私のことを思うて届けられたお念仏です
昨日ご門徒さんが年賀の手作りのものを届けてくださいました。
毎年いただきますが、もうこんな時期になったのかと思いました。
又あるご門徒さんの所では、除夜会元旦会のお参りの皆さんに出す手作りのおせちを届けますと言われました。
あっえっ何かつい最近そんなことを聞いたそんなことがあったようなことと思って
一年過ぎるのが本当にあっという間本当に早いなと思います。
12月に入るとお歳暮が届きます。年が明けて年賀状が届きます。
ある方は形ばかりのことで意味がないとまでいう人がいますが
段々齢を取ってきますと形ばかりとはいえと思うようになりました。
形を通してそこに届けてくださるあなたです、その方の気持ちが届けられることを心強く有難く思います。
段々齢を取ってきますと周囲の知人友人そして家族が亡くなっていきます。
そういうなかで私のことを思うてくださる心持ちが届くというのが本当に頼もしく力強く有難いのです。
私たちの南無阿弥陀仏のお念仏です。
阿弥陀さまがこの私一人を救うと思いおはたらきとなって届けられたお念仏がこの口から出てくださるのです。
ナンマンダブツナンマンダブツとこの口からお念仏が出てくださるということは
もう既に阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲のなかに私たちは抱き取られてあるのだと聞かせていただきます。
ナンマンダブツナンマンダブツと、ありがとうございますとまた御礼のお念仏を申させていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.12.25)

「人身受け難し今すでに受く、仏法聞き難し今すでに聞く」
昨日別府別院の初法座のご縁にお参りさせていただきました。
佐賀の方からご講師がみえてご法話お聴聞させていただきました。
ご法話のご讃題は礼讃文といってどの仏教聖典にも大抵載っている御文で
「人身受け難し今すでに受く仏法聞き難し今すでに聞く」でした。
人身というのは人の身この人間に生まれるということは本当に難しい中にできてこの私が今ここにあるということです。
そして人間に生まれても仏法に遇うことはこれほど難しいことはないというのです。
お釈迦さまの譬え話に、ガンジス河という大きな川の河原の無数にある砂を手にすくい取ってお弟子さんに
「人間に生まれるというのはこの河原のすべての砂の中のこの手にしたこれぐらいなものだよ」と言って
そしてその砂を指先だけに残し払って
「人間に生まれたなかでも仏法に遇うことはこの指先の砂ほどに有難いものなんだよ」と教えられたといいます。
人間に生まれて仏法に遇わせていただくことの有難さとを譬え話で
人間に生まれる確率は年末ジャンボの1等10億円の宝くじが100本100回当たるようなもので
1回当たるのも甚だ難しいなかでこれほど難しいことはないとお話されていました。
そして人間に生まれたなかで仏法に遇わせていただくということです。
私たちは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道六つの世界を輪廻してこのたびは人間に生まれたということです。
この六道すべてが迷いの世界ですが、人間世界に生まれた意味は仏法に遇えるご縁をいただくということなのです。
お釈迦さまがこの人間界に生まれ出てくださったということです。
私たちと同じ人間の身を生きおさとりを開かれて仏に成られます。
そして仏法を説かれお経さまとして私たちに伝えてくださってあるということです。
お釈迦さまは迷いの人間世界に生きる私たちに
仏法に遇って今度こそは六道の迷いを超えて仏の世界に生まれて来いよと願われています。
人間に生まれて仏法に遇わせていただくことの有難さを思います。
仏法に遇うために人間に生まれさせていただいたといただきます。
今ここにこの私が仏法のご縁に遇うことができたことを有難く受けとめて
これからもお念仏申すなかに日々生活させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.9)

今日から学校です。三学期が始まります。
今日は1月8日で学校が始業式ということです。三学期が始まります。
子どもたちはどんな気持ちで今日の朝を迎え学校に行くのでしょうかね。
小学生の頃を思い出します。冬は嫌でした。
毎年しもやけができて、手足の指が真っ赤に腫れ上がりかゆくてかゆくてなかなか寝付けなかったです。
指を糸でしばって針で血を出すんですが、これが痛くて嫌でたまりませんでした。
中学高校になると体育の時間が決まってマラソンでした。
これも本当に嫌でそれこそ風でも吹いて雨でも降って中止になればいいと何度も思ったものです。
今日はこんな楽しみがあるとウキウキして家をでかけることもあれば
今日はこれをしなければいけないとため息を何度もついて暗い気持ちで
学校にまた職場に出かけることもあるのではないでしょうか。
自分の思い通りにならないということは嫌な思い出として今も心の片隅にしっかり残っています。
ただ考えようによっては思い通りにならないことも含めて今の私があるということではないでしょうか。
それこそ苦しみ悩み迷いのなかにある私をこの阿弥陀さまはすでに見抜かれ見捨てることなく
そのまま救う必ず救うまかせよと南無阿弥陀仏となって私のところに来てくださってあると聞かせていただきます。
子どもの頃若い時分は嫌だ嫌だというばかりでしたが
こうしてお聴聞させていただくなかにあの頃も今もそしてこれからも
大きな大きな阿弥陀さまのお慈悲のなかに日々の生活をさせていただけるとまた有難く思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.8)

じいちゃんの祥月命日です
今日12月30日は私の祖父円光寺16世照然住職の祥月の命日です。
昭和41年に往生ということで、今年が昭和93年ですから53回忌になります。
80歳でした。父が74歳でした。年忌を重ねていきますが、遠くなるほどに近くなるといった感覚があります。
私も66歳になりました。あと8年すれば父の往生の歳になります。あと14年もすれば祖父の往生の歳になります。
その歳歳に思うことです。お寺をあずかる住職という立場もあっていろんなことを思います。
たくさんのご苦労があったんだなと思います。
門徒さんとの関係はどういうご縁つながりだったかなと思いをはせます。
私の祖父のことでいえば先日大海組の組史をみることがあったのですが
終戦の時に別府の別院にある教務所に奉職して事務所長をしていたと記録されていました。
戦中お寺をめぐり大変なことがあったと想像できます。
そうした困難ななかに円光寺を大海組を大分教区を支えてくださったご苦労は本当に大変大きなものだったんだなと
今朝こうしてお勤めをしながら思うことです。
先人を偲ぶといいます。偲ぶとは思うこと、その人のことを思います。
そしてこの私の歩みを思います。これまでの歩みを振り返ることでありこれからの歩みを思うことでもあります。
先人の歩み思いを受けついで私にできる精いっぱいのことをさせていただくことです。
お念仏のご法義相続です。
南無阿弥陀仏のお念仏のみ教えを一人でも多くの方にお伝えさせていただくお手伝いを今日も一日できたらと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.12.30)

女性7人おひとりさまの会
今日を入れて今年もあと三日になりました。
まだ年の瀬という感じがしないのですが、テレビ番組はいつものではなく特別なものになっています。
長いですね。二時間三時間四時間のものもあります。ずっと観るのも大変です。
テレビをつけて昨日ウトウトしながらある番組が耳に入ってきました。
7人の女性80歳前後のおひとりさまが同じマンションに住んで生活するという記録です。
10年前に会を立ち上げてということです。
7人とも健在ですが、70歳の人は80歳になるんですね。
70歳から80歳になるということは皆さんも私も想像できませんが、ずいぶん状況が違ってくるということです。
一人二人とお友だちが亡くなっていきます。
7人は今は元気ですが、そうしたなかでも病気でがんの宣告を受けたとか入院されたという方もいらっしゃって
段々心細くなるということです。
よく女性7人が共同の部屋に集まっておしゃべりをするのが生きがいという話でした。
ただこれから10年先のことは中々考えられないことだと思います。
一日一か月一年と生活するなかでいつか必ずこの命終えていかなければなりません。
ある人が「7人のうちで一番早くには逝きたくない、でも一番最後もいや、真中ぐらいがちょうどいい」と言ってました。
みんなそう思っているのかなと思ったりしますが、みんなが思い通りにはいきません。
いつどんなかたちでこの命終わるかもわからないなかで、この一日です。
今日の一日を本当に大切に生き切ることが歳を重ねるなかで大事になってくるのではないでしょうか。
明日がある明日があるといって希望があっていいですが、明日があるという保証も誰にも一つもありません。
明日を夢見ることもいいです。でも今日です。
今こここの私を生きるというなかに本当によかったと言える今日一日、本当によかったと言えるこの一か月
本当によかったと言えるこの一年、本当によかっと言えるこの一生を生き抜かせていただきたいものです。
そこは私一人ではなくって本当に支えてくださる方がいらっしゃるということです。
私たちにとってこれが南無阿弥陀仏です。
ナンマンダブツとお念仏申す生活をさせていただきます。
大きな大きないのちのつながりのなかに生かされ支えられ
お念仏のお同行、お念仏のお友だちお仲間と共々にお浄土への人生をご一緒させていただきます。
お念仏のみ教えにつながって本当に人間に生まれてよかったあなたに会えてよかったと言える人生を生き抜き
人のいのちは終わりますがお浄土に生まれて仏さまに成らせていただく、このいのちをあと三日いただいて
今年も一年本当によかったと終えたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.12.29)
