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お念仏を申す生活法話

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感謝の気持ちは現在進行形です

 昨日レスリングの吉田沙保里さんの引退会見がありました。
前々日にネットで17個のメダルの写真とともに引退表明をしていましたが
会見で17個のメダルのなかでどのメダルが一番印象に残っていますかと質問がありました。
 しばらく考えてから「どのメダルにも思い出がありますが、リオ五輪のメダルです」とこたえられました。
オリンピックと世界選手権で獲得したメダル17個のうち唯一銀メダルに終わった試合です。
そして「あのリオ五輪が私を本当に成長させてくれました」と言われました。
 
 いつも金メダルで表彰台の一番頂点に立つことばかりだったのが、リオ五輪では一段下の台に立ったのです。
「負ける者の気持ち悔しさ色んなことを思いました」と続け
「そういう一緒に戦う仲間がいたから頑張れてこれたし仲間がいたから成長することができた」と
感謝の気持ちを本当に素直に言葉にされていました。
 
 恩師のパラハラ騒動がありました。この質問もあるなと覚悟の上だったと思いますが
そのまま受け止め恩師にもまた同僚の選手にも感謝の気持ちをずっと言葉にしていました。
 
 すごいなと思います。頂点を極めた人の実に堂々とした清々しい会見でした。
感謝の言葉が本当に素直にそのまま出てくるということです。ありがとうという気持ちです。
そのありがとうは今までのことに対しての感謝だけではありません。
これからもずっと感謝、ありがとうの気持ちで今日も明日も明後日も周りの人と接していくことのすばらしさを
本当にさわやかに伝えてくださいました。
 
 リオのオリンピックは本当に心から悔しく自分が情けなかったのでしょうね。
「皆さんに申し訳ない」と何度も言いお母さんの胸に顔をうずめて「お父さんに怒られる」と
泣きじゃくった姿が忘れられません。それも素直な気持ちだったと思います。
 その悔し涙のなかに本当に人として成長していくことのすばらしさを昨日の笑顔の会見で思いました。
 
 これは吉田さん一人のことではなく私たち一人一人のことについてもあてはまることではないかなと思います。
ナンマンダブツナンマンダブツと感謝のお念仏ですよとお聞きします。
 ナンマンダブツとお念仏を申すなかに、仏さまの大きな大きな南無阿弥陀仏のお心おはたらきに抱かれ育まれて
感謝の気持ちいっぱいに今日の一日も皆さんと共に生かされて生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.11)

お寺にお参りすることとお宮にお参りすることの違いって何だろう?

 昨日は学校が三学期になって初めての水曜日で、すいよう学校の子ども会新春お楽しみ会をしました。
いつもの水曜学校のお友だちに加えて全部で12人の子どもが集まってくれました。
やっぱり賑やかなのがいいですね。
 
 みんなで一緒にお勤めをして新院さんがご法話をしました。
お正月は初詣でお宮にお参りする人が多いけど「お宮にお参りすることとお寺にお参りすることはどう違うのかな」と
子どもたちに尋ねました。
 子どもはいいですね。思ったことをすっと答えてくれます。
男の子が手を上げて「お寺は本堂の中に入って仏さまにお参りする、お宮は外から神さまにお参りする」と言いました。
そうですね。当たり前のように思っていることですが、あらためて言われてみると大事なことに気づかされます。
 
 お寺には御本尊の仏さまが本堂の中央にご安置されています。その御仏前に座って手を合わせお参りします。
一方お宮の神さまはこの目に見える姿としてはありません。お宮の中央奥の院に神さまがいらっしゃるといわれます。
 人間の力を超えた不思議な力をもった神さまです。
神さまのお力おはたらきで人間の願いを成就してほしいとお願いするのが神さまへのお参りです。
祈願の思いを込めて柏手をたたきます。
 
 一方仏さまのお参りは手を合わせ浄土真宗ではナンマンダブツとお念仏を申してお礼をします。
十方衆生を必ず救うと願われ本願成就された阿弥陀仏さまのお姿は
そのままこの私を救うてくださるおはたらきと聞かせていただきます。
 
 ナンマンダブツとお念仏申して南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただきます。
お正信偈さまのお勤めも聞かせていただくということです。
 神主さんが祝詞をあげます。お参りの皆さんは神妙にして聞いています。
私たちのお勤めはお坊さんご門徒衆ご縁の皆さんご一緒に声に出してさせていただきます。
 南無阿弥陀仏と私のところに来てくださった阿弥陀仏さまのおはたらきです。
ナンマンダブツとお念仏申すそのままが南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただくことです。
 
「我にまかせよ必ず救う、いつも私が一緒だよどんなことがあってもあなたを見捨てることがないよ」と
私に何の条件もつけずそのまま救うとおはたらきです。
「はいおまかせします、阿弥陀さま」と手を合わせお礼をさせていただける有難い南無阿弥陀仏のご法義です。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.10)

私のことを思うて届けられたお念仏です

 昨日ご門徒さんが年賀の手作りのものを届けてくださいました。
毎年いただきますが、もうこんな時期になったのかと思いました。
 又あるご門徒さんの所では、除夜会元旦会のお参りの皆さんに出す手作りのおせちを届けますと言われました。
あっえっ何かつい最近そんなことを聞いたそんなことがあったようなことと思って
一年過ぎるのが本当にあっという間本当に早いなと思います。
 
 12月に入るとお歳暮が届きます。年が明けて年賀状が届きます。
ある方は形ばかりのことで意味がないとまでいう人がいますが
段々齢を取ってきますと形ばかりとはいえと思うようになりました。
 形を通してそこに届けてくださるあなたです、その方の気持ちが届けられることを心強く有難く思います。
段々齢を取ってきますと周囲の知人友人そして家族が亡くなっていきます。
そういうなかで私のことを思うてくださる心持ちが届くというのが本当に頼もしく力強く有難いのです。
 
 私たちの南無阿弥陀仏のお念仏です。
阿弥陀さまがこの私一人を救うと思いおはたらきとなって届けられたお念仏がこの口から出てくださるのです。
ナンマンダブツナンマンダブツとこの口からお念仏が出てくださるということは
もう既に阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲のなかに私たちは抱き取られてあるのだと聞かせていただきます。
 
 ナンマンダブツナンマンダブツと、ありがとうございますとまた御礼のお念仏を申させていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.12.25)

「人身受け難し今すでに受く、仏法聞き難し今すでに聞く」

 昨日別府別院の初法座のご縁にお参りさせていただきました。
佐賀の方からご講師がみえてご法話お聴聞させていただきました。
 ご法話のご讃題は礼讃文といってどの仏教聖典にも大抵載っている御文で
「人身受け難し今すでに受く仏法聞き難し今すでに聞く」でした。
 
 人身というのは人の身この人間に生まれるということは本当に難しい中にできてこの私が今ここにあるということです。
そして人間に生まれても仏法に遇うことはこれほど難しいことはないというのです。
 お釈迦さまの譬え話に、ガンジス河という大きな川の河原の無数にある砂を手にすくい取ってお弟子さんに
「人間に生まれるというのはこの河原のすべての砂の中のこの手にしたこれぐらいなものだよ」と言って
そしてその砂を指先だけに残し払って
「人間に生まれたなかでも仏法に遇うことはこの指先の砂ほどに有難いものなんだよ」と教えられたといいます。
 
 人間に生まれて仏法に遇わせていただくことの有難さとを譬え話で
人間に生まれる確率は年末ジャンボの1等10億円の宝くじが100本100回当たるようなもので
1回当たるのも甚だ難しいなかでこれほど難しいことはないとお話されていました。
 そして人間に生まれたなかで仏法に遇わせていただくということです。
私たちは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道六つの世界を輪廻してこのたびは人間に生まれたということです。
この六道すべてが迷いの世界ですが、人間世界に生まれた意味は仏法に遇えるご縁をいただくということなのです。
 
 お釈迦さまがこの人間界に生まれ出てくださったということです。
私たちと同じ人間の身を生きおさとりを開かれて仏に成られます。
そして仏法を説かれお経さまとして私たちに伝えてくださってあるということです。
 
 お釈迦さまは迷いの人間世界に生きる私たちに
仏法に遇って今度こそは六道の迷いを超えて仏の世界に生まれて来いよと願われています。
 
 人間に生まれて仏法に遇わせていただくことの有難さを思います。
仏法に遇うために人間に生まれさせていただいたといただきます。
 
 今ここにこの私が仏法のご縁に遇うことができたことを有難く受けとめて
これからもお念仏申すなかに日々生活させていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.9)

今日から学校です。三学期が始まります。

 今日は1月8日で学校が始業式ということです。三学期が始まります。
子どもたちはどんな気持ちで今日の朝を迎え学校に行くのでしょうかね。
 
 小学生の頃を思い出します。冬は嫌でした。
毎年しもやけができて、手足の指が真っ赤に腫れ上がりかゆくてかゆくてなかなか寝付けなかったです。
指を糸でしばって針で血を出すんですが、これが痛くて嫌でたまりませんでした。
 中学高校になると体育の時間が決まってマラソンでした。
これも本当に嫌でそれこそ風でも吹いて雨でも降って中止になればいいと何度も思ったものです。
 
 今日はこんな楽しみがあるとウキウキして家をでかけることもあれば
今日はこれをしなければいけないとため息を何度もついて暗い気持ちで
学校にまた職場に出かけることもあるのではないでしょうか。
 
 自分の思い通りにならないということは嫌な思い出として今も心の片隅にしっかり残っています。
ただ考えようによっては思い通りにならないことも含めて今の私があるということではないでしょうか。
 それこそ苦しみ悩み迷いのなかにある私をこの阿弥陀さまはすでに見抜かれ見捨てることなく
そのまま救う必ず救うまかせよと南無阿弥陀仏となって私のところに来てくださってあると聞かせていただきます。
 
 子どもの頃若い時分は嫌だ嫌だというばかりでしたが
こうしてお聴聞させていただくなかにあの頃も今もそしてこれからも
大きな大きな阿弥陀さまのお慈悲のなかに日々の生活をさせていただけるとまた有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.8)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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