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お念仏を申す生活法話

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じいちゃんの祥月命日です

 今日12月30日は私の祖父円光寺16世照然住職の祥月の命日です。
昭和41年に往生ということで、今年が昭和93年ですから53回忌になります。
80歳でした。父が74歳でした。年忌を重ねていきますが、遠くなるほどに近くなるといった感覚があります。
 私も66歳になりました。あと8年すれば父の往生の歳になります。あと14年もすれば祖父の往生の歳になります。
その歳歳に思うことです。お寺をあずかる住職という立場もあっていろんなことを思います。
たくさんのご苦労があったんだなと思います。
門徒さんとの関係はどういうご縁つながりだったかなと思いをはせます。
 
 私の祖父のことでいえば先日大海組の組史をみることがあったのですが
終戦の時に別府の別院にある教務所に奉職して事務所長をしていたと記録されていました。
 戦中お寺をめぐり大変なことがあったと想像できます。
そうした困難ななかに円光寺を大海組を大分教区を支えてくださったご苦労は本当に大変大きなものだったんだなと
今朝こうしてお勤めをしながら思うことです。
 
 先人を偲ぶといいます。偲ぶとは思うこと、その人のことを思います。
そしてこの私の歩みを思います。これまでの歩みを振り返ることでありこれからの歩みを思うことでもあります。
 先人の歩み思いを受けついで私にできる精いっぱいのことをさせていただくことです。
お念仏のご法義相続です。
南無阿弥陀仏のお念仏のみ教えを一人でも多くの方にお伝えさせていただくお手伝いを今日も一日できたらと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.12.30)

女性7人おひとりさまの会

 今日を入れて今年もあと三日になりました。
まだ年の瀬という感じがしないのですが、テレビ番組はいつものではなく特別なものになっています。
長いですね。二時間三時間四時間のものもあります。ずっと観るのも大変です。
 テレビをつけて昨日ウトウトしながらある番組が耳に入ってきました。
 
 7人の女性80歳前後のおひとりさまが同じマンションに住んで生活するという記録です。
10年前に会を立ち上げてということです。
 7人とも健在ですが、70歳の人は80歳になるんですね。
70歳から80歳になるということは皆さんも私も想像できませんが、ずいぶん状況が違ってくるということです。
一人二人とお友だちが亡くなっていきます。
 7人は今は元気ですが、そうしたなかでも病気でがんの宣告を受けたとか入院されたという方もいらっしゃって
段々心細くなるということです。
 よく女性7人が共同の部屋に集まっておしゃべりをするのが生きがいという話でした。
ただこれから10年先のことは中々考えられないことだと思います。
 一日一か月一年と生活するなかでいつか必ずこの命終えていかなければなりません。
ある人が「7人のうちで一番早くには逝きたくない、でも一番最後もいや、真中ぐらいがちょうどいい」と言ってました。
みんなそう思っているのかなと思ったりしますが、みんなが思い通りにはいきません。
 
 いつどんなかたちでこの命終わるかもわからないなかで、この一日です。
今日の一日を本当に大切に生き切ることが歳を重ねるなかで大事になってくるのではないでしょうか。
 明日がある明日があるといって希望があっていいですが、明日があるという保証も誰にも一つもありません。
明日を夢見ることもいいです。でも今日です。
今こここの私を生きるというなかに本当によかったと言える今日一日、本当によかったと言えるこの一か月
本当によかったと言えるこの一年、本当によかっと言えるこの一生を生き抜かせていただきたいものです。
 
 そこは私一人ではなくって本当に支えてくださる方がいらっしゃるということです。
私たちにとってこれが南無阿弥陀仏です。
 ナンマンダブツとお念仏申す生活をさせていただきます。
大きな大きないのちのつながりのなかに生かされ支えられ
お念仏のお同行、お念仏のお友だちお仲間と共々にお浄土への人生をご一緒させていただきます。
お念仏のみ教えにつながって本当に人間に生まれてよかったあなたに会えてよかったと言える人生を生き抜き
人のいのちは終わりますがお浄土に生まれて仏さまに成らせていただく、このいのちをあと三日いただいて
今年も一年本当によかったと終えたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.12.29)

大河ドラマ『いだてん』の始まりです

 NHKの大河ドラマ『いだてん』が始まりました。
大河ドラマというと源平の時代、戦国時代そして明治維新を背景にした設定がこれまで殆どでしたが
今回は近代現代を舞台にしたドラマで東京オリンピックが大きなテーマになっています。
 金栗四三さん田畑政治さんという実在した人物が主役で、初めて聞く知るという方も多いと思います。
私たちが生きてきた時代に重なることで興味深くこれからの展開が楽しみです。
 
 昨日は昭和39年の東京オリンピック開催に向けて世界中のオリンピック委員にプレゼンテーションする場面で
日本の学校では教科書にオリンピックのことを載せて教えていますというスピーチがありました。
 ちょうど私が小学生の頃のことです。それを聞いて思い当たることがありました。
オリンピックの父クーベルタンが言った「オリンピックは参加することに意義がある」という言葉です。
五輪のマークの話もありました。学校でみんなで教科書を唱和したことをふと思い出しました。
 
 タイトル「いだてん」は韋駄天という仏教の守護神のひとつといわれる神さまから付けられたといいます。
この韋駄天は元々インド古来のバラモン教の神で仏法に帰依し
お釈迦さまがなくなった後お遺骨の仏舎利を悪鬼が盗んで持ち去ったのを
韋駄天が追いかけて仏舎利を取り戻したということで
足の速い神といわれ、足の速い人を韋駄天と呼ぶようになったということです。
 
 仏教に関係することも一つ心に留めてこのドラマを観るのもいいのではと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.7)

3億3360万円のマグロ

 昨日東京の豊洲市場で新春恒例の初セリがあり青森大間のマグロが3億3360万円で競り落とされたというニュースです。
これまでの最高値の2倍以上の金額だそうです。
築地市場から豊洲市場に移って初めてのご祝儀相場ということなんでしょうが、皆さんどう思いますか。
 ちょっとやり過ぎかなって当の社長さんも困惑ぎみにコメントしていました。
やっぱりほどほどの適正価格というものがあると思うんですが、何か落ち着きません。
 
 NHKのニュースにも取り上げられ「初セリで3億余りで競り落とされました」とアナウンスされていました。
余りって何でしょうかね。3360万円ですよ。
3360万円って、年収にしたら高給取りですよ。
360万円でも、日々やりくりして生活している人がたくさんいます。
 
 格差社会といわれ経済的な格差で貧困に苦しむ実態がすぐそばにあります。
その日その日の生活に本当に困ってらっしゃる方がたくっさんいらっしゃるなかで、ちょっと考えものだと思います。
 
 私たちの日々の生活です。お金だけではありませんが、やはりそういうところに目が行きます。
この話題もニュースに取り上げられなかったらこんなとんでもない超高額にはならなかったと思います。
お店の宣伝…いってみたら人間のおごりです。
 人間の様々な思惑渦巻くなかに私たちの日々の生活があるのかなと思うと何かやりきれない気持ちにさえなります。
 
 浄土真宗のご法義に聞かせていただきます。
私たちの阿弥陀さまのご法義南無阿弥陀仏のお救いの法は誰一人取り残さないというご法義です。
どんな人も分け隔てなく必ず救うそのまま救う決して見捨てないというご法義です。
 
 私たちは日々皆さん精いっぱい頑張って頑張って頑張って生きています。
その頑張りが本当に思い通りにいけばいいんですが、思い通りになることは中々ありませんよね。
 いや頑張れば頑張るほどうまく行かなくて
一人取り残されるような独りぼっちになるようななかに生きています。
 寂しいです。辛いです。やるせないです。
 
 お念仏のみ教えに南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただきましょう。
お念仏を申すなかに今日の一日も生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.6)

老いを受け入れる

 仏教で生老病死の四苦といいます。
生きるということは老いること、生きるということは病むこと、生きるということは死ぬことといわれて
わが身の事実と受け入れることは本当に難しいことです。
一つとして私の思い通りにならないことで、そこに私たち人間の根本的な苦悩があるとお釈迦さまは教えてくださいます。
 
 齢を重ねて私たちが日々当面する苦は老苦でしょう。
気持ちは若くあっても身体は正直で至るところに老化現象があらわれてきます。
 昨日までできていたことができなくなる現実にたじろぎ不安をおぼえます。
 
 「齢をとったなあの時はよかったな」と若い時分と比べて齢はとるものではないと
今までできていたことができなくなったと今の自分を嘆き老いを拒む見方があります。
ついついそういうことを思いまた言葉にも出ます。
 
 一方で「齢をとってこれでいい。あまり頑張りすぎると若い人の出る幕がなくなる」と老いを受け入れ
普段のことができないくなるのも齢のせいと受け止めていくのが、老苦を超えていく極意というんでしょうね。
ただ極意という以上中々できないことではありません。
 
 やっぱり頑張るんですね。私が私がどこまでも頑張るんですね。
その頑張りは善い悪いということではありませんが
頑張れば頑張るほど昔の自分と比べたり周りの者と比べたりとして苦しみ悩みが一層深まるというのです。
 
 我が身心を苦しめ悩ます煩悩の一つに慢の心があります。
慢心です。一番身近な慢心は我慢自慢ということです。
 我慢することは何か善いことのように思われています。
私が我慢しているからこの家はうまくいっているとか思っているところがどこかにありませんか。
 ところがその我慢にも限界があるのです。
縁に触れれば堪忍袋の緒が切れたと爆発し周りを責め立てることにもなります。
 しんどいですね。
 
 仏法に遇って齢をとって善いこともたくさんあると聞かせていただきます。
 老いるなかに今まで若い時分に見えなかったことが見えてくる、気づかなかったことに気づかされる
聞こえなかったことが聞こえてくるといただけるのが、仏さまのご縁なのです。
 
 ナンマンダブツとお念仏申すこと一つ、若い時には中々できなかったことが今できています。
齢を重ねて仏さまのご縁をいただいてこの口からお念仏が出てくださる身にさせていただけたということを
喜ばせていただくなかに今日一日もお念仏申して生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.5)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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