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お念仏を申す生活法話

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思い通りにならないなかで生きている生かされている

 昨日は雷も鳴って大変な雨になりました。
ただ「雨よふれふれ」と正直思いました。雨が降ってしまって明日は上がってほしいと思いました。
 
 今日は曇っていますが雨が上がって仏教婦人会の親睦旅行ということです。
今は週間天気予報があって一週間前から天気予報をみることができます。
 あくまでも予報ですからその通りになるということではありませんが
ほぼその傾向にあって微妙に日々予報が変わってきます。
 
 毎日天気予報をみて、どうか雨だけは降らないでほしいと思う中で今日の日を迎えました。
雨が上がってよかったということですが、昨日雨にあって悔しい思いをした人もいるのではないでしょうか。
 
 今回私もご一緒できることを楽しみにしていましたが、お葬式ができてご縁に遇うことができません。
これも思い通りにならないということです。
 
 私の思いでこうしてこうしてこうなるということではありません。
これまでの人生を振り返りこうしてこうしてこうなったかというと、思い通りにならないことの繰り返しのようです。
 
 ただどんなに思い通りにならないことがあっても、今ここに生きていることはありのままの事実本当のことです。
どんなに自分の思いとかけ離れた状況にあってもそれをそのまま受けとめていかねばなりません。
生きるということはそういうことです。
 
 仏さまのご縁をいただくなかで
どんな状況にあっても仏さまの大きな大きなお慈悲のなかに生かされていると聞かせていただきます。
 思い通りになったことも思い通りにならなかったことも仏さまのご縁だったと有難く受け止めさせていただけるのも
お念仏のみ教えに遇わせていただくことです。
 
 親睦旅行で四日市別院にお参りされ藤の花を見てお買い物をして仏さまのご縁に遇うていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.25)

103歳のおばあちゃんのご往生

 103歳のご門徒のおばあちゃんがご往生されました。
円光寺のご門徒関係ではこれまでで最高齢だと思います。
 
 臨終勤行にお参りしました。
100歳を超えてご家族の方に近々のご様子を伺っていましたが
そんなに体調が悪いということではなく相変わらずですということでした。
 
 ご臨終の様子をお聞きました。
きれい好きなおばあちゃんで髪がちょっと伸びていたということで散髪をされたそうです。
散髪して間もなく「吸う息吐くを待たずなり」でスーッと往かれたということです。
 
 大正昭和そして平成の最後まで生きてもう少しで令和ということでしたが
長い人生の中にはうかがい知れない色んなことがあったと思います。
 今日がお通夜です。
最後の夜を家族水入らずでゆっくり色んなお話をしながら過ごしてくださいと言いました。
 
 私たちのお念仏のご法義の有難さを思います。
死んだらお終いではなくこの人の命は終わるけれども南無阿弥陀仏のおはたらきでそのままお浄土の仏さまとなって
これからもずっと私たちと共に生きてくださると聞かせていただきます。
 
 生前は人と人との関係でお互いにいろんなことがあったでしょう。
ただ今は仏さまとなってこれからも仏さまとして私たちを見守り共に生きてくださるのです。
 
 大切な方とのお別れは悲しいご縁ですが、そのまま仏さまのご縁といただける有難さです。
先に往かれた方を偲び仏さまのみ教えを聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.24)

ご法事をお勤めさせていただく意味

 ご門徒さんのお家でご法事のお勤めをするのにカバンをもってお参りしています。
お衣のお着替えをします。
 普段は布袍(ふほう) というお衣をつけていますが、黒衣(こくえ)というお衣に着替えて
お袈裟も輪袈裟(わげさ)から五條袈裟(ごじょうげさ)に替えて
心あらたにご法事のお勤めをさせていただきます。
 
 お着替えの最中に施主(せしゅ)のお家の方にろうそくに点灯してもらい線香を炊いていただくようにお願いします。
これまでは私がしていたのですが、実はこれは施主の方のお役目なんです。
 
 ご法事の時は平生とは違って特別にきれいにお仏壇がお飾りされています。
お仏飯があがっています。おだんごがあがっているところもあります。
お菓子や果物を仏具に盛られてお供えされてあります。
 
 打敷きをしてきれいにお飾りされたのは施主であり
お飾りの総仕上げにおあかりとお香をお供えして
恭しくお荘厳されたお仏壇阿弥陀さまのご尊前でお参りの皆さんご一緒にご法事のお勤めをさせていただくことです。
 
 一つ一つのことを丁寧に大切にさせていただくことも仏さまのお徳おはたらきです。
どうかすると仏さまの事を自分勝手に自分の都合のいいようにしていることに気づかされ反省させられます。
 これもご法事をお勤めさせていただく意味だと聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.23)

宗教間の対立ってどういうことでしょうか?

 スリランカの教会やホテルで大きな爆発が連続して起こり200人を超える方が死亡したというニュースです。
今はスリランカといっていますが、私が学校で習ったのはセイロンです。
紅茶で有名な国ですが、セイロンは仏教国なのです。
 
 お釈迦さまのインドの国ではじまった仏教が北方に伝わりシルクロードを通って中国に伝わり
朝鮮半島を経て日本に入ってきました。北伝の仏教です。
 一方インドから南のセイロン島に渡り東南アジアに伝わった南伝の仏教があります。
 
 今もスリランカは人口の7割が仏教徒だそうです。
ただセイロンは近世以来長くイギリスの植民地でありました。
そして10年程前に終結しましたが長く仏教徒の人たちとヒンズー教の人たちとの紛争の歴史があります。
人口のそれぞれ1割ほどですがイスラム教徒やキリスト教徒もいます。
 そうした宗教事情のなかで今回キリスト教の教会と外国人観光客が利用する高級ホテルが襲撃されたのです。
 
 本当に悲しいなと思うのは宗教間の対立の構図が背景にあるといわれることです。
世界史をひもとくとイスラム教とキリスト教の対立の歴史があります。
イスラム過激派のテロ攻撃は今も続き世界の脅威になっています。
では仏教はというと、やはり紛争の歴史があります。
 
 仏教は仏の智慧と慈悲を説く寛容な宗教です。
キリスト教もイスラム教も教えそのものは人々の幸せと世の中の平和を願う宗教です。
 では一体なぜ宗教間の対立ということが言われるのでしょうか。
 
 対立するのは私たち人と人との関係のことです。
私たちはお互いに自分を中心にしたものの見方考え方をに固執し
頑なに自分の殻に閉じこもり対立の壁をつくって生きています。
 そこに私たちの苦悩の原因があると教え救いを説くのが宗教です。
 
 苦悩の原因である煩悩を離れるところにさとりがあり救いがあるとお釈迦さまは教えます。
仏教徒といいキリスト教徒といいイスラム教徒といって、みんな迷い苦悩する人なのです。
 だからこそ仏さまのみ教えを聞かせていただくことが大事になってきます。
 
 世界を見渡せば国と国との対立民族間の対立と紛争があります。
私たちの社会のなかでも人と人とがいがみ合い傷つけ合っています。
 お念仏申す日暮しをさせていただき私自身のあり方を見つめてさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.22)

また高齢者の事故です

 東京で87歳の男性が運転する車が暴走して二人の親子が亡くなりました。
本人はアクセルが戻らなかったと言っていますが
周囲の方の話を聞くと足が悪く杖をつくほどだったとか、本人はもう運転しないと言っていたといいます。
 高齢者の運転事故でアクセルとブレーキを踏み違えることが原因にあげられます。
運転操作が若い時のように思うようにできなくなってくると言われます。
 
 交通事故を起こそうと思って車を運転する人はいません。
私のこの身を思います。
 自分のことは自分が一番よく知っている大丈夫というところがどこかにあります。
そうした自信がないと生きることもおぼつかないですよね。
 
 実はそこに危うさがあるのではないでしょうか。
何を根拠に大丈夫というのか、大丈夫じゃない私が生きているのです。
 
 歎異抄の御文に「さるべき業縁のもよほさばいかなるふるまひもすべし」と親鸞聖人のお言葉があります。
この身はしかるべき縁があればどのような行いもするものであるというのです。
 善いことをしようと思って善いことができる悪いことを止めようと思ったら止められると
自分の思いで善悪をコントロールできると思ったら間違いだというのです。
 
 条件がそろえばどんな恐ろしいこともしでかすか分からないのが私なのだというのです。
他の人はわからないが私は大丈夫というところに落とし穴があるのです。
そういう私のことを阿弥陀さまという仏さまは悲しまれたというのです。
 
 歎異というお心です。歎異とは異議、異なったものの考え方を歎くということです。
批判したり非難することではないのです。そんな私を駄目だと決めつけ排除することでもありません。
 阿弥陀さまはありのままの私をご覧になり見て取って大いに悲しまれたのです。
大悲といい同悲といいます。私と同じところに立って自分のことのように悲しまれたといいます。
 悲しまれるなかにお前をこそ必ず救うという本願を建てられ成就され
南無阿弥陀仏となって「必ず救うまかせよ」とおはたらきくださってあるという教えなのです。
 
 阿弥陀さまの大悲のお心本願のお心南無阿弥陀仏のお心を私のこととして聞かせていただきましょう。
何をしでかすかわからないと聞いてじっと家の中に閉じこもって何もするなと言っているのではありません。
 私にできることをさせていただきましょう。
この歳になって運転はもう無理だと思ったら免許証を返納することも私にできることではないでしょうか。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.21)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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