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お念仏を申す生活法話

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お浄土への旅を続けます

 御正忌報恩講のお勤めが円成なって本堂お内陣が平生のすがたに戻りました。
このお寺をあずかる住職にとってこの御正忌報恩講さまのお勤めは何にも増して大事なご勝縁です。
 
 私たちのお寺は阿弥陀如来さまをご本尊とするお寺です。
阿弥陀さまの本願念仏の救いの法南無阿弥陀仏のご法義のお寺をあずかるというのです。
 誰からおあずかりしているのかというと、親鸞聖人さまなのです。
親鸞さまからおあずかりしているお寺の一年で一番大きなご縁の御正忌報恩講さまを
ご門徒皆さんとご一緒にお勤めさせていただけたことがこれ以上ない住職の慶びであります。
 
 御正忌報恩講のご縁で歳をとります。今年も一つ歳をとりました。
そして今日です。平生に戻るといいますが、私たちのご宗旨は平生業成のご宗旨です。
特別何かをして特別どうこうということではなくて
常日頃の生活がそのまま阿弥陀如来さまのお浄土へ連なっていく人生であるといただきます。
 
 お浄土への旅です。お浄土への旅がこれからも続きます。
私にとっては67度目の御正忌報恩講さまのお勤め67歳に向けての旅であります。
一人ではありません。ご門徒皆さんと共々にお浄土への旅ができることを
また今日のこのお朝事のご縁で強く深く有難く頼もしく思ったことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.29)

信心いただいてお念仏申す身になっておくれ

 御正忌報恩講も今日がご満座です。
御正忌報恩講のご縁をいただくということはこの私が信心をいただきお念仏を申す身にさせていただくということです。
 
 ただご縁に遇うことは本当に難しい、難中の難とまでいわれます。
円光寺では毎年11月26日27日28日の三日間
信を獲れよ信を獲れよお念仏申す身になってほしいという親鸞聖人の大きな大きな願いのなかに
御正忌報恩講さまのお勤めをさせていただくことです。
 
 こうしてきれいにお荘厳されていますこの本堂のお内陣も明日には平生のすがたにかえります。
ただ平生にかえってもこのお朝事のご縁は続いてまいります。
 念仏相続といいます。
相続といって私が頑張って頑張って頑張って相続するのではありません。
 阿弥陀さまの大きな大きなおはたらき仏さまのご縁にこの私が身を置くということです。
御正忌報恩講のご縁をいただきいよいよお浄土へのお念仏の道を共々に歩ませていただきたいと思うことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.28)

出来の悪い子こそ心配で放っておけない阿弥陀さま

 御正忌報恩講も今日は三日間の中日ということになります。
昨日の夜は子ども報恩講ということで毎年この日にご縁をいただいています。
 昨日も子どもさんがたくさん集まってくれました。
そのなかでお母さんが4、5人一緒にお参りされていました。
夜の時間で暗くて寒いということもあって親子一緒にということです。
 
 「牛にひかれて善光寺詣り」という言葉があります。
子どもさんの寺参りですが、子どもに手を引かれて親御さんも一緒にお参りしてほしいという
仏さまの思し召しといただきます。
 
 大人と子どもという言い方をしますが、私たちはみんな仏の子どもなのです。
仏の子どもというとき親は阿弥陀仏さまです。
お念仏の先人は阿弥陀さまのことを親さまといって慕ってまいりました。
 
 よく阿弥陀さまのお慈悲のおはたらきを親子の譬えでお取り次ぎいただきます。
親はどんな出来の悪い子どもでも放っておけない、出来の悪い子どもほど心配で心配でたまらないといいます。
逆に言えば出来の良い子は放っておいてもいいんです。
 出来の悪い子だから親がいつも寄り添うように、子どもからいったら口やかましいうっとうしい親ですよ。
ただ親だからこそ子どもにどんなに嫌われても口やかましく厳しく接するのです。
 隣のお父さんお母さんには関係ないんです。他人事です。
どこまでもうちの子が中心です。よその子は関係ないのです。
 
 阿弥陀さまは「うちの子も よその子もない みんな仏の子」と私たち一人一人を見てくださっています。
すべてのものを我が子と見られた親さまがスーッとお立ちになって
私のところに来てくださってあるおすがたが南無阿弥陀仏なのです。
 
 ナンマンダブツとこの口からお念仏が出てくださいます。
「いつも私が一緒だよ」と寄り添ってくださる親さま阿弥陀如来さまなのです。
 
 お念仏を申すなかに今日のお昼はお講のお斎があり夜は大逮夜という親鸞さまのお通夜のご縁をいただきます。
どうぞお誘い合わせお参りしてください。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.27)

私一人のための仏さまのご縁です

 昨日ご法事がありましたが、施主の方が急に用事ができてお勤めができないということで
子どもさんが施主に代わってお勤めをされました。
 お勤めの後でご法話をさせていただきますが、本当によく聞いてらっしゃるということが手に取るようにわかります。
20歳代の青年です。仏さまのご縁に遇うということは本当に難しいことですが、お父さんの代役でできました。
 
 ただ仏さまのご縁はその人人を選びません。
阿弥陀さまはどんな人も分け隔てなく必ず救うとおはたらきの仏さまに成ってくださいました。
施主だから何々だからということではありません。
 
 今日の皆さんと同じように仏さまのご縁に遇うということは
そのまま救うまかせよの南無阿弥陀仏のおはたらきのなかにあることを聞かせていただくことなのです。
 それはお家のご法事や明日からお勤まりの御正忌報恩講などのお寺のご縁でしか聞かれないということではありません。
私たちの日々の生活のなかで阿弥陀さまの大きな大きな南無阿弥陀仏のお慈悲のおはたらきは
今こここの私を目当てにはたらいてくださってあるのです。
 
 どうぞそのこと一つ心に入れてこのたびの御正忌報恩講のご縁を私一人のためのご縁としていただいてください。
皆さんの隣の方に声をかけられて一人でも多くの方にご縁に遇っていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.25)

イチョウの木の思い出

 朝が寒くなりました。今朝はこの冬一番の寒さということですが、これから益々寒くなってまいります。
先ほど6時の鐘をつくとき西の空に大きなまん丸いお月さんが鮮やかに光を放っていました。
星もたくさんきれいに輝いていました。澄んだ冬の夜空です。
 
 今紅葉のシーズンですが、イチョウも黄色く紅葉して鮮やかです。
この前テレビで「何故神社仏閣にイチョウの木が多いのか」ということが話題になっていました。
 円光寺にもかつて大きなイチョウの木がありました。
黄色く色づいたイチョウはきれいですが、落葉し実が落ちると掃除をし始末に困るといった良くない思い出があります。
銀杏の実のあの独特なにおいです。それを一つ一つ拾って剥いて乾かし食べるまでが中々厄介なことでした。
そして何かべとーっとまとわりつくような葉っぱの感触です。箒で集め掃除をするのに困りました。
 
 実はイチョウには水分が豊富に含まれているのです。
それで防火のために神社仏閣や学校など人の多く集まるところに植えられたということです。
 
 熊本城にも大きなイチョウの木があるそうです。
加藤清正が植えたと伝えられますが、西南戦争の際に起きた熊本城の火災で一度は枯れたものが
残った根元から芽が出て現在まで成長しているとのことです。
水分を保って命をつないできたことでしょう。生命力の強さを思います。
 
 円光寺もイチョウをはじめ大きな木がなくなりました。
鎮守の森といわれるお宮も開発事業などで昔のすがたがなくなりつつあります。
 大宇宙の月も星もそうですが、大自然のなかに私たちは生かされてあることを殊更思います。
人間の都合に合わせて自然のものに手を加え切ったり除いたり変えたりしていくことも一理あるところですが
私たちの仏さまのご法義です
あるがままそのままに生きよそのまま救うと南無阿弥陀仏のご法義に生かされて
日々の生活、お念仏を申す日暮しを今日も一日させていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.24)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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