「仏法には油断あるまじく候」(2011年アーカイブ)
2024-02-17
昨日のNHKテレビ『ためしてガッテン』で
高血圧を治す薬が取り上げられていました。
ずっと観ていました。
何か体の具合が悪くなると
そうしたものに自然と目がいく耳がいくといいますか
興味がわいてきます。
わらをもつかむ思いというか
そういうものに引き付けられます。
その道の権威という先生の言葉であったり
高い低いの具体的な数値に引き付けられます。
人それぞれに違うはずなんですが
やはり理想的な数値が気になるところです。
数値を検分するのに検査をします。
誰でも検査はしたくないもので尻込みしますが
検査をしないと悪いところが分かりません。
検査の前になって
自分の生活を改めるってこと
ありませんか。
ある方は
一年一度の検査の一週間10日ほど前から
本当に生活を節制するそうです。
それでいつも検査の結果がいいといってましたが
その方は若くして病気になって亡くなりました。
日頃から節制というか
生活をたしなむことは大事なことで
誰しも頭では分かっていますが
これが難しい。
これぐらいいいだろうと
ついつい油断してしまうのが
この私の有り様です。
私たちのご法義です。
仏法聴聞こそ肝要といいますが
「仏法には油断あるじく候」と先人は教えてくださいます。
一回仏法を聞いて
分かった、知った、大丈夫と
そこに座り込んでしまっていることがあります。
仏法聴聞は常々のこと
「われにまかせよ 必ず救う」の
今こここの私におはたらきの阿弥陀さまのご法義ですから
今ここで聞かせていただくことが肝心要なのです。
「仏法には明日と申す事あるまじく候」ともいわれます。
昨日聞いておけばよかったということでもありません。
どこかに油断が生じるのが
私たちの習いのようです。
だからこそ
検査しなさい、常に点検しなさいというのでしょうか。
検査を進んですることは嫌ですが
検査があって節制する、気をつけることってあります。
そんなに暴飲暴食しているわけではありませんが
生活をたしなむ、振り返ることの大事です。
日々のことですが
油断する、忘れることもまた人間です。
でもそうした私たちを放っておけず
付いて離れずいつでもどこでも「まかせよ 救う」と
南無阿弥陀仏となっておはたらき続けてくださる
阿弥陀さまがいらっしゃることを
また有難く頼もしく思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2011.2.17)
「私にまかせてください」(2011年アーカイブ)
2024-02-16
昨日タレントの間寛平さんが出演された
テレビ番組を観ました。
二年かかって一日50キロの行程で地球を一周する
アースマラソンに挑戦する企画で
つい先日日本にゴール帰ってきたということですが
その最中、前立腺がんという重い病気に罹って
アメリカで手術をされたことが話題になっていました。
異郷の地で不安な中での大手術です。
再々「嫁さんが」と奥さんのことを話されていましたが
「嫁さんが治してくれる」と信じていたと言われます。
勿論奥さんはお医者さんではありませんが
間平さんのことをいつも心配してそばに寄り添ってくれた
奥さんの存在の大きさです。
もう一つ言われたことは
これまで病気一つしたことがない寛平さんが
がんという重い病気を宣告され入院手術することで
100%うまくいくかどうか不安でいっぱいだったなかで
執刀医のお医者さんに初めて会ったときに
「私にまかせてください」と言われたといいます。
「私にまかせてください」
その言葉を聞いた時に本当に安心できたといいます。
「私にまかせてください」
そうです、私たちの阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお心です。
「私にまかせてください」といって
阿弥陀さまが阿弥陀さまの声で
私に言うことではありません。
お念仏は阿弥陀さまのお喚び声といいます。
今日もお念仏が私の口から出てくださいましたね。
南無阿弥陀仏「私にまかせよ」「私にまかせよ」と
何度も何度も「私にまかせよ」と喚び続けてくださいますが
喚ばれる私はどうでしょうか。
どうかすると阿弥陀さまに背中を向けているような
私たちの日々の生活ぶりではないでしょうか。
そんな私に阿弥陀さまは
「言うことを聞かない者はもう知らない」と
あきらめるのではなく
いよいよ飽くことなく何度も何度も
「私にまかせよ」「私にまかせよ」と喚び続け
「必ず救う」とはたらき続けてくださっているのです。
南無阿弥陀仏とお念仏を申せるようになったのは
私の手柄ではありません。
阿弥陀さまのおはたらきがこの私に至り届いた
すがたなのです。
南無阿弥陀仏の大きなお慈悲の中に生かされるなかに
今日も色んなことがあるでしょうが
「われにまかせよ 必ず救う」の
南無阿弥陀仏のお心おはたらき一ついただいて
生き抜かせていただくことができるのです。
これほど頼もしい、これほど力強い、これほど有難い
お念仏のご法義に今遇わせていただいているのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2011.2.16)
寒い中も阿弥陀さまがご一緒です(2011年アーカイブ)
2024-02-15
今朝は本当に寒さが厳しいですね。
冷たいというか、肌を刺すような寒さです。
昨日は大分の各地でも
大雪が降ったニュースがありました。
日本列島もすっかり寒気に覆われて
寒い寒い一日でした。
ただ朝は次第に明るくなってまいりました。
寒い中にももうすぐ春の訪れです。
温かい春もこの寒さを経なければ
来ないということなのでしょう。
そうした寒い中にも今日もこうして
皆さんお朝事のご縁にお参りくださいました。
本当に有難いことです。
毎朝皆さんとご一緒にお朝事のお勤めをして
阿弥陀さまに御礼をさせていただきます。
阿弥陀さまを見ると
本当に寒そうですね。
毎日毎晩ずっと
冬の寒い中も夏の暑い中も
ずっとお立ちになってくださっています。
薄着の格好で本当に寒そうですが
お顔を拝見させていただくと
にこやかに笑ってらっしゃいます。
「いつも私が一緒だよ」と
寒い中も、厳しい人生の道すがらも
私と一緒に歩いてくださる阿弥陀さまの頼もしさに
毎朝お朝事のご縁に遇わせていただく有難さ思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2011.2.15)
50回忌のご法事の醍醐味(2011年アーカイブ)
2024-02-14
昨日は日曜日でご法事がありました。
50回忌のご縁でした。
50回忌を迎える先に往かれた方の
玄孫にあたる子どもさんが3人
私のすぐ後ろに座ってお参りでした。
子どもって本当にすごいなと思います。
聖典を配りますと
一所懸命大きな声で一緒にお勤めをしてくれます。
ご法事の有難さです。
今はご法事も何でも簡素化の流れの中に
身内だけ家族の方数人でお勤めをするケースが
目立って多くなりました。
それぞれのお家のご事情もあると思いますが
お家に子どもさんがいても
ご法事のご縁に子どもさんがお参りしていない
ところが殆どです。
子どもさんにご法事やお葬儀のご縁に
遇ってもらうことの大切さを思います。
50回忌といいますと
子どもさんが生まれた時には
ご法事のお方はもうすでに亡くなっていますから
この世で現実に会ったことはありません。
でもそのお方がいて
子どもさんの命があるということですから
会ったことがないけれども
<私の命の大恩人>のご法事なのです。
ご法事は故人を偲ぶということで
そのお方のお話をするということですから
「今日はひいひいおじいちゃんのご法事ですから
いろんなお話を聞いてくださいね」とお話しました。
ご先祖から続く大きないのちのつながりのなかに
私たちは今日だけではなく
昨日も一昨日もそうでしたし
明日も明後日もこれからも
生かされて生きていることを
本当に思っていただけたら
これがご法事をお勤めする醍醐味だと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2011.2.14)
あなたの苦悩は私の苦悩です ※転載
2024-02-13
元旦に発生した能登半島地震から
一か月余り経ちました。
愛しい人を亡くされたり
自宅が壊滅的で長期の避難生活を余儀なくされ
生活物資も十分に届かず、断水も続き…と
思い巡らすだけでも胸が張り裂けそうになり
当たり前のように過ごしている自分に罪悪感を覚えます。
なぜ、罪悪感を持つのでしょう。
それは、被災されている方の悲しみやつらさを
完全に同じようには抱けないからです。
今回の言葉「あなたの苦悩は私の苦悩です」は
『維摩経』の「衆生病めばすなわち菩薩病む」からです。
相手と同じ悲しみに立つのが菩薩や仏さまで
私たちは同じようにはできないので思い悩むのです。
今の私にできることはないか
少し考えてみました。
一つは忘れないことです。
忘れずにいれば
義援金や物資支援など
思い出した時に何かできることをさがせます。
また「阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝える」ことです。
阿弥陀さまの智慧と慈悲をお伝えすれば
それがその人の力になります。
たとえ一人では微力だとしても
今回の言葉を味わいながら
行動して参りたいと思います。
※満井秀城 師 著「本願寺インスタ倶楽部」
『本願寺新報』2024年2月10日号より
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.2.14)