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お念仏を申す生活法話

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地獄に堕ちるべき身がそのまま極楽に参らせてもらう

2018-09-08
 今日も御文章さまを拝読するなかで、地獄に堕ちる身がそのまま極楽に参る身になるという御文をいただきました。
「横載五悪趣の章」です。
 
 私たちの阿弥陀さまのお救いはこうしてこうしてこうしてと段階を踏んで救われていく救いではなくて
横ざまに超える救い、そのままありのままに今の救いといただきます。
 
 ただこの身はどこまでも煩悩具足の身であります。親鸞聖人のお言葉をいただけば地獄一定のわれらです。
地獄に堕ちるべき身がそのまま極楽にお参りできる身になるといいます。
 私がこうしてこうしてこういう努力をし修行をして煩悩を断ち切って救われるという救いではないということです。
そのまま来いよそのまま救うという阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらき一つで私たちは救われていくのです。
 
 凡夫の身がそのまんま、私たちはどこまでも凡夫の身なのです。
この身を生きる限りは凡夫の情が今日もああやこうやとはたらきます。
 
 思い悩み苦しみ迷う私を見たときにこの阿弥陀さまは座っちゃおれんで立ち上がって
南無阿弥陀仏となって私のところにもう既に来てくださってあるというお救いです。
 
 どうぞナンマンダブとお念仏を申すなかに今日の一日も過ごさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.9.8)

無常の世を生きる

2018-09-07
 台風21号に続いて昨日は未明に北海道で大きな地震が起こり被害の状況が心配されます。
山肌がいくつもいくつも削られたすがたは自然災害の恐ろしさを私たちに改めて知らしてくれています。
 
 諸行無常といいます。この世の中で常なるものは一つとしてないという真実の理です。
何か私たちは毎日を平穏無事に過ごしているようですが、日々刻々と変わり行く身を生きているということです。
 
 昨日の夜中1時過ぎに連絡がありまして、同じ組内R寺のご院家さんが亡くなられたという一報でした。
突然急なことです。何とも言葉にできません。朝まで眠れませんでした。
 
 円光寺が頼み寺ということで導師のお役目を仰せつかります。
臨終勤行にお参りしました。お顔を拝見しますと微笑んでいるような元気なときのお姿そのまんまです。
 誰彼とお聞きしますと、亡くなるすぐ前に電話で話をしたとか数日前に会ったばかりとか
そんな話を何人からも聞きます。私も一週間前に会ったばかりです。何も変わった様子はありませんでした。
 
 そういう日常にあって私たちはいつどんな形でこの命を終えていくのか、全くわかりません。
何とも残念悔しい悲しみのご縁ですが、臨終勤行にはじまる仏さまのご縁をいただきます。
 悲しみのなかに決して放っておかない必ず救うという阿弥陀さまの大きな願いおはたらきが
お念仏となって私のところに届いてきてくださるご縁です。
 
 先に往かれた方は今はお浄土の仏さまと成って
私たちに仏法を聞いてくれよナンマンダブツとお念仏を申す人生を歩んでくれよという大きな大きな願いのもと
南無阿弥陀仏のおはたらきのなかにこれからもご一緒して生きてくださると聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.9.7)

留守をしました

2018-09-06
 北陸能登に旅行に行って4日ほど留守をしました。3日の予定でしたが、台風に遭って一日予定が延びました。
ちょうど金沢から大阪に帰るコースが台風21号の進路に向かうようなことでJRが全て止まりどうしようもありません。
 旅行社の判断で金沢の町に一泊しました。
金沢に行ったらまたおいしいものの食べるとか名所を見学する楽しみもあるんですが、外は暴風雨です。
後のニュースで40数mという金沢での観測史上最高の風速を記録したということです。
そういうなかで一泊しなければなりませんでした。
 
 ただこうも思いました。
これで泊まるホテルがなかったらそれこそ不安で不安で仕方がなかっただろうなと思います。
関西空港では何千人という方が電気が止まり冷房のきかない暗い中に一夜を明かしたということも聞きました。
 
 帰る家があるということの安心です。
昨日電車を乗り継いで帰ってきましたが、台風一過でどこも晴天でした。抜けるような青空です。
でも大阪に入ると青いビニールシートに覆われた家を何軒も見ました。
大変な被害に遭ってこれからどうしようと途方に暮れている方、大切な人を突然失った方もいらっしゃいます。
 
 無常の世の中に私たちは日々日暮ししているのです。
ただ無常の世にあって何か毎日が当たり前当たり前よかった悪かったよかった悪かったと日暮ししている私たちに
仏さまはこの世に生まれて仏法に遇ってくれよ信心いただいてお念仏を申す身になってくれよと思し召しです。
 
 人間に生まれてきたのは何のためか、それは仏法に遇うためだよと
お念仏を申すなかにいつ何時どういうかたちでこの命終わるかもしれないけれども
大丈夫大丈夫私がいるよ大丈夫だよと南無阿弥陀仏とおはたらきの仏さま、阿弥陀さまのお救いの法に出遇わせていただき
今日一日もお念仏を申すなかに日暮しさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.9.6)

9月は彼岸月です。お浄土への旅をご一緒しましょう。

2018-09-01
 9月に入りました。新しい月になって気持ちも新たにということですが
子どもの頃長い夏休みを終えて9月1日から学校が始まるということでいつもの月以上に思いも新たにしたことです。
 季節の移ろいもまた感じます。大分朝夕は秋らしくなってきました。ただ日中は残暑厳しくまだまだ暑いです。
 
 この9月は彼岸月です。秋のお彼岸を迎えます。
今月のことばは「われらが彼岸は 浄土と聞けり 念仏申して 共に参ろう」です。
 われらとは私たちです。私たちの彼岸を浄土と決めてくださったということが浄土真宗のご法義の中心なのです。
浄土と決めてくださったことの有難さを思います。
 
 私たちそれぞれが死んだらどうなる、どこに往きたい生まれたいとあれこれ思い悩むことなく
阿弥陀さまの方でお浄土と決めてくださったからこそわれら私たちが一緒に往けるということなのです。
 念仏申して来いよといいますから、ナンマンダブツとお念仏を申して共に参ろうご一緒しましょうということです。
 
 私たちの日々の生活ぶりはそれぞれ違いますが、こうしてお朝事のご縁に
一つ処の同じお浄土に生まれさせていただく歩みを日々一歩一歩させていただける有難さをまた思って
どうぞこの9月もお念仏申して共々にお浄土への旅を続けさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.9.1)

浄土真宗のお寺は私のお手次ぎのお寺です

2018-08-31
 私たちの浄土真宗では門徒といいますが、他の宗派では檀家檀徒という言い方が一般的です。
檀家さんのお寺を檀那寺といいます。
 この檀那はインドの言葉ダーナをそのまま漢字に当てはめたものです。ダーナとは布施という意味です。
お布施というとすぐお包みのことを思いますが、お包みは財施といってお金や物を施すという意味です。
 布施は大きくいうと法施といって、仏法を施すという意味があります。
 
 浄土真宗のお寺は檀那寺というよりお手次ぎのお寺といいます。
手を次ぐ手をつなぐという意味で、浄土真宗の仏法を施すということで
ご本尊の阿弥陀さまのご法義、お念仏のみ教えのお手次ぎをさせていただくお寺ということです。
 
 皆さんは円光寺に所属する浄土真宗のご門徒です。
この近くには同じ浄土真宗のお寺がたくさんあってどこのお寺にお参りしてもいいのですが
今日もこうして円光寺にお参りです。
 ご門徒その人人そのお家お家にお手次ぎのお寺が決められていることの有難さを思います。
 
 あなたを決して見捨てることはないよと「まかせよ救う」の阿弥陀さまのお心おはたらきなのです。
私を迷わせることなくそのまま連れてゆくぞとの阿弥陀さまのよび声南無阿弥陀仏です。
 阿弥陀さまのお浄土に連れて往ってくださるのです。
 
 この本堂のお内陣です。阿弥陀さまのお浄土を表しています。
今日もこうしてお朝事のご縁で阿弥陀さまを中心としたお浄土に向いてお念仏を申すことができました。
 お浄土への人生お浄土への道すがらをお念仏申して歩ませていただけると阿弥陀さまの方で決めてくださり
お寺という場所を通して私の目に見える形でわが身をおける場を示してくださっている有難さです。
私一人のために開かれたお手次ぎのお寺なのです。
 
 ところが今は何やらお寺だったらどこでもいい、浄土真宗でもどこの宗派でも何でもいい
お坊さんだったら誰でもいい、お経さえあげてもらえばそれでいいという声を多く聞くようになりました。
 
 今日の御文章さまに何度もいただきましたが、仏さまのご恩に報謝する念いが薄くなっているように感じます。
お念仏申して仏さまに頭が下がるお礼ができる私にしていただけるのも仏さまのご縁です。
その尊いご縁をお手次ぎしていただける私のお寺です。私の大きな大きないのちの依りどころです。
 そのこと一つ心に入れて有縁の皆さん共々にお誘いあわせお寺にお参りさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.8.31)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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