仏さまの大きなご縁をいただきます
昨日は宗祖親鸞聖人の降誕会法要をお勤めさせていただき恒例のバザーも行いました。
皆さんには終日大変お世話になりました。お疲れさまでした。有難うございました。
5月21日の親鸞聖人のお誕生日に近い毎年5月の第3日曜日に前住職の時から約40年来続けているご縁で
昨日もたくさんの方がお寺にお参りされました。
雨になってちょっと残念なこともありましたが、いつもより本堂にお参りされる方が多かったように思います。
庫裡の仏間での物品バザーは多くの人盛りで大盛況でした。
本堂に机を並べ食堂のようにしてカレーライスなど皆で食事をすることができました。
日頃お寺にご縁のないご近所の方もたくさんお参りでした。
円光寺のバザーは皆さんの大きな楽しみになっているようで
名物の石垣だんごが飛ぶように売れていました。
あまりの評判で一人三個までと販売制限したものの瞬く間に完売したそうです。
それ以上にたくさん作ったらいいのでしょうが、婦人会の役員さんにとっては大変なご苦労でもあります。
少しでもお寺を身近に感じ親しんでもらって一人でも多くの人に仏さまのご縁に遇うてほしいと先人が始められ
ご門徒皆さんのご理解とご協力をいただいてできるご縁の有難さです。
バザーの時間久しぶりにお会いする方々に声をかけました。近況をお聞きしていろんな話になります。
日頃はそれぞれが忙しい日常生活をおくりゆっくり向き合ってお話をすることが難しいお互いが
仏さまの御前に集うことができるということが私たちのご縁だと思います。
世間日常の話です。世間話ですが、仏さまの話につながるのです。
大きな大きなお念仏のいのちのつながりのなかにお互いが日暮しをしているということです。
それぞれの日常ですがお念仏につながってあるということです。
私たちの日々の生活は思い通りにならない日暮しでもあります。
ただこうして同じ御仏前に座り仏さまの大きないのちにつながる私たちです。
お話をすることで何かほっとします。やさしく励まされることもあります。
仏さまの尊いご縁です。
歳をとればとるほど大変になってきますが
一年一度の降誕会のご縁をこれからも皆さんと共々に続けてまいりたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.20)

仏さまのご縁をいただきます
仏さまのご縁をいただきます。
阿弥陀さまのご縁です。
昨日もご縁をいただきました。一つはお葬式のご縁でした。
今日は仏教婦人会の総会のご縁、明日は親鸞聖人の降誕会のご縁です。
その仏事ご縁ご縁はそれぞれ違います。
対象を限った仏事もあります。
慶びの仏事もあれば悲しみの仏事もあります。
みんな阿弥陀さまのご縁です。
阿弥陀さまがどうか仏法を聞いてくれよ、お念仏を申す身になってくれよと
この私のためにつくってくださったご縁といただきましょう。
そこに座れそしてお念仏申せよ仏法聞けよと
阿弥陀さまのおはたらき南無阿弥陀仏一つと聞かせていただいて
「はい」っとそのまんまこの身を御仏前にはこばせていただきましょう。
私たちの日々の生活です。
私のことで精いっぱい生きることで精いっぱいの日暮しのなかで
仏さまのご縁に遇うことは本当に難しいことだと思います。
だからこそそういう私を見てとった阿弥陀さまがこの私のために特別につくってくださったご縁といただいて
今日と明日のご縁に遇わせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.18)

ままならない我が身を抱えるこの私をそのまま救うと南無阿弥陀仏の仏さまです
ままならないと言います。思いのままにならない、思い通りにならないということです。
お釈迦さまは「人生は苦なり」とお示しです。
苦とはままならない、思い通りにならないという意味です。
この人生は思い通りにならないというのです。
それは私の周りのものが私の思い通りに言うことを聞かない何もしてくれないということもありますが
実はこの我が身のことがままならない、思い通りにならないということなのです。
自分のことであって我が身がままならない、思い通りにならないとはどういうことでしょうか。
私たちは生きています。いつまでも若く健康でありたいと思って生きています。
しかし我が思いとは裏腹に老いていきます、病気にもなります。
そしてどんな人も必ずこの命を終えていかねばなりません。
生老病死の四苦です。ままならないこの身をかかえて思うように生きることのできない私がいます。
そこに私たちの根本的な苦しみ悩みがあるとお釈迦さまは教えてくれます。
その上で苦しみ悩みを抱えた私たちをそのまま救う仏さまがいらっしゃると教えてくださるのです。
阿弥陀如来の仏さま、南無阿弥陀仏のお救いです。
「まかせよ救う」の喚び声となって私のところに来てくださりご一緒してくださる仏さまです。
そのままの救いです。
私の思いを超えた阿弥陀さまの大きな願いです。
すべてのものを分け隔てなく救うという願いです。
すべてのものと聞いてこの私のことです。
この私にこうしなさいああしなさいと注文を付ける仏さまではありません。
南無阿弥陀仏そのまま救うとおはたらきなのです。
南無阿弥陀仏のお喚び声を聞かせていただきそのまま救われていくと聞かせていただきます。
ナンマンダブツとお念仏申して私の思い通りになるのではありません。
思い通りにならないこの身を抱えるこの私がナンマンダブツとお念仏を申すなかに
そのまま救われていく世界があることをまた有難く聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.17)

お仏壇のお荘厳は仏さまのみ教えそのものです
お仏壇には仏具が備わっています。
ろうそく立て、花瓶、香炉はどの宗派のお仏壇にもあります。
すべて仏さまの智慧と慈悲の功徳を表すものです。
先日お参りしたお家で湯呑のようなお道具に水を入れて「お水はどこにあげるのですか」と聞かれました。
お水は華瓶(けびょう)という仏具にあげるのですとお答えしました。
この本堂お内陣のお荘厳でいうと、阿弥陀さまの前の上卓にお仏飯が二つあがっていますが
その外側にあるのが華瓶一対で樒や青木を入れその中に水をお供えしているのです。
この水は阿弥陀さまのお浄土に流れる清らかな水を表していて
香りのよい香木に水を入れて香水、香りのよい水をお供えするのです。
お浄土の水は八功徳水という八つの功徳があるといいます。
清らかで美しく軟らかな甘い水で、おいしく飲みやすい水ということにもなりますが
仏さまが飲む水、飲むための水ということではありません。
皆さんの思いのなかにお仏飯をお供えするようにお水もお供えして
仏さまがご飯を食べるのに水がないとのどに引っかかるとか
暑いとのどが渇くので水をあげるという人もあると思いますが
仏さまの世界のことは私たちがあれこれ思いはかることではないのです。
今日の御和讃御文章さまの中にもありましたが、仏さまの功徳は不可思議といいます。
私たちの思いはからいを超えているというのです。
ではどうしてお線香を炊いたりお灯りをあげたりするのかというと
お浄土の仏さまの功徳をお経さまからいただいて先人がお浄土の荘厳として
私たちに伝えてくださったものだからなのです。
お仏壇のお荘厳は仏さまのみ教えそのものです。
私たち凡夫の目にも見えるような形で教えてくださるそのままをお飾りさせていただきましょう。
そこに私たちの思いがちょっとでも入ると仏さまのお心を疑うことにもなります。
分からないことは何でも聞いてください。
宗派によってお仏壇自体そしてお荘厳が違うことを心得ておきましょう。
他の宗派のお仏壇をみて「水はあげなくていいですよ」とか言わなくていいです。
逆に他の宗派の方が私たちのお仏壇をみて「お水があがってないけど」と言われても
その時は「そうですか。お寺さんに聞いてみます」と受け返してください。
そして「お寺さんに聞いたらこうでした」とお話したらいいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.16)

阿弥陀さまの摂取不捨の大きなお慈悲に抱かれてお念仏の道を歩ませていただきます
阿弥陀さまを摂取不捨の仏さまといいます。
この私を摂め取って決して捨てない必ず救うとおはたらきの仏さまになってくださいました。
摂も取も「とる」という字ですが
摂の字を親鸞聖人は「ものの逃ぐるを追はへとるなり」といただかれています。
逃げる私です。阿弥陀さまからいうと背中を向けている私です。
背中を向けて逃げる私を追いかけて追いかけて救いとるというのです。
取は「迎えとる」といい
逃げる私をどこまでも追いかけ迎えとるというのです。
阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲にくるめ取られるということです。
そのこと一つ聞いてくれよ信じてくれよと南無阿弥陀仏のお喚び声となっておはたらきです。
声となってどこまでも私を追いかけ、追いかけられて聞かせていただくのです。
私が聞いて私が信じて救われるのではありません。
阿弥陀さまのお心を聞かせていただくそのままが信心いただくことなのです。
聞かせていただくことが肝要ですが、聞くことが救いの条件ということではありません。
阿弥陀さまの御尊前にこの身を置かせていただきます。お念仏を申させていただきます。
「我にまかせよ必ず救う」の南無阿弥陀仏の仰せに
「はい。おまかせします阿弥陀さま」とそのままお礼をさせていただきます。
今朝はひやっとするなかにも本当にさわやかな朝になりました。
いよいよ絶好のお朝事参りの時節になります。
この一年でいいますと、暗い寒い時期もあり暑くて汗が噴き出す時期もあります。
お参りしてくれよ聞いてくれよお念仏申してくれよと
阿弥陀さまの摂取不捨の大きなお慈悲のなかに
今日もこうして皆さんと共々に遇わせていただく身の幸せを有難く思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.15)
