ご法事の俱会一処のご縁です
2024-02-01
親戚のご法事
年回法要のご縁にお参りしました。
ご本尊の阿弥陀如来をご安置する
浄土真宗のお仏壇の御仏前でお勤めをします。
有縁の方々がお参りです。
近くに居ても日頃は集まることがない親戚縁者も
ご法事のご縁で再会します。
先に往かれた方を偲ぶご縁で
先人をたずねていろんな思い出話になりますが
会ってすぐ「久しぶりやねえ」「どうしてる」などと
お互いの近況報告会になります。
何か先人を置いてけぼりにして
すまない思いもありますが
先に往かれた仏さまのご縁です。
仏さまが私たちにつくってくださった
「俱会一処」のご縁です。
お経さまに阿弥陀さまのお浄土を「俱会一処」と説かれ
先に往かれた方々と俱にお浄土で再会できると
聞かせていただきますが
ご法事のご縁が私たちの俱会一処のご縁です。
ご法事のご縁で有縁の方々と久しぶりに再会し
またそれぞれ日々の生活にかえっていきます。
生活ぶりはそれぞれ違いますが
お念仏を申す生活です。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
これからも共々に生かされて
仏さまのご縁にまた再会いたしましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.2.1)
同じ「南無阿弥陀仏」ですが ※転載
2024-01-31
久し振りに親戚の法事に出かけました。
その家は、京都の知恩院を本山とする浄土宗で
ほどなく住職が見えられ、読経が始まりました。
他宗とはいえ、例えば真言宗や禅宗に比べると
同じ阿弥陀さまをご本尊とし
お念仏を称える宗旨ですから
よほど親近感を覚えます。
読まれているお経も
『観無量寿経』や『阿弥陀経』など
耳に馴染んだものばかりで
人間とは妙なもので、「知ってる」と思うと
安心したりうれしくなったりするものです。
ところが途中で何度か住職が
「さあ皆さん、ご一緒に、お念仏を大きな声で
十返称えて下さい」と、促されるのです。
一同、手を合わせて大声で
「ナームアミダブ」と称えるのですが
それにはどうしても違和感があるのは
自分が浄土真宗で育っているからでしょうね。
よく、浄土宗と浄土真宗は
どこが違うのですかという質問を受けますが
お念仏をどのように味わうかについても
大きな相違があるように思えます。
浄土宗のお寺さんが
一緒に称えようとおっしゃるお念仏は
外に向かって
誰かに聞かせているような感じです。
私の称えるお念仏を
阿弥陀さまに聞いていただくのでしょうか。
浄土真宗はそのようなお念仏ではありません。
「われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀仏
つれてゆくぞの 親のよびごえ」という
有名な言葉がありますが
誰に聞かせるのではなく
間違いなく救うという
阿弥陀さまの喚び声として
自分の心の内に聞いていくのが
私たちのお念仏です。
※菅純和著「仏事の小箱」
『御堂さん』2024年2月号より
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.31)
三七日のご縁です
2024-01-30
母が往生して三七日のご縁です。
大切な人とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただける有難さです。
先にお浄土に往かれた方は
今は仏さまとなって私たちの世界に還って来て
私たちを護り救う
南無阿弥陀仏のおはたらきをしてくださっていると
浄土真宗のみ教えを聞かせていただきます。
さて皆さんが仏教に向き合うときにわかりにくいのが
同じ仏教なのにいろんな宗派があって
それぞれ違うということではないでしょうか。
私のこの目で見えるお仏壇が宗派宗派で違います。
真ん真ん中にご安置する仏さまが違います。
ご本尊と申します。
最も尊ぶべき仏さまです。
仏さまなら何でもいいのではありません。
ご本尊の仏さまに迷いの私がさとりの仏に成る
教えがこめられているのです。
私たちの浄土真宗のご本尊の仏さまは
阿弥陀如来さまです。
このご本尊のおすがたですが
三つのおすがたがあります。
お木像とご絵像の阿弥陀さま
そして南無阿弥陀仏のお名号のおすがたです。
こんなお話をすると
「どれが一番いいのですか」という質問を受けますが
どれも同じ「われにまかせよ必ず救う」という
阿弥陀さまのおはたらきをあらわしているのです。
この目にすっと入ってくる阿弥陀さまのお姿は
すっと立っています。
お立ち姿の阿弥陀さまです。
私たちのご本尊の阿弥陀さまは立っていますが
臼杵の石仏に行きますと
立っている阿弥陀さま(立像)と
座っている阿弥陀さま(座像)がいらっしゃいます。
実は立っていることに意味があるのです。
座っちゃおれなくて立ちあがったのです。
なぜ?
迷っている私の姿を見たからです。
ただ向こうの方に立っているのではなく
私のところに来てくださっているといいます。
「われにまかせよ必ず救う」のおはたらきです。
南無阿弥陀仏のお名号をなって
私に至り届きおはたらきくださっていると
私の口から出てくださるお念仏です。
阿弥陀さまがいつでもどこでもご一緒です。
私がどんな状況にあっても
苦しい時も悲しい辛い時も
楽しい時嬉しい時もです。
「いつも私が一緒だよ。大丈夫安心して
あなたのいのち精いっぱい輝かせて
一緒に生きて往きましょう」と
喚んでくださる阿弥陀さま
そしてご先祖有縁の仏さまです。
お念仏申しお念仏の声を聞きつつ
往生浄土の人生を共々に生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.30)
今日は「アレ」しよう!
2024-01-29
昨日の大阪国際女子マラソンで
前田選手が29年ぶりに日本記録を出しました。
前田選手は東京五輪にも出場した実力者ですが
東京五輪の成績が振るわずその後も低迷して
去年のパリ五輪選考レースでも
出場内定枠の2位までに入ることができず
今回は五輪出場をかけた最後のチャレンジでした。
大会前に前田選手に今回の目標を聞いたところ
「アレです」という答えだったそうです。
昨年プロ野球でセリーグ優勝そして日本一になった
岡田阪神監督の「アレ」です。
前回の五輪選考レースでは
「優勝してパリ五輪出場を決める」と宣言し
それがかえってプレッシャーになったという話です。
「アレ」とは、五輪出場資格記録
大会優勝、大会新記録
日本記録の更新など色々考えられますが
本人の胸の内にしまってのレースでした。
ペースメーカーの設定は五輪出場記録でしたが
20キロ過ぎでペースメーカーを置き去りにして
トップに立ちます。
結果は2位でしたが
見事日本新記録の樹立です。
レース後「アレは日本新記録の更新でした」と
明かしました。
「アレ」ということで
必要以上に結果に執らわれずリラックスして
自分の力を出し切れたということでしょう。
具体的に目標を抱え込まないで
今できることをさせていただく
そして結果は結果として受け止め
次のステップにするという姿勢です。
中々できることではありません。
自分の力や立ち位置を考えず
いたずらに目標を立てては
結果が出ないと周りのせいにし
できなかったことをいつまでも悔やむ私がいます。
今日も一日が始まります。
あなたの今日の「アレ」は何ですか?
欲張りな私はいくつもの「アレ」を目指します。
そして時間が経つうちに
「明日があるさ」と先延ばしにしては今日一日を終えます。
何か同じことの繰り返しのようですが
何か一つの「アレ」ができたらと思います。
人生の「アレ」です。
「人間に生まれて何のために生きているのか」
わが人生の目的です。
このいのち「どこに向かって生きているのか」
仏法に聞かせていただく一大事です。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.28)
人生100年時代を生きる
2024-01-28
NHKの朝のニュース番組で
「人生100年時代をどう生きる」をテーマに
高校生と考える特集を観ました。
まず「これから80年後を想像してください」
と言われて高校生は
「友だちがいて健康であれば人生を大いに楽しみたい」
「チャレンジする時間が延びるということで
失敗してもやり直せることが増える」
「人生60年だと短いから、今できることをやろうと
今を生きることに注力できる」などと答えます。
80年後なんてとても想像できないと思いますが
『人生100年時代の人生戦略』の英国の著者は
16歳の高校生から考えることが大事だと強調します。
先の著者は
今の高校生の親世代は「教育」「仕事」「老後」という
人生の三つのステージを生きてきたが
今の高校生の世代が生きる人生100年時代は
違うといいます。
仕事を定年退職した後の人生などということではなく
健康と貯蓄を確保しつつ
働き続けねばならないというのです。
そこで有形資産であるお金も大切だが
無形資産も同じくらい大切だと理解することの重要性を
次のように言われます。
無形資産とはお金で買えないもののことで
①常に新しいことを学び続けること
②心身ともに健康であること
肉体的にも健康で友人をもって
精神的にも活力をもつこと
➂変化に向き合うこと
新しいものに対して開かれた心をもつことの三つです。
そしてこの無形資産の重要性を
高校生にきちんとなるべく早く伝えるべきだと言います。
この三つの無形資産は
すべて時間に関わっています。
新しいことを学ぶには時間が必要です。
健康にいるにも新しい友人を理解するにも
本当に時間がかかります。
無形資産を築くことは
自分の時間をどう使うかです。
若いうちから「人生をどう生きるのか」
「自分にとって何が大切か」
考える習慣を身につけることで
よりよい無形資産を築くことができます。
AIの登場で変化の激しい今の時代だからこそ
真剣に考える必要があるのです。
生成AIが私たちの仕事や考え方を変えているからこそ
高校生が今本当に問われているのは
人間性をどう育てるかということです。
「人間とは何か」「機械とは何が違うのか」
自分に問わなければいけません。
私たちはみんな感情を持ち
お互いを理解することができます。
そして創造的でもあります。
何がベストか判断することもできます。
これは機械にはできないことです。
そこが人生100年時代の
教育のポイントかもしれません。
今後80年の間に
予想外の出来事がたくさん起こると思います。
生成AIを予測していなかったように
こうした飛躍的な発展はまだまだ出てくるでしょう。
ですから今の若い人には
未来にはワクワクすることがあると考えてほしいのです。
以上の発言を聞いて
長い人生において有形資産であるお金の心配は
避けて通れないが
それと同じくらい長生きの時代に
無形資産が大事になると
著者は伝えたいのではないかという感想です。
無形資産について学んだ生徒の感想は
〇お金だけで解決できるものには限りがあり
有形資産だけでも無形資産だけでも
幸せになるのは難しい。
〇二つは密接に関係しており
無形資産は外から見えないものだが
若いうちから心がけて磨きあげたい。
スタジオでは
〇30代後半になってライフステージが変化したと感じる。
今の自分と変化にしっかり向き合って
これからの人生何を大切にしたいか
今一度立ち止まって考えたいと感じた。
〇与えられたモデル通りには生きられないが
ワクワク楽しみながら自分で選択して
人生をつかみ取って行くという
メッセージでもあると感じた
私の感想です。
人生を豊かに生きる無形資産ということで
仏教に学ぶことの大切さを思いました。
仏教に学ぶということについて
定年後老後の趣味のように思われている感じがありますが
仏教は「今を生きる」というテーマに
十分応えられる教えです。
定年後とか高校生とかに限らず
今を生きる私たちそれぞれの人生において
仏教に学ぶことが大事です。
人生そのものに向き合い考えることは
時間も必要だし仕事をしながらでは
大変制約があって難しいと思います。
それで仕事を終えて時間ができてと
いうことになってしまいますが
社会に出る前の時間に
仏教に学ぶことの意義は大きいと思います。
『君たちはどう生きるか』のコペル君は
15歳の中学2年生でした。
本願寺出版社からも
『13歳からの仏教』『高校生からの仏教入門』などの
中高生向けの仏教書が出版されています。
まだまだ早いではありません。
仏さまのご縁はいつでもどこでも誰にでもです。
今こここの私に仏さまのご縁は
届けられているのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.28)