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お念仏を申す生活法話

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風邪をひきました

 ちょっと風邪気味で病院に行きました。
診察してもらい薬をもらって家に帰り、起きていると何やかんやしてしまいますので早く布団に入りました。
温かくして布団に体を横たえました。
 次第に眠気がさしていつの間にやら眠っていたようです。
体を横にする横にできることの有難さを思います。
 
 不断念仏行という親鸞聖人が比叡山でされたであろうという仏道修行があります。
不断念仏行は常行三昧堂というお堂に90日間籠ってご本尊の阿弥陀仏の周りをずっと行道歩くのです。
それも口にナマンダブナマンダブと念仏を称え心にも阿弥陀さまを念じてといいます。
その仏道修行のなかで煩悩の心を離れて見仏、仏さまにあえるといいます。さとりへの道きびしい仏道修行です。
 
 とてもとても一日たりともそうした仏道修行ができない私を思います。
風邪をひきこうして身を横たえることしかできない今の私です。
 そういうなかにあってもナンマンダブとお念仏申せます。
 
 阿弥陀さまのお念仏はこうしてこうしてこうしなさいと条件を付け
お念仏しなさい何回しなさいというお念仏ではありません。
 阿弥陀さまの方から私のところに来てくださってあるお喚び声だといただきます。
「いつも私が一緒だよ。まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のお念仏です。
「風邪をひいて大変ね。まあここはゆっくり休みなさい」と
何か自分に都合のいいように聞いているみたいですが、お念仏申すことしかできない私です。
 
 どんなに頑張って頑張って頑張ってもできないことってたくさんあります。
まあそこはおまかせするということでしょう。
 風邪をひいて布団に身を横たえゆだねることしかできない私です。
ナンマンダブとお念仏を申し阿弥陀一仏におまかせして
時間はかかりますがまた元の体調になって普段のことをさせていただきたいと思います。
 
 起きるとまた色んなことを思って何やら始めてしまいます。
今日のところはゆっくり体を横たえお念仏申すなかに過ごさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.20)

白骨が教えてくださること

 納骨のご縁がありまして、誰のお遺骨か分かるように骨壺の蓋の裏にお名前を書いていただきました・
白骨が見えました。私もよく知っているお世話になったご門徒さんの白骨です。
 
 「朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり」の御文章さまのお言葉をいただきます。
納骨してしまうと骨壺という形でお遺骨を拝しますが、中には有縁の方の白骨が納めてあるのです。
白骨を見せていただくなかに大切なことを教えていただきます。
 
 白骨が私たちに教えてくださることです。
白骨は我が身の行く末のすがたそのものです。
この身いつ命終えて白骨になれる無常の世を生きているのに
何かウカウカ毎日を過ごしてはいないか空しい人生を送ってはいないか。
 念仏申して生きて往けよ。
南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」のおはたらき一つに
念仏申すなかにこの命は終わるけれどもそのまんま阿弥陀さまのお浄土に生まれ往くことができるんだよ。
そのことを聞けよ聞けよ聞いてくれよ知ってくれよという白骨の叫びのように思いました。
 
 私たちのご先祖でいいますと、たくさんの方々が白骨となって土に還り私を支えてくださってあります。
あらゆるいのちのつながりのなかにこの命をまさに生かされて生きてあるということを
納骨のご縁にまた教えていただきました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.19)

大分の町中で公開講座がありました

 昨日は大分の町中ホルトホールで大海組の仏教壮年会連盟主催で公開講座がありました。
初めての試みでどれほどの来場があるのか少し心配していました。
講演が始まって少し遅れて会場に入りましたが、300人収容の大会議室がほぼいっぱいでした。
 正直びっくりしました。
大海組内の17のお寺さんの関係者もたくさん来られていたと思いますが
公開講座ということで初めてのご縁の方も多くいらっしゃったと思います。
講座終了後出口に立って見てますと、結構知らない人が多かったです。
 
 何でこんなに多くの人が集まったのかと思います。
テーマが終活ということで年齢的に60代後半70代80歳近い方が大多数でした。
人生の終わりに臨んで皆さんそれぞれに求めるところがあるということなのでしょう。
 終活についての講座は今盛んです。
ただ病気になって延命治療をどうするかとかお葬式は遺産相続はといった実務のことが殆どです。
大変大事なことでそれこそ元気なうちにこうした課題に取り組むことも肝要です。
 
 ただ今回の終活講座はお医者さんが仏教を語るということで大変興味深い内容だったと思います。
老病の現場におられるお医者さんが生死の問題を仏さまの教えを通して語るということです。
 人生の終わりに臨んで仏さまは何をどう教えてくださってあるのかということです。
「何のために生きいているのか?」「死んだらどうなるのか?」という人生そのものの問いです。
 
 若くて健康で忙しい中に中々考えることのない、しかし避けて通れない大事な生死の問題です。
仏さまの教えを聞くことでいえばお寺のご法座のご縁に参ってお坊さんに聞けばいいのですが
お寺は入りにくい所でお坊さんからというと何か敬遠してしまうようなことだと思います。
 
 今回の公開講座はお寺ではない所でお坊さんではない方ということでのご縁でした。
私もお寺のお坊さんとして何か情けないような気もしますが、今のお寺お坊さんのおかれた現実だと思います。
 
 お坊さんもただお寺にお参りしてください、仏教のお話を聞いてくださいと
お寺で待ちの姿勢を決め込むのではなくお寺から飛び出して仏さまのご縁をつくっていくことが
これから益々大事になってくるように思います。
 
 ただお寺の力も捨てたものではないと感じたことでもあります。
お寺からの呼びかけです。
「一緒に公開講座にいきましょう」と声かけをしてご門徒有縁の皆さんもご縁をいただけたということです。
 そして仏教壮年会のご門徒皆さんの力です。
自分たちの会の取り組みとして準備を重ね当日は種々お手伝いくださいました。
一人一人が自ら仏さまのご縁といただいて積極的に参画してくださったことです。
 
 昨日のご縁は大きな意味でこれからのお寺のあり方仏教のあり方を見直す機会になってよかったと思いました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.18)

日曜日の朝です

 日曜日の朝です。
日曜日というと仕事がお休みの人が多く普段の平日とは違った生活ぶりということでしょうか。
 平日はしっかり働いて日曜ぐらいはゆっくり朝寝坊してぼちぼち何かしましょうという過ごし方もあると思います。
日曜とはいえ生活のリズムをまもりいつものように朝起きて仕事ではないけれども
家の事とか趣味や娯楽にといつもはできないことをしたりして時間を有効に使うという過ごし方もあります。
 
 皆さんは今こうして6時半のお朝事にお参りされています。
いつも毎朝の方もいれば、日曜日に決めてお参りされる方もいます。
そしてこの後どうこの日曜日を過ごされますか。
 
 キリスト教圏の国々では日曜日に教会に行くという生活習慣があります。
私も学生時代に少し経験したことですが、8時か9時頃毎週日曜日の決まった時間に家族そろって教会に行きました。
それも正装です。男性は上着にネクタイを締めて女性はドレスアップして行きます。
 教会では一時間ほどミサというお勤めがあって、その後まっすぐ家に帰るのではなく家族みんなで食事に行くんです。
10時か11時の食事になります。朝食と昼食を兼ねたブランチです。結構おもい食事でお酒が入ることもあります。
 
 日曜日を家族一緒にゆっくり過ごすということです。
教会にお参りするということが家族みんなの生活の中心になっているということです。
毎日ということではないけれども週に一度の日曜日に家族みんなが心を合わせて一緒に過ごすのです。
 
 皆さんはこのお朝事にどういうお気持ちでお参りされていますか。
仏さまの御仏前に身を置くことの有難さを思います。自分自身を謙虚に振り返させていただきます。
仏さまの前にこの身を置き皆さんと一緒に声を出してお念仏お勤めをさせていただきます。
 
 ご本尊の阿弥陀仏さまは光の仏さまです。
あらめて拝見させていただくと光り輝くおすがたをされて私たちをいつも照らしてくださっています。
智慧の光でありのままのわが身を知らせてくださり、そのまま救うと慈悲のおはたらきをしてくださってあります。
どんなに背を向けて逃げようが私たちは阿弥陀仏さまの摂取不捨のおはたらきのただ中なのです。
 
 それぞれ生活ぶりが違う私たちです。日曜日の過ごし方もそれぞれです。
ただこうして皆さんとご一緒に毎朝6時半にお勤めができてそれぞれの一日ですが
今日の一日を始めさせていただけることを本当に有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.17)

お念仏は阿弥陀さまのおよび声おはたらきです

 今朝のご和讃に「真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念きらわるる」とありました。
称名とはナマンダブナマンダブとお念仏申すことです。
私の声で称える称名ですが、真実信心といいます。
 
 私が申すお念仏です。
ナマンダブツとお念仏申して私が善根功徳を積むように思っている方が多いのではないでしょうか。
 
 ところが私が称えるお念仏ですが、真実信心の称名といわれます。
南無阿弥陀仏のお念仏です。
阿弥陀さまが大悲心をもってすべてのものを必ず救うと願いをたて成就された南無阿弥陀仏なのです。
だから真実信心の称名といわれるのです。
 
 阿弥陀さまの方でこの私を救うすべての手立てを南無阿弥陀仏とつくってくださりおはたらきなのです。
弥陀回向の法です。
 
 ナンマンダブツとお念仏申すそのままを聞けよとの仰せです。
南無阿弥陀仏のお心を聞けよというのです。
 すべてのものといってこの私をこそ必ず救うまかせよの南無阿弥陀仏のおはたらき大きな大きなお心です。
大悲心です。阿弥陀さまの大きなお慈悲のお心です。
 
 ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏申します。
どうかすると私のところに力が入りますが、自力の称念きらわるるです。
お念仏申すところ阿弥陀さまの「まかせよ救う」のおよび声と聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.15)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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