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お念仏を申す生活法話

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お仏飯のお供えが難しいのですが……

 昨日はじめてのご縁でご門徒になったお家にお仏壇を申される入仏式のお勤めをさせていただきました。
そのお家はおばあちゃん一人の生活になってお仏壇のお給仕はおばあちゃんの役目になります。
 
 お勤めの後で「お仏飯は奥にお供えしないといけませんか」と別所帯の奥さんから質問がありました。
この本堂のお内陣のお荘厳のようにお仏飯は阿弥陀さま、親鸞さま、蓮如さまの前にそれぞれお供えします
これは基本ですということをまずお話しました。
 
 この質問が出たのは、おばあちゃんがお仏飯をお仏壇の奥の御三方の前にお供えするのが難しいということなのです。
仏壇屋さんから奥にお供えしやすいお道具をいただいているとのことですが、それを使うのもおぼつかないというのです。
 
 それでこう言いました。
朝ご飯を炊いたときは一番にお仏飯を仏さまにお供えしてください
お供えすることについては奥の所定の位置ではなくてもすぐ手の届く近い所にお供えして
お灯明をつけお線香を炊いて合掌して御礼をしたらすぐ下げていいですよと
ただご法事やお彼岸とかの仏事、お正月など節目の時には決められたようにお荘厳してくださいと付け加えました。
 
 正しいお飾りがなおざりになると座っている私の方にロウソク立てや香炉が下りてくるというお話です。
お仏壇のお荘厳にはすべて意味があります。
 ご本尊の阿弥陀如来さまを中心としたお浄土のさとりの世界に
この私が救われていくという如来の本願念仏のお救いの法がそのまま形となって表されているということで
お荘厳一つでも大事に正確にしてくださいと申したことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.7)

仏壇仕舞いのご縁です

 昨日仏壇仕舞いのお勤めと仏さまをお迎えする入仏法要をお勤めしました。
 
 仏壇仕舞いのお家はもう三十年も留守のお家でご縁の方が年に一度東京から帰ってみえて
昨日久しぶりにお参りしましたが、家の中も家の周囲もよく片付いていました。
 ただお家はずっとそのままでお仏壇をご安置されていたのです。
このたび事情があって家を壊すということで仏壇じまいのご縁になったということです。
 
 御礼のお勤めといいます。
皆さんのお家もそうですが、お仏壇といってまん真中にご安置の御本尊の阿弥陀さまのお家です。
阿弥陀さまをお家の中心にいただき仏さまの大きな大きなご恩のなかに私たちは生かされて日暮しさせていただくのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つでこの人生を生き抜き命終わって阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただき
仏さまに成らせていただく大きなご恩です。
 
 私たちのこの目に見える形でお仏壇の阿弥陀さま親鸞さま蓮如さまのご縁をいただいているということです。
今日こうしてお朝事にお参りの皆さんにこんなお話をしても的外れですが
お家にお仏壇があっても日々の生活のなかで仏さまにお参りし御礼ができることは中々難しいことです。
 
 まさに仏さまに背中を向けているような日暮しをしている私たちをそのまんま
この阿弥陀仏さまはいつも見てござる、見守ってござる、守られてあるということです。
 
 阿弥陀さまのご縁をいただいてそのことに気づいてくれよ
み教えを聞いてお念仏を申す身になってくれよという仏さまのご縁です。
 お家の中心にあって私たちを護ってくださった仏壇仕舞いのご縁と
これからもずっと私たちを護ってくださる仏さまをお迎えする入仏法要の尊いご縁をいただいたことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.5)

お寺に手伝いに来てください

 ある老僧のお話です。
お寺にお参りしなさい、お参りしましょう、お参りしませんかと呼びかけても中々お寺にお参りしてくれないが
今度お寺でこういうことをするから手伝いに来てくれないかと声かけするとお参りしてくれるというお話です。
 
 ご門徒衆に今度の報恩講などいろんな法要行事の案内をさせていただきますが
お参りする方は大体決まっています。
 皆さんお寺からの案内をどう受け取っているのか想像します。
またお寺からの案内かと文章を読むことさえせず、文面は日時や講師が変わるだけでいつもあまり変わりませんが
それこそ右から左へそのままゴミ箱に直行ということもあるかもしれません。
 お寺からの案内ですが、そのまま阿弥陀さま親鸞さまからのお手紙といただいてほしいと思いますし
これからも何度も何度も厭きることなくご案内させていただきたいと思います。
 
 ただお寺に手伝いに来てほしいと直接声かけできる人間関係、日頃からのご門徒さんとのつながりができたらと
老僧のお話を聞きながら思ったことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.4)

昭和44年、49年前の私を思います

 昨日は大海組内の親戚寺院のご法事にお参りしました。
お勤めの後のお斎の席で、昭和44年にそのお寺で勤まった法要の集合写真の話題になりました。
 
 今から49年前のことです。大海組の法中方も七條袈裟をつけて写っていました。
父もいました。44歳の時です。
 当時は政治の世界にあって県会議員の一期目で次の二期三期もと周囲の期待もあって
まさに飛ぶ鳥を落とすような絶頂期の頃です。
 実のところ次の二期目の選挙で落選することになります。
それで父の政治に対するけじめがついたのではないかと思います。
 お寺の事業に精を出します。庫裡そして本堂を当時は珍しい鉄筋コンクリート建てで新築しました。
そして新築なった本堂で昭和52年からずっと毎朝6時半のお朝事を勤めてきました。
 これまでの人生を振り返り大きな転機になる時代でした。
 
 昭和44年私は17歳の高校2年生でした。あの頃の生活を思い起こします。
その時父はどのように私を見ていたのかなとまた思います。
 
 写真に写った顔の表情からその人人の生活ぶりをちょっと勝手に想像します。
幸せいっぱいの時だったかもしれません。大きな苦しみ悩みを抱えていたのかもしれません。
ただ皆さんお念仏のご縁つながりのなかに生かされて生きていたということです。
 
 大方皆さんは同年輩の40代50代といった年齢ですが、写真では随分お年寄りのように見えました。
それは見る人の見方で、私たちも50年後には「えらい老けてるな」と見られるのでしょう。
 
 昨日のご法事のご縁でも思うことですが
ご先祖からのいのちの歴史お家の営みのなかに今こうして私があることをあらためて思います。
 そうしてこの私が円光寺の本堂の御仏前に座ってお勤めができるということを
有難いご縁だな思ってまた今日の一日を日暮しさせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.3)

お仏飯をお供えして仏さまとご一緒にお食事しましょう

2018-11-03
 何か朝方一気に秋が来たようにちょっと身震いするような寒ささえ感じます。
こうして朝起きて皆さんもそれぞれ朝の日課があると思います。
 このお朝事のお勤めは私たちの日課の最たるものだといただきます。
朝起きて6時の鐘をつく前にお仏飯を仏さまにお供えさせていただきます。
仏さまにご飯を差し上げるのです。仏さまとご一緒に食事をさせていただくのです。
 
 食事をするということは仏法聴聞、仏さまのみ教えを聞かせていただくことだと教えていただいたことです。
ご飯を毎日食べないとこの身体はやせ細ってずっと食べないと死んでしまいます。
仏法も同じように日々聞かせていただくことが肝要だよというのです。
聞くことをやめたらそれこそ死にますよ、それぐらい仏法聴聞は大切なことなのですよと教えてくださっているのが
日々お仏飯を仏さまにお供えすることではないかなといただきます。
 
 食べるということは一方では欲です。
次から次とこの身にあふれる欲の心は仏さまからいうと煩悩の最たるもので私たちの苦しみ悩みの原因です。
 お経さまに少欲知足という言葉があります。欲は少なく足ることを知るということです。
欲をはるのではなくほどほどにということですが、中々そうはいきません。
好きなものはそれこそ貪欲に目いっぱい欲しがる、いただく食べるということですが
嫌いなものは食べ残しぷっと捨ててしまうのも私たちのあり様です。
 
 そういう私たちにいただけよいただけよ信心いただけよと仏法聴聞を勧めてくださる仏さまです。
阿弥陀さまの必ず救うまかせよの南無阿弥陀仏のお心をいっぱいいただいて
ナンマンダブツとお念仏を申す今日の一日でありたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.3)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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