今朝梵鐘が撞けませんでした
昨日はお朝事をお休みして6時の梵鐘もお朝事の調声も坊守と新院が代わってしてくれたことですが
今日は鐘つきの時間を過ぎて結局梵鐘を撞くことができませんでした。
いつもの時間に起きていつも朝の用意をしましたが、一つだけいつもと違うことをしたのです。
そのことで鐘を撞くタイミングを逸してしまったということです。
朝の梵鐘は時報という時刻を告げる鐘ではありません。
でも聞く人にとっては6時の鐘なんでしょうね。
今日は円光寺の鐘がならないなと思った方もいたのではないでしょうか。
聞き過ごしたのかなあと思った方もいらっしゃるのではないかと思います。
日々の生活ということを思います。
私たちは有難いことにご本尊を中心にナンマンダブツとお念仏を申す日暮しさせていただいています。
何かいつもと違うことをしてしまうようなことがあっても
右に行ったり左に行ったりと迷う私を阿弥陀さまはちゃんとご存知で
いつでもどこでも見てござる知ってござると
ナンマンダブツとお念仏となってご一緒してくださるのです。
その有難さ尊さをまた思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.10)

50回忌のご法事です
昨日は日曜日でご法事が二件ありました。
たまたま二件とも50回忌のご法事でした。
50回忌というのは昭和45年に往生された方のご法事です。
昭和45年です。皆さん私たちはどういう生活をしていましたかというお話になりました。
この辺は区画整理で町並みが一変したというほど変わってしまいました。
昭和45年当時の町並みを思い出すのは難しいところがあります。
そういうなかでお寺やお宮の存在の有難さを思います。
お寺やお宮は建物の造りは変っても在る場所は変っていません。
だからお寺やお宮を中心に我が家のことや周りの風景を思い出すことができるということではないでしょうか。
いろんな話になりました。
牛を飼っていたとか馬に乗って学校から帰ったとかいう話まで飛び出しました。
当時は牛馬の力を借りて農作業や家事をしていたということです。
昭和45年よりずっと前の話のように思いますが、何か懐かしく楽しそうに話されていました。
小さい頃に皆さんの記憶が鮮やかに戻るんですね。
こうした懐かしい思い出を語り後の人に伝えることもご法事のご縁だなと思います。
ただ日々の生活は大変だったと思います。
まさに毎日が生きることで精いっぱいだったのではないでしょうか。
そういうなかにあって家族で地域で人々がたすけ合いいろんなおかげに育まれて
今の私たちがあるということを有難く思うことができるのもご法事の営みだと思います。
私たちは自分を中心に私が私がと生きることに精いっぱい自分のことで精いっぱいです。
これも本当のことです。
そういう私たちをこれまでもあたたかく見守り
これからも色んなことがあるけれどもお家の阿弥陀さまを中心に
お念仏を申すなかに日暮しさせていただけることをまた有難く思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.8)

阿弥陀さまのお救いはみんなの救いです
「みんなの体操会」というチラシが目に留まりました。
みんなで体操をしましょうというお誘いです。
みんなという言葉に親しみを感じます。
私たちの阿弥陀さまのお救いはみんなのお救いです。
今月のことば「ただ念仏ひとつで どんな人も 救われる」です。
生きとし生けるすべてのものを分け隔てなく必ず救うそのまま救うという南無阿弥陀仏のおはたらきです。
みんなと聞いて私のことです。
この私一人をこそ必ず救うとご本願をたてられ永い永い間ご修行されて
「必ず救うまかせよ」と南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
いつでもどこでも私のところに来てくださってあると聞かせていただきます。
私一人のためのご本願のお救いと聞かせていただくことが肝要です。
みんなのと聞くと何か隣の人のこと他の人のことをいっているようで
自分には関係ないと聞くのではなく私のことと聞かせていただくのです。
そこにみんなのお救いという阿弥陀さまの大きな大きなお心おはたらきにあって
何かほっとする心強いものを感じます。
ただみんなといって、みんながしているからと多数派の代名詞になって
少数者を排除するような見方にもなってしまう言葉にもなりかねません。
みんなが言っているからみんながしているからということに思いがいって
言っていることしていることの真実を問わない見方にもなってしまうからです。
ハンセン病患者の家族救済判決の控訴を政府が断念したということです。
ハンセン病の患者さんはもとよりその家族までも
社会の差別と偏見にさらされ困難な生活を強いられたという重い事実です。
私たち人間のものの見方の危うさです。
真実を知ろうともせずみんなという多数派のなかにあって少数者を傷つけているということです。
仏さまのものの見方はどんな人もみんなです。
みんなそれぞれ顔が違うようにその生活ぶりは一人として同じものではありません。
それぞれの違いを超えて仏さまのお慈悲のお心おはたらきなのです。
お念仏申し仏さまのお心を聞き自分中心のあり様を見つめ直し
みんながそれぞれの違いを認め合って共々に生きる社会でありたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.11)

人生の最期をどこでどのように迎えますか
昨夜Iさんの奥さんがご往生されて臨終勤行にお参りさせていただきました。
日曜日に病院からお家に帰って来られて4日目ということです。
昨日は初七日のお勤めのお家があって私と同学年の方のご縁でした。
4月に病気が分かって最後は先生から余命一カ月と告知をされお家に帰って三日目だったといいます。
病院や施設で亡くなる方が多いなかでお二人の方が続いてお家で臨終を迎えられたということです。
長く入院されて一向に回復の兆しが見えないなかで、早く家に帰りたいと家族に言うそうです。
ただ家に帰っても病院にいるようなことは到底できないのですが、最期は家で迎えたいという思いなのでしょう。
今は医療福祉体制が充実しており
主治医を中心に看護士や保健士など色んな専門分野の方がチームを組んで最期まで看取ってくださるといいます。
それで治る見込みはないのですが、心身の痛みを和らげ最期を懐かしいお家で迎えるというのです。
昨日の臨終勤行は懐かしいお家の阿弥陀さまのご尊前でお勤めさせていただきました。
今は葬儀社でのお通夜お葬式が一般的になりましたが
お家での最後の夜です、ゆっくりご家族皆さんで過ごしてくださいと声をかけて臨終勤行のお勤めを終えました。
他人の話ではなくて私の話です。
いつどういうかたちでこの命を終えていくのか分かりません。
私が決められることでもありません。
ただこの命終える時が必ず来ることは確かなことです。
仏さまのみ教えを聞かせていただくことの有難さを思います。
大切なお方とお別れしなければいけませんが
ナンマンダブツとお念仏申してお別れができ阿弥陀さまのお浄土に送ることができるのです。
お浄土に生まれて大切なお方は南無阿弥陀仏の仏さまとなってこの世に私たちのところに還って来るというのです。
迷いの中にある私たちを必ず救うそのまま救うというおはたらき一つにです。
そのまま聞かせていただきましょう。
大切な方とお別れする悲しいご縁ですがそのまま仏さまのご縁といただきましょう。
七日七日に始まるこれからのご縁を精いっぱいお勤めさせていただきましょう。
とお取り次ぎさせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.28)

子ども食堂が増えてきています
子ども食堂が全国的に増えているという報道です。
3700余りあって去年から比べると1.6倍増えているといいます。
鶴崎にも子ども食堂があると聞きます。
子ども食堂は親御さんが働いて一人で食事をするような孤食の子どもさん
また経済的に困窮している家庭の子どもさんを対象としたもので
無料または低価格で食事を提供する取り組みです。
お寺の御講のお斎を思います。
円光寺では両彼岸と報恩講の年に3回御講をします。
御講に直る人に200円、お参りされない方は100円を出してもらって賄っています。
最近御講のお参りがずっと減ってきました。
仕事をもっている方が増え時間的にも11時から3時までの長時間だったりその他色んな理由があると思います。
私たちが小さい頃は近くでお葬式があると近所の子どもも一緒にお葬式のお斎になおっていました。
お腹をすかせた子どもたちが腹いっぱいご飯を食べていました。
御講の献立はずっと変わらずけんちん汁とご飯に和え物です。
今の食卓に並ぶ食事に比べたら本当に粗末なものですが
みんなで一緒に腹いっぱい食べて本当においしかったです。
あるお寺のお斎には門徒さんがビニール袋を持って来られるそうです。
お給仕する方がご飯を山盛りついでその袋にご飯を入れて家に持ち帰るのです。
お仏飯のおすそ分けです。
お寺にお参りできない家族の方も一緒にお仏飯をいただくのです。
お互いに助け合い支え合う心意気が御講だったということです。
そして今は子ども食堂ということで地域の心ある方が手をあげてボランティアでお手伝いしています。
お寺でも子ども食堂をしているところがあります。
お寺の御講のようにどこのお寺でも子ども食堂をすればということですが
何をするにも多くの人の加勢があってできることで
お互いに気持ちをもって理解し合い協力しないと難しい問題にもなります。
まずはお念仏の心で私にできることを精いっぱいさせていただくことが大事だと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.27)
