監督の決断
夏の高校野球地方大会が佳境に入っています。
昨日は岩手県予選の決勝戦があり注目の佐々木投手を擁する大船渡高校が常連校の花巻東高校と対戦しました。
大谷翔平投手を上回る高校生最速の163キロを記録して全国区の人気を集めることになった佐々木投手ですが
決勝戦に登板することなくチームも敗れて悲願の甲子園出場を果たすことができませんでした。
この佐々木投手の登板回避が大きな話題になり今日の新聞テレビ等でも取り上げられることでしょう。
なぜ佐々木投手が登板しなかったのか監督は登板させなかったのかということです。
大船渡高校のエースであり甲子園めざして3年間一緒に戦ってきた仲間とのそれも最後の大事な試合です。
佐々木投手を中心にみんなで甲子園に行こうとチームメイト後援者の思いいっぱいだったと思います。
ただ監督は自らの責任で登板させないという決断だったといいます。
監督が一番選手のこと、まだまだ高校生の成長途上の子どものことを3年間ずっと見てきたと思います。
そうしたなかで最終的には監督の判断です。
それはそれで監督の判断でしかないと思うのですが、やっぱり傍から見るとなぜどうしてということです。
結果甲子園に行けなかったということですが、佐々木投手やナイン選手たちの人生がこれで終わるわけではありません。
これからそれぞれのいろんな人生の歩みのなかで
その時の監督の決断監督の思い願いというのがどういうことだったのかまた思い起こすことがあると思います。
それは〇か×かではないと思います。
登板させる登板させないという二者選択ではなくて多くのものの見方があると思います。
そういうなかに監督はまさに親ですよ。
親の心が聞こえてくるわかることもあるということではないでしょうか。
私たちの阿弥陀さまを親さまといいます。
親さまのお心が分かるでしょうか。
私が私がとどこまでも自分を中心に生きている私たちお互いです。
親さまのお心は南無阿弥陀仏「まかせよ救う」とおはたらきくださり
いつも私が一緒だよ、あなたのことは私が一番よく知っているからね、私にまかせなさいというんです。
まかせよ救うの南無阿弥陀仏のお心おはたらきに「おまかせします阿弥陀さま」と
南無阿弥陀仏とお念仏申すなかに今日の一日も生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.26)
今朝梵鐘が撞けませんでした
昨日はお朝事をお休みして6時の梵鐘もお朝事の調声も坊守と新院が代わってしてくれたことですが
今日は鐘つきの時間を過ぎて結局梵鐘を撞くことができませんでした。
いつもの時間に起きていつも朝の用意をしましたが、一つだけいつもと違うことをしたのです。
そのことで鐘を撞くタイミングを逸してしまったということです。
朝の梵鐘は時報という時刻を告げる鐘ではありません。
でも聞く人にとっては6時の鐘なんでしょうね。
今日は円光寺の鐘がならないなと思った方もいたのではないでしょうか。
聞き過ごしたのかなあと思った方もいらっしゃるのではないかと思います。
日々の生活ということを思います。
私たちは有難いことにご本尊を中心にナンマンダブツとお念仏を申す日暮しさせていただいています。
何かいつもと違うことをしてしまうようなことがあっても
右に行ったり左に行ったりと迷う私を阿弥陀さまはちゃんとご存知で
いつでもどこでも見てござる知ってござると
ナンマンダブツとお念仏となってご一緒してくださるのです。
その有難さ尊さをまた思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.10)
50回忌のご法事です
昨日は日曜日でご法事が二件ありました。
たまたま二件とも50回忌のご法事でした。
50回忌というのは昭和45年に往生された方のご法事です。
昭和45年です。皆さん私たちはどういう生活をしていましたかというお話になりました。
この辺は区画整理で町並みが一変したというほど変わってしまいました。
昭和45年当時の町並みを思い出すのは難しいところがあります。
そういうなかでお寺やお宮の存在の有難さを思います。
お寺やお宮は建物の造りは変っても在る場所は変っていません。
だからお寺やお宮を中心に我が家のことや周りの風景を思い出すことができるということではないでしょうか。
いろんな話になりました。
牛を飼っていたとか馬に乗って学校から帰ったとかいう話まで飛び出しました。
当時は牛馬の力を借りて農作業や家事をしていたということです。
昭和45年よりずっと前の話のように思いますが、何か懐かしく楽しそうに話されていました。
小さい頃に皆さんの記憶が鮮やかに戻るんですね。
こうした懐かしい思い出を語り後の人に伝えることもご法事のご縁だなと思います。
ただ日々の生活は大変だったと思います。
まさに毎日が生きることで精いっぱいだったのではないでしょうか。
そういうなかにあって家族で地域で人々がたすけ合いいろんなおかげに育まれて
今の私たちがあるということを有難く思うことができるのもご法事の営みだと思います。
私たちは自分を中心に私が私がと生きることに精いっぱい自分のことで精いっぱいです。
これも本当のことです。
そういう私たちをこれまでもあたたかく見守り
これからも色んなことがあるけれどもお家の阿弥陀さまを中心に
お念仏を申すなかに日暮しさせていただけることをまた有難く思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.8)
阿弥陀さまのお救いはみんなの救いです
「みんなの体操会」というチラシが目に留まりました。
みんなで体操をしましょうというお誘いです。
みんなという言葉に親しみを感じます。
私たちの阿弥陀さまのお救いはみんなのお救いです。
今月のことば「ただ念仏ひとつで どんな人も 救われる」です。
生きとし生けるすべてのものを分け隔てなく必ず救うそのまま救うという南無阿弥陀仏のおはたらきです。
みんなと聞いて私のことです。
この私一人をこそ必ず救うとご本願をたてられ永い永い間ご修行されて
「必ず救うまかせよ」と南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
いつでもどこでも私のところに来てくださってあると聞かせていただきます。
私一人のためのご本願のお救いと聞かせていただくことが肝要です。
みんなのと聞くと何か隣の人のこと他の人のことをいっているようで
自分には関係ないと聞くのではなく私のことと聞かせていただくのです。
そこにみんなのお救いという阿弥陀さまの大きな大きなお心おはたらきにあって
何かほっとする心強いものを感じます。
ただみんなといって、みんながしているからと多数派の代名詞になって
少数者を排除するような見方にもなってしまう言葉にもなりかねません。
みんなが言っているからみんながしているからということに思いがいって
言っていることしていることの真実を問わない見方にもなってしまうからです。
ハンセン病患者の家族救済判決の控訴を政府が断念したということです。
ハンセン病の患者さんはもとよりその家族までも
社会の差別と偏見にさらされ困難な生活を強いられたという重い事実です。
私たち人間のものの見方の危うさです。
真実を知ろうともせずみんなという多数派のなかにあって少数者を傷つけているということです。
仏さまのものの見方はどんな人もみんなです。
みんなそれぞれ顔が違うようにその生活ぶりは一人として同じものではありません。
それぞれの違いを超えて仏さまのお慈悲のお心おはたらきなのです。
お念仏申し仏さまのお心を聞き自分中心のあり様を見つめ直し
みんながそれぞれの違いを認め合って共々に生きる社会でありたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.11)
人生の最期をどこでどのように迎えますか
昨夜Iさんの奥さんがご往生されて臨終勤行にお参りさせていただきました。
日曜日に病院からお家に帰って来られて4日目ということです。
昨日は初七日のお勤めのお家があって私と同学年の方のご縁でした。
4月に病気が分かって最後は先生から余命一カ月と告知をされお家に帰って三日目だったといいます。
病院や施設で亡くなる方が多いなかでお二人の方が続いてお家で臨終を迎えられたということです。
長く入院されて一向に回復の兆しが見えないなかで、早く家に帰りたいと家族に言うそうです。
ただ家に帰っても病院にいるようなことは到底できないのですが、最期は家で迎えたいという思いなのでしょう。
今は医療福祉体制が充実しており
主治医を中心に看護士や保健士など色んな専門分野の方がチームを組んで最期まで看取ってくださるといいます。
それで治る見込みはないのですが、心身の痛みを和らげ最期を懐かしいお家で迎えるというのです。
昨日の臨終勤行は懐かしいお家の阿弥陀さまのご尊前でお勤めさせていただきました。
今は葬儀社でのお通夜お葬式が一般的になりましたが
お家での最後の夜です、ゆっくりご家族皆さんで過ごしてくださいと声をかけて臨終勤行のお勤めを終えました。
他人の話ではなくて私の話です。
いつどういうかたちでこの命を終えていくのか分かりません。
私が決められることでもありません。
ただこの命終える時が必ず来ることは確かなことです。
仏さまのみ教えを聞かせていただくことの有難さを思います。
大切なお方とお別れしなければいけませんが
ナンマンダブツとお念仏申してお別れができ阿弥陀さまのお浄土に送ることができるのです。
お浄土に生まれて大切なお方は南無阿弥陀仏の仏さまとなってこの世に私たちのところに還って来るというのです。
迷いの中にある私たちを必ず救うそのまま救うというおはたらき一つにです。
そのまま聞かせていただきましょう。
大切な方とお別れする悲しいご縁ですがそのまま仏さまのご縁といただきましょう。
七日七日に始まるこれからのご縁を精いっぱいお勤めさせていただきましょう。
とお取り次ぎさせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.28)