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お念仏を申す生活法話

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雨降りは納骨に良いのか・・・・・?

 昨日四十九日満中陰のご縁で納骨をしました。
朝から雨模様でした。お勤めを済ませてまだ少し雨が降っていました。
 
 お家の方が「納骨に雨は良いといいますが本当ですか」と聞かれました。
雨の日の納骨は困ることもあるので返事に躊躇しました。
 天気にかかわらず納骨のご縁をそのままいただくことの意味を
先人が雨の日もいいんだよと伝えてくれたことだと思います。
 
 仏事に良い悪いはありません。
仏さまのご縁です。そのままいただいて精いっぱいお勤めさせていただくことが肝要です。
 
 納骨をいつするのか、地域地域によって様々です。
火葬してすぐ納骨されるところもあるそうです。初七日にというところも聞きます。
 大抵この辺では満中陰のご縁に納骨されるところが多いようです。
満中陰のご法事にお参りされた親族有縁の方々と一緒に納骨に行き納骨を見届けていただくのです。
 
 大切な方が亡くなってお遺骨が残ります。
そのお遺骨の行方です。どこに埋葬するのか見届けるのです。
お墓であったり納骨堂であったり、お遺骨の行方が分かっていることで安心できるのです。
 
 お遺骨の行方を見届けてお参りができます。
手を合わせてナンマンダブツとお念仏申しましょう。
 「我にまかせよ必ず救う」南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただきます。
お念仏のおはたらき一つで先に往かれた方と同じ阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏にさせていただける身の幸せを念い
ナンマンダブツとお念仏申してお礼をさせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.3)

お念仏の心でさせていただくありがとう

 仏事の心得です。仏さまの事をさせていただく心もちです。
「お念仏の心で させていただく ありがとう」といただきます・
 
 仏さまのお荘厳です。仏さまのお飾りをするのは私です。
お仏飯をお供えします。お仏飯を上げるといいます。
行為として私が上げるのです。上げたお仏飯は上げっぱなしではなく下げます。
私が下げて頂きます。
 
 上げたのも私、下げたのも私で、その私がそのままいただくのです。
仏さまのお心をそのまま聞かせいただくのです。
 
 お念仏のお心です。他力のお念仏のお心です。
すべてのものを分け隔てなく救うとの阿弥陀さまのご本願のお心が
南無阿弥陀仏のおはたらきとなって私のところに至り届き私の口から出てくださるお念仏のお心です。
 
 私が申す念仏と私のところに力が入ると
私はこれだけ念仏しているのにあの人はという見方にもなってしまいます。
 
 阿弥陀さまのおはたらき一つにお念仏がでてくださるのです。
私一人のことにかかりっきりになってくださる仏さまがいらっしゃるということです。
 お前一人を救うぞと南無阿弥陀仏の声の仏さまとなっていつでもどこでもご一緒くださるのです。
ただただ私は「ありがとうございます」とお礼を申させていただくばかりです。
 
 ナンマンダブナンマンダブとお念仏申させていただきましょう。
この口からお念仏を申すことは本当に難しい。難しいことが今日もできました。
阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲のおはたらきのただ中にあることを本当に有難く思います。
 
 お念仏申させていただく、その声がそのまま隣の人に届きます。
その隣の人隣の人に届くのです。
 今日も一日お念仏申すなかにお浄土への人生を歩ませていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.2)

6月に入りました

 6月です。早いですねえ。
6月で一年の半分が過ぎるということです。
 
 6月を水無月といいます。水が無いと書きますが
この6月は梅雨の時期に入り、いよいよ雨の日が多くなります。
 
 何か行事があると雨の日は敬遠されますが、雨は水をもたらし私たちの生活に欠かせない大事なものです。
大きな雨はご免蒙りますが、雨が降っていのちがいきいきと育つシーズンでもあります。
 
 田植えが始まります。
この辺は田圃が無くなり田植えの風景を見たり風情を味わうことがなくなりましたが
ちょっと郊外に行くと田圃に水をひいて苗をこしらえ、もう田植えが始まっているところもあります。
 
 そうした季節の営みのなかに私たちの日暮しがあります。
何か同じことの繰り返しのようですが、一日一日が新たないのちを恵まれて生きていく日々であります。
 
 今日1日は円成会という毎月のご縁をいただきます。
円く成ると書きます。歳を重ねていくなかで円い仏さまのような心で人生を送っていきましょうということです。
 ただ円く成ろう成りたいと思って円く成れない私がいます。
何か私の思い通りにならないことが一つでもあったらすぐ角が立て腹を立てる私たちの日常です。
 
 そのことをすでに見抜かれた仏さまが阿弥陀さまです。
南無阿弥陀仏となって私のところに来てくださりいつでもどこでも私に寄り添ってくださるのです。
 怒りの角が生えた私の口からナンマンダブツとお念仏が出てくださいます。
 
 阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲のなかに絡め取られて
この6月もまたお念仏申して生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.1)

日常生活のなかに僧俗共に聞かせていただきます

 昨日は大海組のれんそう会の総会が円光寺の当番でありました。
100人ほどの参加申し込みということです。
 今は車社会で皆さん車でいらっしゃいます。
それでどこのお寺さんも駐車場を広く整備されています。
円光寺も駐車場のスペースは広くありますが、大人数の対応には少し不安があります。
 
 ご門徒さんに駐車係をお願いしてできるだけ詰めて駐車してもらうように誘導していただきましたが
みるみる駐車場がいっぱいになって境内にも駐車していただきました。
 
 気をつけて見ると、一人で車を運転して来られる方が目立ちます。
ご夫婦お友だち二人でという方も多くありますが
三人四人一緒に乗り合わせてということは少ないです。
 
 車は本当に便利です。
自分の都合に合わせて思う所思う時間に動くことができます。
 さてお寺参りは誘い合ってお参りするところに良いところがあると思うのです。
 
 れんそう会は連研同窓会という連続研修会を修了した人たちの会です。
一年数か月の間にほぼ月一回連続して組内のお寺を順番に回って研修受講します。
 私は受講生のご門徒さんと一緒に参加するようにしています。
駐車場のことがありますがもっと大事なことがあるのです。
 
 車のなかでお話ができるのです。
世間話もそうですが、研修会の話にもなります。
 今日はどんなテーマでこんなお話を聞いたがこんなことを思ったなどとふっと話されます。
そんな話を聞くのが楽しみでまた私からも話すことにもなります。
 
 お坊さんが一方的に話すことではありません。
皆さんが日頃思っていること仏さまのお話を聞いて素直に思ったことです。
 10数回ご縁をいただくなかで皆さんとの距離が近くなるように感じます。
 
 日常生活のなかに仏法を聞かせていただきます。
思い通りにならない日々の生活のなかでお念仏のみ教えを聞かせていただいて
「ああそうやな」と一人一人が頷いていけるのがお念仏のご法義の有難さです。
 
 お坊さんもご門徒皆さんもご一緒に聞かせていただくご縁が
私たちのお念仏のご縁ということをまたあらためて思いました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.31)

南無阿弥陀仏に安心して今日の日暮しをさせていただく有難さです

 昨日仏事のことでご門徒の方がご相談にみえました。
本堂でお話をさせていただきました。
 お墓についてのご相談です。
お家お家の事情があります。人のものの考え方もそれぞれです。
 
 まずどういう思いなのかどんな希望なのかお話を聞き
お寺の現在の対応とこれからのことについてお話しました。
 小一時間のご相談でしたが「安心しました」と言われました。
昨日の話ですべてが解決したことではありませんが
こういうことで考えていきましょうと一つの方向がお互いに確認できたと思います。
 
 これまでご縁のあった円光寺のお寺さんにこれからもおまかせしますということです。
昨日のお話もこの本堂で阿弥陀さまの御前でできたことの有難さです。
 私たちのいのちの行先をちゃんと決めてくださってある南無阿弥陀仏のご法義です。
迷いの私をさとりの仏にしてくださる安心です。
 
 迷うとは現在地と目的地がわからないことをいいます。
道に迷った時地図で現在地と目的地を確認できれば迷いを離れることになります。
 今どこにいるのかこれからどこをめざして生きていくのかわからない迷いの人生にあって
南無阿弥陀仏のお念仏のみ教えを聞かせていただきます。
 南無阿弥陀仏の大きなお慈悲のおはたらきのなかに
阿弥陀さまのお浄土にご一緒させていただける安心です。
 
 今日一日の生活が始まります。
私たちの生活ぶりはそれぞれ違いますが
同じお念仏の道を歩ませていただける思い一つに
今日一日もナンマンダブツとお念仏を申して阿弥陀さまのお浄土への人生をご一緒に歩ませていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.30)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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