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お念仏を申す生活法話

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生死の命と聞かせていただき南無阿弥陀仏のいのちに生かされる

 お彼岸のお中日です。
夜半雨が降っていましたが、今日はお大師さん(弘法大師)のおせったいもあっていよいよ春になりました。
 
 昨日の彼岸会の夜席は『お葬式物語』という映画を皆さんで観て大智新院さんにご法話お取り次ぎをいただきました。
仏教では生老病死の四苦を説かれます。
生死(しょうじ)の迷いのなかに苦悩する私の命のあり様をズバリ教えてくださいます。
 ただ私たちは日々明けても暮れても生きることに精いっぱいで
いつまでも若くありたい健康でいたいと老病死のことを考えることがありません。
 
 仏教は生と死を分けて見るのではなく生死一如といって生きることは死ぬことと見るのです。
聞きたくないけれどもこれは真実本当のことで私のことなのです。
 そのことはどこかで知っている私ですが、生死と向き合うことは難しいことで
どこまでも生きることを享受するような生活ぶりの私たちです。
 
 そんな私たちを悲しまれ思いとって阿弥陀さまはすべてのものを生死の迷いから救い取ろうと
南無阿弥陀仏の救いの法を成就されたのです。
 お釈迦さまは数多くのお経さまのなか大無量寿経というお経さまに
阿弥陀さまの本願念仏の救いの法を説かれてあるのです。
 
 生死のことを私たちに自分で考えて解決しなさいというのではありません。
こうしなさいああしなさいと注文一つつけるのではありません。
南無阿弥陀仏一つで必ず救うと私たちが救われて往く手立てをすべてつくってくださったというご法義なのです。
 
 ナンマンダブツとお念仏申し苦悩の生死の世界を離れ阿弥陀さまのお浄土に生まれて
さとりの仏さまに成らせていただけると聞かせていただきます。
 
 生老病で終わる人生は死んだら終いの人生です。
生きることで精いっぱいで死は生を否定するものとして向き合おうとしません。
でも死が来ます。死ぬ時はそれでお終いということです。
 
 生死の命と聞かせていただくなかに私たちはこの人間の命を終えるけれども
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで仏さまのいのちに生まれさせていただけると聞かせていただくのがお彼岸のご縁です。
 
 私たちの彼岸は阿弥陀さまのお浄土と決めてくださってあることの有難さ尊さです。
そのこと一つ心に入れて今日のお中日の法要は1時半からのお勤めです。
 どうぞご仏参お聴聞ください。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.21)

お彼岸のご縁をいただきましょう

 円光寺墓地に行きました。
お彼岸に入ってお墓にお花がきれいにお供えされているところがあります。
逆に枯れたままのお花のところがあります。
 随分前にお墓参りに来られてお花をそのままにしておられるのでしょう。
 
 納骨堂もそうですが、仏事にご縁を2回いただくといいます。
お花をきれいにお墓や納骨壇をお飾りして何日かして枯れるまでにお花を持ち帰るということです。
 
 お彼岸のご縁でいえばお彼岸の入り頃お参りしてきれいにお飾りし
お中日を過ぎてもう一度お参りしてお花やお供物を持ち帰るということです。
仏さまのご縁をいただくといいます。
 
 そんな面倒くさいこと1回お参りすればいいことだというのは、私の思いです。
仏さまがお墓や納骨堂にお参りをさせていただく手を合わさせていただくお念仏を申させていただく
私にしてくださるというおはたらきなのです。
 
 お彼岸の仏さまのご縁です。お寺では今日明日と彼岸会法要をお勤めさせていただきます。
仏法を聞いてくれよお念仏を申して彼岸である弥陀の浄土に生まれてくれよという南無阿弥陀仏のご縁おはたらきです。
 私のために開いてくださったご縁です。
仏さまのご縁をいっぱいいっぱいいただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.20)

なたね梅雨の思い出

 朝から大きな雨が降っています。
この春のお彼岸の時期は結構雨が多いんですね。
なたね梅雨といって菜の花の咲く3月中旬から4月上旬にかけて梅雨のように雨が続くということです。
 
 なたね梅雨の思い出があります。
高校1年の時サイクリングで大分から宮崎鹿児島方面に友だち5人で行きました。
途中延岡と宮崎に泊まって宮崎鹿児島間は汽車で往復しました。
 ところが3日目から雨になり中々雨が止みません。
それで帰りの宮崎から大分までは結局サイクリングを止め自転車を汽車に積んで帰ったという思い出です。
 
 ただその時私は内心では降りしきる雨を喜んでいました。
初めての遠出のサイクリングは大きな峠越えもあって思った以上に大変きつかったのです。
 5人それぞれ自転車をこぐ力量が違います。私は遅れて行く方です。
先頭を切って行く人はどんどんペダルを踏んで前に前に坂でも一気に上がるということで
脚力以上に何か負けることの悔しさ情けなさもあって、よかった止めようという気持ちになったのでした。
最後までやり通すことのできなかった悔しさよりほろ苦い思い出になって今でも残っています。
 
 延岡宮崎と父の知り合いのお寺さんに泊まらせていただきました。
お寺に泊まって安上がりの旅行のつもりが汽車で行く旅行とあまり変わらないものになりました。
 一人だけ毅然と当初の計画通りに自転車で帰り、何で一人だけで帰らせたのかと家の者からひどく叱られ
帰りの汽車賃もお寺さんから借りることになって周りの方にも大変迷惑をかけることにもなりました。
 
 今から思えば心晴れ晴れということではなく今日の雨のように心残りのする旅行になりましたが
50年前高校一年のこの時期に5人の仲間と一緒に貴重な体験ができたことは
今の私の大きな財産になっています。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.19)

布施の心でさせていただくありがとう!

 昨日3月14日はホワイトデイということで
1か月前の2月14日のバレンタインデイでプレゼントを頂いた人がお返しをする日だったそうです。
 バレンタインデイは女性から男性にチョコレートを贈るのが定番でしたが
今はそれぞれプレゼントの内容も違ってきたようです。
 ただお返しをすることに変わりなくそれも数倍返しとかいって頭を悩ます人も多いと聞きます。
 
 これは西洋から入ってきたもので日本に昔からあったものではありません。
西洋の社会はギブ&テイクの考え方が基本でこれは今の私たちの経済社会がそうなっています。
 仕事や品物の対価として代金を払うということです。
分かりやすい考え方で私たち人間の理にあっています。
 
 ただこの気持ちをお金や物で表すこと自体にちょっと不謹慎なことを思います。
また何倍返しというように見返りを求めたり期待したりということについては何かしっくりきません。
 
 仏教では布施の心といいます。
この布施の心は見返りを求めないことが原則です。見返りを求めない一方的な行為なのです。
 布施の布は布(ぬの)ということで遍(あまね)くという意味があります。
誰彼と限定した人を対象とするのではなくあらゆるものすべての人に施すということです。
布施行は菩薩道の第一番目の行で、仏さまのお慈悲の心なのです。
 
 そこに私のはからいがあったら布施にはならないのです。
仏さまのお心もちのお手伝いをさせていただくことが布施の心です。
 
 私たちの行為はどこかで見返りを期待しています。
善いことをしてあげたのにお礼の一つも返ってこない。
腹が立ちますね。せめてありがとうの一声ぐらいはと思ったりします。
 
 布施の心は見返りを求めない一方通行です。
そして私にできることをさせていただくということが大事です。
仏さまは私にできないことを求めているのではありません。
私にできる精いっぱいのことをさせていただくことです。
 
 お念仏に生かされる喜びを私一人のものにするのではなく隣の人にお念仏を勧めることも私たちの布施行です。
お念仏はお金や物品ではありません。
物でしたら例えば食べる物だったら三人で分けると三等分の物になります。
人数が増えればどんどん減ってきます。
 
 ただお念仏は人に分けても減ったりしません。
そのまんま同じお念仏です。
 お念仏を勧め伝えて、そのお念仏をいただいた者がまた隣の方にお念仏を伝えるということです。
まさにお念仏のおはたらきがそこに生きてあるのです。
 
 人から人へと遍く広く広く伝わってそして私のところに届けられたお念仏が
私の口から出てくださるお念仏なのです。
 遠い遠いはるか昔からお念仏を伝えてくださった方がいらっしゃっるというご縁です。
南無阿弥陀仏のおはたらき大きな大きな仏さまのご縁つながりのなかに
私にできる精いっぱいのことを今日も一日させていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.15)

何か一つできることをさせていただきましょう

 東の空が日に日に早く明るくなってきました。今日から春の彼岸に入ります。
 
 この年度末お寺の会議が続きます。
これからのお寺はどうあるべきか、お寺の厳しい現状を考えるとき
思うようにならない課題がたくさん出てまいります。
 
 今朝起きてふとこの世のことはなるようにしかならないと思いました。
私がどんなに頑張っても頑張らなくてもなるようにしかならないというのがこの世の中の営みだということです。
 ただこの世に私が生きているという現実です。
お寺の住職という我が身この私です。皆さんでいったら浄土真宗の門徒ということです。
お念仏のご縁をいただく私たちです
 
 何か一つでも阿弥陀さまのご法義のお手伝いをさせていただくことがないかなと思って
今朝の新聞のコラムに「お寺おやつクラブ」の活動が書かれてありました。
 奈良の30代の若いお坊さんが始めたことです。
私たちの目に見えないところで今日の生活に食事に困ってらっしゃる貧困のご家庭子どもたちがいるという現実です。
 そういうお子さんにお菓子を届けようという活動です。
仏さまにあがったお供え物のお菓子です。お供え物のお下がりをおすそ分けするということです。
そのままにしていてももったいないことで
少しでもお手伝いにならないかと始めた活動が今全国各地のお寺さんに広がっているというのです。
 
 私たちは何か大きなことを思ってこうしようああしようと考え何度も議論して
結局のところ構想だけが膨らみすぎてこんなことは到底できないねということで終わってしまうことが多々あります。
 小さなことからできることってどこか身近にあるんですね。
 
 最近はご法事のお供え物が減ってきました。
お葬式もそうですがご法事もコンパクトなものになって
親戚に案内することもなく家族だけお経だけというご法事が多くなりました。
 
 ここは一つご門徒皆さんに呼びかけてみようと思います。
お供え物といってそんなに高価なものではありません。
 仏事のご縁に仏さまにちょっと気持ちをお供えにしてお寺に届けていただけたらと思います。
そのことがそのまま名前も知らない子どもたちの何かの助けお手伝いになるといいなあと思います。
 
 他にもいろんな取り組みがあると思います。ただ私にできることは限られています。
それこそなるようにしかならないことかもしれませんが
何か一つでもナンマンダブツとお念仏を申す私たちにできることをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.18)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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