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お念仏を申す生活法話

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お朝事から今日の一日が始まります

 今朝もいつものように起きてお朝事の準備で本堂にお参りし戸を開けて冷やっとしました。
雨の影響でしょう、昨日から温度が急に下がって秋の気配がします。
 
 今日も6時の梵鐘をついてその後ラジオ体操をしました。
夏休みが今日で終わります。7月20日から37日間です。
 今年で3年目になりますが、夏休みの期間中毎朝鐘つきと体操を続けました。
田仲さんと三浦さんがずっと参加してくださって今年もできました。
 
 それぞれの役割分担といいますか、私がこうしなさいと言ったことではありません。
三浦さんが6時前に来られて本堂のチャイムが「ピンポーンピンポーン」となります。
体操の準備をしてレコーダーを外にはこんでくれます。
 6時になると田仲さんが梵鐘をついてくださいます。
体操をして6時半からいつものようにお朝事のお勤めをご一緒します。
 こうして円光寺の一日が始まります。
毎日毎朝本当に有難いご縁をいただきます。
 
 皆さんそれぞれに朝の営みがあると思います。
いつまでも寝ているわけにはいきません。
 それぞれの日々の営みの中でこうしてご一緒に阿弥陀さまの前に座ることができて
お正信偈さまのお勤めができて阿弥陀さまに御礼のお念仏ができるということは本当に有難いことだなと思います。
 
 この後皆さんそれぞれのお家に帰られて今日一日もそれぞれの生活が始まります。
それぞれに今日一日も色んなことがあると思いますが日暮しして
明日の朝またこの本堂でご一緒して阿弥陀さまの前に座らせていただきます。
 
 「帰るところがある安心」です。南無阿弥陀仏です。
「帰命無量寿如来南無不可思議光」光といのちきわみない阿弥陀さまを南無阿弥陀仏と仰いで生活させていただきます。
 今日の一日もナンマンダブツナンマンダブツとお念仏申すなかに日暮しをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.25)

お念仏のご縁につながって生かされて今を生きる

 昨日お昼頃ご夫婦の方がお寺にみえられました。
犬飼の方で、後でわかったんですがご主人とは一年に2回お寺の会合でお会いするご縁の方でした。
 
 写真を持っていらっしゃいました。
明治40年5月8日円光寺山門鐘楼落成法要の記念写真でした。
 この写真は私の方にもあって知っていましたが
曾祖父の方におくられた写真ということで家の整理をしていたら出てきたのでお持ちしましたということでした。
 
 その方のお手次ぎのお寺が野津町の了仁寺さんです。
実は私の曽祖父15代照然住職の出身の寺で、了仁寺から兄弟が多く他のお寺にも入寺しています。
 
 そんなお話もしながら明治40年頃の円光寺のことを思いました。
当時円光寺の門徒で山門鐘楼を普請することは到底出来ないことだったと思います。
それで親族のお寺にも声をかけて御懇志をあげていただいたのではないかなと思うのです。
 その曾祖父の方にも大きな御寄附をいただいて落成法要にもお参りいただいたことだと思います。
みんな貧しかった時代ですが、お寺への思いは大変有難いものがあったということです。
 
 明治40年もう100年以上前のことですが、ご縁ですね。
お話をしていると現在につながります。
ご親戚が三佐に嫁いでいるということで、うちのご門徒でいつも大変お世話になっているお家の方でした。
 
 この本堂でお話をしましたが、ご縁ですね。
仏さまのご縁をいただいている私たちだという有難さです。
 今の私たちもそうですが、先の世代の方々も昨日お話では曾祖父の世代です。
名前は知っていますが会ったことはありません。
でも確かにいらっしゃったのです。皆さんの曾祖父もいらっしゃったのです。
もっともっと前の世代の方もご先祖がいらっしゃって今の私たちがあるのです。
 
 皆さん南無阿弥陀仏のお念仏のご縁でずっと今もつながっているということです。
私たちのご縁つながりの中心です。
 浄土真宗のご本尊、阿弥陀如来の仏さまです。
世代を超えて場所を超えていつでもどこでも私たちとご一緒してくださる仏さまです。
 
 昨日も今日も皆さん一堂に阿弥陀さまの御前に座ることができました。
手が合わさってナンマンダブツとお念仏申し仏さまに御礼ができました。
 皆さん同じくお念仏申す身にさせていただいたということです。
南無阿弥陀仏のおはたらき、お念仏の先人のお育てのおかげだと有難くといただきます。
お念仏申させていただくなかに生かされて生きてあるんだなとまた頼もしく思ったことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.26)

日韓関係悪化のはざまで

 今日本と韓国との関係が良くない状況になっています。
私たちの仏教でいいますと、仏教は5世紀の頃朝鮮半島から入ってきました。
 インドを起源とする仏教が北伝といって中央アジアを通って中国に入り
中国で大成された仏教が朝鮮半島を経て日本に入ってくるという歴史です。
 
 当時の日本は蘇我氏と物部氏という二つの大きな勢力があって
蘇我氏は仏教を受け入れる側物部氏は仏教を排斥する側で争いになり結局は蘇我氏の力が勝って仏教が伝来します。
そして間もなくして出られたのが聖徳太子さまなのです。
 
 聖徳太子は摂政という国政の重要ポストにあって仏教に基づく十七か条の憲法を制定するなど
仏教を広く弘める役割を果たします。
 親鸞聖人は聖徳太子さまを「和国の教主」日本のお釈迦さまと敬愛されています。
 
 国ということです。今回の日韓関係も国と国との問題です。
この地球上にはたくさんの国があります。
人と人との関係のように国と国との関係も仲の良し悪しがあり、それは時代や社会の現況に応じて変わってきます。
 
 国と国は国境という境界線で分け隔てをしています。
この目で見ることができない国境線ですが、人間が引いたものです。
 それぞれの国が主義主張を展開しある時は戦争の成果として自分たち本位に引いてきたのが国境線です。
ここは我が国の領土であり領土に侵入したものは容赦しないと主張し
線引きをするなかで私たち人間の争いの歴史がずっと続いてきたしこれからも続いていくのです。
 
 その争いの元こそ私たち人間がかねそなえている煩悩だと明らかにして
その煩悩がなくなるところに真の平和があると教えてくださるのが仏教なのです。
 欲の心怒りの心愚かな心の煩悩です。
この煩悩を断つことが肝要ですが私たちは互いに煩悩具足の凡夫の身を生きていることを聞かせていただくことが大事です。
 
 韓国も日本も仏教のみ教えを生活のなかで聞いてきた先人の歴史があります。
仏教の精神に立ち返ればお互いに何と情けない何と愚かなことをしていることだということです。
 国と国のはざまで一番迷惑を被っているのが一般市民です。
韓国から観光客が来なくなって生活が困窮しこの先大きな不安を抱える人もたくさんいらっしゃいます。
 今こそお互いに先人の歴史に学び仏さまの大きな広いお心を聞かせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.24)

涙いろいろ

 昨日は夏の高校野球決勝戦で大坂の履正社高校が石川の星陵高校を破って初優勝しました。
今大会ナンバーワン投手といわれた星陵高校の奥川投手は常に笑顔を絶やさない投球でした。
試合終了の最後まで笑顔でしたが、閉会式ではずっと泣きじゃくっていました。
 
 勝って涙、負けて涙、見て涙です。
勝った喜び、負けた悔しさ、選手の健闘に見て涙ということでしょうか。
 涙は私たちの喜怒哀楽の思いがそのまま出る表情です。
 
 つとめて笑顔をつくることがあります。
周りの人が不安にならないように思いやってということもあります。
周りを思いやる気持ちです。余裕がないと中々できません
 スマイルシンデレラの愛称がつけられたゴルフ女子全英オープン優勝の渋野日向子選手です。
本当に周りを幸せな気持ちにしてくれました。
 
 ただいつも笑っておられるわけではありません。
何でこんな目に遭わなければならないのかと思い通りにならないことに
自分の至らなさに腹が立って悔しくって流す涙です。
 
 人前で泣くなんて見っともない涙を見せてはいけないと言われそうです。
でもしてはいけないと言われるほどしんどいきついことはありません。
 
 いいんだよ、そのまま泣いて泣きじゃくってもいいんだよ
涙が枯れるまで私の胸で泣きなさいとおはたらきなのが南無阿弥陀仏のお心だといただきます。
 阿弥陀さまのお姿を見ると胸がはだけています。
何か見方によってはだらしがないと思われるかもしれませんが
阿弥陀さまの摂取不捨のお心があらわれたお姿なのです。
 
 誰が見ていても気にしないで私の胸に顔をうずめて泣きなさい
涙いっぱい流していいからそのまま私が引き受けるからと
涙する私をそのまま抱き取ってくださるお姿なのです。
 どんなことがあっても決して私はあなたを見捨てることはないから
ナンマンダブツのお念仏となっていつも私に寄り添って共に生きてくださる仏さまに成ってくださったのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.23)

お仏壇は仏さまの教えそのものです

 昭和30年から40年50年代にかけて戦後の日本社会がまだ不安定だった頃
新興宗教が大きなブームになりました。
 その最たるものがSG会です。
SG会は斥伏といってそのお家の仏壇を焚き払いSG会の仏壇にして改宗させるというわかりやすさがありました。
 一方RY会とかRK会といった新興宗教は伝統仏教宗派の仏壇にそのまま入ってくるんです。
例えば浄土真宗のお仏壇だったらご本尊の阿弥陀さまはそのままで
その中にその宗教独自のものが目に見える形で入ってきて浄土真宗の仏壇とは全く様子が違ったものになるのです。
 
 三佐もある時期新興宗教が大流行しました。
今生きていたら100歳前後の方が有力メンバーとなって地縁血縁の関係を通して入会勧誘するのです。
 はっきりと断わる人もいたと思いますが
日頃から昔からの付き合いのなかで家の宗教そのものは変わらないなどと言われて入会した人もいたのではないでしょうか。
 ご門徒を預かるお寺の住職として当時どのように対処していったのかご苦労を思います。
 
 今は信仰する人も殆どいなくなりましたが
その宗教の姿形がお仏壇のお荘厳となってそのまま残っています。
 実際に信仰しているわけではなくても親や身内が信仰していたものに触ることができず
子どもの頃から見て育ったお家の仏壇を変えることに抵抗があるのではないのでしょうか。
 これが本当に厄介なのです。
 
 ここはお寺の住職の出番ですが
むやみにこうしなさいと言えないところがあります。
これはこれまで問題を放置してきた住職の責任です。
 ご縁ご縁に少しずつお話をして徐々に本来の浄土真宗のお仏壇に返していただくことが大事だと思います。
お寺の住職だからといって中々難しいところがあるのです。
 
 そしてもう一つこうした宗教を信仰しているご門徒さんほどお寺を大事にしてくれるのです。
お寺にもよくお参りするし色んな協力お手伝いも率先してしてくれます。
 有難いご門徒さんなのです。
そういうところが逆に悩ましいのです。
 
 どうぞお念仏のみ教えを聞かせていただきましょう。
聞くいって言葉で聞くことですが、見て聞くということもあります。
 お仏壇は仏さまのみ教えそのものです。
仏さまのみ教えがお仏壇のお荘厳姿形となってくださってあるのです。
 お仏壇はこの目で見せていただく仏さまの教科書です。
その教科書に私の手が入ったら教科書ではなくなってしまいます。
 
 お仏壇にお参りしてそのまま聞かせていただきましょう。
お仏壇のお荘厳を日々一つ一つ丁寧にさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.22)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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