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お念仏を申す生活法話

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檀家と門徒

2023-12-12
 浄土真宗では門徒という皆さんですが
他宗派では檀家といい所属するお寺を檀那寺といいます。

 檀那とはインドの言葉のダーナの音訳で
意訳は布施です。
 お寺と檀家門徒の関係は
布施ということで意味付けられているのです。

 布施といえば
お寺にお包みをするお布施を思いますが
元々は私が周りの人たちに施す行いのことをいいます。

 物を施す布施と法を施す布施があり
檀家からお寺への財施とお寺からの法施です。

 法施は檀那寺の僧侶が法要をお勤めしたり
お説法をすることで
財施は檀家がお寺に物やお金を施す行いです。
 お寺は檀家の財施によって護持運営されているのです。

 浄土真宗のお寺もご門徒衆の布施によって
護持運営されますが
お寺と門徒の関係は
お念仏のご法義のつながりにあります。

 浄土真宗の門徒の所属するお寺を
お手次ぎ寺といいます。
 お念仏のお手次ぎをしてくださるお寺ということで
お念仏のご法義つながりです。

 檀家というと家の宗教というイメージですが
門徒はお念仏のご法義に生きる人です。
 私の家のお寺ではなく私のお寺ということで
お寺のご縁にお参りして
いよいよ浄土真宗の門徒にならせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.12.12)

お寺さんと日頃からのお付き合い

2023-12-11
 
お葬儀やご法事、お仏壇やお墓のことなど
有縁の方から仏事に関するご相談を受けます。

 他門徒の方の場合は
通仏教一般的なお話をして
最終的には「お寺さんにご相談してください」と
おこたえします。

 具体的な内容について
それぞれのお寺で昔からの取り決め事もあって
対応が違うことがあるのです。

 自分が所属するお寺さんに聞けばいいようなことを
中々聞けないというところに
今のご門徒とお寺の関係があるように思います。
 ご門徒からいうと
お寺の敷居が高いということなのでしょうか。

 私が小さい頃は
よくお寺に来る人が何人もいました。
 どこどこのおじちゃん、おばちゃんなどと
今も懐かしく思い出されます。

 何か用事があってお寺に来るということでしょうが
特別に何も用事がないのにお寺に来ては
庫裏に上がってお茶を飲んで帰るといった具合です。
 これといった相談事でもない
いろんな世間話をしていたのでしょうね。

 昔はお寺とご門徒地域の皆さんとの関係が
近くて親しい家族のようなものだったように思います。

 今は私たちを取り巻く地域社会の有り様が
昔とは全く変わりました。
 田畑が様々な企業や住宅地に変わり
いろんな人たちが働き移り住むようになりました。

 昔はご門徒のお家にお参りするのに
留守のお家も自由に出入りしていましたが
今はしっかり施錠されています。
 昔ののんびりした雰囲気とは様変わりした
今の社会の現実です。

 お寺もまた何か用事がないと行かない所になって
日々の生活の中でお寺とのつながりが
急速に薄くなったように感じます。

 日頃のお寺とご門徒さんとの関係
人と人とのつながりがあれば
仏事のことも何でも聞けると思うのですが
お葬儀で初めてお寺とのご縁ができるようなことで
仏事の初歩的なことも聞けないままで
これはどういうことだろうどうしたらいいのだろうと
不安ばかり抱え込んでしまうことです。

 仏さまのご縁つながりです。
先に往かれた仏さまが
私たちに命がけでつくってくれたご縁です。

 お寺の本堂お家のお仏壇の御仏前に座らせていただき
仏法聴聞させていただきましょう。
 南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただき
お念仏を申す身にお育ていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.12.11)

ビッグニュース!

2023-12-10
 今日朝一番に飛び込んできた
ビッグニュースです。

 アメリカ大リーグ大谷翔平選手の移籍先が
ロサンゼルス・ドジャースに決まったということです。

 大リーグの今季終了後FA市場が解禁になって以来
マスメディアは連日のように
大谷選手の話題で持ちきりでした。

 どの球団に行くのか?
色んな解説者がテレビ出演して
ああやこうやと様々に勝手な予想をする中で
やっぱりドジャースでした。

 もう一つの関心事の契約金は
10年7億ドル1050億円という破格なもので
総額は世界のプロスポーツ界最高額といわれます。
 とても想像できる金額ではありませんが
こんな大金をこれからどう使うのだろうかと
下世話な見方が行き交いしてます。
 
 以前のインタビューで
お金の使い道について大谷さんは
「何に使うかといって今は溜まる一方です」
とこたえていました。

 契約金はその選手の評価であり
如何に期待されているかの証しです。
 
 何でもその道のプロでしたら
その道に没頭できる生活の保障は必要ですし
お金のことで生活に窮々していたら
それこそ野球どころではありません。

 生活のためお金のために仕事をするといえば
その通りだということでしょうが
お金に執われお金儲けが主になると
本来の仕事に支障をきたすことにもなります。

 お金儲けができても
そのまま幸せということではないということです。

 大谷選手にとって
野球は小さい頃も今もずっと生活そのものであり
野球を楽しむことが一番の幸せなのですね。

 私にとって一番の幸せとは何でしょうか。
何が人生の楽しみでしょうか。
 仏法に聞かせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.12.10)

気になる言葉

2023-12-09
 毎日の生活の中で
私たちはさまざまな言葉に遭遇します。

 そのなかに心の琴線に触れる言葉があります。
すぐメモに取ることもできず
頭の中を通り過ぎてしまいます。

 何だったかなと振り返っても
断片的に思い出す語句はあっても
言葉となってつながりません。
 思い出そうにも思い出せない
もどかしさと悔しさが残ります。

 先日亡くなった
脚本家山田太一さんの言葉です。
 テレビのニュース番組でその人となりを振り返るなかで
「生と死」について
自身の著書の中の言葉が紹介されていました。

 すてきな言葉だなと思って
ネットで確認しようとしますが出てきません。
 今は番組の見逃が配信があるということで
さっそくアプリを設定してもらい
一週間前の放送を見直すことができました。

「死」というものがあるから
生きていくことが大切に思えるわけです。
「死」というものは決して「生」の対立物ではなくて
すごく「生」を豊かにしてくれるものだと
いうふうに思っています。
              (山田太一さんの言葉)

 生と死という対立したいのちの見方ではなくて
紙の表裏のように生死のいのちと見ていくところに
豊かな死があり生があるということです。

 現代という時代社会に生きる人たちのドラマを描いた
山田太一さんの真摯ないのちの視点であり
生死を超えた仏教のいのちの見方に
通じるものだと聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.12.9) 

成道会とは何ですか? ※転載

2023-12-08
 お釈迦さまは35歳のとき
12月8日インドのブッダガヤで
さとりを開かれ、仏陀(ブッダ)に成られたと
伝えられています。

 12月8日に成道会が行われるようになったのは
このことに由来しています。

 仏陀とは、「さとった者」「真実にめざめた者」
という意味です。

 お釈迦さまが仏陀に成られたことを
さとりの道が完成(成就)したということから
「成道」といいます。

 お釈迦さまは真実をさとられただけではなく
その内容をお説きくださいました。
 お釈迦さまが伝道されたからこそ
私たちは真実に出あうことができるのです。

 お釈迦さまは、真実を自分で考えたり
創りあげたりして発明したわけではありません。
 真実をさとったということは
真実を発見されたということであり
その真実を言葉として説法されたのです。

 浄土真宗では
お釈迦さまの説法は
すべてのものを救う阿弥陀如来のはたらきを
説くためのものであったと考えます。

 親鸞聖人は
真実である「南無阿弥陀仏」を説くために
お釈迦さまはこの世に現れてくださったと
述べられています。

        (前田壽雄著『仏事Q&A』より)

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.12.8)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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