お寺の掲示板の言葉から「お前も死ぬぞ 釈尊」
『輝け!お寺の掲示板大賞』というものがあるそうです。
去年の7月から始まった企画で、12月までを一区切りとして全国的にお寺の掲示板の言葉を募集されたといいます。
毎年12月は『今年の新語・流行語大賞』や『今年の漢字』などの有名な恒例イベントもあり
注目度アップを狙ったということもあるのでしょう。
全国のお寺の掲示板からたくさん寄せられた言葉のなかで
「お前も死ぬぞ 釈尊」という言葉が見事大賞に輝いたといいます。
「お前も死ぬぞ」とは仏教の大きな柱である諸行無常の教えのことです。
この命、どんな人も必ず命終えていかねばならないことを
「お前も死ぬぞ」とこの私に言っているのでしょうね。
短い言葉でインパクトがあります。
諸行無常とはこういうことだよというお話はよくさせていただきますし
皆さんもよく聞かれて知っていることだと思いますが
「お前も死ぬぞ」と言われたらハッとしますね。
本当のことですが、何か他人事としてしか聞いていない自分のことと受けとめられない
この私に向けられた真実の言葉だからです。
そして釈尊とあります。仏教を開かれたお釈迦さまです。
諸行無常という教えを説かれたお釈迦さまです。
「お前も死ぬぞ」とお釈迦さまがこの私に発せられた言葉です。
ただこの言葉に初めてふれたとき
「お前も死ぬぞ 釈尊」って、釈尊に向って「釈尊お前も死ぬぞ」と言われているようにも思いました。
お釈迦さまも私たちと同じ人間の身としてこの世に生まれ生きて80歳でご生涯を終えられたのです。
「お前も死ぬぞ」と諸行無常の命を生きる私に、この命を本当に大切に生きていくんだよとのお示しです。
人の世に生まれた意味はね、大切に生きるとはね、仏さまの教えに遇うことだよというのです。
あなたの命は死んだら終いの命ではなく仏に成るいのちと救われていくのだよと
仏さまの教えを聞いてくれよといわれるのです。
私が私がと自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいの私たちが
仏さまの教えに遇うことも聞くことも読むことも中々難しいなかで
お寺の掲示板の言葉です。
「お前も死ぬぞ 釈尊」と書かれた言葉にあってお聴聞のご縁をいただいてほしいと思います。
仏さまの教えを聞いてこの人生を生き抜いてくれよとお寺の掲示板がよびかけているのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.23)

イチロー選手が現役引退表明しました
大リーグマリナーズのイチロー選手が昨日行われた東京ドームの試合を最後に
現役選手生活から引退するという発表がありました。
昨年三月に古巣のマリナーズに復帰したものの昨シーズンは選手登録せず
今年日本での開幕戦に合わせて選手登録してこの二連戦に出場したということです。
45歳です。日本のプロ野球で9年アメリカ大リーグで19年という選手生活でした。
イチローといえば打って良し走って良し守って良しの稀代のスーパースターです。
数々の記録を打ち立て日米通算安打は世界最高の4367本ということで
まさに打ち出の小槌のように打てばヒット打てばヒットと
いつでもヒットが打てる選手いつもヒットを期待される選手、ヒット製造機といわれる偉大な選手です。
その大選手イチローがそれこそ何度バットを振ってもヒットにならない打てないという状況がずっと続いて
結局最後の最後までヒットを打てずに終わったということです。
イチロー選手はどんな思いで東京ドームのグランドに大観衆の前に立ったのでしょうか。
記者会見で「今日の球場でのできごとを見せられたら、後悔などあろうはずがない」と言ったそうです。
イチロー選手らしいコメントですが
胸のうちはどうかな、一本でもヒットを打ちたかったのではないかなと思ったりします。
45歳です。いつまでも現役の選手でいるわけにはいきません。
イチロー選手のことですからこれから野球界にいろんな形で貢献されるとは思いますが
歳を重ねるなかで今まで出来ていたことが出来ないようになるということです。
これは私のことです。皆さんのことです。そしてイチロー選手のことでもあったのです。
ただ若い時には出来なかったことが年をとって出来るようになることもあるのではないでしょうか。
若くて健康でお金があれば何でも出来るということでもないでしょう。
老いていくなか病気になるなかでそれまで気づかなかったことに気づかされることもあるのではないでしょうか。
もっといえば生きている時だけではなく死んでから後でも
後に遺った方が気づいてくれる思うてくれることがあるのではないでしょうか。
仏事ということがそうです。
仏さまのご縁をいただくなかに先に往かれたご先祖有縁の方を思うのです。
私が思い出そうとか思わなければならないということではなく
思わせてくださる思い出させてくださるのがこの仏事のご縁なのです・
手が合わさるということです。この口からナンマンダブツとお念仏が出てくださるということです。
手を合わせお念仏申す身にしてくださったのは仏さまのおはたらきです。
その仏さまはご本尊の阿弥陀仏さまですが、私たちのご先祖有縁の仏さまと仰いでいけるのです。
そのなかで死んだらお終いではない現役を退いたらお終いではない、いのちはこれからもずっと続いていくのです。
大きな大きないのちのつながり営みのなかで今日も一日こうして日暮しさせていただけることをまた有難く思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.22)

生死の命と聞かせていただき南無阿弥陀仏のいのちに生かされる
お彼岸のお中日です。
夜半雨が降っていましたが、今日はお大師さん(弘法大師)のおせったいもあっていよいよ春になりました。
昨日の彼岸会の夜席は『お葬式物語』という映画を皆さんで観て大智新院さんにご法話お取り次ぎをいただきました。
仏教では生老病死の四苦を説かれます。
生死(しょうじ)の迷いのなかに苦悩する私の命のあり様をズバリ教えてくださいます。
ただ私たちは日々明けても暮れても生きることに精いっぱいで
いつまでも若くありたい健康でいたいと老病死のことを考えることがありません。
仏教は生と死を分けて見るのではなく生死一如といって生きることは死ぬことと見るのです。
聞きたくないけれどもこれは真実本当のことで私のことなのです。
そのことはどこかで知っている私ですが、生死と向き合うことは難しいことで
どこまでも生きることを享受するような生活ぶりの私たちです。
そんな私たちを悲しまれ思いとって阿弥陀さまはすべてのものを生死の迷いから救い取ろうと
南無阿弥陀仏の救いの法を成就されたのです。
お釈迦さまは数多くのお経さまのなか大無量寿経というお経さまに
阿弥陀さまの本願念仏の救いの法を説かれてあるのです。
生死のことを私たちに自分で考えて解決しなさいというのではありません。
こうしなさいああしなさいと注文一つつけるのではありません。
南無阿弥陀仏一つで必ず救うと私たちが救われて往く手立てをすべてつくってくださったというご法義なのです。
ナンマンダブツとお念仏申し苦悩の生死の世界を離れ阿弥陀さまのお浄土に生まれて
さとりの仏さまに成らせていただけると聞かせていただきます。
生老病で終わる人生は死んだら終いの人生です。
生きることで精いっぱいで死は生を否定するものとして向き合おうとしません。
でも死が来ます。死ぬ時はそれでお終いということです。
生死の命と聞かせていただくなかに私たちはこの人間の命を終えるけれども
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで仏さまのいのちに生まれさせていただけると聞かせていただくのがお彼岸のご縁です。
私たちの彼岸は阿弥陀さまのお浄土と決めてくださってあることの有難さ尊さです。
そのこと一つ心に入れて今日のお中日の法要は1時半からのお勤めです。
どうぞご仏参お聴聞ください。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.21)

お彼岸のご縁をいただきましょう
円光寺墓地に行きました。
お彼岸に入ってお墓にお花がきれいにお供えされているところがあります。
逆に枯れたままのお花のところがあります。
随分前にお墓参りに来られてお花をそのままにしておられるのでしょう。
納骨堂もそうですが、仏事にご縁を2回いただくといいます。
お花をきれいにお墓や納骨壇をお飾りして何日かして枯れるまでにお花を持ち帰るということです。
お彼岸のご縁でいえばお彼岸の入り頃お参りしてきれいにお飾りし
お中日を過ぎてもう一度お参りしてお花やお供物を持ち帰るということです。
仏さまのご縁をいただくといいます。
そんな面倒くさいこと1回お参りすればいいことだというのは、私の思いです。
仏さまがお墓や納骨堂にお参りをさせていただく手を合わさせていただくお念仏を申させていただく
私にしてくださるというおはたらきなのです。
お彼岸の仏さまのご縁です。お寺では今日明日と彼岸会法要をお勤めさせていただきます。
仏法を聞いてくれよお念仏を申して彼岸である弥陀の浄土に生まれてくれよという南無阿弥陀仏のご縁おはたらきです。
私のために開いてくださったご縁です。
仏さまのご縁をいっぱいいっぱいいただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.20)

なたね梅雨の思い出
朝から大きな雨が降っています。
この春のお彼岸の時期は結構雨が多いんですね。
なたね梅雨といって菜の花の咲く3月中旬から4月上旬にかけて梅雨のように雨が続くということです。
なたね梅雨の思い出があります。
高校1年の時サイクリングで大分から宮崎鹿児島方面に友だち5人で行きました。
途中延岡と宮崎に泊まって宮崎鹿児島間は汽車で往復しました。
ところが3日目から雨になり中々雨が止みません。
それで帰りの宮崎から大分までは結局サイクリングを止め自転車を汽車に積んで帰ったという思い出です。
ただその時私は内心では降りしきる雨を喜んでいました。
初めての遠出のサイクリングは大きな峠越えもあって思った以上に大変きつかったのです。
5人それぞれ自転車をこぐ力量が違います。私は遅れて行く方です。
先頭を切って行く人はどんどんペダルを踏んで前に前に坂でも一気に上がるということで
脚力以上に何か負けることの悔しさ情けなさもあって、よかった止めようという気持ちになったのでした。
最後までやり通すことのできなかった悔しさよりほろ苦い思い出になって今でも残っています。
延岡宮崎と父の知り合いのお寺さんに泊まらせていただきました。
お寺に泊まって安上がりの旅行のつもりが汽車で行く旅行とあまり変わらないものになりました。
一人だけ毅然と当初の計画通りに自転車で帰り、何で一人だけで帰らせたのかと家の者からひどく叱られ
帰りの汽車賃もお寺さんから借りることになって周りの方にも大変迷惑をかけることにもなりました。
今から思えば心晴れ晴れということではなく今日の雨のように心残りのする旅行になりましたが
50年前高校一年のこの時期に5人の仲間と一緒に貴重な体験ができたことは
今の私の大きな財産になっています。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.19)
