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お念仏を申す生活法話

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お念仏の光あふれてありがとうの生活をさせていただきましょう

 いつも毎朝6時半に喚鐘をつきますが昨日から東の空から昇る太陽の光をいっぱい浴びて眩しいぐらいです。
昨日は満月で一昨日が十五夜ということでした。
 
 きれいな満月の月夜でした。
暗闇のなかにあって月の光は明るく清かに輝きます。
太陽は光あふれて私たちを包み込んでくださいます。
 
 先日の台風15号の被害で千葉ではまだ停電が続いているところが多くあるようです。
電気のない生活です。皆さん想像できますか。
 今は夜だけではなく昼間も一日中電気のある生活が当たり前で
それこそ電気がストップしたら生活が一変に暗転してしまいます。
便利な生活が一転不自由不便な生活になってしまうのです。
 
 千葉は首都圏といわれ東京のすぐ隣に位置します。
東京に近い日本で最も便利な所に住む人が不便な生活を余儀なくされているのです。
 私たちの生活のなかでも今日明日にでも同じような事態が起こり得るということです。
 
 テレビのニュースで電気の復旧工事を終えた電力会社の人に
子どもたちが「ありがとうございます」とお礼を言う映像が流れていました。
「観たかったテレビが観れるようになって嬉しいです」と子どもらしいですね。
 
 私たちは毎日電気があって当たり前の生活をしています。
電気のある生活に慣れてしまって電気が通らなくなるとすぐ不平不満があふれます。
 
 電気のある生活は私たち人類の歴史の中でもつい最近のことです。
それでは電気が発明される前は一日中暗闇の中で私たちの先祖は生活していたかというと光がいっぱいあふれていたのです。
 今と同じ太陽の光であり熱のはたらきがあったのです。
太陽のおかげで大自然のいのちの営みが育まれその恵みをいただいて人類は生き抜いてこられたのです。
 私たちはいつしか大自然の大いなる営みまでも人間の思い通りになるもののように思い込んでしまい
日々の生活のなかでその有難さがわからなくなってしまったのではないでしょうか。
 
 太陽が隠れた闇夜も月の光は私たちを清かに照らしてくれています。
光あふれる大自然の恵みをいっぱいいただいて私たちの先人は生きてきたのです。
 光あふれるなかに「ありがとうございます」とすべてのいのちに感謝して生きていきたいですね。
 
 阿弥陀さまは限りない無量の光といのちの仏さまです。
南無阿弥陀仏の大いなる光といのちのおはたらきをいただいて
お念仏の光あふれるなかに「ありがとう」がいっぱいあふれる生活を
今日も一日させていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.15)

ご法事は仏さまのお仕事です

 昨日はこの本堂でご法事のお勤めをさせていただきました。
埼玉在住の方で七回忌のご縁で大分に帰ってみえられました。
大分にご親族の方がいらっしゃいますし、お墓も円光寺墓地にあるというご縁です。
 
 二人の小さな子どもさんがお参りでした。
お孫さんです。七回忌を迎えられたおじいちゃんが亡くなられた後に生まれたお子さんで
ご法事のご縁をいただくなかで新しい家族が増えるということです。
 
 ご法事のご縁で御仏前に皆さんがご一緒できる有難さを思います。
御仏前の仏さまはご本尊の阿弥陀さまですが
昨日のご縁でいいますと七回忌を迎えられたお父さんおじいちゃんの仏さまです。
 
 仏さまのご縁で皆さん私たちが一つになります。
仏さまが私たちを一つにしてくださるのです。
 
 阿弥陀さまのお浄土は倶会一処(くえいっしょ)の世界といいます。
共に再び一つ処でみんなが会える世界をお浄土と阿弥陀さまがつくってくださったのです。
 
 私たちの日常日々の生活をちょっと振り返ってみても
今は核家族でそれぞれの世代が家を持ち生活しています。
同じ家に日暮しする家族も一人一人それぞれ生活ぶりが違います。
 
 そうしたお互い私たちが仏さまのご縁をいただいて仏さまの前に座ることができた。
手が合わさった。お勤めができた。ナンマンダブツとお念仏を申して仏さまにお礼ができたということです。
 
 どのこと一つとっても仏さまのご縁で仏さまがそういう私にしてくださったということです。
ご法事は仏さまのお仕事なのです。
 先に往かれた大切なお方はお浄土の仏さまとなって
今もこれからもずっと南無阿弥陀仏のお念仏のなかに私と共に生きてくださるのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.16)

人の命終えてこれからも南無阿弥陀仏の大きないのちに生かされて共に生きます

 昨日はお葬儀があり一昨日はお通夜のご縁でした。
最近は家族葬といわれる参詣者の少ない小規模葬が多くありますが
このたびのご縁はちょっと以前のようなお葬式でした。
 
 お通夜でお正信偈さまのお勤めをさせていただきます。
ご門徒有縁の方がお参りですと方々からお勤めの声が聞こえてきますが静まり返った中のお勤めになりました。
 お勤めの後のご法話でお参りの皆さんの方を振り向くと殆ど知らない人ばかりでした。
喪主はじめご遺族の関係者のお参りが多かったということです。
昨日のお葬儀はそうした方々は少なかったようです。
 
 お通夜のご法話でその人の日頃の人となりをお話します。
近所の方々とご一緒にお寺にもよくお参りされていましたというお話ですが
近所の方々のすがたが見えません。
 お通夜のお勤めを終えて退場する時にみると一番後ろの席に近所の皆さんが座っていました。
昨日のお葬儀にはお焼香に出る姿がたくさん見えました。
 
 お葬式もそれぞれです。
人間は生きてきたように死んでいくと言われます。
長い人生の歩みのなかで常日頃からの人と人との関係のなかでお葬式というご縁をいただくということです。
 
 私たちのご縁はご本尊の阿弥陀さまを中心とするお念仏のご縁つながりです。
今日もお勤めを終えてナンマンダブツと皆さんの口からお念仏が出てきてくださる有難さです。
 お念仏申しなさいと言われて申すお念仏ではありません。
お育てです。仏さまのご縁に遇って平生からのお育てです。
有縁の方々仏さまのお育てをいただいてナンマンダブツとお念仏を申す身にさせていただいたのです。
 
 お念仏申す生活そのままに最期の最後です。命終えていきます。
人と人とのお別れですがナンマンダブツとお念仏を申してお別れができるのです。
そしてナンマンダブツとお念仏を申すなかに先に往かれた方がナンマンダブツとなって私のところに還って来て
阿弥陀さまの「必ず救うまかせよ」南無阿弥陀仏のお救いのおはたらきのお手伝いをしてくださるのです。
 
 これまでもそしてこれからもずっと南無阿弥陀仏の大きないのちのなかに
先に往かれた方も後に遺った私たちもお互いにつながっていけるということです。
 これほどの安心はありません。阿弥陀さまのお救いといただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.14)

大相撲嘉風関の引退

 大相撲の嘉風関が引退を表明しました。
大分県出身ということもありますが全国的にも大変人気のあった力士です。
 小さい体でどんな相手にも押し相撲で真正面からぶつかっていく相撲っぷりが勝っても負けてもファンを魅了しました。
 
 引退と聞いて37歳です。大相撲の世界では関取で最年長といいます。
引退して次は親方として後進の指導にあたるということです。
 ただ相撲の世界の厳しさは誰でも親方になれるのではなく殆どの力士は廃業して次の仕事を探さなければなりません。
30歳代でこれまでの仕事が無くなって次の仕事をどうするのか、苦しみ悩みが始まるということです。
 野球やサッカーのプロの選手もまた同じで本当に厳しいことだと思います。
 
 引退ということを聞いて、命終この人の命終えるということに重ねて思います。
命終の後です。後生の一大事といいますが
次のことを阿弥陀さまの方で用意をしてくださっているという私たちの浄土真宗のみ教えです。
 それも条件があったり資格を取らないといけないということではありません。
私がお願いしてつくってくださったということではなく
私が何も頼まないのに阿弥陀さまの方でこの私が救われるすべての手立てを南無阿弥陀仏とつくってくださったのです。
 
 どんな人もです。阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまになって次の仕事が待っているというのです。
仕事と聞いてこの世で散々働いてきてお浄土にいってゆっくりできるのではなく大変だなというのではありません。
 
 仏さまのお仕事は自由自在といいます。
自由自在にこの世に還って来て人々を救うという阿弥陀さまのお手伝いをさせていただくのです。
 私が何も心配することではなく
この目には見えないけれども私の有縁の大切なお方が仏さまとなって
必ずこの私をお浄土にすくい取るというおはたらきのなかに
今日の私たちがあるということをまたお念仏を申すなかに聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.13)

ご縁・つながり・念仏家族

 昨年9月15日に亡くなった女優の樹木希林さんの特集番組がありました。
生前親しく交友のあった方々が思い出をお話され最後に娘の内田也哉子さんのインタビューがありました。
 
 樹木さんの言葉に「死ぬことが分かっているといろんな準備ができていいわ」とあります。
私たちもみんな死ぬことはわかっています。
しかしこの死を自分のことと覚悟して受けとめることは中々できないものです。
 
 樹木さんの場合はがんを発病したということです。
医者からがんの告知があり余命何日ということで準備ができるというのです。
 
 私たちはどうでしょう。
死ぬことは分かっていても今の私の問題ではないと考えようとしませんし
死の告知にあってはうろたえ迷い何もできないままに時間が過ぎ行くのではないでしょうか。
 若くて健康であっても明日があるということは誰しも分からないことなのです。
 
 樹木さんは結婚していましたがすぐに別居してずっと生涯別々の生活でした。
家族はバラバラの状態だったということです。
 最後に撮った家族写真が公開されています。
真ん真ん中に夫の内田裕也さんが座って家族みんなが取り囲んでいます。
 一家の大黒柱を囲んでの写真です。
家族が一つになるという象徴なのでしょうか。
 
 娘さんに最期に「私が死んでいく姿をみんなに見せたい」と言っていたそうです。
今は死に顔を見せたくないではありませんが家族葬で親しい友だちとも最後のお別れができなかったり
病気の姿を見せたくないと友だちも親族にも見舞いを断る人が増えているといいます。
 
 お葬式に子どもの姿を見ないことが多くあります。
お葬式にお参りしないのですから法事にもお参りすることはないのでしょう。
 
 人と人それも血縁というもの同士です。いのちの大恩人です。
そういうなかにあって家族が一つになることは本当に難しいことになりました。
 私たちの日々の生活です。
家族といってそれぞれものの見方考え方が違いますし生活ぶりも違います。
 今は核家族ということですから、日頃の生活のなかで互いに会うこともままなりません。
それこそ何年ぶりに親子が会うということもあるかもしれません。
 
 ただご縁というのは私たちが思いをもってつながっていくというのではなくて
私たちの思いを超えてつながってあるということです。
 それも私たちのご法義でいったらお念仏のつながりです。
家族です。血縁だけのことではありません。念仏家族です。
 
 お念仏のおはたらき一つにもっと広くつながっていく大きなご縁です。
南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきのなかに私たちは生かされて生きてあるということです。
 
 これは死を覚悟したからできるご縁ではなくずっとずっと以前からできているということです。
どうぞお念仏を申しましょう。お念仏の声阿弥陀さまのおよび声を聞かせていただきましょう。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきのなかに老いも若きもどんな人も最後はみんな命終えていきますが
大丈夫、この命の往く先を阿弥陀さまがお浄土と決めてくださってあることを聞いておきましょう。
お念仏申して一人でも多くの方に南無阿弥陀仏のみ教えを伝えてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.12)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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