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お念仏を申す生活法話

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有ること難いこのいのち生かされて生きてまいりましょう

2018-10-21
 仏さまとは目覚めた方といいます。
皆さん今日も朝起きて今目覚めていますが、この目ではありません。
この目はどこまでも自分を中心に見る目で、人それぞれものの見方は違います。
 仏さまは真実に目覚めた方をいうのです。
真実とはありのままそのまま一つの見方です。
 
 目覚めるというのは驚くびっくりするといいます。
真実に目覚めてびっくりするのです。驚きです、感動です。
 逆に私たちのものの見方は何もかもが当たり前当たり前とものごとを見て生活していませんか。
朝目が覚めたのも当たり前、食事をするのも当たり前、今ここにいるのも当たり前と
でも真実はどれ一つとっても当たり前ではなく有難い、有ること難しというこのいのちなのです。
 そのことに気づく、びっくりする、驚くのが目覚めるということなのです。
 
 仏教といって何か不思議の世界の教えではありません。
この身ありのままをそのまま受け止めていくものの見方こそ仏さまのものの見方、仏教なのです。
 
 仏教にこのいのちのあり方を聞かせていただきます。
生老病死のいのちに私たちは迷い苦悩して生きていると教えてくださいます。
 その上で苦悩の私をそのまんま引き受け救うてくださる仏さまが
このまん真ん中にお立ちの阿弥陀さま南無阿弥陀仏の仏さまなのです。
 
 ナンマンダブツとお念仏申してくれよといいます。
ナンマンダブツとお念仏申すところにいつも私がいるからあなたを決して見捨てることがないから大丈夫だからと
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきとなって私と共に生きてくださるのです。
 そのことにどうか目覚めてくれよと厭きることなく何度も何度も南無阿弥陀仏とおはたらきです。
有ること難いこのいのちをいただいて今日も一日生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.21)

お浄土から開かれた私たちの仏道です

2018-10-19
 仏教は仏の教え、迷いの私が悟りの仏に成る成仏道の教えをいいます。
 成仏道に大きく二つの道があります。
一つは比叡山に代表される自分の力をたのんで厳しい学問修行を積んで悟りを開き仏に成るという仏道です。
一方私たちの浄土真宗の仏道はお浄土の阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらき一つによって
お念仏申す身にさせていただき命終わってお浄土に生まれ悟りを開かせていただき仏に成る仏道です。
 
 そのまま聞くと死んでから後のことのようで今の私には関係ない必要ないと言われそうですが
実はこの今が大事なのです。
 浄土真宗では取り立ててこれこれこういう修行をしなさいということを言いません。
ただ仏法聴聞といって、仏さまのみ教えを聞きなさいと言われます。
 すべてのものを分け隔てなく必ず救うというご本願を建てられ長い間ご修行されて阿弥陀という仏さまに成られた
そのおいわれを聞かせていただくのです。南無阿弥陀仏のお心おはたらきです。
 
 ここに苦悩に迷う衆生がこの私がいたということなのです。
この私一人を救うために南無阿弥陀仏の仏さまと成って今私のところにおはたらきだと聞かせていただくのです。
 ナンマンダブツとお念仏申す、この口からお念仏が出てくださるということは
もうすでに阿弥陀さまのおはたらきが今こここの私に届けられてあるということなのです。
 「我にまかせよ必ず救う」とおはたらきですから「おまかせします阿弥陀さま」と今ここにお念仏を申させていただき
お浄土への道を歩ませていただくことです。
 
 自分の力で切り開いていく道は一歩一歩踏みしめて確かなようで先が見渡せない狭い道です。
一方お浄土から開かれた道は広く大きな道です。
 阿弥陀さまのお浄土に渡してくれるご本願の船にまかせて乗って行くように
今日の一日もまたお念仏を申す仏道を歩ませていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.19)

お寺の子ども会で「ちかいのことば」を唱和します

2018-10-18
 昨日水曜学校の子ども会がありました。
いつもお勤めの最後に「ちかいのことば」を皆で唱和します。
五つありまして「一つ仏の子は」と言って始まります。
 
 仏の子です。誰のことかというと唱和する私たちのことなのです。
子どもといったら小学生中学生のことのように思いますが、実はこの私も皆さんも仏の子どもなのです。
 
 お念仏の先人は阿弥陀さまという仏さまを親さまとよんで慕ってまいりました。
親です。お父さんお母さんと親は二人います。阿弥陀さまとお釈迦さまです。
阿弥陀さまとお釈迦さまをお父さんお母さんとする仏の子どもということで
同じ親の子の私たちはお互いに兄弟姉妹ということになります。
「ちかいのことば」の唱和は、仏の子どもになる、お念仏の兄弟、お念仏の仲間になる宣言といってもいいと思います。
 
 一つ仏の子はすなおにみ教えを聞きます。一つ仏の子は必ず約束を守ります。一つ仏の子はいつも本当のことを言います。一つ仏の子はにこにこ仕事をいたします。一つ仏の子はやさしい心を忘れません。
 
 子ども会で唱和することですが、私たちの日々の生活のなかで「一つ仏の子は」という営み
お念仏申す日暮しをさせていただきたいと思うことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.18)

お包みの表書きはどのように書きますか?

2018-10-17
 お葬儀にお参りするときのお包みの表書きについて、御仏前でいいのか御霊前か御香典かと質問されます。
 一般の仏事の本には「四十九日までが御霊前で、それ以降は御仏前」とあるそうです。
四十九日までは故人の霊魂がこの世に残っているという言い伝えです。
七日七日のお勤めで善根功徳を積み重ね回向して四十九日で仏に成るということで
御霊前と御仏前を区別するということのようです。
 
 霊魂についてお釈迦さまは有るとも無いとも言われていません。
浄土真宗の仏教では南無阿弥陀仏のおはたらき一つで命終わって直ちにお浄土に生まれ
仏さまに成らせていただくと聞かせていただきますから
御霊前はふさわしくなく御仏前でいいのです。
 御香典とは御香を御仏前にはこぶということですから、御仏前でもいいのです。
 
 ここで御仏前というとお葬儀の場合亡くなった故人にという思いでしょうが
御仏前の仏というのは浄土真宗でいったらご本尊の阿弥陀さまなのです。
 御仏前をお包みするのは阿弥陀さまの御仏前にお供えをはこぶという意味合いがあるのです。
御仏前というと今はお金をお包みすることのようになっていますが
御仏前にお花であったりお菓子や果物などをお供えすることでもいいのです。
 
 阿弥陀さまの御仏前におはこびするのです。
今の皆さんです。仏さまの御前にこの身をおはこびしています。
御仏前にこの身を置いて今日もこうしてお朝事のお勤めができました。仏法聴聞させていただきました。
 これほどの御仏前はないと仏さまが一番喜ばれています。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.17)

ご縁ご縁にお念仏申させていただきましょう

2018-10-16
 ご縁をいただくといいます。仏さまのご縁です。
この仏さまは阿弥陀如来さまです。阿弥陀さまの本願他力念仏のお救いの法に遇わせていただくご縁です。
 
 ただこのご縁を私たちに届けてくださったのはお釈迦さまでありインド中国日本に出られた七高僧さまであり
そして何といってもご開山親鸞聖人であります。
 親鸞さまが開かれたみ教えを聞かせていただくのがこのお寺なのです。
今日16日は親鸞さまの月命日です。
 
 仏さまのご縁をいただけよといいますが、私たちは日々の生活のなかでご縁をいただくことが中々難しいですね。
私のことで精いっぱい、生きることで精いっぱいの私たちの日暮しです。
 
 だからこそこうした大切なお方お家のご先祖有縁の方々のお命日を大切に仏さまのご縁にしてほしいというのが
これが親鸞さまの願いであります。
 
 ご縁ご縁にお念仏申せよといわれます。
お寺にお参りしないとお家のお仏壇にお参りしないとお墓にお参りしないとお念仏申せないのではありません。
 南無阿弥陀仏のお念仏のおはたらきはいつでもどこでもこの私のところに届いてあります。
仏さまのご縁に遇わせていただくときナンマンダブツとどうぞ声に出してお念仏申させていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.16)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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