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お念仏を申す生活法話

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手のひらを返す

2018-06-26
 ロシアで開催のサッカーワールドカップで今日本中が盛り上がっています。
連日の報道で「手のひらを返す」という言葉をよく耳にします。
 
 今回の日本チームの前評判は日本でも決して高くありませんでした。
監督が急に解任され選出メンバーも前回のブラジル大会で大いに期待されたベテランが中心で
どうなることかと殆どの関係者は予選リーグ三連敗を予想し
テレビ新聞のマスコミ報道もここ数回の大会で一番といっていいほど期待感のない冷ややかなものでした。
 
 ところが第一戦に勝ってからというもの連日テレビをつけるとサッカーの話題ばかりです。
まさに手のひらを返すといった現象が今日本中で起こっています。
 
 ただこれは勝負の世界ですから、あともう一戦残っています。
次の第三戦に勝つか引き分けで決勝トーナメント進出ということで
決勝トーナメントの次の相手まで予想して色々といっていますが
もしこれが思うような結果にならないとまた手のひらを返すのでしょうか。
 
 まあこうした大きなスポーツの話題は時が経てば大方忘れてしまいます。
ところが私たちの日々の生活人と人との関係のなかで手のひらを返されたらたまったものではありません。
 皆さんにもそうした経験ってありませんか。
手のひらを返したことには気づかず忘れてしまっても、手のひらを返されたことはしっかり覚えているものです。
 
 私たちの阿弥陀さまのお救いです。
その人人を見て判断したり条件をつけて救うのではありません。相手を見て手のひらを返すことはありません。
 それこそ背中を向けて逃げ惑うものまでも救いとるとおはたらきです。
その救いの目当てこそこの私と聞かせていただきます。
 
 この私一人を必ず救うとすっとお立ちになって、いつでもどこでも南無阿弥陀仏
必ず救うまかせよのおはたらきをしてくださってあるのです。
 
 阿弥陀さまの大きなお慈悲のおはたらきのなかに
今朝も皆さんこの私が御仏前に座らせていただいていることをまた有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.26)

大分まちなかの説明会にお出かけしました。

2018-06-25
 昨日は三佐地区外の大分鶴崎地区三か所で長期振興計画の説明会を行い総代さんと一緒に私と新院が参りました。
円光寺のご門徒は元々は三佐地区の方ばかりでしたが
近年の人口移動で地区外のご門徒が多くなりこのたびの説明会の開催になりました。
 
 地区外のご門徒とは日頃からのつながりが薄く
お寺との関係が地区内とはちょっと感じが違うと総代さんは思われたのではないでしょうか。
 
 このお朝事にしても大分地区の方が毎日毎朝お参りされることは難しいです。前後道中の時間もかかります。
三佐地区内の皆さんだからこそこうしてお朝事のご縁に遇わせていただけるということではないでしょうか。
 
 ご門徒皆さんでも日々の生活ぶりは地区内外を問わずそれぞれ違います。
そうした生活ぶりの違う私たちお互いがこうして一処、一つ処に集まることができるという私たちのご法義です。
 その一つ処が御本尊の阿弥陀如来さまを中心とした
ここはお寺の本堂ですが、皆さんのお家のお仏間であり、阿弥陀さまのお浄土なのです。
 
 私たちは阿弥陀さまのお浄土にこの命終えて往生させていただけるとお聞かせいただきます。
浄土真宗のご縁をいただくなかにお念仏申して一つ処で共々に会えるというのです。
命終わって死んだらおしまいではなくお浄土に生まれて仏さまのおはたらきを始めるというのです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきひとつで、阿弥陀さまのお浄土に往き生まれ仏さまと成らせていただき
この迷いの世に還り来て有縁のものを護り救うというのです。
 
 人の命は終わりますが、仏さまのいのちとなって大きないのちのつながりのなかにこれからもずっと生き続けるのです。
 
 今日の御文章さまのなかに「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」とありました。
阿弥陀さまのお救いは摂取の光明のおはたらきとなって
私たちのところにいつでもどこでも届いてくださってあるといいます。
 
 南無阿弥陀仏の大きなおはたらきのなかに今日の一日も共々に生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.25)

霧の朝です。

2018-06-24
 今日は霧の朝になりました。
お正信偈さまのなかに「雲霧」という言葉が三回出てきます。
 
 「貪愛瞋憎之雲霧」と、むさぼり欲の心怒りの心という煩悩のはたらきを雲霧に譬えて、雲や霧が日光を覆うといいます。雲や霧がかかると私たちは太陽そのままを見ることはできません。
 
 ところが日光が厚い雲や霧に覆われていても日中外に出て懐中電灯が無いと真っ暗で歩けないということではありません。日光のはたらきは確かに私のところに届いているのです。
 阿弥陀さまの摂取の心光お救いのおはたらきです。
煩悩の雲霧に覆われても妨げられることなくこの私のところに届いてくださってあるというのです。
 
 煩悩をもった私たちは煩悩をもったままで阿弥陀さまの大きなお慈悲のお救いのなかにあるという譬えです。
雲や霧は私の力では晴らすことはできません。
私を悩み苦しめる悪業煩悩はそのまんま私の身について命終わるまで一緒です。
だからこその阿弥陀さまの摂取の心光、光明のおはたらきなのです。
 
 親鸞聖人は無碍光といただかれました。無碍光とはさわりなき光です。
私の心の中にまでおはたらきです。悪業煩悩の障りを障りとせずそのまんま抱きとってくださる大きなおはたらきです。
 
 この私一人を救わずにはおかないと南無阿弥陀仏とおはたらきくださる阿弥陀さまの大きなお慈悲を
毎朝もお正信偈さまを拝読して有難くいただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.24)

雨の日には雨の日の生き方がある

2018-06-23
 昨日は県内でも真夏日の所があり暑い一日でしたが、今日は朝から雨になりました。
今は梅雨で、雨の日が多いですが、皆さんは雨の日はどう過ごされますか。
 決まったお仕事がない土曜日日曜日は、外に出かけることもなく家の中で過ごすことが多いのではないでしょうか。
子どもの頃、雨になれば外で友だちみんなと一緒に楽しく遊ぶことができず降る雨を見て恨めしく思ったものです。
 
 「雨の日には雨の日の生き方がある」という言葉があります。
 遠くお釈迦さまの時代です。お釈迦さまは35歳でお悟りを開かれ涅槃に入る80歳まで
遊行といってインド各地をたずね伝道の旅を続けられたと伝えられます。
 ただインドの国には雨季があって、その期間お坊さんたちは精舎というお寺に集まって勉学に励まれたといわれます。
雨が降るから外に出ないということですが、殺生をつつしむ仏道修行のためだというのです。
 
 雨季は命が芽生え活動する時節だといいます。
この梅雨の時期、農家の方は田植えでまた野菜を作っている方も雨を待っておられます。
雨が降ると作物がスーッと生き返るように育ちます。
 
 植物だけでなく動物も、この目には見えないけれども小さな虫たちが地中から出て地面を這っているといいます。
その命を足で踏んで殺さない、殺生しないということもあって室内に留まるというのです。
 
 雨の日には雨の日の生き方がある。
雨の日だからこそ日頃できないこと家でできることもあるのではないでしょうか。
 
 阿弥陀さまのお救いを思います。
この人生は自分の思い通りになるような晴れの日ばかりではありません。
曇りの日もあります。雨の日もあります。大風の日もあります。
 
 でもどんな日でも大丈夫、南無阿弥陀仏の大きな大きなお慈悲のなかに生かされてあると聞かせていただきます。
今日は一日中雨の予報ですが、お念仏申すなかにすてきな一日を過ごさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.23)

たまたまの仏さまのご縁です

2018-06-22
 ご本山の会議で京都に行ってきました。
私たちの日常はいつもの営みを中心にその日に予定された事柄を中心に日々の生活を営んでいます。
決められた時間決められた場所に行きいつものメンバーに会います。
 
 予定通りのことばかりではなくて予定にはなかったことに遇うこともあります。
今度京都に行ってたまたま知り合いの方に久しぶりに会いました。
予定にはなかったことで「これも何かのご縁ですね」と互いに声に出たことです。
 
 たまたまといいます。偶然という言い方をしますが、仏さまのご縁でいうと、これは必然
遇うべくして遇うことができたということです。
 たまたまの仏さまのご縁です。
会った二人が二人とも思ってもみなかった、予定していなかったことが実現するということです。
私たちの思いを超えたことが起こります。仏さまのご縁といただきます。
仏さまが用意をしてくださってあったと、たまたまといただきます。
 
 私たちは今御仏前に座っています。
座ることができたといただきます。たまたまの仏さまのご縁です。
 私の見方でいうと私がこの時間この場所に来たということですが
座ってみればたまたまだったと有難くいただけるのも仏さまのご縁だと思います。
 
 自分のところで私が私がと力が入ると
私が来たのに誰もいなかった、私が来たのに何かという思いもでてきて
私の思い通りにならないと腹が立つのが私たちです。
 
 座ってみればたまたまだった、仏さまのご縁をいただけたということです。
私たちの日々の生活もたまたま仏さまの大きな大きなおはたらきのなかにあるんだといただくと
何か肩肘張って私が私がと頑張って生きている私がちょっと少し楽になるのではないでしょうか。
 
 ナンマンダブツとお念仏を申してくれよ、そんなに頑張らなくてもちょっと肩の力を抜いて一緒にいこうねと
南無阿弥陀仏の大きなおはたらきのなかに生かされて生きていることを有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.22)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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