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お念仏を申す生活法話

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勝負の駆け引き

2018-06-29
 蒸し暑い朝になりました。本堂の戸を開けました。
あまり涼しくはありませんが、風が入って気持ちがいいです。
 
 昨夜から未明にかけてサッカーワールドカップを観た人が多かったのではないでしょうか。
そしてその結末にちょっと複雑な思いをしている人もたくさんいるのではないでしょうか。
 
 勝負の駆け引きです。
日本はポーランドに0対1で負けましたが、決勝トーナメント進出が決まりました。
試合の最後の10分は相手にボールを与えないようにパスを回して回して回す作戦で勝負を避け
観客席からブーイング非難の声があがったと実況は伝えています。
 
 ただ試合を終えた選手たちは冷静に「私たちの目的は決勝トーナメントに出場することだった」と言っていました。
たとえこの試合に負けてももう一方のセネガル・コロンビア戦がどういう展開になるかということで
結果はセネガルが破れ勝敗も得失点差も合計得点も同じでした。
 そこで今大会から採用されたフェアプレーポイント制によって
イエローカードの数が少ない日本が次に進むことになったということです。
 
 勝負の駆け引き日本の作戦勝ちで、日本中は喜んでいますが
セネガルの人はもう地団駄踏んで悔しがっているでしょうね。
 全く逆の結果も考えられましたが、ここは勝負の世界、どちらかが勝つか負けるかなのです。
もし思い通りにならない結果に終わったらそれこそ大変な事態になっていたことでしょう。
 
 私たちの人生にも勝ち負けをいう人がいますが、勝ちの人生って負けの人生ってどういうことでしょうか。
 
 人人それぞれの生き方は違いますが、この真ん真ん中にお立ちの阿弥陀さまは
すべてのものを分け隔てなく救うとおはたらきの仏さまになってくださいました。
 富めるものもどんなに貧しいものも、どんな生活環境にあるものも、たとえ悪いことをした者でもです。
 
 そこまでこの私のことを思いとってくださっているということです。
南無阿弥陀仏「まかせよ救う」といつでもどこでもおはたらきです。
 阿弥陀さまのお救いに駆け引きはありません。
何の条件もなくこの私をそのまま救うとおはたらきですから、そのまままかせてナンマンダブツ、お念仏を申すなかに
阿弥陀さまのお救いに遇えてよかった、あなたに会えてよかったとお念仏の人生を送ることができるのです。
 
 阿弥陀さまのおはたらきは誰にでも届けられてあるのです。
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞かせていただきましょう。
 ただこのみ教えを聞かずじまいに人生を終わるという人もたくさんいらっしゃいます。
この私がそうだったかもしれません。
ご縁があって今ここ阿弥陀さまの御前に座らせていただいているということです。
 
 お念仏申す身にさせていただいたご恩を思うとき
私のすぐ隣の人にもこのみ教えに出遇ってほしいという願いをもって
これからの日々の生活、私にできる精いっぱいのことをさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.29)

小惑星探査機「はやぶさ2」

2018-06-28
 小惑星探査機「はやぶさ2」が目的地の小惑星リュウグウ近くに到達したというニュースです。
今から3年半ほど前に打ち上げられ32億キロに及ぶ宇宙の旅をして
地球から3億キロ離れた小惑星にということです。
 
 もう私たちの想像をはるかに超えたことですが、今の最先端の科学技術を結集した成果で
3億キロ離れた所から通信が送られリュウグウの惑星のすがたを見ることができます。
 
 この大宇宙、私たちのいのちの起源がリュウグウから持ち帰るもので解明されるのではないかと
関係者の方は今からワクワクしているということです。
 
 私たちの阿弥陀さまのお救いは十劫の間思惟し建てられたご本願を永劫の間ご修行を積まれて成就され
すっとお立ちの阿弥陀さま南無阿弥陀仏の仏さまに成ってくださったというみ教えです。
 これまた想像を絶する、私たち人間の人知をはるかに超えたものです。
阿弥陀さまのお救いは人知の及ぶところではありませんが、今ここに苦しみ悩む私がいるということは確かなことです。
この私一人を救うためにすっとお立ちの阿弥陀さま南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまに成ってくださったというのです。
 
 人知を超えた不可思議なおはたらきのみ教えです。ただただそのまま聞かせていただきます。
今日もこうして仏さまの御前に座ってご本尊の阿弥陀さまのおすがたを拝見したときに
光り輝くおすがたが私をそのまま包み込んでくださいます。光の仏さまです。
 摂取の光明です。光のおはたらきを今こここの私に届けてくださってあるのです。
 
 南無阿弥陀仏「まかせよ救う」と、そのこと一つ聞かせていただくなかに
煩悩いっぱいに悩み苦しみ迷うこの私をこそ必ず救うとおはたらきの阿弥陀さまのお慈悲を頼もしく思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.28)

手のひらを返す

2018-06-26
 ロシアで開催のサッカーワールドカップで今日本中が盛り上がっています。
連日の報道で「手のひらを返す」という言葉をよく耳にします。
 
 今回の日本チームの前評判は日本でも決して高くありませんでした。
監督が急に解任され選出メンバーも前回のブラジル大会で大いに期待されたベテランが中心で
どうなることかと殆どの関係者は予選リーグ三連敗を予想し
テレビ新聞のマスコミ報道もここ数回の大会で一番といっていいほど期待感のない冷ややかなものでした。
 
 ところが第一戦に勝ってからというもの連日テレビをつけるとサッカーの話題ばかりです。
まさに手のひらを返すといった現象が今日本中で起こっています。
 
 ただこれは勝負の世界ですから、あともう一戦残っています。
次の第三戦に勝つか引き分けで決勝トーナメント進出ということで
決勝トーナメントの次の相手まで予想して色々といっていますが
もしこれが思うような結果にならないとまた手のひらを返すのでしょうか。
 
 まあこうした大きなスポーツの話題は時が経てば大方忘れてしまいます。
ところが私たちの日々の生活人と人との関係のなかで手のひらを返されたらたまったものではありません。
 皆さんにもそうした経験ってありませんか。
手のひらを返したことには気づかず忘れてしまっても、手のひらを返されたことはしっかり覚えているものです。
 
 私たちの阿弥陀さまのお救いです。
その人人を見て判断したり条件をつけて救うのではありません。相手を見て手のひらを返すことはありません。
 それこそ背中を向けて逃げ惑うものまでも救いとるとおはたらきです。
その救いの目当てこそこの私と聞かせていただきます。
 
 この私一人を必ず救うとすっとお立ちになって、いつでもどこでも南無阿弥陀仏
必ず救うまかせよのおはたらきをしてくださってあるのです。
 
 阿弥陀さまの大きなお慈悲のおはたらきのなかに
今朝も皆さんこの私が御仏前に座らせていただいていることをまた有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.26)

大分まちなかの説明会にお出かけしました。

2018-06-25
 昨日は三佐地区外の大分鶴崎地区三か所で長期振興計画の説明会を行い総代さんと一緒に私と新院が参りました。
円光寺のご門徒は元々は三佐地区の方ばかりでしたが
近年の人口移動で地区外のご門徒が多くなりこのたびの説明会の開催になりました。
 
 地区外のご門徒とは日頃からのつながりが薄く
お寺との関係が地区内とはちょっと感じが違うと総代さんは思われたのではないでしょうか。
 
 このお朝事にしても大分地区の方が毎日毎朝お参りされることは難しいです。前後道中の時間もかかります。
三佐地区内の皆さんだからこそこうしてお朝事のご縁に遇わせていただけるということではないでしょうか。
 
 ご門徒皆さんでも日々の生活ぶりは地区内外を問わずそれぞれ違います。
そうした生活ぶりの違う私たちお互いがこうして一処、一つ処に集まることができるという私たちのご法義です。
 その一つ処が御本尊の阿弥陀如来さまを中心とした
ここはお寺の本堂ですが、皆さんのお家のお仏間であり、阿弥陀さまのお浄土なのです。
 
 私たちは阿弥陀さまのお浄土にこの命終えて往生させていただけるとお聞かせいただきます。
浄土真宗のご縁をいただくなかにお念仏申して一つ処で共々に会えるというのです。
命終わって死んだらおしまいではなくお浄土に生まれて仏さまのおはたらきを始めるというのです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきひとつで、阿弥陀さまのお浄土に往き生まれ仏さまと成らせていただき
この迷いの世に還り来て有縁のものを護り救うというのです。
 
 人の命は終わりますが、仏さまのいのちとなって大きないのちのつながりのなかにこれからもずっと生き続けるのです。
 
 今日の御文章さまのなかに「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」とありました。
阿弥陀さまのお救いは摂取の光明のおはたらきとなって
私たちのところにいつでもどこでも届いてくださってあるといいます。
 
 南無阿弥陀仏の大きなおはたらきのなかに今日の一日も共々に生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.25)

霧の朝です。

2018-06-24
 今日は霧の朝になりました。
お正信偈さまのなかに「雲霧」という言葉が三回出てきます。
 
 「貪愛瞋憎之雲霧」と、むさぼり欲の心怒りの心という煩悩のはたらきを雲霧に譬えて、雲や霧が日光を覆うといいます。雲や霧がかかると私たちは太陽そのままを見ることはできません。
 
 ところが日光が厚い雲や霧に覆われていても日中外に出て懐中電灯が無いと真っ暗で歩けないということではありません。日光のはたらきは確かに私のところに届いているのです。
 阿弥陀さまの摂取の心光お救いのおはたらきです。
煩悩の雲霧に覆われても妨げられることなくこの私のところに届いてくださってあるというのです。
 
 煩悩をもった私たちは煩悩をもったままで阿弥陀さまの大きなお慈悲のお救いのなかにあるという譬えです。
雲や霧は私の力では晴らすことはできません。
私を悩み苦しめる悪業煩悩はそのまんま私の身について命終わるまで一緒です。
だからこその阿弥陀さまの摂取の心光、光明のおはたらきなのです。
 
 親鸞聖人は無碍光といただかれました。無碍光とはさわりなき光です。
私の心の中にまでおはたらきです。悪業煩悩の障りを障りとせずそのまんま抱きとってくださる大きなおはたらきです。
 
 この私一人を救わずにはおかないと南無阿弥陀仏とおはたらきくださる阿弥陀さまの大きなお慈悲を
毎朝もお正信偈さまを拝読して有難くいただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.24)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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