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お念仏を申す生活法話

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「阿弥陀さまのお救い」 ※転載

2024-01-21
 あるご門徒さんが次のようなことを言われました。
「私が、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏とお念仏したくらいで
本当に阿弥陀さまはおたすけくださるのですか?」と。

 浄土真宗のみ教えは「私が称えたお念仏」に
手柄や値打ちを見ていくのではありません。
 「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」とお念仏を称えながら
「ようこそ、ようこそ
阿弥陀さまのご苦労のおかげがあればこそ
私をお念仏する者に育てあげてくださいました」と
よろこばせていただくのです。

 私のお念仏を通して阿弥陀さまのおはたらき
お育てを味わっていくのです。
 ですから「称名念仏」は阿弥陀さまのおはたらきであり
お喚び声そのものです。

 毎日の日暮らしの中で
私の気持ちはちょっとしたことで
フラフラと揺らぎますが
揺らぐことのない阿弥陀さまが私のために選び取られた道が
「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」とお念仏しながら
阿弥陀さまとともに生きる日暮らしです。

 「必ず、往生させていただける」というのは
自分が決め、思い込むのではありません。
 阿弥陀さまが「あなたを必ず往生させますよ。
あなたの往生は間違いないよ」と
「南無阿弥陀仏」のお念仏を通して
告げてくださっているのでした。

 私をお救いくださる阿弥陀さまの大慈悲のお心には
「本当にあなたを救うことができるだろうか?」。
「これで大丈夫かな?」などという疑いのお心は
微塵たりともまじってはいません。
 私を救うことにまったく疑いがありません。
これが阿弥陀さまのお心であり、おはたらきです。

 私が私の疑いや不安をなくすのではありません。
阿弥陀さまが「南無阿弥陀仏」お念仏を通して
「あなたを救うことに、一点の疑いも持っていないよ」と
告げてくださっているのです。
 ですから、私のほうで「大丈夫かなあ?」と
心配する必要はまったくありません。

 私をたすけてくださる阿弥陀さまに
疑いが微塵もないのですから
たすけられる私が疑ったり、心配する必要はありません。

 「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」とお念仏を称えながら
阿弥陀さまの「間違いのない」お心を聞き味わう
日暮をおくらせていただく。
 阿弥陀さまが私のために選びに選び抜いて
与えてくださったお念仏の道であり
私に最もふさわしい、安心できる道なのですから。

      ※三宮亨信師『イイね浄土真宗!!』
            (『めぐみ』2023年冬号)より

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.21)

お仏壇のレンタルという提案から

2024-01-20
 現実生活における仏事のあり方について
昨日のお話の続きです。

 ご門徒さんから
お仏壇のレンタルという提案をいただきました。
 
 今住まいするお家にお仏壇を安置することについて
先祖代々伝わる親の家の仏壇は大きすぎて入らず
今の家に合った仏壇を購入しようにも
経費がかかり次の継承のことを考えると
今のお家限定のお仏壇のレンタルは
できないものかとの提案です。

 お仏壇をお家の中心に安置することの意味を踏まえつつ
先祖伝来の仏壇に固執することなく
その家に合った仏壇をレンタルすれば
仏壇じまいをして仏壇を処分しなくてすむといいます。

 レンタル仏壇の収納や管理のあり方など課題も多く
すぐできるような話ではありませんが
レンタルという発想に注目です。

 借りものです。
所有するのではなく使用するのです。
 借りたものは使用目的や使用期間が済めば
返せばよいのです。
 
 お遺骨を安置するお墓や納骨堂も
所有するのではなく使用させていただくことです。

 <〇○家之墓>というお家のお墓ですが
納骨されているお遺骨は三代四代前からのお方です。
 使用者が遠方に居るとか継承者がいないなどの事由で
墓じまいをされるお家が多くなりました。
 墓じまいをして墓石を処分し
墓地を更地にして管理者に返します。

 墓石の処分にかかる経費などを考えると
納骨堂形式のお墓で一定期間使用できる納骨のあり方も
一つの提案だと思います。

 それぞれのお家家族のあり方が異なるなかで
お仏壇やお墓のあり方も様々な選択肢が考えられます。
 どうぞお寺にご相談してください。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.23)

現実生活における仏事のあり方

2024-01-19
 私たちの生活に身近な浄土真宗の仏事について
ご門徒有縁の皆さんにお話をするなかで
「言われることはお念仏の先人の生活であって
今の私たちの現実生活に合っていないのではないですか」
と言われました。

 浄土真宗の仏事のあるべき姿の
理想と現実とのギャップです。

 浄土真宗の教えに依るところの仏事であり
仏事のご縁を通してお念仏聴聞を
皆さんにお勧めするものですが
私たちが生きている現代社会にあって
仏事のあり方を見直すことも必要ではないかとの指摘です。

 戦前までの家制度に立脚した家族観
家庭生活のあり方と
今はすっかり変わってしまったということです。
 親子孫の三世代が同居する大家族から
今は親子孫それぞれが家を持つ核家族になりました。

 浄土真宗の仏事でいえば
家の中心に阿弥陀さまのお仏壇があって
家族みんながお仏壇におまいりする生活をしていました。
 ところが今は親の家には仏壇がありますが
子や孫の家には仏壇はありません。

 私のような戦後生まれの子の世代は
日常仏壇にまいる父母や祖父母の姿を見て育ちましたが
孫の世代は親の家に帰郷した時に
仏壇にまいる父母の姿しか見ていません。
 仏壇は私たちの日常生活からすっかり切り離された
特別な存在になっているのです。

 そして今、親の世代が亡くなっていくなかで
親の家にのこった仏壇をどう継承していくのかが
問題になっているのです。

 親の家から子や孫の家に仏壇を移すにも
現代の家の形態をみれば
大きな仏壇はそのまま入りません。
 家に合った仏壇を新調したりして
今住まいする家に仏壇を安置できても
次の継承者の問題が残ります。

 お墓の継承とともに大きな課題で
家の跡取りがいないとか他家に嫁いだ娘ばかりでと
今から仏壇やお墓の処分まで心配になるといいます。

 家制度の大きな基盤のなかに
先人のお念仏を申す生活があって
「念仏の声を子や孫に」と
お念仏の声が私のところに届けられました。

 家のお仏壇を中心にした
浄土真宗の仏事が変わっていくなかで
お念仏のみ教えをどう次の世代に伝えていくのか
ご法義を大事に思ってくださる皆さんの問題提起です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.19)

かかりつけ僧

2024-01-18
 月に一度の病院通いです。
かかりつけの病院かかりつけのお医者さんです。

 持病の具合を診てもらいます。
日々刻々と変化する体調を
月に一度チェックしてもらい
種々ご指導いただく安心です。

 「月の一度は寺参り
誘い誘われ皆共に念仏聴聞いたしましょう」と
月に一度のお寺参りを
ご門徒有縁の皆さんに呼びかけます。

 かかりつけのお寺かかりつけのお坊さんです。
お寺は心の療病院です。
 ご門徒皆さんは通院患者で
お寺に住まいするお坊さんは入院患者です。

 お坊さんもご門徒皆さんと一緒に
御仏前に座りお勤めお聴聞させていただく
お念仏のご縁です。

 月に一度と言わず
ご縁ご縁にお寺にお参りして
かかりつけのお坊さんに会いに来てください。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.18)

「ともに」

2024-01-17
 今日1月17日は阪神淡路大震災の日です。
29年前の1995年におこりました。

 朝のテレビで地震発生時刻の5時46分に
追悼会場の公園に多くの人が集って
合掌し黙とうする姿を観ました。

 「ともに」と灯籠の文字が見えました。
阪神淡路大震災はボランティア元年と言われます。
 全国から老若男女を問わず
たくさんのボランティアが神戸に馳せ参じ
それぞれができる活動をお手伝いされました。
 被災された方々にどれだけ大きな元気と勇気を
与えたことでしょうか。
 その神戸から「ともに」と力強い発信です。

 地震列島といわれる日本に生きる私たちは
いつどんな震災に遭うかもしれません。
 阪神淡路大震災後も新潟中越地震などが続き
未曽有の津波被害に遭った東日本大震災
そして熊本地震があり、このたびの能登半島地震です。

 いつ私が被災者になるかもしれないなかで
私にできる精いっぱいの活動をさせていただく
「ともに」という思いです。
 助け合い支え合うことの有難さ尊さです。

 現地に行けなくても募金や物資を送るなど
さまざまな救援活動のあり方がありますが
「ともに」と心を寄せ合いできることを
させていただくことで
「ともに」支えてくださる人がいるという
心強さを伝えることです。

 阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
「どんなことがあってもいつもあなたと一緒だよ。
大丈夫安心して共に生きていこう」と
南無阿弥陀仏のお喚び声に支えられ励まされて
あなたと私共々に生かされて生きることができるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.17)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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