まれて生まれてきた、そのことが尊いことなんだよといわれるのです。
 
 これはお釈迦さまだけのことではなくて、私もあなたも皆さんお一人お一人が「天上天下唯我独尊」の
かけがえのないいのちを恵まれいただいてこの世に生まれ、今ここに生きているということです。
 
 皆さん、人に生まれたことに誇りをもって生きていますか。
何も頼みもしないのに何で生んだのかと親を悲しませ、お前のような子を生まなければよかったと言い返す・・・
我が物顔にいのちをもてあそぶ事件が後を絶ちません。本当に心痛みます。
 
 前述の新聞記事に、この記念館はたとえ一人でも来館すればスタッフが案内しますとありました。
何か当たり前のようですが、効率と成果が優先される今の世の中では中々難しいことです。
 
 久留島先生の精神ですとありました。
信じ合い、助け合い、違いを認め合うことだといいます。
 
 お釈迦さまのお心仏教の精神です。
お互いに認め合うといって難しいことです。
夫婦であっても親子であっても兄弟であっても無二の親友という者同士であっても
私たちはどこまでも自分を中心に生きています。
 
 だからこそナンマンダブツ、お念仏を申してくれよというんですね。
お念仏を申すところ「私がいるよ、大丈夫だよ」と私一人を目当てに呼んでくださる仏さまの声を聞いて
私だけでなく隣の人も隣の人もみんな共々に仏さまの大きな大きなお慈悲のなかにあると聞かせていただくなかに
お互いを認め合って私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 いのちに差別はありません。みんな等しく生まれて来たいのちです。そして仏さまに成らせていただくいのちです。
どんな人もお互いに仏さまのみ教えを聞かせていただくなかに、どうぞ今日の一日も生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.17)

許されて生きる

2018-06-16
 今の日本社会は若者にとって寛容でなく生きにくいというお話を聞きました。
 
 先日新幹線で殺傷事件がありました。犯人は22歳の若者です。
極悪非道な人間業とは思えない事件を起こした者とは見えない、あどけなさの残るどこにでもいるような若者です。
小さい頃からの人生の軌跡が報道されていますが、彼にとってこの社会はどんなものだったのでしょうか。
 
 この社会に生きる価値の基準が極端なまでに極限化し、「お金をどれだけ稼げるか」など二つ三つの基準で
人間の能力が判断されていると前述の話は続きます。
 本来人間には多様な能力があるのに、この基準に当てはまらないとその人は能力がゼロとみなされ
結果自尊感情にかけた若者が増えているといわれるのです。
 
 随分前から今は多様化の社会時代だといわれています。
ここに5人いますが、夫婦であっても親子でも兄弟でも、ものの見方は違いますし生活ぶりは人それぞれです。
 
 お互いに違いを認め合うなかにこの社会を共に生きることができたらいいのでしょうが
どこかで私たちは生きる基準を設定し、私のものさしで人ひとを見ているところがあります、見られているのです。
その基準に合った生き方が思うようにできたらいいのでしょうが、その基準に漏れる人も出てきます。
 
 他の人を見て言うことならばそのまま受け入れることはできても
この私のことと見られるとこれほど窮屈なことはありません。
 
 何をしても自分の思い通りに行かないと苦しみ悩み、迷う私がここにいます。
この私一人を救うために阿弥陀さまはすっとお立ちの仏さまになってくださいました。
 
 生きる価値基準に道徳があります。
人として生きる道を説くものです。人のために社会のために善いことをしなさいと教えます。
 
 善いことをしたら救うという宗教もあります。わかりやすいですね。うんと頷けます。
それで救いの条件を示されて、その通りにできたらいいのでしょうが、これが難しい。
 
 阿弥陀さまのお救いは善いことをしたら救うとはいいません。
世間でいう善いこと一つができない、世間の価値基準で能力ゼロと見捨てられるような私です。
この私をこそ必ず救うと南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまになってくださったのです。
 
 道徳では迷惑をかけるなと教えます。
仏法に聞かせていただくと、迷惑をかけるなとはいいません。迷惑をかけているということに気づいてくれよというのです。
 私たちが生きるということ自体が迷惑をかけて生きているということなのです。
どんなお金持ちもどんな優秀な学者さんもスポーツマンもどんな人でも
生きているということがそのまま迷惑をかけているというのです。
 私たちは迷惑をかけて許されて生きているのです。
 
 今の若者は自尊心を失って生きる自信がなくなっているという指摘です。
縁あってこの人の世に生まれ、恵まれたこのいのちです。
人間に生まれて今を生きているということ自体が尊いことなのです。
 
 自尊心がなくなると自暴自棄になって自らを傷つけ
他を尊ぶ心がなくなって「誰でもいいから」と他の人を傷つけることにもなります。
 
 私たちが生きているこの社会は自分一人で生きているのではありません。多くの人たちと共に生きています。
大きないのちのつながりの中で生かされて生きているのです。
それはお互いに迷惑をかけているということであり、それは支え合って許されて生きているということなのです。
 
 自らのいのちを尊ぶように他のいのちを尊んでまいりましょう。
色んなことが次から次とこの身に起こり思い通りに生きていけない人生ですが
南無阿弥陀仏とお念仏申すなかに阿弥陀さまのおよび声を聞かせていただき
阿弥陀さまの大きなお慈悲のおはたらきのなかに
人間に生まれてよかった、あなたに会えてよかったと共々に生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.16)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
0
4
6
9
2
7
TOPへ戻る