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お念仏を申す生活法話

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サマータイムで生活が変わる?

2018-08-21
 今スポーツのアジア大会がインドネシアで行われています。
インドネシアとは時差があまりなく夜のゴールデンタイムに日本選手の活躍が期待される競技を観ることができます。
 
 再来年の2020年には東京でオリンピックが開かれますが、水泳競技の決勝戦が午前中に行われるということです。
選手にとっては朝午前中に予選があって調子を整え上げていくなかで夜の決勝に臨むというのがいつものことですが
何で午前中に決勝があるのかというと、アメリカの夜の時間に合わしているとのことだそうです。
 オリンピックの商業化で巨大ビジネスとなったオリンピックには莫大な経費がかかります。
どうしても大きなスポンサー頼みになります。その一番のスポンサーが放映権料を払うテレビ局なのです。
アメリカの人が夜のゴールデンタイムに有力競技の決勝戦を観れるように競技時間が設定されるという仕組みです。
 スポーツは選手フアーストといわれますが、この時間設定は選手フアーストでも何でもありません。
スポンサーの都合に合わせた処置です。
 
 真夏に行われる今度の東京オリンピックで屋外競技の暑さ対策が大きな問題になっています。
なかでもマラソンです。日本でも人気の有力スポーツで何時にスタートするかということです。
 そのなかでサマータイム夏時間の導入が今にわかに検討されているとのことです。
ただこの問題をいち早く取り上げた情報番組では押しなべて不評です。
 
 サマータイムは夏の期間生活時間を早くするという処置です。
今朝の7時ということでいうならば1時間早くして8時にするという話です。
会社でいうと8時出勤の時間を今の7時に出勤するということになります。
 
 私たちの一日の生活時間の一番の基本は食事の時間だと思います。
朝何時に食事して昼は夜はということで人それぞれですが大体食事の時間は決まっていると思います。
食事を摂取する身体が一番知っているということです。
 食事の時間が私たちの生活時間の基礎中心になっています。
その食事の時間を1時間2時間早めるということ自体が身体にとって良いことか悪いことかというと
身体が慣れるまでに時間がかかり体調不良になったりすることが懸念されます。
それも夏時間に慣れたときに今度は元の時間に戻すということですから、これはとても大変なことです。
 
 このお朝事の時間もそうです。
お朝事の時間を1時間2時間早くするとか遅くするとか
これは大きな問題というか、お朝事の後で皆さんお家に帰られて食事をするわけでしょう。
その食事の時間を変えること自体が私たちの一日の生活いのちの仕組みを変えるということにつながります。
 逆に言いますと、いつも決まったお朝事を中心に日々の生活をさせていただけることの有難さを思います。
お念仏の先人が私たちに伝えてくださったお念仏の生活といただきます。
 お念仏申す生活です。お念仏を中心にした生活です。
今日も皆さんご一緒にお朝事のご縁をいただいて今日の一日も始めさせていただけることです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.8.21)

瞬く間に過ぎゆく日々のなかでお念仏申す

2018-08-20
 この数日涼しくなりました。自然の風が本当に心地よくさわやかです。
瞬く間に時が過ぎ行くといいますが、あの熱風のなかのお盆参りが終わって5日経ち、何か遠い日のような感じさえします。
 
 私たちの人生も振り返ってみれば瞬く間に過ぎ去ってしまうような思いにもなります。
 
 昨日お葬式がありました。一昨日の朝お亡くなりになられた方です。
今は亡くなってその晩はお家で過ごし次の日に葬儀社でお通夜そして明けてお葬式と三日間での一連の葬儀の流れですが
このたびは二日間でのお通夜とお葬式でした。
 
 家族そして親族だけでのお葬式ということでした。
葬儀社でしなくてお家でもできるお葬式ですが
今はお葬儀をお家ですること自体が考えられていないということかもしれません。
 お葬儀を葬儀社ですることでご近所の方に迷惑をかけたくないという配慮かもしれません。
 
 お葬式が済んで七日七日のご縁が始まります。
振り返ってみればこの人生は瞬く間に終わるということですが
死んだらお終いではなく仏さまのご縁がこれから始まるということです。
 
 人と人、とりわけ大切な人とのお別れはこれほどの悲しみはないと言われる以上の悲しいご縁です。
お釈迦さまは愛別離苦と説かれこれほど思い通りにならない悲しみはないと教えてくださいます。
その深い悲しみに沈む私たちを見て取って阿弥陀さまは「必ず救うまかせよ」と南無阿弥陀仏とおはたらきです。
 悲しみのご縁ですがそのまま仏さまのご縁といただける有難さを思います。
 
 先に往かれた方は今はお浄土の仏さまと成って阿弥陀さまのおはたらきのお手伝いをしてくださり
七日七日のご縁に始まる仏さまのご縁を通して
ご縁いただけよご縁いただけよ、お念仏申せよお念仏申せよと私たちにおはたらきなのです。
 
 人の命は終わりますが、先に往かれた方は仏さまのいのちとなってこれからもずっと私たちと共に生きてくださるのです。
大きな大きな南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに共々に生かされて生きてあると聞かせていただきますと
今日のいのちの有難さ尊さが大きく大きく広がっていくように思われます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.8.20)

甲子園には魔物がすむ

2018-08-19
 夏の高校野球甲子園大会も昨日でベスト4が出そろい
今日は日曜日ですが、選手の故障防止のための休養日ということで、明日が準決勝明後日が決勝ということです。
 
 昨日の準々決勝の最終試合、滋賀の近江高校と秋田の金足農高の対戦で、最終回の9回裏最後の場面です。
ノーアウト満塁からツーランスクイズを決めて金足農高が逆転サヨナラ勝ちしました。
すごいドラマというか、これが高校野球だなと思ったりします。
 近江高校の監督が「私も選手もちょっと球場の雰囲気にのまれました」と言っていました。
甲子園には判官びいきといって、劣勢のチームを応援する観客の心理があります。
だからでしょうか、9回の攻防のドラマがこれまで何度も生まれてきました。
 
 甲子園には魔物がすんでいるといわれます。魔物といっても魔物それ自体を見た人は一人もいません。
ただこの魔物の一つの正体が球場全体がかもし出す何ともいえない雰囲気ではないでしょうか。
それを重圧に感じるか、味方にするかで大きく戦況が変わってきます。
球場全体の雰囲気を味方につけることが勝利の鉄則にもなってきます。
 
 ただこれは選手個々のパフォーマンスで一朝一夕にできるものではなく
常日頃からの練習で培われたチームの力が観客に訴えるものではないでしょうか。
 近江高校の選手にはちょっと気の毒だったと思いますが
金足農高も強豪校でかつてあのKKコンビのPL学園と準決勝で対戦し終盤逆転負けしたという実績があるのです。
大事なところで三振をとれる頼りになるエースを中心によくまとまったチームで
勝って校歌斉唱のときチーム全員が体をそらせて声いっぱい歌う姿が観客を引きつける一つの要因になっています。
 
 私たちの人世にも魔物がすんでいると思います。
それこそこんなはずじゃなかったと自分の思い通りにならない時にそんなことを思うことってありませんか。
 人世には魔物がすむが、ただ仏法の世界では魔物までもがお念仏を護るというんです。
仏法の世界は魔物とかそういうものを超えているということです。
 
 魔物がすむって野球のことでもそうですが、やはり私のあり様なのです。
自分中心に執着する心、はからいが邪魔をするんですね。
勝負でいったら勝とう勝とうと力が入ることが邪魔をするということではないでしょうか。
 
 そのはからいを超えたところに私たちが目指す世界があるということ
すべてのもの魔物といわれるものまでがお念仏の人を護ってくださるというのがこのお念仏の世界です。
 
 阿弥陀さまのお救いは悪人正機、悪人をこそ目当てに救うとおはたらきです。
その悪人こそこの私であると聞かせていただきます。
 実はお念仏の世界には善人も悪人もないんですね。
私この一人を必ず救うとすっとお立ちの阿弥陀さま、南無阿弥陀仏のおはたらきをまた讃嘆させていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.8.19)

南無阿弥陀仏のいのちの物語

2018-08-18
 NHK連続テレビ小説『半分、青い。』のドラマの中のことです。
おじいちゃんの仙吉さんが亡くなってひ孫の花野ちゃんが最期をみとります。
死ぬということがあまりわからない花野ちゃんですが、段々と時間が経つにつれ
いつもそばにいたおじいちゃんちゃんがいなくなった寂しさのなかでお母さんの鈴愛さんに
「おじいちゃんは今どこにいるの、どこにいったの」と聞きます。
鈴愛さんは「天国かな、空の星になったのかな」とつぶやきながら「私はまだ死んでないからわからない」と
そして「でもね、これは当たり前のことなんだよ」とこたえます。
 
 当たり前って何でしょうかね。人がこの世に生まれて生きてそして死んでいく
それは当たり前、みんなそうなんだよということでしょう。
 そして死ぬというのはそんなに恐いことではないんだよと言って
おじいちゃんはこれからもずっと花野ちゃんの心の中にいて
いつも花野ちゃんのことを思い見守っていてくれるんだよとお話されました。
 
 皆さんはお孫さんから「死んだらどうなるの?」と聞かれたらどうこたえますか。
それは私自身の問いでもあり、問題でもあります。
 死んだことがないからわからない。そうです、私の経験や知識というところではどこまでいってもわかりません。
ここに仏教という仏さまの教えを聞かせていただくご縁があるのです。
 
 仏教は縁起の教えを説きますす。縁起というのはつながり、いのちのつながりです。
それも私目線で見るいのちのつながりではありません。
私目線のつながりでしたら、この人とはつながっていこう
否この人とはつながりたくないという執着、自分中心のはからいが入ってきます。
 
 阿弥陀さま目線のつながりです。
南無阿弥陀仏のいのちのつながりの物語と聞かせていただきます。
 今日も何度も何度もナンマンダブツナンマンダブツとお念仏を申すことができました。
お念仏のつながりのなかに私たちはつながってある生かされてあるということです。
それは肉親、親子兄弟夫婦といった関係を超え人と人とのつながりも超えて
生きとし生けるものすべてがつながってあると聞かせていただきます。
 阿弥陀さまがそうしたいのちのつながりを私たちにつくってくださったということです。
それは生きている今だけではなくて亡くなっていくこの命をそのまま
確かに確かに私の国に生まれさせるというおはたらき一つなのです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきお念仏一つで救われていくんだよと
どこに? 阿弥陀さまのお浄土だよと
お浄土に往ったらどうなるの? それはね、阿弥陀さまと同じおはたらきの仏さまに成るんだよと
どんな仏さまなの? 南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまだよと
そして南無阿弥陀仏のおはたらき一つでそのまま南無阿弥陀仏と私のところに還って来るんだよと
えっどこに? ナンマンダブツとお念仏申してごらん。
ナンマンダブツナンマンダブツ! お念仏申すところにもうすでに還って来てるんだよ。
 
 いつでもどこでも私のことを思い心配して、南無阿弥陀仏のいのちの仏さまと成って私と共にこれからも生きてくださり
この私の命終えた時にそのまんま阿弥陀さまのお浄土に南無阿弥陀仏のおはたらき一つでご一緒してくださるんだよと
聞かせていただきます。
 南無阿弥陀仏の大きな大きないのちのおはたらきつながりのなかで
私たちは今こここの私を生きているのです。
 先に往かれた仏さまのご縁に南無阿弥陀仏のいのちの物語を聞かせていただき
仏さまの御恩に感謝してナンマンダブツと御礼のお念仏を申させていただく有難さをまた思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.8.18)

京都大文字五山の送り火

2018-08-17
 昨日8月16日の夜京都では大文字五山の送り火という行事が行われました。
京都の夏を彩る風物詩で、テレビの実況生中継を観ました。
 五山という五つの山に送り火の文字が浮かぶということですが
そのなかでも大文字が有名でテレビ等では大文字の大という文字しか見たことがありませんでした。
 
 五山ですから五つです。東山の「大」の文字に続き
北の山に「妙法」の文字が浮かびます。妙なる法ということで仏法のことです。
そして西の山に移り「舟形」といって船の形をした絵のすがたが浮かびました。
次に「左大文字」最後に「鳥居形」です。
 
 興味深く面白かったです。これはいつの時代から始まりどういう意味があるのかなど
今はネットですぐ検索できますが、一つの物語を思い浮かべてみました。
 
 お盆にはご先祖がこの世にかえってきて、お盆の期間を終えてまたあの世にかえっていくと言い伝えられています。
ご先祖皆さんが大きな船に乗ってかえっていき鳥居をくぐってもとの世界にかえるようすを
この目で見える形で文字に絵にしてみんなで見送る風習なのでしょう。
 
 鳥居は神社で私たちが住むこの世(俗界)とあの世を区別する結界です。
神の国日本に伝来した仏教が発展するなかで神仏習合という独特な宗教の形態が生まれます。
お寺とお宮が一緒になった神宮寺です。
近くには九六位山のお寺さんがそうです。鳥居をくぐってお寺の本堂があります。
天台宗か真言宗のお寺で平安時代のお寺です。
 京都は平安京という都があった平安時代の中心です。
平安時代の仏教は京都比叡山を中心にした仏教で、親鸞聖人も比叡山で20年間ご修行されて山をおりられました。
 
 その神仏習合の名残りかいうか、この世とあの世を結ぶ門からご先祖を見送るということです。
 
 ここで大事なことは妙法です。
ご先祖がこの世にかえってくるというのもあの世にかえっていくというのも
妙法という仏さまの教えのなかにあるということです。
 そして先に往かれた方とそれを見送る今を生きている私たちが妙法のなかにつながってあるということです。
仏さまのみ教えです。私たちでいったらお念仏のなかにみんなつながってあるということです。
 
 テレビのゲストの方が「お盆というのはご先祖のことを思うことである」という話をされていました。
五山の送り火を見て、若くして亡くなった友人のことを思いましたと言われました。
 
 お盆というご縁で先に往かれた方のことを思うのです。
いつでも思うことはできるのですが、私たちはいつもは自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいで
いつもその方のことを思って生きることはできません。
 ただこのお盆のご縁、お彼岸でもその方のお命日でもそうですが、その方のことを思うのです。
思うなかに実は仏さまから思われているとことに気づかせていただけるのです。
 私たちの思いはどこまでも自分の都合に合わせてということですが
仏さまは大きなお心でいつでもどこでも私のことを思ってくださってあるのです。
 仏法という大きな大きな仏さまのお心おはたらきのなかに私たちは生かされているのです。
 
 五山の送り火は東の山から西の山へと移ります。
西の国阿弥陀さまのお浄土に思いをはせます。 
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.8.17)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
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