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お念仏を申す生活法話

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日曜日の朝です

 日曜日の朝です。
日曜日というと仕事がお休みの人が多く普段の平日とは違った生活ぶりということでしょうか。
 平日はしっかり働いて日曜ぐらいはゆっくり朝寝坊してぼちぼち何かしましょうという過ごし方もあると思います。
日曜とはいえ生活のリズムをまもりいつものように朝起きて仕事ではないけれども
家の事とか趣味や娯楽にといつもはできないことをしたりして時間を有効に使うという過ごし方もあります。
 
 皆さんは今こうして6時半のお朝事にお参りされています。
いつも毎朝の方もいれば、日曜日に決めてお参りされる方もいます。
そしてこの後どうこの日曜日を過ごされますか。
 
 キリスト教圏の国々では日曜日に教会に行くという生活習慣があります。
私も学生時代に少し経験したことですが、8時か9時頃毎週日曜日の決まった時間に家族そろって教会に行きました。
それも正装です。男性は上着にネクタイを締めて女性はドレスアップして行きます。
 教会では一時間ほどミサというお勤めがあって、その後まっすぐ家に帰るのではなく家族みんなで食事に行くんです。
10時か11時の食事になります。朝食と昼食を兼ねたブランチです。結構おもい食事でお酒が入ることもあります。
 
 日曜日を家族一緒にゆっくり過ごすということです。
教会にお参りするということが家族みんなの生活の中心になっているということです。
毎日ということではないけれども週に一度の日曜日に家族みんなが心を合わせて一緒に過ごすのです。
 
 皆さんはこのお朝事にどういうお気持ちでお参りされていますか。
仏さまの御仏前に身を置くことの有難さを思います。自分自身を謙虚に振り返させていただきます。
仏さまの前にこの身を置き皆さんと一緒に声を出してお念仏お勤めをさせていただきます。
 
 ご本尊の阿弥陀仏さまは光の仏さまです。
あらめて拝見させていただくと光り輝くおすがたをされて私たちをいつも照らしてくださっています。
智慧の光でありのままのわが身を知らせてくださり、そのまま救うと慈悲のおはたらきをしてくださってあります。
どんなに背を向けて逃げようが私たちは阿弥陀仏さまの摂取不捨のおはたらきのただ中なのです。
 
 それぞれ生活ぶりが違う私たちです。日曜日の過ごし方もそれぞれです。
ただこうして皆さんとご一緒に毎朝6時半にお勤めができてそれぞれの一日ですが
今日の一日を始めさせていただけることを本当に有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.17)

お念仏は阿弥陀さまのおよび声おはたらきです

 今朝のご和讃に「真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念きらわるる」とありました。
称名とはナマンダブナマンダブとお念仏申すことです。
私の声で称える称名ですが、真実信心といいます。
 
 私が申すお念仏です。
ナマンダブツとお念仏申して私が善根功徳を積むように思っている方が多いのではないでしょうか。
 
 ところが私が称えるお念仏ですが、真実信心の称名といわれます。
南無阿弥陀仏のお念仏です。
阿弥陀さまが大悲心をもってすべてのものを必ず救うと願いをたて成就された南無阿弥陀仏なのです。
だから真実信心の称名といわれるのです。
 
 阿弥陀さまの方でこの私を救うすべての手立てを南無阿弥陀仏とつくってくださりおはたらきなのです。
弥陀回向の法です。
 
 ナンマンダブツとお念仏申すそのままを聞けよとの仰せです。
南無阿弥陀仏のお心を聞けよというのです。
 すべてのものといってこの私をこそ必ず救うまかせよの南無阿弥陀仏のおはたらき大きな大きなお心です。
大悲心です。阿弥陀さまの大きなお慈悲のお心です。
 
 ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏申します。
どうかすると私のところに力が入りますが、自力の称念きらわるるです。
お念仏申すところ阿弥陀さまの「まかせよ救う」のおよび声と聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.15)

あらゆるいのちのつながりのなかに生かされて生きている私たちです

 先日の別大マラソンで海外招待選手の通訳をされたボランティアの方が
後日自身のブログにアフリカの選手について不適切な表現で書き込みをしたことが問題になっています。
 
 指摘を受けその方は軽率な言葉遣いを反省していますと話しているそうです。
50代の方です。これまでに色んな人生経験をされた方だと想像します。
通訳というお仕事は誰でもできることではありません。
大変なお勉強もし、海外の事情にも通じたいわば国際人です。
 
 人生経験もあり教養も兼ねそなえた方の発言です。
本人は軽率だったといいますが、それにしては大きな配慮を欠いた重い発言だと思います。
これまでの人生の歩みのなかでこのような発言で人を傷つけたり不快な思いにしたことがなかったのかなと思ったりします。
 
 軽率にとか軽い気持ちでとか知らず知らずと後で弁明されても、発言したことは取り返しがつきません。
どこまでも自分を中心に生きる私たちお互いです。
これまでに人を傷つけたこともあったし傷つけられたこともあったと思います。
そして傷つけたことは分からない忘れても傷つけられたことはずっと心の傷となって残ります。
 
 人それぞれに様々な思いをもった人たちが織りなす社会のなかに私たちは生きています。
肌の色が違うとか言葉が違うとか様々な違いをもちながら私たちはつながって生きているのです。
 この世の中に関係ないということは一つもない関係ない人は一人もいないというのが仏教の教えです。
縁起の法です。あらゆるいのちのつながりのなかに生かされて生きている私たちなのです。
人それぞれの違いを認め合い敬い合ってみんな一緒に生きたいものです。
 
 すべての生きとし生けるものを必ず救う、一人たりとも決して見捨てないとおはたらきの
南無阿弥陀仏のご法義を共々に聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.16)

年忌法要の時の「衣替え」って何ですか?

 年忌法要というご法事のお勤めで「衣替え」をお供えする言い伝えがあります。
さらしが一反、お二方のご法事には二反、お三方では三反でしょうか、衣替えがあがります。
今はお金でお包みをするところが多くなりました。
 
 衣を替えるといいますが、二つの意味で言い伝えられているようです。
一つは年忌を迎えた方の衣を新しく替えるというもので、昔は土葬されていたことに由来するものでしょうか。
 もう一つはご法事のお勤めをしてくださるお寺のお坊さんの衣を替えるというのです。
新しい白衣でお勤めをしていただくということでしょうか。
 
 大切なお方のご法事のご縁ですから丁寧にお勤めをしましょうという
施主の方をはじめご家族ご親族有縁の皆さんのお気持ちいっぱいの布施行といただきます。
 
 ご法事をお勤めすることは準備からして大変です。
お寺からの通知を受けて主な親族で相談しお寺に連絡してまず日程を決めます。
ご法事の案内をどこまでするのか、お斎は引き出物はどうするのかなどなど
これまでの記録も参考にして相談決定します。
 
 いよいよご法事を迎えるにあたりお家を掃除しお仏壇をきれいにお飾りします。
そして当日お参りの有縁の皆さんそしてお寺さんを迎えてご法事のお勤めが始まるのです。
 
 御仏前に皆さんが集まりご一緒にお勤めをさせていただきます。
何から何まで施主をはじめ皆さんが準備用意したことですが
皆さんご一緒に御仏前に座って手が合わさったナンマンダブツとお念仏申せた御礼ができたと
先に往かれた仏さまの御恩を思わせていただくご縁が年忌のお勤めなのです。
 
 衣替えという先人の言い伝えを有難く思います。
年忌のご法事はいろんな意味で大変ですが、毎年のことではありません。
精いっぱいできることを一つ一つ丁寧にさせていただくなかに
先人を偲びこれからも日々お念仏申す生活をさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.14)

池江璃花子さんが白血病を公表されました

 競泳選手の池江璃花子さんが白血病であることを公表されました。
白血病は血液のがんです。がんと聞くと死ということをすぐイメージしますが
今はがんの治療も格段に進歩して早期発見と適切な治療で完治される方がたくさんいらっしゃいます。
 
 ただ去年のアジア大会で六つの金メダルをとるなど大活躍する姿を目の当たりにしているだけに
関係者ばかりでなく多くの私たち一般市民も言葉を失いびっくりしています。
 
 仏教で生老病死の四苦を説きます。
生きるということは老いる病む死ぬということと聞かせていただき
老があって病があり死があると何か順番のように思い込み自分には関係ないことのように思っていたことが
実はいくら若くても病気と隣り合わせ死と隣り合わせで生きている私のことだったとあらためて教えていただきます。
 
 池江選手は2020年の東京オリンピックの水泳のまさにエースです。
周囲の期待が非常に大きな選手だけに、そうしたことが一番の負担にならないか大変心配です。
ここは周りの方々も私たちもあたたかく見守ってサポートしていただきたいと思います。
 
 このたびの報道でスポーツ選手だから早期発見できたというコメントがありました。
いつも見ているコーチが肩で呼吸するとか今までになかったことを見て分かったというのです。
 逆に私たちは日々の生活のなかでちょっと体調が悪くても少し休んだらどうにかなるだろうと自己診断して
すぐ病院に行くことをためらうようなことがあります。
 
 老いということを含めて病に向き合う死と向き合うことは自分自身に向き合うことで大事なことなのですが
何か遠ざけてしまっているような気がします。
 
 私たちが仏法に遇うということはこの生老病死の四苦に向き合わせていただけるということなのです。
私が一人向き合うということならば、これほどしんどいことはありません。
 そうしたしんどさ苦しさ悩みということもひっくるめて
阿弥陀仏さまは私のいのちそのものをそのまま引き受けて必ず救うとおはたらきくださるのです。
 
 池江さんご自身が一番つらい思いをされていることだと思います。
今の現実、病に向き合うなかで、勇気をもって白血病を公表された池江さんに心から敬意を表します。
「今の医学を信じ、自分の生命力を信じ、前を向いて焦らずにしっかり治療に専念してください」と
自ら白血病の闘病経験のある俳優の渡辺謙さんやたくさんの方々がエールを送っています。
 
 南無阿弥陀仏はすべての人私たち一人一人に向けられた阿弥陀仏さまのエールです。
「我にまかせよ必ず救う」のお呼び声おはたらきを聞かせていただき
今日一日も生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.13)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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