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お念仏を申す生活法話

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永代経は永代供養のためのお経?

 永代供養ということを最近よく聞きます。永代経ということもいいます。
永代供養とは永代にわたって亡き人の供養をするということでしょうかね。
 
 「私はいつまで生きるかわからないから親の年忌の法事を全て一緒にしてください」と頼まれたお寺さんのお話です。
一周忌か三回忌、いや初七日満中陰のご縁で、七回忌十三回忌十七回忌二十五回忌三十三回忌五十回忌すべてのお勤めを
永代供養ということで永代経をあげてくださいとでもいうのでしょうか。
 
 そんなわけにはいきません。
というのは一周忌には一周忌の意味があるのです。三回忌七回忌十三回忌それぞれの意味があるということです。
それはお勤めされる方(施主)が歳をとるということの意味です。
 
 この私のことです。三回忌で思うことと三十三回忌で30年経って思うことは違ってきます。
子が親の法事を勤めるとき、法事の度に親の年齢にどんどん近づいて三十三回忌ではほぼ同じ年になるということです。
 歳を重ねて親の年齢に近づいてきて
お父さんの気持ちが少し分かってくる気づかされることがあるというのがご法事を勤める意味有難いことなのです。
 
 一方永代経は永代供養のためにあげるお経と思ってらっしゃる方があると思いますが
永代経というお経はありません。永代経にはもっと深い意味があるのです。
 そもそもお経というのはお釈迦さまの教えなのです。
お釈迦さまの教えが永代にわたって人々に伝わっていくようにとお勤めすることが永代経の意味で
永代経懇志ということで施主がご懇志を寄せて仏法流通のお手伝いをさせていただくのです。
 
 このお寺です。念仏の道場聞法の道場といわれる浄土真宗のお寺です。
お寺はご門徒皆さんがお釈迦さまの教えを聞くために建てられたものです。
お念仏のご縁の中心的な拠点がお寺なのです。
 ところがお寺も永年年月が経つと修復するところが出てまいります。
それで懇志を寄せて永代にわたってお釈迦さまの教え浄土真宗阿弥陀さまのお念仏の救いの法が
一人一人に受け伝えられていく、まさに念仏の声が世界に子や孫に伝わっていくお手伝いをさせていただくのが
永代経ということの意味なのです。
 
 一ぺんに全てのことが済むのか、済まされるのか。そんなわけにはいきません。
そんなことを言うんだったら私の命も90歳まで生きたということで今ここで命終えることができるのでしょうか。
 今こここの私をいのちが生きているのです。
今こここの私にお念仏申してくれよと阿弥陀さまがおはたらきです。
 そのこと一つそのままいただいて今日一日も生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.5)

別大ウオークで思うこと

 昨日は別大ウオークということで別大マラソンにあわせて
同行4人で西大分から歩いて別府の別院にお参りさせていただきました。
 
 片道10㎞の行程で、帰りは別府からJRで帰路につきました。
電車の車窓から見るとまだ大半のランナーが別大国道を走っていました。
 ちょうど家に帰りついた時に先頭の選手がゴールしたということです。
何と先頭から最後尾までかなりの距離が開いて
トップがゴールしてから大分時間がかかってゴールした人が多かったと思います。
 
 昨日は三人の日本選手が東京オリンピック出場をかけた大会に出場できる権利を得たということです。
私も初めて聞くような無名の選手でした。
 二千人以上の方が走ったと聞きます。多くは市民ランナーといわれる人で無名の選手です。
東京オリンピックを目指す選手もいればこの別大マラソンにそれぞれの思いを込めて参加した人
その生活ぶりはそれぞれです。
 完走した人もあれば途中で無念の危険をした人もあると思います。
その選手の皆さんそれぞれに今日の朝を迎えてどんな思いで今日からの人生を再スタートするのでしょうか。
 
 今日は立春です。暦の上では春ということです。
春を迎えてそれぞれの人生、それぞれの歩みを一つ大きな思いをもって今日の一日を始められるのかなと思います。
「ガンバレ!」
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.4)

食品ロスしていませんか?

 今日2月3日は節分です。明日が立春ですからいよいよ春ということです。
旧正月という言い方をします。
 今は中国の方が旧正月を迎え大型連休で日本にやってきて爆買いすることが一つの社会現象にもなっています。
日本にとっては大きな経済効果があって有難いことです。
 
 昨日はニュースで食品ロスということが取り上げられていました。
昔は節分には豆まきをすることが定番でしたが、今は恵方巻きを食べる人が多くなったということです。
 1月に入ってコンビニの店頭には恵方巻きののぼりが何本も林立しています。
テレビで恵方巻きが話題になりどの新聞も恵方巻きのチラシでいっぱいです。
 
 食品ロスというのは販売を当て込んでたくさん恵方巻きを作るのですが
恵方巻きは2月3日限定のもので売れ残った恵方巻きが多くでて試算すると何と10億円ということです。
10億円のものがみすみす廃棄物となって捨てられるという結末です。
 ちょっと考えたらわかることですが、売り手からすると品物が足りなかったら商売にならないということなのでしょう。
だから多めに作るということでしょう。
 
 私たちの日々の生活をちょっと振り返ってみてもそんなことって結構たくさんあるのではないでしょうか。
その時どきに買い物に行くのではなく買いだめ買い置きをしておく、何かの時の備えでもあります。
しかし冷蔵庫にため込んで結局消費できなかった品物もたくさんあるのではないでしょうか。
 
 食品ロスということでいうならば
今日のこの一日にこの地球上で何百人何千人もの子どもたちが食べ物がなく栄養失調で亡くなっているという現実です。
 仏さまのみ教えお経さまのなかに少欲知足という言葉があります。
欲は少なく足ることを知るということです。
 この2月3日の日暮しのなかで少欲知足ということを思うてみるのもいいのではないでしょうか。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.3)

一つ心を合わせてご一緒にお勤めさせていただきます

 2月は如月といいます。何とも響きの良い言葉です。
2月に入って愈々この時期が一番寒いということです。
 
 1月は行く2月は逃げる3月は去るというように、あっという間に時間が経っていきます。
そういうなかでこうして一日一日のお勤めをさせていただける有難さを思います。
 
 一日24時間同じ時間ですが、その過ごし方は人それぞれ違います。
それぞれの生活をしているお互いがこうして一つ心を合わせて毎日のお朝事のお勤めをさせていただけるということです。
 何か当たり前のように思われる方もいらっしゃると思いますが
そのことが一つ一つ有難く有難くいただけるなかに一日の始まりを
今日もこうしてお朝事のお勤めをさせていただくなかに思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.2)

逃げて来い、あなたを決して見捨てない護り抜くから、逃げて来い

 今朝は東南の空に三日月が出てその上方に二つ大きな星が輝いていました。
今朝の新聞に昨日の東京明け方スカイツリーの辺りに三日月と金星と木星が集まって天体ショーがあったとありました。
 三日月の上に金星ちょっと離れて木星という今朝の上空のようすです。
 
 昨日の雨で空気が澄んでさわやかな明け方の空の風景です。
大きないのちの営みのなかに生かされてあるということを有難く思いつつ
何ともやりきれない事件の報道が続きます。
 一つは茨城県の女子学生殺害事件です。ネットで知り合い初めて会った男に殺されたという事件です。
もう一つは千葉県で父親が暴力をふるう虐待で小学4年生の女の子が亡くなったという事件の続報です。
 
 一年ほど前学校でのいじめについてのアンケートで
当時小学3年生のその子が「お父さんに暴力をふるわれている。先生どうにかなりませんか」と書いたものでした。
そのアンケートが教育委員会から父親に渡ったということです。
 ちょっと想像しても末恐ろしいことで女の子の恐怖は如何ばかりだったかと思います。
女子学生の事件もそうですが、父親はいのちをものとしてしか見ていない
自分の都合でどうにでもできるとしか思っていないのではないでしょうか。
 
 自分のもの、自分の子どもだから何をしてもどうしてもいいとでも思っているのでしょうか。
自分の子どもだからこそどんな子どもであっても護り通すのが親なのではないでしょうか。
 ところが一番身近にいる親が一番危ないのです。
子どもを何か自分の都合のいい持ち物のように扱っているとしか思えません。
 自分の子どもだから親はどんなことをしてもいい
これは躾だから他人から何か言われる筋合いはないとでもいうのでしょうか。
 
 それが学校の先生に告げ口したというかたちでアンケートを見たら
父親の感情を逆なで怒り狂うということではないでしょうか。そんなことを想像します。
 そのアンケートの前段に「秘密は絶対守ります」と書かかれていました。
秘密は絶対守るから安心して本当のことを書いてくださいということなのでしょう
 
 ところがです、本当に何ともやりきれないですよね。
小学校4年生の子どもです。何を誰を信じていいのか。もう最後の最後は絶望でしかなかったと思います。
一番守ってくれると信じている親に裏切られ、先生にも裏切られ、そしてあの教育委員会の面々です。
十数人の大人が一斉に頭を下げて、卑怯ですよ。
 教育委員会という何か一つの集団になったときにそれを隠れ蓑にして誰一人として責任を取らない
頭を下げておきさえすればいいとしか思えない、何かそんなことさえ思います。残念です。悲しいです。
 
 私たちの阿弥陀さまの大悲のお心です。お正信偈さまのなかに「大悲無倦常照我」とあります。
この阿弥陀さまの南無阿弥陀仏の救いの法は無倦で、飽きることなく私たちにはたらきかけてくださってあるというのです。
常に我を照らすなりと。有難いですね。決して私を見捨てないというのです。
 どんなに背中を向けるものでも、どんなにはむかうものでも
私はあなたを護り通すぞというおはたらきが、大悲無倦常照我です。
 
 大悲です。大きな悲しみです。阿弥陀さまは悲しみのなかから立ち上がって私を護ってくださるのです。
どういうことでしょうか。
 先のお正信偈さまの前三句目に「極重悪人唯称仏」とあります。
極重悪人とは阿弥陀さまが見抜かれたこの私のことです。
どこまでも自分を中心に欲の心怒りの心愚かな心を兼ね備えて生きる私のすがたです。
 阿弥陀さまはこの私のすがたを見て悲しみのなかから必ず救うと本願を起こし南無阿弥陀仏のおはたらきとなり
光明となって煩悩の心をうちやぶり私のところに至り届いてくださって
私の口からお念仏が出てくださるのです。
 どんなことがあっても誰もがあなたを見捨てようとも私は絶対決してあなたを見捨てないからという
阿弥陀さまの大きな大きなお心おはたらきです。
 
 開かれたお寺といいますが、ただ門を開いていることが開かれたお寺ではありません。
駆け込み寺といいます。逃げて来い逃げて来い私は絶対決してあなたを見捨てないから護るから
とにかく逃げて来い、ここがあなたの居場所だよという開かれたお寺なのです。
 
 このお寺です。ここ阿弥陀さまの御前です。
阿弥陀さまの御前で今日もこうしてお朝事のお勤めをご一緒にさせていただけたことを本当に有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.1)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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