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お念仏を申す生活法話

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大雨のなかの七夕です。

2018-07-07
 大変な大雨になりました。各地で大きな被害が出ていないか心配です。
ここ大分も夜半凄い雨になって一体どうなることかと不安になりました。
 気象レーダーを見ますと、赤色が一番危険なマークかなと思ったらその上に紫があるんですね。
その紫が帯状に九州北部から中国地方、兵庫京都までずっとかかっています。
 
 大雨のなかで自然の脅威に不安におののく私たちです。
どんな人間の力をもってしてもどうしようもないなかに私たちの日暮しがあるんだなとまた思い知らされます。
 
 今日7月7日は七夕です。織姫と彦星の伝説があります。
天の川を隔ててある二人が一年に一度7月7日に会うことができるといいます。
 願いがかなうということで短冊に願いを込めて七夕飾りをするという習慣が伝えられます。
 
 この願い、中々願い通りには思うようにはいきません。
この時期はまだ梅雨です。雨の時節です。
今は長浜さまの夏祭りがあっていますが、昔から雨の長浜さまと言われ雨にたたられることがしばしばです。
 
 何でこの雨の時期に七夕かとも思います。
願いは中々かなわないもので、だからこそ願いをもって努力精進する
思いをもって生きていくことが大事だよと教えてくれているのでしょうか。
 
 私たちの阿弥陀さまのご本願の願いは私たちの願いを超えた大きな大きな願いです。
私たちの願いはどこまでも自分を中心に自分さえよければというところがどこかにありますが
仏さまの願いはすべてのものの幸せを願って分け隔てなく等しく救うという大きな願いです。
 
 南無阿弥陀仏の大きな願いのなかに生かされている私たちです。
「まかせよ救う」のおよび声を聞かせていただきお念仏申して
今日も一日雨のなかですが共々に過ごさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.7)

この私一人がためのご縁といただきます。

2018-07-06
 昨日はあんのん法話会ということで、あんのん館で月に二回朝のご縁と夜のご縁を開いています。
夜のご縁は男性の方が中心で、朝のご縁は女性の方それも円成会という70歳以上のご門徒の会のメンバーが中心です。
ただ法話会を始めて10年になります。円成会でいいますと20年前からの会ですから
皆さんご高齢になって一人二人三人とお参りされる方が少なくなりました。
 
 昨日は雨ということもありましたから、一人のお方がお参りでした。
気の毒そうに「私だけ一人で悪いなあ」と言われます。一人だけご縁をいただいてということです。
 
 ただ仏法聴聞のご縁は大勢で皆さん一緒にお聴聞するご縁も確かに有難いんですが
結局のところは「信心は一人のしのぎ」と言われるように
この私一人を救うためにすっとお立ちの阿弥陀さま
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまに成ってくださったというご法義なのです。
 
 私一人のためにと聞かせていただきます。
人人みんなすべてのものを必ず救うという阿弥陀さまのご本願のお救いですが
そのご本願のお心をたずねていけばこの私一人を救わんがためにといただかれたのが親鸞聖人なのです。
 
 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」と有名な歎異抄のお言葉があります。
親鸞一人がためという親鸞というその名を皆さんのお名前に受けとめて
どうぞこれからもご縁ご縁に円光寺に足を運んでいただきたいと、昨日そして今日のご縁に思うことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.6)

あれから一年経ちました。

2018-07-05
 今日は朝から雨になりました。
去年の九州北部豪雨から今日で一年が経ちます。大分県は日田市、福岡県は朝倉市を中心に大きな被害がでました。
 
 今朝の新聞に息子さんとお母さんを亡くされた方の記事が載っていました。
お二人のお遺骨をまだ納骨できないままであるということです。
お遺骨に好物のものをお供えしていますとありました。
時間は経過しても、一緒に暮らした日常はその時のまま、決して忘れることができないという篤い思いです。
 
 この一年、大切な方を亡くされたご遺族、被害に遭われたご家族ご縁の方々、色んなことがあったと思います。
まだまだ家に帰れない、帰る家が無くなった方もいらっしゃるでしょう。
 
 これから皆さんご自分の家にお帰りになって今日の一日が始まるということですが
このことについても明日はどうなるのかわかりません。この身自体がどうなるのかわからないのです。
 
 諸行無常のただなかに私たちはこの身を生き日暮ししているということです。
決して脅かしているわけではありません。本当のことです。
 本当のことだと知っていてもなかなか自分のこととして受け止めることは難しい。
聞き方によっては大きな不安になり迷いにもなります。
 
 不安ななかに日暮しし苦しみ悩み迷う私を救おうと私たちの阿弥陀さまはすっとお立ちになってくださいました。
南無阿弥陀仏となっていつでもどこでもこの私のところに来てくださり「まかせよ救う」とおはたらきです。
 真実の依りどころを私たちは南無阿弥陀仏と聞かせていただいて生きて往けるというお念仏のお救いのみ教えです。
 
 あの日から時間が止まって、納骨が中々できないというのも本当の気持ちだと思います。
お手次ぎのお寺さんがあればお寺さんともご縁の方とも相談して、納骨しようと思ったときに納骨されたらいいと思います。
 納骨とはお遺骨を納めるということ、お遺骨の行き先を用意してくださってある有難さを思います。
 
 どんな人も必ず命終えていかねばなりません。
死の縁無量で、いつどこでどんなかたちで命終えるのか、わかりません。
 まさにはかないいのちですが、どんないのちであっても等しく必ず救いとると
阿弥陀さまはお浄土を用意してくださってあると聞かせていただきます。
 
 阿弥陀さまのお浄土に私は往ったことがありません。見たこともありません。
「そんなところあるものか」と言われる方が多いでしょう。
 ただ私は南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞かせていただくばかりです。
 
 先に往かれた方は阿弥陀さまのお浄土に生まれてもうすでに仏さまと成って
この私を護り救うというおはたらきをしてくださってあると
南無阿弥陀仏の大きなお慈悲のなかにナンマンダブツとお念仏を申して
今日も一日確かに確かにお浄土への日暮しをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.5)

阿弥陀さまのお救いは平生今こここの私のお救いです。

2018-07-04
 私たちの阿弥陀さまのお救いは平生のお救いといいます。平生とは今ここです。
私たちの阿弥陀さまはいつでもどこでもどんな人でも必ず救うというおはたらきの仏さまになってくださいました。
 
 いつでもだったら今でなくても明日でもいいんじゃない
どこでもだったらここでなくてもいいんじゃない
誰でもだったら私でなくてもいいんじゃないと聞かれる方がいらっしゃいます。
 
 いつでもというのは今、どこでもというのはここ、誰でもというのはこの私を目当てに
阿弥陀さまはご本願を建てられ南無阿弥陀仏の仏さまと成って必ず救うと
ずっとこれまでもずっとこれからもおはたらき通しなのです。
 
 この私一人を救うと喚んでくださる南無阿弥陀仏のおよび声が聞こえるままが
阿弥陀さまのお心おはたらきが私の心に届けられるということで私の口からお念仏が出てくださいます。
 
 お寺参りのことです。
この歳でいったらまだまだ若い、お寺参りは早すぎるといいます。
今は忙しいから暇になったらお寺参りしますといいます。
 
 いつになったらお寺参りができるのか。
お寺参りのご縁がないままにこの命終えていくのでは何とももったいない空しいねというのが親鸞さまのお心もちです。
 
 今日もこうしてご一緒お正信偈さまを拝読するなかに親鸞さまのお心をいただいて
蓮如さまのお心を御文章さまのなかにいただいて、今こここの私を必ず救うとおはたらきの
阿弥陀さまの本願念仏のお救いに遇わせていただけたことを有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.4)

お聖教をひもとく

2018-07-03
 昨日大海組の寺族婦人会、坊守さんの例会が円光寺が当番で行われ私もご一緒させていただきました。
お聖教の勉強会で、今は御和讃を毎回六首ずつお勉強されているとのことです。
 
 聖典を手元に置いて何度も繰っていく大学の講義のような勉強会に出席させていただいて
すごく新鮮で大変感動しました。
 
 御和讃は親鸞さまがお作りになった阿弥陀さまのお徳を讃嘆ほめたたえる和語の偈(うた)です。
その出拠大本は浄土三部経です。
それも「真実の経をあらわさば大無量寿経これなり」と親鸞さまが示された大経です。
 
 ずっとはるか遠い昔に法蔵菩薩が四十八の願を建てられ長い長い間ご修行されて
阿弥陀仏という仏さまに成られたことが説かれ
阿弥陀さまのお心南無阿弥陀仏のおはたらき一つで私たちが阿弥陀さまのお浄土に往生して仏さまに成らせていただける
浄土真宗のみ教えのすべてが説かれてあるのです。
 
 今回は御和讃のなかでも浄土和讃、讃阿弥陀仏偈和讃を拝読させていただきました。
讃阿弥陀仏偈は大経のお心を七高僧さまの第三祖曇鸞大師が分かりやすく解釈されたものです。
 
 お釈迦さまのお経さま、曇鸞大師の経論に説かれた南無阿弥陀仏のお心お徳を
親鸞さまは仮名交じりの和語で書かれた御和讃で当時の日本の皆さんにも分かりやすいかたちにしてくださったのです。
 
 教行信証という親鸞さまが書かれた浄土真宗の根本聖典があります。
これは漢字で書かれています。読みづらい学問書です。
 一方御和讃は和語の教行信証といわれます。
 
 日頃腰を落ち着けてお聖教を開くことが難しいですが
このお朝事のご縁にお正信偈さま続いて御和讃そして御文章さまを拝読させていただきます。
 南無阿弥陀仏のみ教えに遇うてほしいという親鸞さまのお心もちを有難く聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.3)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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