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お念仏を申す生活法話

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4月1日、新年度です

 今日4月1日で新年度に入ります。
学校で職場でまたいろいろなところで皆さん新たな気持ちでそれぞれの生活が始まります。
 
 新年度は平成31年度ですが、5月からは元号が平成から変わるということで
今日11時半から新元号の発表があります。
長い日本の歴史上これまでになかったことで、新元号を予想したり何か日本中がそわそわしている感じです。
 
 元号は日本独特な年次表記で生活に密着したものであり違和感のない親しみあるものがふさわしいと思いますが
最初から万人に受け入れられるものではなく、平成と最初聞いた時はえっと思った人も多かったと思います。
 30年の時を経て今、明治大正昭和平成とスーッと入ってきます。
どなたが考えるのか、熟慮に熟慮を重ねた上でのことだと思い量ります。
 
 昨日は甲子園の選抜高校野球準々決勝で明豊高校が勝ってベスト4に進出しました。
今大会3度目の勝利です。試合終了後明豊高校の校歌が3回流れたということです。
 明豊高校の校歌はこれまでの校歌のイメージとはかなり違います。
南こうせつさんが奥さんの詞に曲をつけたという校歌です。
こうせつさんの声で歌われる校歌は何かフォークソングを聞いているような感じです。
 
 初めて聞く人はえっと思うんじゃないでしょうか。
校歌といったら大体の曲の感じパターンが決まっています。最後は勇ましく歌い上げて終わるのが通例です。
 勝ったものは去年の夏の大会の秋田金足農業高校のように背中を大きく反って元気な声で歌います。
負けたものは相手の校歌を聞いて改めて負けた悔しさを実感します。
 
 明豊高校の校歌を聞いたとき負けたチームの選手関係者応援団はどんなことを思うのでしょうか。
3回流れました。4回5回と流れると優勝ですが、球場全体でみんな歌いだすのではないかなと思ったりします。
歌詞とメロディが耳にスーッと入ってきて、何か勝負を超えたという感じさえ受けます。
 
 こうせつさんは甲子園に流れる校歌をイメージして作ったのではないと思います。
勝敗も何もかも超えてどの人も夢をあきらめないで希望をもって社会に旅立ってほしいということではないでしょうか。
 
 新年度です。希望をもって新たな気持ちでこれからもお念仏申すなかに日暮しさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.1)

「花咲き 花散って 実となり いのちになる」

 昨日の夜から朝方にかけて大きな風が吹きました。
桜が気になって朝6時の鐘をつくのに外に出たらまだ見事に花が咲いてありました。
ただ少し散り始めたようで玄関先に花びらが飛んできていました。
 
 「明日ありと思う心のあだざくら 夜半に嵐の吹かぬものかは」という
親鸞聖人が9歳の出家得度の際に詠まれたという歌を思い起こします。
 明日があると思っていても夜中に大きな風が吹いて満開の桜も次の朝には散ってしまうかもしれないということです。
諸行無常の仏さまの教えです。人生無常の理を教えてくださいます。
 
 桜の花に重ねて我がいのちのあり方を思います。
いつまでも満開の花咲くことではありません。いつか必ず散っていくという我が身の事実です。
 
 4月の言葉です。「花咲き 花散って 実となり いのちになる」と書かせていただきました。
 
 この命を一つの花とみて、私たちはそれぞれに今私という花を咲かせて生きています。
蕾のときがありました。満開のときがありました。そしてどの花もいつか必ず散っていきます。
 私の命です。若い時がありました。歳を重ねて老いていきます。
そして命終えていかねばなりません。
 
 ただ死んだら終いの命ではなく南無阿弥陀仏のおはたらき一つでどの命も等しく
仏のいのちにならせていただけると聞かせていただきます。
 花は実となり真実まことのいのちになるのです。
 
 私が私がと自分を中心に頑張って真実ありのままに生きることはなく窮屈な生き方をしている私を見てとって
阿弥陀さまは真実まことのお浄土を用意されこの私をそのまま救うてくださるというのです。
 お浄土に生まれて真実まことの南無阿弥陀仏のいのちにさせていただきます。
 
 「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきが今こここの私に至り届けられて
この口からナンマンダブツとお念仏の声となって出てくださいます。
 
 お念仏申し南無阿弥陀仏のお心おはたらきに生かされて
満開の桜を愛でながら散る桜を惜しみながら日暮しさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.31)

花開く春の一日をどのようにお過ごしですか

 桜が満開になりました。花開く春です。心躍ります。
球春到来で昨日はプロ野球が開幕しました。
春の選抜高校野球では明豊高校のベスト8進出が決まり今日は大分高校の試合があって
大分県民にとってこれほど楽しみな選抜はありません。
 
 春は心躍り胸をときめかせてこれからのことを夢見る希望の春でもあります。
ただ最近の私の思いでいいますと心躍るというより
桜が咲いたかプロ野球が開幕したかと淡々とさめたものの見方になってきました。
この桜もいつまで持つのかなもう散ってしまうのかななどと思うようになりました。
 
 いい歳になったということでしょう。
この歳まで生きてきてこれまでの若い頃とは違うものの見方ができるようになったということでしょう。
 
 お念仏のみ教えに遇わせていただく有難さを思います。
お念仏のみ教えは阿弥陀仏さまの本願念仏の救いの法です。
老若男女、老いも若きも男も女もすべてのものを等しく救うという南無阿弥陀仏のお心おはたらきです。
 
 ナンマンダブツとお念仏を申す若い時分もありました。そして今もお念仏申させていただきます。
その時どきのお念仏です。
 お念仏申すこの身は変わっていきます。
若くて健康なときもありました。そしてこれから老いていきます、病むことも多くなります。
桜の花びらのように蕾から花開きそして散っていくように、この命を終えていきます。
 
 ただお念仏申すこのお念仏のご法義はこれからもずっと変わりません。
変わらない真実まことの南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせて
この身そのまま阿弥陀仏さまのお浄土に救い取られ仏に成らせていただく命と聞かせていただき
今日の一日桜の花を愛でるのも野球観戦を楽しむのもいいなと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.30)

どんなことがあってもそのままお前を必ず救うと南無阿弥陀仏のお心おはたらきです

 34年前の1985年に熊本で起きた松橋事件の再審裁判があって無罪が確定したということです。
殺人罪で13年の懲役刑を受け収監されて、今その方は85歳です。51歳の時でした。
 
 冤罪(えんざい)です。罪がないのに罰せられるということです。
誰が裁き罰するのか。人なんです。裁判官も人、検察官も弁護士も人、警察官も人、みんな人なんです。
 人と人との関係のなかで裁きがあり処罰されるのです。その人のこれからの人生が大きく決定されるということです。
最高刑は死刑です。死をもって罪を償うといいますが、罪がないのに死刑になった方がこれまでいなかったのか
ちょっと考えただけで恐くなります。
 
 警察や検察の仕事は罪をつくることではありません。
罪を明らかにして公正に裁かれる裁判制度があって社会の秩序が守られるのです。
 被害者の遺族感情としては加害者に罪を償うというより極刑に処してほしいということでしょうが
自分がその場に立ってみないとわからないことだと思います。
 
 ただこの私が加害者になりうることもあるということです。
歎異抄に親鸞聖人が「さるべき業縁のもよおさばいかなるふるまいもすべし」と仰せられたとあります。
 自分が善い人だから罪を犯さないのではないんです。
悪い人だから殺人を犯すということでもありません。
 いろんな縁が重なりあって、人を一人いや百人殺すことだってある業をこの私が持ち合わせているということです。
そういう私を阿弥陀仏さまは罪業深重の凡夫と見抜かれて「我にまかせよそのまま救う」とおはたらきなのです。
 
 善いことをしなさい悪いことをしてはいけないよと言われても
善いこと一つできない「さるべき業縁のもよおさばいかなる振る舞いもすべし」私を見抜かれ悲しまれたお心で
スーッとお立ちになり南無阿弥陀仏と私のところに来てくださって「我にまかせよ必ず救う」と喚ばれてあるのです。
 
 そのこと一つ聞いてくれよとおはたらき通しなのです。
聞いて善いことができ悪いことができなくなるのではありません。
 この身を生きる限りはこれからも縁あらばいかなる振る舞いもすべしこの私と聞かせていただきます。
煩悩具足の凡夫の身と知らせた上での阿弥陀仏さまのお救いです。
 
 南無阿弥陀仏のお心で必ず救うとおはたらきです。
この私を悪人と知らせた上でそのまま救うというんです。
 私阿弥陀の言うことを一つも聞かない悪いことばかりするお前だからもう知らないと見捨てるのではなく
そのまま救うとはそれほどまでの深い深い大悲、大きな悲しみの心おはたらきだということを
また我が身のこととして聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.29)

新大関貴景勝の誕生です

 大相撲の貴景勝関が大関に昇進しました。
伝達式の口上で武士道の精神と言われました。
小さい頃から「勝って驕らず負けて腐らず」といつも聞かされ教えられたといいます。
 
 勝負の世界です。勝つ者があれば負ける者があるということです。
人生にも勝ち組と負け組があるということですが、何をもって勝ち負けをいうのでしょうか。
 勝ち負けでいうなら勝った方がいいですよね。
相撲の世界に負けるために入門する人はいません。
勝ち上がって行けば横綱ですが、ほとんどの力士は負けていって結局は相撲界を去ることになります。
 勝負の世界は本当に厳しいものです。
 
 勝って驕らず負けて腐らずは仏教の教えにも通じます。
勝って驕るとは欲の心です。欲しい欲しいと自分の思い通りにしたいなりたいという心です。
欲しい欲しいで自分の欲しいものを手に入れますが
それで満足するのではなくもっともっとと次から次に欲しくなるという飽くなき貪欲の心です。
 
 負けて腐るとは怒りの心です。
欲しい欲しいで自分の思い通りになるのかというと自分の思い通りにならないことが多くあります。
 すると怒りの心がでてきます。
私の思い通りにならないことがすぐ隣の人にできていたらなおさらです。
 
 愚痴にもなります。
ああしておけばよかったこうしておけばよかったと自分を責め周りの人をも責めます。
愚痴の心は自分中心の見方に終始し真実本当のことが見えない愚かな心です。
 
 阿弥陀仏さまは欲の心、怒りの心、愚かな心を持ち合わせて生きるこの私を見てとってご本願を起こし
南無阿弥陀仏となっていつでもどこでも私に寄り添い「必ず救うまかせよ」とおはたらきです。
 
 先日のイチロー選手の話ではありませんが
高みを極めるといってすぐ高みに到達できるわけではありません。
高みを極めるという目標をもって日々普段の生活を怠りなく一つ一つさせていただくことが肝要だということです。
 
 みんながイチロー選手や貴景勝関になれるわけではありません。
目標をもって生きても私たちの日々の生活はそんなにうまく思い通りにはいきません。
 でも大丈夫、南無阿弥陀仏のお念仏のみ教えを聞かせていただくなかに
私は私でよかったという人生を生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.28)
円光寺
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大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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