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お念仏を申す生活法話

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お寺をあずかる住職の楽しみ

 今度納骨堂に新しく納骨壇を増設することで
昨日納骨壇を求めてお参りされた方がありました。
 昔でいう本家は円光寺のご門徒で分家になる方で
前々からお墓のことお仏壇のことが気になっていたということです。
ご夫婦ともいよいよ高齢になりこのたび納骨壇の申込みを思い立ったといいます。
 
 あわせて円光寺の門徒登録の手続きもしていただきました。
納骨堂にご案内し納骨壇を見てもらって説明させていただきました。
 お知り合いの方のお家の納骨壇をすぐ見つけられて何か安心されたようでした。
ずっと以前からのお友だちで納骨堂の話もその人から聞いていたということです。
 
 どうぞお寺のご縁にこれからお参りしてくださいと言いましたら
お友だちと一緒にお参りしたいと思いますと言ってくださいました。
 門徒になってお寺とのご縁ができるということです。
お寺とのご縁を前向きに思ってもらって本当に嬉しかったです。
 
 何かお寺の門徒になることをマイナスイメージで見られている方が多いのではないでしょうか。
門徒になるとお寺の務め事が色々あってそれが負担になって門徒になることに抵抗感があるといったようなことです。
 お葬儀のご縁で門徒になることが今まで多かったのですが
今はお葬儀もお寺に頼むのではなく葬儀社を通してその時だけのお坊さんに頼むケースが多くなったと聞きます。
 お寺との関係を持ちたくないということなのでしょうか。
お葬儀の後の仏事はどのようにお勤めするのでしょうか。
 
 門徒になるということは仏さまのご縁をいただくということです。
仏さまのご縁をいただいて帰る家ができるという安心です。
 お寺とご門徒のご縁つながりはこれからもずっと安心できる仏さまのご縁
大安心のなかのご縁つながりなのです。
 
 南無阿弥陀仏のご縁つながりのなかに一人二人三人と
お念仏をよろこび申すお同行が増えることほど
お寺をあずかる住職として有難く嬉しいことはありません。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.11.20)

何かやりきれない悲しい事件です

 風が強い朝になりました。
 
 福井県で71歳の女性が家族3人を殺害したという悲しい事件が起こりました。
夫と夫の両親3人です。建設会社を経営されていて夫が会長で容疑者は会社役員で経理を担当していたということです。
 報道によると介護の疲れが原因といいます。
周囲の人に「しんどい」ということをもらしていたということです。
 
 何か本当にやりきれないですね。
会社経営は並大抵のことではありません。
色んなご苦労があって事業を成し遂げ社員家族の生活もみてきたのではないでしょうか。
 
 私たちが生きるこの社会は決して自分一人で生きているわけではなくて
たくさんの方々人と人とのつながり関係の中でお互いに支え合い助け合って生きているというのが本当のことです。
 ただ自分の思い通りに生きることは難しくいろんな悩み苦しみがあります。
しんどいことを周囲に漏らすこともはばかられ「助けて」と声を上げることも難しいなかで
周囲は会社の社長さんだから何だからと勝手な見方でしか見てくれないところもあったのではないでしょうか。
 
 「困った時にゃお念仏に相談しなされや」とはお念仏を喜ばれた先人のことばです。
困った時とはどういうときでしょうか。
 お金がなくて困る病気になって困ると色んな困ることがありますが
一番困ること悩み苦しみって独りぼっちということではないでしょうか。
 そばに人がいても独りぼっち大勢のなかに行っても独りぼっちということ
何かすべての困り事を自分一人が背負わされているようで
これほどつらい悲しいしんどいことはないと思います。
 
 ナンマンダブツとお念仏申して金回りがよくなる病気が治るということではありません。
南無阿弥陀仏のお念仏のお心おはたらきを聞かせていただきます。
 自分の世界に固く閉じこもり悩み苦しむこの私のことを阿弥陀さまはもうすでにご存知で
南無阿弥陀仏といつも私に寄り添い必ず救うとおはたらきなのです。
 
 今日もこの本堂いっぱいにお念仏の声が聞こえます。
この目には見えないけれどもお念仏の声の仏さまとなって私のすぐ隣にいてくださいます。
お念仏の人がいます。ご先祖有縁の仏さまがいます。
阿弥陀さまがいつでもどこでも私について離れずご一緒してくださっているのです。
 
 この後『浄土真宗の教章(私の歩む道)』を皆さんで拝読します。
最後に「自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する」と結ばれます。
 自他です。自分だけではなく他の人みんなのお念仏の世界です。
私独りぼっちじゃありません。私を思うてくださる方がいます。
 ナンマンダブツとお念仏申し阿弥陀さまのお心を聞かせていただき
南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせて今日一日も
あなたと私お互いに支え合って生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.11.19)

今ここがお念仏の道場です

 私たちの浄土真宗のご法義は南無阿弥陀仏のご法義です。
この南無阿弥陀仏はインドの言葉を中国の漢字に音訳したものでその文字自体には意味はありません。
 
 お正信偈の初めに「帰命無量寿如来」無量寿如来に帰命し
「南無不可思議光」不可思議光に南無したてまつるとあります。
 無量寿如来不可思議光は阿弥陀さまのことで阿弥陀仏に帰命するということです。
 
 親鸞聖人は南無阿弥陀仏のご法義を「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号として大切にされました。
帰命の命は教命勅命の意味で如来の「まかせよ救う」の命令に
帰は帰順したがうという意味で
阿弥陀さまの仰せにおまかせしてしたがうということです。
 こちらが先におまかせするのではなく阿弥陀さまの方が先なのです。
まかせよ救うの仰せです。
 
 帰命尽十方無碍光如来です。
尽十方無碍光如来の仰せにまかせるということです。
尽十方とは十方を尽くすということであらゆる世界どこでもということです。
 私がどこにいてもこの仏さまは私のところに来てくださって
いつでもご一緒してくださる仏さまに成ってくださったというのです。
 
 今日も皆さんは円光寺のお朝事にお参りされ今ご本尊の阿弥陀さまの前に座っていますが
これからお家に帰り一日の生活が始まります。
 この本堂にだけではなく私たちが生活するところどこでもこの阿弥陀さまはご一緒してくださるのです。
ナンマンダブツとお念仏申すところ
必ず必ずあなたを救うと力強い南無阿弥陀仏のお喚び声となりおはたらきとなって
いつでもどこでも阿弥陀さまがご一緒です。
 
 浄土真宗はお聴聞が大事といわれます。
今こここの私がお念仏申すままが阿弥陀さまのお心を聞かせていただくお聴聞の道場と聞かせていただきます。
南無阿弥陀仏のお喚び声にかけられた大きな阿弥陀さまのお心をまた有難くいただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.11.18)

私たちは共に如来の御弟子御同朋御同行です

 今朝6時からのラジオ放送を聴きました。
この後「西本願寺の時間」を聞きますが
日曜日の朝の時間帯はいろんな宗教団体の放送があっています。
 
 放送のなかで親鸞聖人とか平生業成という言葉が出てきました。
浄土真宗のみ教えの大切な言葉です。
 あれって思いながらああそうかということで最後まで聴きました。
宗教団体ではなく○○出版というところからの放送ということでした。
 
 新聞の広告欄に時どき「歎異抄をひらく」という本の宣伝が載っています。
歎異抄は親鸞聖人のお弟子の唯円坊が書かれたといわれる親鸞聖人のお言葉を集めたものです。
 古くからの書物ですがずっと門外不出のもので
明治以降一般に紹介され真宗僧侶門徒だけでなく広く皆さんに読まれ親しまれています。
 
 「歎異抄をひらく」を書かれたのは浄土真宗のお坊さんですが
今はS会という宗教団体の方で西本願寺をご本山とする私たちとはちょっと距離を置く会です。
 放送の中で読者からの感想がありました。
私は最近母を亡くし近くの本願寺さんにお参りして
ご法話で歎異抄のことを聞き「歎異抄をひらく」を読んで
これまで意味も分からないで拝読していたお経の言葉が
すーっと入ってくるようになりましたというのです。
 
 歎異抄の魅力です。
どこか私たちを引きつけるはたらきを思います。
 そしてS会のことです。
確かに私たちの本願寺とは違うグループで活動も別ですが
親鸞聖人のお心をたずねていくことに変わりはありません。
 
 親鸞聖人が示された浄土真宗のご法義は阿弥陀さまのお救いの法南無阿弥陀仏のご法義です。
親鸞聖人がつくったご法義ではありません。
 歎異抄に「親鸞は弟子一人ももたず候」と御文があります。
親鸞聖人は生涯如来の御弟子という座にあって今も私たちと共にご一緒してくださるお方です。
 
 ご縁です。阿弥陀さまのご縁をいただくということです。
そのご縁はそれぞれ違うかもしれませんが目指すところは一緒です。
 往生浄土のお念仏の道を共々に歩ませていただく私たちは御同朋御同行なのです。
 
 歎異抄に遇って親鸞聖人のことを慕う方々がたくさんいらっしゃいます。
皆さんもご縁がありましたらどうぞ歎異抄を開いてみてください。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.11.17)

「帰っておいで」

 急に寒くなりました。
北海道は猛吹雪だそうです。
 つい先日まで暑い暑いと言ってたことがウソのように一変に冬になるということです。
 
 11月15日です。もう晩秋です。
寒くなってもおかしくないのです。
 
 夕暮れ時が早くなりました。
秋の日のつるべ落としといいます。
 
 子どもの頃学校から帰って外に出て友だちみんなと遊んでいたらすぐうす暗くなって
家に急いで帰ったものです。
 
 「遊ぶ子に 帰っておいでと 母の声 はいっとかけだす 秋の夕暮れ」
「ご飯ができたよ 早く帰っておいで」とお母さんのよぶ声がします。
家路を急いで帰ります。
 その家はお母さんや家族が待っている家です。
「帰っておいで」とみんなが待っている家に帰ることができる有難さです。
 
 私たちのいのちの古里を阿弥陀さまはお浄土と決めて用意をしてくださっています。
お浄土に私は往ったことはありませんが
「帰って来いよ」という南無阿弥陀仏のご法義おはたらきです。
 そのお浄土には私の大切な先に往かれた方が私を待ってくださっているのです。
私のことをいつも思い心配して待ってくださる方がいるお浄土に私たちは安心して帰らせていただけるのです。
 
 「帰る家がある安心」です。 
ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏を申すなかに今日一日も日暮しさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.11.15)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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