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お念仏を申す生活法話

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「塵を払わん、垢を除かん」

2018-08-04
 今日は盆前の大掃除ということで、一年に二回御正忌報恩講さまの前とお盆の前に大掃除をしていただきます。
皆さんのお家でも毎日お掃除をしていることだと思います。
 
 お掃除ということで、お釈迦さまのお弟子周利般特(しゅりはんどく)チューダ・パンタカのお話を紹介します。
周利槃特は大変物覚えが悪くお釈迦さまのお説法を聞いてもすぐに忘れ、自分の名前さえ忘れる事があるということで
ある時お釈迦さまに「私はあまりにも愚かなのでもうここにはいられません」と仏弟子をやめようと申し出ます。
お釈迦さまは「自分を愚かだと知っている者は愚かではない。自分が賢いと思い上がっている者が本当の愚か者だ」と諭され
「塵を払わん、垢を除かん」と唱えながら毎日掃除をしなさいと言われたそうです。
 周利般特はお釈迦さまに言われたように毎日「塵を払わん、垢を除かん」と唱えながら1年2年10年20年と掃除を続け
ついには阿羅漢(あらかん)という悟りの境地に達したというお話です。
 
 お釈迦さまはこのお話を通して「悟りを開くということは何もたくさん覚えることでは決してない。
たとえわずかなことでも徹底して行うことが大切なのだ」と示されています。
 仏法を知識として覚えることが悟りを開くことではなくて、大事なことは一つのことを集中して行うということ
そのなかに見えてくるものがある、気づかされることがあるということなのです。
 
 「塵を払わん、垢を除かん」といって、塵や垢は外にあるものだけではなく自分自身の心の中にある煩悩の塵や垢です。「塵を払わん、垢を除かん」と唱えるままに仏さまのみ教えを聞かれてお悟りを開かれたということです。
 
 お朝事のお勤めにも通じるお話です。
蓮如上人は「仏法の法水に身を浸せ」と言われました。
 仏法に身を浸すことによって解るとか解らんとかいうことではなくて、仏さまのお心がいただけるということです。
信心いただけよとお勧めです。信心は私が努力していただくものではありません。
 仏法聴聞の場に身をおく。そのことをひたすら続ける。
仏さまのご縁をいただくなかに気づかされ目覚めさせていただける世界があるということを
周利槃特のお話に聞かせtいただきます。 
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.8.4)

いのち輝かせ合って生きていきましょう!

2018-08-03
 いろんな社会の問題が話題になっています。スポーツ界では昨年末から大相撲のこと
レスリング、アメリカンフットボールそしてボクシングと次から次に問題が噴出しています。
 昔からの狭い世界のなかでの旧態然とした古い体質が問われています。
この古い体質、伝統という言い方もありますが、現代の社会常識からは大きく逸脱したものになっています。
 ボスという一部の権力者がいてそれを取り巻く人たちが忖度し誰も何もものが言えない組織を作り上げ
いびつな人間関係のなかで異分子は排除され、ある時大きな社会問題となって広く知られることになるという構図です。
 
 旧態然とした組織の体質といいますが、私たちもそれぞれ体質というものをもちあわせています。
体質という意味とは違いますが、個性ということをいいます。
 人それぞれ個性が違うといいます。親子であっても夫婦であっても兄弟であっても友だちであっても
それぞれ違う個性がもって、その個性をお互いに認め合っていくなかに今は多様性の社会が求められています。
それぞれの個性を認める多様性の社会のなかでいきいきと個性を発揮して生きるということですが
今の私たちの社会はどうなっているのでしょうか。
 
 昨日東京医大の入試で男女差別といえることがずっと行われていたという報道がありました。
男女ともに同じ入試を受験しますが、女性について一律減点して男性の合格者を増やしていたということです。
 学校の入試要項に予め男女の合格者の比率を決め公表していたら問題はないそうです。
ただこれは女性の社会進出を促進する見地から女性の合格枠を決めて女性が入りやすくするためのもので
今回の東京医大の男性を優先的に合格させ女性の合格を抑えるということとは、その趣旨は全く異なります。
 
 このことは就職採用の現場でも取られている対応です。
例えば障がい者の方を積極的に就職採用しようと会社で採用枠を設けるといった動きです。
 
 多様性の社会をめざして各方面でいろんな取り組みがなされています。
一方で昔の古い体質が幅を利かせている状況が今の社会にあるということです。
個性を重んじるのではなく昔の体質を引きずっているというなかに私たちの今の社会があるようです。
 
 阿弥陀さまのお念仏の世界はすべてのものを分け隔てなく救うという世界です。
人それぞれの個性を尊びいのち輝かせ合って生きていきましょうという世界です。
 
 お念仏の教えに生きる私たちです。
日々の生活のなかでお念仏の世界を想いつつ日暮しさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.8.3)

今ここで精いっぱい生きなさい。

2018-08-02
 昨日一昨日とサマースクールで多くの子どもたちがご縁をいただきました。
無事に終わり今朝起きて何か疲れを感じます。
 ここ数年新院さんが主にすることで坊守さんは食事をはじめ内所のことが大変で疲れも半端じゃないと思いますが
することが少なくなった私はというと年々疲れが残って身体がしゃんとしません。申し訳ないことです。
 今回もご門徒皆さんにいろんなご加勢をいただいたことです。多くの方々のご協力があってできるお寺のことです。
 
 サマースクールも今年で38回目で昭和56年に始まりました。平成最後のサマースクールになります。
昨日そうめん流しのお手伝いをしてくださった方も小学生の頃サマースクールに参加してくれていました。
今回二人のお子さんが参加しているということで少し子どもさんと一緒に話す機会がありました。
「お父さんもこのサマースクールに来ていたんよ」と言ったら、子どもさんちょっとびっくりしていました。
37年の歴史ですから親子二代の参加ということもあります。
もう少し続けていると「お祖父ちゃんもここに来ていたんよ」という話になるかもしれません。
 
 ご縁です。つながっているということです。ご縁つながりです。
このご縁はいただきものです。そのまま「はい」っていただければいいのです。
そこにあれこれ思うのが私たちですが、仏さまのご縁は「はい」っといただくということです。
 
 昨日朝のラジオ体操をするのに夜中に大きな雨が降って心配しました。
境内で体操ができるかどうかと思っていたら、6時前に雨が止んで予定通り体操ができました。
 
 夏休みの期間中円光寺では毎朝6時からラジオ体操をしています。
去年から始めたことで、去年も夜中に雨が降るんですが朝の時間にはスーッと雨が上がって体操が続けられました。
今年も夜中に雨が降る日がありましたが今のところ毎回体操ができています。
 
 これを不思議と言ったり日頃の行いが良いとか言うのは私たちの勝手な思いですが
仏さまが今ここで体操をしなさいといってくれているといただきます。
仏さまが今ここでということです。
 昨日は雨が降って外で体操ができなかったら本堂で体操することもできました。
雨が降ったからすべてが駄目ということではありません。
 
 仏さまが今ここでと私に呼びかけてくださってあるのです。
今ここに生きている私に、今ここで精いっぱい生きなさいとの仏さまの思し召しです。
 南無阿弥陀仏のお呼び声おはたらきです。
いつでもどこでも南無阿弥陀仏、阿弥陀さまがご一緒です。
 
 仏さまが今ここで精いっぱい生きなさいとおはたらきくださるご縁をそのまんま「はい」っといただく
大きな大きなお慈悲のなかに今ここで精いっぱい生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.8.2)

今年もサマースクールが始まります。

2018-07-31
 今日明日とサマースクールです。今年もたくさんの子どもたちが申し込まれています。
昨日の夕方電話があって、今からでもサマースクールの申し込みができますかということでした。
この二日間で4件の申し込みがありました。
保険の関係とかあって一週間前の24日までに申し込みしてくださいと文書でご案内していることですが…
 
 昨日はお祖父ちゃんからの電話でした。お孫さんが一緒に住んでいるのか遊びに来ているのかわかりませんが
友だち同士の話で円光寺のサマースクールのことが話題になったのでしょう。
友だちも楽しみにして行くということで、僕も行きたいなあと家に帰って相談したんでしょうね。
それで無理は承知で聞くだけ聞いてみろうとお祖父ちゃんから電話があったのではと想います。
 
 この人間社会は約束事で成り立っていますから、締切を決めておかないと社会は円滑にまわっていきません。
お役所仕事は最たるもので締め切りを過ぎたら事務的に駄目ですと一切の例外を許しません。
 
 ただ私たちの日常、人と人との関係では事務的にならざるをえないこともありますが
約束事を忘れるということもあって、できることはさせていただくという寛容さも人間関係を保つうえで大事なことです。
 
 昨日の子どもさん、友だちと一緒にサマースクールに行けることになって嬉しかったと思います。
サマースクールがこれからの人生で大きな思い出になってくれればと思います。
 
 ご縁です。仏さまのご縁です。ご縁をいただけよと言われます。
ご縁をいただけよと言うのは、中々ご縁をいただけないのがこのご縁なのです。
 そういうなかでサマースクールという仏さまのご縁をいただきます。
これからの人生の歩みの中で、お寺のサマースクールで友だちみんなと一緒に本堂に寝泊まりして生活した
阿弥陀さまという仏さまのお話を聞き仏さまに手を合わせてナマンダブナマンダブナマンダブとお念仏を申したと
思い出してもらえればと思います。
 
 今は日々の生活の中で手を合わすことがどれだけあるでしょうか。
サマースクールでは仏さまにお念仏申すとき、食事の時に何度も手を合わせてお礼をします。
 これからの生活の中でお家にお仏壇がなくても食事の時に手を合わせて
「いただきます」「ごちそうさま」「ありがとう」と言える人になってほしいと思います。
 
 そんな願いをもって今年もサマースクールを行います。
酷暑の中です。多くの人が集まるといろんなことがあると思いますが、すてきなサマースクールになるように
ご門徒皆さんにもお手伝いをお願いしたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.31)

お仏壇のある生活

2018-07-30
 今は核家族という家族の形態が一般的になっています。
親の家、子どもの家、孫の家とそれぞれの世代が違う家に暮らしています。
 元々家というのは一つでそこに三世代四世代の大家族が一緒に生活していました。
その家にはお仏壇があったというお話です。
生まれて気がついたらお仏壇がお家の中心にあったということです。
そのお仏壇におじいちゃんおばあちゃんはじめ家族みんながお参りし手を合わせていました。
 
 ところが今は核家族でお仏壇のないお家で生まれ育つ子どもさんが増えてきました。
お仏壇のないお家が当たり前になってきました。お仏壇がありませんから手を合わすこともありません。
 
 そしておじいちゃんおばあちゃんが亡くなってお家にあったお仏壇をどうするかという問題が起こってきます。
子どもが引き継いでいくということですが、子どものお家にお仏壇を移さなければいけません。
 そのままそのお仏壇を移せばいいのですが、そのお家の事情によって移す場所がない事態にもなります。
そのお家に合うようにお仏壇を新調することもあるでしょうが、お仏壇は必要なのかという問いがでてきます。
 
 皆さんが一般的にいただいているお仏壇はご先祖をおまつりするところだと思います。
ご先祖は大事にしないといけないお仏壇をご安置して大事にしないといけないということですが
ご先祖に対する意識が段々と薄くなってきているように思います。
 
 私たちの仏教浄土真宗のお仏壇は阿弥陀さまのお家お浄土を表します。
阿弥陀さまをご安置するお仏壇がお家の中心にあるということです。
そのお家に日暮しする家族の中心、心の依りどころがお仏壇なのです。
 
 お家に亡くなった方がいないからお仏壇は要らないとか言われますが
私が住まいするところにお仏壇をご安置して心の依りどころとするならば、どのお家にもお仏壇があってもいいのです。
 
 ただこれはどうも理屈にしか聞こえないようです。
やはりご先祖のお仏壇ということです。
 名前も知らない会ったこともないご先祖がいてこの私がいるということ
私のいのちの恩人のご先祖が代々送ってこられた大事なものがお仏壇といただかれたらどうでしょうか。
 
 お仏壇の大きさはそのお家お家に合わせていけばよいと思います。
阿弥陀さまのお仏壇をお家の中心にご安置して家族がこの私が手を合わすところをつくってくださったということです。
私が必要か必要でないとかいうことではなく、お仏壇は仏さまからいただいた大事な大事な宝ものなのです。
 お仏壇に手を合わせお礼をさせていただくなかに今日の一日も過ごさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.30)
円光寺
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